実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

作法/マナー 実戦教師塾通信九百十一号

2024-05-03 11:21:48 | 子ども/学校

作法/マナー

 ~新しい行動規範~

 

 ☆初めに☆

世の中あげてGWとあって、人出の波間に見えるオーバーツーリズムとやらが、マナー違反を伝えています。実は、この「マナー」という言葉自体の使用頻度が、極めて低くなっていることに気が付いてますか。そして、死語に近いものが「作法」なんです。これらに変わって闊歩し始めているのが、ご存知「適切」であることに気が付くと思います。こうして三つ並べると、私たちの生活・習慣の激変ぶりに驚きます。子どもたちの生活の変化と一緒に考えます。

 1 「食事」の場所

 私たちの子ども食堂での話。配膳の時、大盛りか少なめか等を確認しながら、順番待ち親子の皿やお茶碗に盛る。楽しい時間。たまに、お母さんの横でスマホをやっている子どもがいる。これを「マナー違反」と言っていいだろう。母親は、スマホで手がふさがってる我が子の分まで受け取ろうとする。今はスマホじゃなくて受け取る時間だよ~と、子どもに言うことにしている。すると親は、子どもの方に顔を向けるか、ありがとうございますと言うのが大体である。子どもの方は、少し慌てるか恥ずかしそうにする。うるさそうな顔をする子はいない。私たちの子ども食堂は、ひとりひとり手渡しでやって来た。「そこのを持って行って下さい」「そこに置いといて下さい(片付けで)」とは言ってない。私たちの「食事の時間」は、これらの積み重ねで出来て来たと思っている。「無言の食事は気持ち悪かった」とは、対面形式で給食を復活した時の校長先生の言葉だ。「食事」は食べる行為だが、体内に食物を取り込むことではない。「胃ろう」**による食物摂取は食事ではない、という場所にも繋がる。

**胃ろう(胃に穴をあけて外部から直接食物を注入する、点滴に代わり登場した治療法)

 2 大人の問題

 昭和の半ばごろまで「作法」は健在だった。これが徐々に「マナー」へと変化する。大きな要因は高度成長である。ひとつに、身だしなみ(「作法」)と呼ばれる服装が、全く違う「おしゃれ」とやらに出会う。それまで私たちは「普通」の習慣を持っていた。「そんな恰好はおかしい」という指摘は、あくまで「みんなと違っている」という意味だった。ところがおしゃれは、「違い」がポリシーだ。それまで「作法」の対面にあったのは「不作法(みっともない)」である。しかし、それと「おしゃれ」は対立することとなる。「みっともなくない」んだから。「作法」は自分の居場所を探すことになる。今は消滅した校則で分かりやすいのがある。昭和の末まで、くつ下は白の無地、という決まりがあった。もちろん中学校での話。ワンポイント飾りのあるくつ下を履きたいという生徒と、無地白地&意地の学校との間には、常に緊張があった。しかし、ワンポイントの飾りが「みっともない(不作法な)」はずがない。結局、白い無地のくつ下が店頭から消えているのを学校が知るところで、この議論は終わる。この一件は学校の無知と頑なさ、そして「作法」の現在地を示した。以前は「常識」と言われたものが「杓子定規」と呼ばれるようになる。

 「弱い者いじめ」からは、「弱いもの」が消えた。今は「いじめ」だ。障害を持つ、あるいは貧困に苦しむ等の「弱い子どもたち」への「不作法」は、みっともないものだった。しかし、この「弱い者いじめ」という表現は、障害や貧困を抱える当事者を「弱者」と断定することでもあった。ハンディを背負うことと「弱い」ことは別なことだ、という当事者からの発言もあった。この表現から透けて見える加害者の姿は、エラそうであったわけでもある。ここでも「作法」は後方に退き、広い場所を称して「弱い者」の消滅となった。方図を失った社会は、同時にダイナミックな崩壊を始めていた。ファミコンの登場から始まったゲーム機はゲームボーイ(ポータブル)になって、子どもたちは閉じられていた子ども部屋から「解放」される。外だったらマナー違反をうるさく言う親もいない。実は親たちも穏やかではなかった。「金妻」が大ブレイクしたのが、ファミコン発売と同じ年であることは偶然ではない。妻たちも「家からの脱走」を始める。社会が大きく動揺していた。2016年には、真夜中によそ様の庭に入り込んで「ポケモン」を探す堂々のマナー違反を、いい大人がやってのける。肩身の狭い思いを、今度は「マナー」がすることになる。

そんなにゲームやる時間あるなら、塾行かせるお金ないから/10万課金しただと?親をなめてんのか/自分の身体をそんな簡単に見せて恥ずかしくないの?

どれも私が関わったケース。親が我が子に言ったという言葉だ。日本捨てたもんじゃない、と思ったものだった。子どもに泣きを入れるでない、また、犯罪に巻き込まれる、だのと脅したりするのでもない。どれも目の前にいる自分の子とストレートに向き合う言葉だった。しっかりした親でも子どもは何をしでかすか分からない、ということだろうか。それとも、様々な試練を通して親は親になる、ということだろうか。実は大人がどうするか、が問われている。

 

 ☆後記☆

「不適切」まで話が及びませんでした。次の機会にしたいと思います。それと、本文前半のくだりに少し断りを入れておきます。私たちの子ども食堂利用者に、スマホを所持している子どもがいることに危惧した方がいると思ってです。利用者・家族は「本当に困っているのか」という疑問を持つ方がいるかもしれないと思ったからです。ご存知の方も多いはずですが、スマホは今や、重要な「インフラ」です。学校からの連絡はもとより、子どもたちのグループ・仲間づくりに不可欠なツールともなっています。それで、スマホ購入や通信料のため、あらぬバイトに手を染める高校生もいるわけです。危険な誘惑に導く道具である一方、スマホは食料と同じく必需品です。

いやぁ、驚きのポルシェ356! いつもお世話になってる修理工場に入ったもの。運転してみる?と言われました。もちろんお断りしましたが、運転席には座りました。写ってんの、私です。そして、前もだけど、後ろのグラマラスなこと モンロー百人分、象のお尻です。写真では伝わらないのが残念🥵 向こうに私の愛車(チャリ)も🚴

5月となりました。今月の子ども食堂「うさぎとカメ」は、また定番のカレーです🍛 去年からカレーの時はフルーツヨーグルトと決めました。「美味しかったです」の言葉を楽しみに、頑張ります💛