実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

知らないこと分からないこと(上) 実戦教師塾通信三百八十六号

2014-05-28 10:55:20 | 福島からの報告
 知らないこと分からないこと(上)


 1 「警戒区域」

「東電の野郎、頭くんだよな」
私の横に腰掛けて、おじちゃんはこう言った。
 第一仮設集会所で、私はおばちゃんたちとおしゃべりしていた。この日は月に二回、血圧測定や問診(もんしん)で東京からお医者さんが来る日だった。いつも男のお医者さんと二人組なのだが、この日は女医さんひとりだった。雑談の端(はし)っこにいる私の横に来て、おじちゃんが言ったのだ。私は向かいに座った女医さんとともにおじちゃんの言葉に驚く。ここは第一仮設である。双葉地区ではないいわきの人が、どうして東電まで出向いて行くのだ? そして「頭来ている」という。聞けば、東電のいわき営業所に「賠償(ばいしょう)」の手続きに行って受けた「もてなし」のことだった。お茶はもちろんだが、消しゴムやペン、トイレまですべて両脇を固(かた)めたガードマンがサポートしたのだ。そして正面からは社員の質問に答えて書類に記入したという。
「こっちがうそをついてないかって扱(あつか)いよ。ガードマンもさ」
「まるでこっちが犯罪人みてえだ」
と疲れ切ったように怒って、おじちゃんは言った。
 私は去年、ようやく販売にこぎつけた広野のお米をどこで買えるのか、これまたようやく再開した広野町役場にたずねたことを思い出した。間違って入った役場のロビーは、東電の「賠償受け付け」の部屋だった。たくさんの衝立(ついたて)で仕切られたコーナーには、それぞれ係員やガードマンがおびただしい数で居並んでいた。
「申し訳ありませんでした」
入り口を入った私に、最初の係が言うのを思い出した。
 広野での話をすると、おじちゃんは、そうなんだよその通りだよ、と言うのだった。私はそこで思い出した。おじちゃんはいわきでも久之浜である。何度も言ったが、久之浜はその一部が原発から30キロ圏内である。かつては「警戒区域」だった。それで賠償の対象となるのだ。しかしおかしい。一時金/見舞金として、一度だけ久之浜住民に東電が支払いをしたということはあった。しかし、おじちゃんは今も請求をしている。何が賠償の対象となっているのだ? 傍(かたわ)らでおしゃべりを続けるおばちゃんたちにも、久之浜の人たちはたくさんいる。今までそんな話を聞いたことがない。


 2 「心臓疾患(しっかん)」
「どうして東電に賠償の請求に行くんですか」
私は我慢できずに聞く。
「心臓が張るんだよ。水がたまるらしいんだな」
おじちゃんは言った。味噌・醤油配布の時、おじちゃんは軽トラを出してくれる。ここで何度か登場したと思う。大工さんだったおじちゃんが、心臓を悪くして仕事が出来なくなったことも書いたと思う。それはずっと前、あるいは最近のことだと勝手に思っていたのだ。私は聞く。
「いつからですか。つまり、原発の事故のあとってことですか」
そうだった。心臓に違和感が発生したのは、原発の事故あとだったのだ。詳(くわ)しくは聞かなかったが、東電の審査(しんさ)項目の中には、事故のあとの過ごし方や場所もあったはずだ。事故のあと遠くに逃げた奴が病気になったとして、それが放射能のせいだとは言わせないぞ、と東電は対処したはずだ。さっきまで笑っていたお医者さんも、もう笑っていない。おじちゃんはきっと、「いわき市の指示」に従って、久之浜の自宅に「屋内退避(おくないたいひ)」していたのだ。
 私はすぐ隣で大きな声でおしゃべりを続けるおばちゃんたちを見てしまう。おばちゃんだって、毎日こんなに薬を飲んでるよ、と両手を器(うつわ)のようにして笑っていた。しかし、
「賠償の対象になる病気とそうでないのがあるんだよな」
とおじちゃんが言う。でも私は、もう驚いた。驚かないわけには行かない。一体どれだけの人がこの事実を知っているのだろう。いやきっと誰も知らない。東電は原発事故のあと、「心臓疾患」になった警戒区域の住民に対し、賠償をしている。おそらく、これらのことについても東電は、
「因果関係は不明」
としていることは間違いない。しかし、このことについて東電は「責任の一端を負(お)って」いる。金額は微々(びび)たるものなのだ。でも、そうなる道筋もひと通りではなかったはずだ。とりあえず、だ。私達は原発事故後の「心臓疾患」を、東電が賠償していることを知らないのだ。
 それにしても、メディアも国会も、一体このことをどう伝えているのだ、私は憤る(いきどおる)。そしてまた、あの『美味しんぼ』の鼻血のことを思い出す。

「ねえ、味付け、薄すぎたかな?」
この日、蕗(ふき)、竹の子とわかめの煮物を集会所に持ってきてくれた豊間のおばちゃんが、私達に言った。


 ☆☆
佐藤和良議員が動いてくれたせいで、足の悪いおばちゃんのところへ、それは親切な職員がたずねてきたそうです。
「連帯保証人の給与証明もいらねえってよ」
と、おばちゃんたちの安堵(あんど)した顔が嬉しいです。

 ☆☆
いつもの友部サービスエリアです。
      
真っ赤に染めてあちこちいじってあるヤマハのSR(向こうの黒いマグナが私の愛車)。浜松の若者は、これから大洗のフェリーで北海道へ、と嬉しそうに語りました。私が福島に行くと聞いて、神妙(しんみょう)な顔から、なにか聞きたそうでもありました。気をつけてね、の私の言葉に、ありがとうございます、の返事がすがすがしい。

 ☆☆
白鵬のことがずいぶん話題になってます。優勝翌日のインタビュー「キャンセル」というものです。その原因があれこれ取り沙汰(とりざた)されていますが、私はどうでもいいと思っています。それより、私は今場所の白鵬が、取り乱しているように見えて仕方がありませんでした。「流れ」よりは「反発する力」がきわだっていて、後味のよくない取り組みが目立ったように思えます。私が白鵬の優勝インタビューを見ずにテレビを消したのは、初めてです。白鵬は稀代の横綱です。今はじっと考えている気がしています。

未熟な子どもと未熟な大人(下)  実戦教師塾通信三百八十五号

2014-05-25 14:16:01 | 子ども/学校
 未熟な子どもと未熟な大人(下)
     ~館山からの報告 その3~


 1 初めに

 予想にたがわず、前回ブログへの反応は大きかった。
「厳(きび)しい指摘は耳が痛い」
「頑張ろう、という力になった」等々、
報告して良かったと思えるものが多かったのは嬉しい。さて、少し誤解を生むかもしれないと思ったことに、やはりチャチャが入った。といってもまじめな意見だ。『イソップ寓話』の「北風と太陽」の部分だ。
「ニコニコ笑いながら生徒をいさめることが出来たら楽なのだ」
といった内容だ。原作では、旅人の頭上(ずじょう)を太陽がニコニコと光をそそぐ感じだったかな。確かに生徒の服装指導の局面、そんなに甘いものではない。
 しかし、私の記憶に間違いがなければ、旅人は、
「暑い……」
と言い「仕方なく」服をぬいだ。「喜んで」ぬいだのではない。太陽は強引(ごういん)ではなかったものの、「容赦(ようしゃ)しなかった」というのが、ここでの私のポイントである。
 『さあ、ここが学校だ!』の中で示したように、私達は徹頭徹尾(てっとうてつび)注意を繰り返した。しかし決して怒らなかった。
            
          退職前、悪ガキの団長たちが私に寄せ書きしてくれた帽子


 2 長い道のり
 解散したあと、会場に残った役員の方たちが柔和(にゅうわ)な顔になったのは気のせいなのだろうか。議員という立場上、この「考える会」の会員でないという石井敏宏議員も、堰(せき)を切ったように話しだした。議会で初めてS君のことを取り上げたのは石井議員だ。私のブログ295号は、石井議員のブログも参考にさせてもらった。
 ここに書いていいかどうか躊躇(ちゅうちょ)があるが、石井議員が議会で取り上げようとした時、同じ会派から「担当でないからやめよ」という指示があったという。「文教担当がやればいい」ということなのだ。ところが、文教委員がとりあげようとしない。そこでたまらず、石井議員が質問したということだ。こんなことが日本のどこでもまかり通っている。ここでも同じことが言える。『上が厳(きび)しいから出来ない』のでは何も始まらない。
 この時言ったか次の日に言ったのかもう忘れたが、私はふたつ言っている。
「大切なことを『考える会』はやっていると思います。ひとつはS君と遺族の思いを引き継ぐこと。そして学校の行った記名式!アンケートに自分を名乗り、学校の不誠実を訴(うった)えた生徒が、大人(社会)は信じられるという希望を残す作業をしているのだと思います」
「原点を忘れないようにしましょう。『遺族の方の気持ち』だったはずです。遺族の方が持っている不安を膨(ふく)らますことがいいはずがない。遺族の方の心を支(ささ)えることが大切ではないでしょうか」
二点目は、全体会の時に流れた遠慮めいた空気に言ったものである。
 大変な道のりだが、「考える会」はそのことを分かっている。この先長い取り組みになると語ってくれた。
            
            三芳村『土のめぐみ館』。足湯もありました。


 3 事務局の方のお宅
            
          真剣がふた振り。掛け軸はもちろん武蔵『枯木鳴鵙(もず)』
 いや驚いた。今回の館山の余祿だった事務局の方の「お宝」拝見ツァー。家に入れば、あちこちに「配置」された武器。鴨居(かもい)に槍・薙刀(なぎなた)。床の間には刀と鎖鎌(くさりがま)。そして部屋の正面に、このコーナーだ。
 驚きは続いた。まだあったのだ。どのくらいかというのは、あえて控(ひか)えよう。お宝は先祖伝来といったものではなかった。「趣味」なんだそうだ。時代は室町(むろまち)から現代まで、それは幅が広く、地元は里見家(さとみけ)お抱え刀鍛冶(かじ)のたたき上げたものもあった。確かにこのあたりのところは本人のブログでも紹介していたのを思い出す。身体が吸い込まれるような刃(やいば)。一体職人たちが何度この鋼(はがね)のために槌(つち)を振り下ろしたのだろう。真っ赤に焼けた玉鋼を切っては曲げる。その作業が生み出した透明感の深さに、私は時間を忘れた。寝たきりの母方と心配を抱える息子さんを案じながら、この事務局の方は夜な夜な刀を眺(なが)めている。なんとも不思議で、興味さえ感じるのだった。
 少し振ってみたが、いつも私の使っている模擬刀(もぎとう)と違って軽い。どうも造(つく)りからくるバランスらしい。真刀は先が細身(ほそみ)になっている。
 さらに驚いた。どうも私のようなものでも、真刀/真剣を買えるようなのだ。武道仲間に聞いてみるといいですよと事務局さん、言ってくれたが、スポーツに堕(だ)した武道/空手界の情けない現況を知らない。まあそんなことはどうでもよろしい。いつか刀を身につける日がやってくることを、私は確信したのだった。


 ☆☆
皆さんから地元名産?の鯨肉や野菜をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。また、JRの職員だった方がJR北海道のことを話していたのが印象的でした。
「長い長い間やってきた人員削減(さくげん)が原因なんだ」
というのです。点検しようにも、その人間が北海道にはまったくいないというのです。驚きました。

 ☆☆
「大飯原発運転認めず」。いやあ、良かったです。
「生存権とコストを並べること自体が許されない」
「クリーンな発電ではない。福島原発事故は、わが国始まって以来、最大の環境汚染(おせん)」
と、言われて当然のことが司法の口から言われたんですよね。上級の裁判所のことを考えれば気分は重くなりますが、今は各地での原発訴訟(そしょう)が、これにならってくれればと思わないわけにはいきませんね。

未熟な子どもと未熟な大人(中)  実戦教師塾通信三百八十四号

2014-05-21 12:06:26 | 子ども/学校
 未熟な子どもと未熟な大人(中)
     ~館山からの報告 その2~


 1 「大人の責任」「学校の体質」

 話した順序はもう心もとないが、初めの方で私は皆さんに二点話したと思う。

① 「大人の責任」「意地悪」
 「いじめ防止対策推進法」の問題点をここで取り上げるのは二度目と記憶しているが、今回はもう少し先を書く。館山の会場でも同じことを言った。
 この法案に目新しいものはそんなにない。今までの法令・条例と同じだ。違っているのは、ネット上のいじめへ対策が出されていること。そして、ここが新しい。
「いじめは犯罪だ」
と規定(きてい)していることだ。これは非常にまずいことであり、悲しいことだ。大人が子どもに、
「どうしてそんなことをするのだ」
と「理由を確かめ」「子どもを正す」ことをやめて、
「それは『犯罪だから』いけない」
と「畳みかけ」て「矯正(きょうせい)する」道にさらに踏(ふ)み込んだからだ。周囲は約束通り、
「これが『いじめ』かどうか」
おしゃべりを始める。そこでされるおしゃべりは、
「犯罪かどうか」
なのであって、
「それは意地悪ではないのか」
と、確かめることではないのだ。また言うが、こんなことで子どもが育つはずがない。
 子どもの責任を負(お)っているのは大人である。これは基本中の基本だ。その場、周囲にいる大人が責任を問われるのだ。「いじめは犯罪だ」という法案の文面には、確かに「大人の責任」が書かれてはいる。しかし、「いじめは犯罪だ」という文言(もんごん)をもとに、大人たちは動く。親もいっしょだ。どうして大人が、
「そんなことをするのはなぜだ」
と、子どもと向き合えないのか。子どもの話を聞けよ、私は強くそう思う。

② 「学校は『面倒(めんどう)』をいやがり、なだめにかかる」
 私はなるべく強い側の子どもに対して、
「大人になれよ」
と言ってきたつもりだ。学校ではこれが逆になる。大体においてそうだ。嫌(いや)がらせをする連中が、
「からかっただけだ」
とよく言う。ニュースで連日報道されている通りだ。「からかい」かどうかなんて、学校は分かるはずだし、分からないといけない。「からかい」の成立する要素は、
「両者が友だちかどうか」
だからだ。
 さて、なぜか学校は「からかわれた」方の子どもを「説得(せっとく)」にあたる。そのなかで使われる言葉が、
「大人になれよ」「オマエが強くなれ」
だ。どうしてこうなるのか。「面倒/大変」だからだ。「からかう」方は大体が複数だ。そして、「強か(したたか)」である。悲しいことだが、学校は「からかわれる」方が「納得(なっとく)」してくれさえすれば、「まるく納(おさ)まる」と考え、対応する。こんな時こそ大人がしっかりしないといけないのに、
「おおごとを避(さ)けようとする」
体質の学校は、「からかわれた」子どもを、
「なだめにかかる」
のだ。こうして学校は「強い」「からかう」「いじめる」側に加担(かたん)していく。

 さて、ある程度覚悟はしていたが、私はこの話を繰り返すこととなる。そして会場の教師の学校的発言が、私の興奮(こうふん)をそそらせた。
      
      太平洋を臨(のぞ)む。奥に野島崎灯台。


 2 「言いたいことが言える状況ではない」?
 OBの方も現役(げんえき)の方も教師が来ていた。自著『さあ、ここが学校だ!』(三交社)を読んだという方が、
「衝撃的(しょうげきてき)だった。感動した」
と言ってくれた。しかし、私は素直(すなお)に受けいれられずにいた。うまく思い出せないが、おそらく発言の中に「学校的」な臭(にお)いがあったのだと思う。その気持ちが形になるのは、討議(とうぎ)の中で出された「事件後のアンケート」の時だった。S君が自殺した後、学校は生徒と教師に向けて「学校生活改善に向けたアンケート」なるものをとっている。詳(くわ)しいことはこのブログ295号か、『房州わんだぁらんど泥子のブログ』中のカテゴリー「13歳の死」を参照(さんしょう)していただきたい。
 そのアンケートの扱い(あつかい)をめぐる、先の教師の発言だった。
「教師はアンケートにうかつなことを書けない」
「校長が見る。点検する」
「管理職同士の競争も激しい現状だ」
「がんじがらめと言っていい」
読んで分かるはずだ。校長との揉め事(もめごと)を避けようとすれば、何も始まらないのだが、そのことは「不可能」だと言っている。「考える会」の出した事実経過を見る限り、事件当該(とうがい)中学校教師の誰かひとりでも、このことに対して誠意を示した形跡(けいせき)はない。許せないのは、この教師の発言は、
「仕方のないことなのですよ」
と、それを「なだめる」結果になるからだ。なぜか会場がこの発言にしずまる。私はこの時点で合点(がてん)が行った。「泥子」さんのブログに、
「私達は教育のシロウトです」
「現場の方の大変なご苦労も分かります」
「もっと早く琴寄先生のことを知っていたら」
と書いてあったことが。「考える会」はそうとう言われたのだ。そして疲弊(ひへい)したのだ。
 私達教師の大変なところでもあり、強みなところは「相手が子ども」であることだ。服装指導を例に取ろう。『イソップ寓話』登場。強い風を吹かせて服をぬがせる「北風」より、その服を必要とする寒さを排する熱を送って服をぬがせる「太陽」が、やっぱり学校でも承認される。その結果が「教師の力」として認定される。結果が、教師の力として認定されるのだ。今も、というより今こそそうだ。「上の人間に忠実かどうか」ではない。「ヒラ」で可能だ。結果を前にして「上」もやたらなことは言えない。学年主任はもとより、学校長も巻き込んだ私達「チーム西原」の経験を、私は熱弁してしまう。子どもも大人(教師)も、未熟なものは「育てる」しかない。その経験だ。いつの間にか私は、先の教師を指さしながら熱くなっているのに気づいた。
「『○○があるから出来ない』『○○があるので言えない』と言ってきた教師に、なにか出来たためしはない」
のだ。
「先生たちにいやがられませんでしたか」
とその教師は言った。確かに「怖(こわ)がられた」ということはあった。
「ちゃんとやれば結果はついてくる」
というスポーツ界でよく聞かれる、あんまりいただけない言葉だが、そういうことだ。

 予定の時間が過ぎて、いったん会場を解散。残った5、6人の事務局の方々と話した。空気がガラリと変わることに私は驚いた。話はよどみなく流れた。


 ☆☆
『図書新聞』(5月24日号)に、新刊本の書評が載(の)りました。今度は「本の力」で採用されたようで嬉しいです。分かりやすい評でした。こんなにちゃんと分かってもらえるのかという思いでした。「文は平易(へいい)」がなぜか嬉しい。通じるんだ、通じたんだという喜びです。どうやらネットでは無料では読めないみたいで残念ですが、皆さんも良かったら読んでください。

 ☆☆
どうやらマー君、初めての負けがつきそうですね。残念。でも、マー君は「守り」に入ってほしくない。問題点・課題を今日の試合から汲(く)むことでしょう。また新しいスタートを切ってほしいですね。
楽天も頑張ろうよ~

未熟な子どもと未熟な大人(上)  実戦教師塾通信三百八十三号

2014-05-18 11:35:15 | 子ども/学校
 未熟な子どもと未熟な大人(上)
    ~館山からの報告 その1~


 1 雨-里山

 残念な雨のおかげで、バイクは没(ぼつ)。館山には電車での訪問となった。駅まで「考える会」事務局の方が迎えに(むかえ)に来てくれた。駅前ロータリーに立って迎える、たった一本の椰子(やし)を見るのは10年ぶりぐらいに思える。白浜までは30分くらいの行程(こうてい)で、椰子の木のモール街を抜けると一気に山並みが近づいた。棚(たな)のようになった田んぼに山が重なる景色に、私は圧倒(あっとう)される。
      
しかし、私は窓の外ののどかな景色に、
「もうこの世の中に疲れました。ずっと見守っています。おじいちゃんと一緒(いっしょ)に……さようなら」
というS君の遺書(いしょ)を重ねてしまった。こんな静かでのんびりした景色の中でS君は自分の命を絶(た)ったのか。そう思わないわけには行かなかった。

 2 遠いスタートライン
 白浜のホテルの会議室は、平日というのにたくさんの人が来ていた。事務局の人は、
「日曜だったらもっと人が集まった」
と言い、遺族の方(父親)は現場の仕事で、天気がもっと荒れていたら仕事もなかったのだが、とも言った。現役(げんえき)の先生は、出張帰りだと席に座った。どちらかというと、懇談会(こんだんかい)といった席の並びと、進み方だった。
 私は話しているうちに、自分の話をもどかしく感じるようになった。どっちみち話の下手(へた)な私の分かりづらさはあるのだ。しかし、うまく受け取ってもらっていない、というもどかしさがあった。そしてだんだん分かってくる。私たちの考えていること、言っていることが、まだまだ一般化されていない、ということだ。私の本やこのブログで語ってきたことだが、いま一度振り返っておきたい。

① 体罰(たいばつ)
「昔だったらぶんなぐって言い聞かせたものだ。それがどうして出来ないのか」
それは出来ない。しかしそれは、よく言われる、
「そうしたら首になる」
からでも、
「親がうるさくなったから」
でもない。
 まず「首」に関してだが、昔から「体罰すれば懲罰(ちょうばつ)」の規定(きてい)ぐらいある。でも、昔はビシバシ/ボコボコにしていた。それでも平気だった。教師は胸を張っていた。命に関わるとか身体に異常を来したとかいう重大なものは別だったが、顔が腫(は)れ上がったとか鼻血は楽勝(らくしょう)だった。
「先生はお前のためを思ってしてくれた」
「先生の言うことを聞かないといけない」
と言っていたのは、学校ばかりでなく、親・地域社会もだったからだ。今は「学校の力」とも言えるものが解体したのだ。

② 「モンスターな親」
 親がもの申すようになったのは、
「学校に『未来』を託(たく)せなくなったから」
「学校からは『明日』が見えないから」
である。「東大か甲子園」というアイデンティティが崩壊(ほうかい)したのだ。
 今は「大学に行きさえすれば」という昔や、もっと大昔の「高校に行けば」という時代ではない。「大学は出たけれど」という時代になった。だから、
「なんのための勉強?」「勉強してなんになるわけ?」
という疑問は、昔も子どもの口から出た言葉だ。しかし、それを言う時漂(ただよ)う空気は、昔は今とではまったく違っている。昔は素朴(そぼく)な空気があった。しかし今は、それは一掃(いっそう)され、ふてくされた臭いを振りまく。そして、
「だから勉強なんてやんねえし」
という強い動機付けとなっている。
 またスポーツでは、昔は草野球や空き地での遊びだったものが、今や大型のビジネスとなった。「町のヒーロー」「学校の顔」は、みんなユニフォームを着ており、なんと彼らは「大人(コーチ/顧問)の認定」を必要としている。
「遊びじゃねえんだよ」
とでも言いたげな今のスポーツ界は、まるで子どもに「世界一なのか運動音痴(おんち)なのか」を迫(せま)っているかのようだ。たくみにサッカーボールを操(あやつ)るその子が、その一方でバットも振れないという現実は悲しいというしかない。
「学校に力がなくなった」
のだ。子どもに大きく関与(かんよ)することの出来た学校と、そうではなくなった学校とでは、親の態度が変わるのは当然と言える。

③ 「元気のない若手」
 こんな状況にある学校で大変なのは、もちろん若手ばかりではない。ベテラン/年寄りも同じだ。もともと親や地域社会の信頼に寄り掛かってやってきたベテランは、その多くが今や、
「昔はこんなじゃなかった」
「子どもは変わった」
と嘆(なげ)くばかりである。出発点となるべきものを、言い訳にしている。
 若手が元気がないのは、
「親がうるさいし、生徒が言うことを聞かない」
そして、
「管理職がしめつける」
からという。そうではない。若い連中は、多くが学校での教育実習段階ですでに十分しぼみ込み、自信をなくす。あるいはもともとそんなに乗り気でなかったのが、完全にやる気をなくしている。
 その理由は若い連中が、自動的/便利な生活の中で、
「人間と接触(せっしょく)することなく、育ってきた」
からだ。人間を知らないのだ。その上というか、だからというか「傷つくこと」にえらく敏感だ。その若い連中が、さらに「人間を知らない」生徒を相手にする。パワーポイントだのなんだのと初めは威勢(いせい)がいいが、そんなものすぐに飽(あ)きられる。なんせ、生徒の目を見ないで進めるのがITの授業だ。

 さて、もどかしさの中でそんなことを話した私だった。実はこのあたりはまだイントロだったのだ。それもそうですね、という思いで私は話した。しかし、話し合いが進むうち、私はだんだん腹が立ってきた。そしてついに、ろれつが回らなくなるほど興奮して話し始めた。


 ☆☆
昨日、ユナイテッドアローズ原宿本店で行われた『男着物倶楽部(クラブ)』に参加して参りました。久しぶりに着物着付け師の笹島先生と話せました。また、何人かの方と出会えて、収穫(しゅうかく)の多かった一日でした。でも、この報告は「館山からの報告」の後にしたいと思います。今は館山の報告をしたい。
原宿から渋谷に抜けるけやきの並木通りを、カウンタックが走ってました。

 ☆☆
マー君、いよいよ完封ですね。あの驕(おご)らないスタイルが続く限り、この流れは続く気がします。ホントに目が離せません。それに対して、イチローは自分の立場を「中継ぎ(なかつぎ)」に甘んじている松坂と並べて、「同士」と言ってましたね。苦しい胸の内という感じでした。これも目が離せません。

 ☆☆
『美味しんぼ』休載(きゅうさい)するんですね。残念。やっぱり明日発売のビッグコミックスピリッツ買おうかな。

隠蔽か差別か(下)  実戦教師塾通信三百八十二号

2014-05-14 10:35:58 | 福島からの報告
 隠蔽(いんぺい)か差別か(下)

    ~『美味しんぼ』をたずねて(下)~


 1 放射能とクマ

「この辺の山菜(さんさい)が放射能で危ねえって? でも会津まで採(と)りに行ったらよ、今度はクマに食われっちまうぞ」
おばちゃんたちの会話に、私は腹を抱(かか)えて笑ってしまった。

 私が第一仮設住宅に着いてバイクを降りると、ちょうど玄関前で立ち止まったおばちゃんが声をかける。
「お茶飲んでったら」
ニット帽をかぶり大きなマスクをしているが、お気に入りのカーディガンと杖(つえ)のせいで誰だか分かる。
「いつかなにか作ってあげようって思ってたんだ」
ちょうどよかったよ、と言っておばちゃんは、集会所のテーブルに蕨(わらび)…ではない山菜のおひたしと、塩昆布で漬けたお新香を並べた。お昼時おばちゃんたちは、こうしてみんなで持ち寄ったものでお茶をする。最初のおばちゃんたちの放言(ほうげん)は、つい先日、猪苗代(いなわしろ)で民家の鶏100羽をクマが襲ったというニュースのことだ。私は放射能のことを、第一仮設ではほとんど話題にしない。この第一仮設でのポイントは少し違う気がしている。それはここの人たちが、双葉地区から離れた海岸線の人たちだということもあるのかもしれない。しかし、やはりきっと、おばちゃんたちの年齢が大きく作用している。
「どうせもう、この先長くねえしよ」
という言葉を、私は何度も聞いた。
 この日はマッサージの日で、茨城から二人の整体師の方が見えていた。だから普段あんまり見かけないおじちゃんも姿を見せる。そして、
「いやあ、楽しみだなあ」
と言うのだ。災害復興住宅に移る日のことを言っている。
「オレはあと半年」
長かったなあ、とつぶやいては、おばちゃんたちに引っ越す時期を聞いている。避難所からここに来る時も、楽しみだなあ、と思ったのだろうか、と私はおじちゃんの言葉を聞いた。
 そしてまた、
「オレたちは、いわきに残ったらなんて言われんのかな」
「残んないで引っ越すと、なんて言われんのかな」
という、楢葉の牧場主さんの切ない言葉もよみがえる。主さんたちにまだ「引っ越し先」はない。楢葉は「帰るかどうか」、今月下旬に決まる。楢葉に復興住宅を建てるかどうかは、それからの話だ。どっちにせよ、主さんたちがここいわきでこんなに肩身(かたみ)の狭(せま)い思いをしている。ただ単に、
「楽しみだなあ」
と言えないのだなと、私は思うだけだった。


 2 「総合的な判断」
 以前、おばちゃんたちがこぼしていた、
「災害復興住宅に入るにあたっては連帯保証人が必要である」
「足が不自由なのに4階を指定された」
ことについて、前回ブログの佐藤和良議員に、事務方へ聞いてもらった。
 詳(くわ)しいことは、この結果を聞いたおばちゃんたちの意見もはさみながら、あとで報告しようと思う。確かにおばちゃんたちの勘違い(かんちがい)もあったようだ。でもここでは「総合的な判断」の難しさだけを書く。復興住宅に入る時の選定基準は6つあるのだ。私は「仮設住宅に入っていたこと」がもっとも重視(じゅうし)されると思っていたが、そこに経済的事情や身体のハンディなども絡(から)んでくる。「総合的に、点数の高い人から入れる」考えで行くと、やっと歩ける人でも一階には入れなかった、ということのようだ。「点数の高い」順番だからだ。耳の聞こえないおばちゃんが仕方なく、もう少し下の階にならないのか、と手紙で訴え(うったえ)たことに対し、
「あとは一階の住民と話し合ってください」
と、担当者が回答したのはそういうことだったらしい。まあ、面倒(めんどう)を避けているのは確かなのだ。
「そんな杓子定規(しゃくしじょうぎ)でやらないで」
「まだ時間はあるんだし、話を聞いてやったらどうか」
と、佐藤議員は担当者に言ってくれた。

 頑張ってきたおばちゃん始め皆さんに、私はまだ力になれないかと思っている。


 ☆☆
交通事故にあった仲間が退院して、自宅で療養(りょうよう)してます。いっしょに三日間ほど少し遠出(とおで)しました。「こんなにゆっくりしたのは久しぶりだ」と喜ぶ反面、トイレと次の行動を何度も確認するのでした。杖に頼(たよ)らず、でも全身を揺らしながら、やっと5センチくらいずつ小刻み(こきざみ)に身体を引きずる彼は、不安で仕方がなかったのでしょう。でもおかげで、人の温(あたた)かみを知ることとなった三日間でした。

 ☆☆
今年は庭のバラが元気に咲きました。バラはいいですね。