実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か考える

開運招福しま  実戦教師塾通信五百四十四号

2017-04-21 11:27:17 | 福島からの報告
 開運招福しま
     ~楢葉の春~


 1 牧場の桜

 福島の桜の見頃は、首都圏よりいつもひと月ほど遅れる。楢葉町、そして蛭田牧場も見事に桜が満開だった。

林が伐採されて、切られた木が敷地内に置かれていた。搾乳(さくにゅう)ロボット?の施設を作るという。その向こうにも、誇らしげな桜たちが並んでいる。




 2 「農業に力入れるから」
 蛭田さんは、寸暇を惜しむように動き回っていた。でも、長居してしまった……。
 案内された事務所の机には、牛乳プリンとヨーグルト、そしてコーヒーが用意されていた。思わず私は、先日(4月8日)のニュースの映像を思い出した。

同じものを出してくれたようだ。牛乳プリンは、ちょうど杏仁豆腐のような食感で、味はあっさりと、でもコクがあった。
「総理は、胃腸がダメだってんでね」
その胃腸には、牛乳がてきめんなわけである。
「総理になんかあったら『ホレ、放射能の入った牛乳のせいだ』ってのが、日本のどこかから出てくるしね」
それで、牛乳はあっためて出すことにしたという。 
 一カ月ぐらい前に「重要人物が来る」とだけ連絡が入り、その後四、五回のリハーサルも含めた打ち合わせがあったという。
「オレ、なにやってんだって思いだったですね」
忙しいのにということだ。ニュースの写真だが、蛭田さんがマイクを持っている。進行をやるように言われたらしい。その右が渡部さんだ。「畜産農家も参加を」ということでの出席だ。
 そして、前列右端は、おお、あの「自分の責任だ。文句があるなら裁判でもなんでもやれ」の、今村復興相だ。笑ってるぞ。様子はどうでした?と、私はもうよだれが出そうだった。何も言わずに食べていたという。ただ、
「農業に力入れるから」
とは、何度も言ったそうだ。復興相の訪問は、当初予定になかったのではないかという、蛭田さんと渡部さんの見立てだった。福島の最後の訪問先、浪江町の記者会見の席上で、総理が今村発言について「謝罪」したのは、読者もご存じと思う。
 この日のお昼のトップを飾ったニュースを、なんと蛭田さんも渡部さんも見なかった。
「まさか二時間後にやると思わないから」
夜のニュースで見るつもりだったという。

 3 「開運招福しま」
 冒頭の写真は、蛭田さんと渡部さんにはさまれたダルマさん。仲村トオルからのお祝いである。仲村トオルから言い出したことではない。私が出しゃばって提案したものである。ほとんどの読者にはどうということのないいきさつだと思うが、一部からの妙なかんぐりを避けるため、一応断っておきます。

 写真を見てほしい。スマホやパソコンだったら、ダルマさんの顔の右と左に、それぞれ「心身健康」「開運招福」と書いてあるのが分かると思う。きっとご本人が書いたんですね、蛭田さんはそう言いながら、
「よく見るとここに字が書いてあるんですよ」
と指さすところを見ると、「心身健康」の上に小さく「人もうしも」と、そして「開運招福」の下には、同じく「しま」とある。「福しま」と続くのだ。蛭田さんは、自分の手がダルマさんに触れないように、私に説明する。
 ダルマさんの目をひとつ入れないんですか、と言う私に、
「なんか、片目の入ったダルマって、御利益が一年だそうで」
と、蛭田さんは理由を教えてくれた。そして、昨年いただいたサインだけでも申し訳ないとおもっているのにと、繰り返した。そんなことはない、ナカムラ本人もきっと喜んでますよ、私は思わず口走ってしまう。

 昨年夏のお父さんと三人の写真が、事務所を飾っていました。


 ☆☆
楢葉から戻って、さっそく仲村トオルに連絡をしたら、こんなメールが返ってきました。そうだったのかと驚き、心が温まりました。ぜひ読者の皆さんにも読んでもらいたいと思い、転載します。

メールと写真、
ありがとうございました。

蛭田さんに喜んでもらえたなら、
僕も嬉しいです。

あの日、先生から声をかけられて、福島に行って、
それまで知らなかった蛭田牧場の存在を知って、
その後、
ネットで見つけた、
蛭田さんのお嬢さんが
あの年の夏、
官邸に送ったという
「私の家族は137人です。」
という手紙に書かれていたことや、

そのお嬢さんが去年、
産まれてきた子牛に
「スタート」という命名をしたというエピソードから
僕がもらったものは
僕が送った達磨さんより、
たぶん、ずっと大きいです。

こちらこそ
「ありがとうございました。」
なんです。

同じ十代の娘を育てる父親として、
「お互いに頑張りましょう!」
という感じです。

先生は頑張り過ぎないように、
可愛い新車も
安全運転でお願いします。

ナカムラトオル

多分文面中の「お嬢さん」だと思いますが、総理一行が来た8日が入学式だったそうです。式に行けなくてね、と蛭田さんが言ってたのを思い出しました。
      
      昨日は柏場所でした。外からですが一枚……

 ☆☆
松戸の事件、犯人が本当なら…おぞましい。どの学校でも見かける「見守り」のボランティアの人たちの姿が痛々しく見えてきて…… そして男の先生たちは、老若を問わず、要らぬ気づかいを背に子どもたちと接していると言います。またこういう時には、
「海外では警備会社を雇って子どもの送り迎えをさせている」
「日本は子どもの安全を安価に考えている」
なんていうバカも出てくるんですねえ。金で雇った人間は安全だという。こんなバカが、根拠を持ってバカを言ってるというのが悲しいですね。
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『共同幻想論』/山本哲士  実戦教師塾通信五百四十三号

2017-04-14 11:08:32 | 思想/哲学
 『共同幻想論』/山本哲士
     ~「週間読書人」(神楽坂)レクチャー~

     
  晶文社刊『吉本隆明と「共同幻想論」』(山本哲士)

 1 ムラ社会

 原発事故の時、
「原発存続を画策するのは、閉じられた原子力『ムラ』だ」
また、いじめ事件で学校が隠蔽に働く時には、
「学校は、内側に閉じられている『ムラ』だ」
などと、よく言われた。
 しかし私たちは、このことがなぜ「強固」で「繰り返される」かを、問い続けない。私たちは原発や学校を構成する当事者を、
「だらしないから」「悪いから」
等と、糾弾(きゅうだん)することに終始してしまう。もちろんこれは、現実する局面や実際的対応に、必要で不可欠なことだ。しかし、これらの出口に私たちは、「お金が欲しいから」「自己保身」等という、言ってみれば資質から来る因果しか見いだしていない。せいぜい頑張って、
「日本がもとから有する体質だ」
ぐらいの言及をするのだが、私たちは本当は納得していない。

 2 「禁制論」
 その答は、吉本隆明の『共同幻想論』にはっきり書いてある。吉本に精通している当ブログの読者も多いかと思うが、ビギナー向けに書きます。
 第一章の「禁制論」は、フロイト、そしてエンゲルスの批判に始まり、柳田國男の『遠野物語』を引用しつつ、「村を出てはいけない」「禁制」が生まれて繰り返される根拠を探っていく。以下は引用された『遠野物語』の要約である。

 山人にさらわれていなくなったと思われていた村の女に、猟師が山中で遭遇する。しかし、女は村に帰ろうとしない。理由は、
「自分は暮らす村を飛び出した(「禁制」を破った)」
「もう『よそ者』の自分は村に帰れない」
である。そしてさらに女は、
「あなたもここにいてはいけない。ここは恐ろしい所だ」
と言うのである。

 村の生活にズレを感じ、「ここにいられない/いたくない」と思うようになった「女の気持ち」が「山人」と重ねられている。それを「山人にさらわれた」と言っている。一度飛び出して(さらわれて)遠くなった村は、それまでの違和感の存在から、恐怖の存在へと成長する。「戻るも地獄/残るも地獄」となる。学校の不登校の場面で考えよう。
□先生や親は「どうして?」と心配する
□学校を休むが、「行かないと」と「行きたくない」の葛藤が続く
□友達に「一緒に休んで欲しい」とは思いも及ばない
□遠足の日、やっと出向けば「こんな日だけ来てズルイ」と言われる

 「禁制論」での吉本の結論だ。少し長い引用で、かつ難解だが、ここまでの私の話が書かれていると思ってもらって結構だ。

「わたしたちの心の風土で、禁制がうみだされる条件はすくなくともふた色ある。ひとつは、個体がなんらかの理由で入眠状態にあることであり、もうひとつは閉じられた弱小な生活圏にあると無意識のうちでもかんがえていることである。この条件は共同的な幻想についてもかわらない。共同的な幻想もまた入眠とおなじように、現実と理念との区別がうしなわれた心の状態で、たやすく共同的な禁制を生み出すことができる。そしてこの状態のほんとうの生み手は、貧弱な共同社会そのものである」

この結論に接したときの、かなづちで頭を殴られたような衝撃をはっきり覚えている。これを自分が何歳の時どこで読んだかまで、はっきり覚えている。
 学校の話で続けよう。私たちは、
「学校に行かないと、社会で生きていけない」
と思う「入眠状態」にある。そして言うまでもなく、学校は、
「閉じられた弱小な生活圏」
である。一応断るが、フロイトの「入眠幻覚」を踏まえながら、言っている。

 3 実際行為
 山本氏は2008年、すでに500ページに及ぶ『吉本隆明の思想』(三交社)を著している。
「あれは解説書でしかなかった」
と述懐する氏が、またしても600ページ近い今回の『吉本隆明と「共同幻想論」』で展開するのは、私にはここまで拡張していいのか、と思える内容である。しかし同時にこの著で、私が長いことかかってようやくたどり着いたいくつかの点を確認できる気がした。
1 『共同幻想論』は国家論ではない(学生時代、私たちの誰もが国家論だと思っていた)
2 「共同幻想」は、たやすく崩壊しない(同じく「空虚な存在」と思っていた)
3 『共同幻想論』は、古い習俗や、村にありがちな「決まり事」を批判しているのではない

 そして、完成されてはいても、閉じられているこの社会を解き放つ手がかりは、私たちの日々の(生活/実際)行為の中にこそあるということも、この著で再認識できたように思っている。


 ☆☆
レクチャーについて全く触れませんでした。すみません。「週間読書人」の講義スペースは一杯でした。定刻の20分前に着いた私ですが、すでに一番前の席しか空いてませんでした。
終わってから、山本氏にいろいろ確認したいこともあったのですが、同席した出版社の人たちがいい人たちで、ついつい昔話に流されました。でも、おいしい焼きとりとお酒でした。

     ご近所のお屋敷で、勇壮になびく鯉のぼりです。

 ☆☆
浅田真央、引退しましたねえ。フィギュアってあんまり関心はないんですが、一流を貫く人って改めてすごいって思いました。イチローはそれなりの年齢なのでしょうか、でも、100年間その道を歩いて来たような重みを、言葉のひとつひとつにいつも感じます。浅田真央のように若くても、白鵬や田中マー君、そして内村君なんかにも同じオーラが見えるような……浅田真央、すごいですねえ。

 ☆☆
今日から福島です。今村復興相の「自己責任」発言のその後を確認してまいります。
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梅/桜  実戦教師塾通信五百四十二号

2017-04-07 11:17:11 | 旅行
 梅/桜
     ~目覚めの遅い春を~



 
 春を探しに、新しい愛車と出かけました。

今まで乗ってきたバイクと比べると、3~5分の1サイズダウンです。250㏄。軽くて怖いくらいです。これで高速に乗ろうとは思わない。でも、レトロでかわいい。
まずは、いつも通りに手賀沼界隈。土手の愛らしい土筆(つくし)たち。そして、柏ふるさと公園の賑わいと桜です。




 ☆☆
 守谷のイタリアンで一服。



 ☆☆☆
 水戸まで来ました。
偕楽園に隣接する千波湖。その後、弘道館まで足を延ばしました。梅が盛りでした。この日も風の冷たい日でした。



 水戸駅です。


 ☆☆「被災者っつてもヨ」☆☆
 前回の館山いじめ事件第三者委員会でのことです。終了後、私は「考える会」の人たちと反省会&食事に合流しました。このブログによくコメントをくださる事務局の小出さんが、途中、福島から館山に自主避難している人の話をしたのです。
 その避難して来た人が、どうも猫が苦手らしい。猫が勝手にその辺を歩き回るし、汚い等と近所の人たちを責め、つないでおけと言う。ご近所も困り果て、
「田舎では、猫を放し飼いにしてるんですよ」
と訴えるのだが、ちっとも耳を貸そうとしない。らしいのです。
「初めのうちは大変だろうと思って、支援してたんだけど」
「もう、関係ねえやって思ってるんですよ」
ということでした。
途中から私は笑ってしまったのですが、読者の皆さんはどうでしたか。

 ☆☆☆☆☆
少し前の話になります。かまやつひろしが亡くなったというのに、吉田拓郎は全く表に顔を出しませんでした。『我が良き友よ』をかまやつに贈った拓郎が、です。
よっぽど本人の具合が……なんですねえ……
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二年目へ  実戦教師塾通信五百四十一号

2017-03-31 11:57:18 | 子ども/学校
 二年目へ
     ~館山いじめ事件のいま~


 1 「時間がかかっても」

 館山でのいじめ事件に関する第三者委員会が、昨年の三月に検証を開始して一年。12回の会議を終えた。
 「館山いじめ問題を考える会」が発行する通信(3月24日号)に、「時間がかかっても丁寧に解明を」と題する、お父さん(田副義春さん)の手記が載せられている。正直で切実な思いが語られている。全文転載します。

「私どものせがれ・勝(しょう)のために、多くの皆さんのご支援を頂き、まことにありがとうございます。また、委員会の皆様方のご尽力に、心から感謝申し上げます。
 2008年9月10日のことが、まるで昨日のことのように思われます。あれからもう9年目ですが、悲しいことに全国各地で同種事件が頻発しています。
 本当に残念であると同時に怒りを覚えます。それは、これまでの犠牲がまるで活かされていない事であり、相も変わらず関係機関の隠蔽が疑われ、さらには亡くなったお子さんやご遺族をおとしめるかのようなデマが見られるからです。
 このことは事件ひとつひとつに子どもたちの尊い生命がかかっていることの重みを、大人たちとりわけ関係機関の皆さんが、全く理解していないと思わざるを得ないのです。
 むろん私自身、勝を守ってやれなかった自分自身を責め悔いております。それだけに、何があったのかを第三者の目で解明していただき、館山の地で二度と起きないよう、このことを活かして頂きたいと願い続けております。
 まだ先は長そうですが、今後とも宜しくお願い申し上げ、御礼といたします。」

 2 誠実さがうかがえて
 次年度の委員会スケジュールは、すでに決まっている。少なくともあと12回開催される。この24回という数字と期間の長さは、日本全国でやられてきた第三者委員会と比して、異例と言える。異例に「誠実な対応」と思える。
 委員長の大野精一氏は、1月の記者会見で、
「なぜもっと早く調査を始められなかったか」
と言い、2月は、
「勝君の生活ノート(2冊)は、ずいぶん参考になった。お父さんによろしくお伝えください」
と言っている。そして今回の記者会見上でも、積極的と思える言葉をいくつか発している。
「市のホームページで公表されている内容は、(簡単に過ぎて)残念という思いもある。これはぶら下がりの記者会見と思うので」
の前置きに加え、
「だからこそ、踏み込んで言うべきだと思っている」
と、以下のように続けた。
「作文など、遺族から新しく提出された資料から、(勝君が)とてもいい子だと思った」
「急がないといけないという気持ちの反面、遺族の言う『完全な解明』をしたいという思いもある」
「当時の生徒からの聞き取りと考えれば、だいぶ前の心労や傷に触れることになる。その点は保護者にも配慮しないといけない」
「しかし、当時の生徒に聞き取りをやらずにすませるわけがない」
この最後の委員長の発言は、絶妙だった。記者(毎日)の質問の途中に、市の担当者が、
「聞き取り対象を記事に書く時は『学校関係者』にしてほしい。『生徒』という表記で起こる、誤解や憶測を避けたいからだ」
と、横から口を挟んだ後なのだ。

 第三者委員会のメンバーは、大体が行政から任意の団体(弁護士/教育関係/心理学会など)に委託される。あとはその団体の内部で処理される。
 館山は運がいい、ついてると、私には思えるのだ。

 3 「天童」という道標
 つまり、これまでの第三者委員会と呼ばれる機関が、どれほど期待外れなことを繰り返して来たか、ということだ。少しだが事例を列記する(カッコ内は事件が起こった県)。
「からかいを深刻に受け止めたのが原因」(新潟)
「性格の繊細さも原因」(長野)
「いじめによる辛い思いが自殺の要因のひとつで『は』ある」(群馬)
  *『 』は、私が入れました
「学校での出来事で自殺したとは考えられない。ほかに友達のいない子もいるし、ものが無くなった子もいる」(鹿児島)
本人がしっかりしてれば、とでも言うのか。「自己責任」だとでも言うのだろうか。大切なことは「不幸な本人」が、
「深刻に受け止めざるを得ない状況だったこと」
「どんな『ひとりぼっち』を、どのように過ごしたのか」
を、近くにいる大人が認知し、その場に駆けつけることだったはずだ。こんなんでは、死んだ人間が浮かばれまい。私にも経験があるが、これらの見識/見立てに、おおよそ有能とは呼べない精神科医や心理士の姿が透けて見える。

 しかし希望はある。
 2014年1月、山形県天童市、中学校での事件だ。新築の校舎を初めて使う日だった。同級生に来ないでと言われたことが引き金だという。新幹線に飛び込んで自殺したのは、中1の女子生徒だ。当ブログでも何度か取り上げた。
 翌2月、市から提示された第三者委員会設置要綱には、市の法律相談員がいたり委員名を公表しない等、問題の多い内容だったため、遺族がこれを拒んだ。検討し直し、正式に第三者委員会が発足したのは11月だった。事件から10カ月が過ぎていた。選出された埼玉弁護士会の野村委員長が最初に言ったことを、私ははっきり覚えている。
「どうして第三者委員会設置がこんなに遅れたのか、ということも検証しないといけない」
館山事件の、大野委員長の言葉と重ねてほしい。
 13回の会合のあと、2015年10月、第三者委員会は134ページにわたる報告書を出す。その最後の部分に「提言」がある。真剣な思いが籠められている。
「いじめに対する認識が希薄な加害生徒に教員がいくら『それはいじめだ』と結論的な認識を示しても、表面的な反応と効果しか得られない。加害生徒に対面して事実を一つ一つ丁寧に確認し、責任回避しているかどうか見つめながら根気強く関わることで、事実から逃れようとしている姿に自ら気付く可能性がある」
これは、欠陥だらけの「いじめ防止対策推進法」を根幹から揺るがす言葉だ。そう思った人はどれだけいるだろう。
「いじめを摘発し罰する」
ことを批判しているのである。それでは問題解決にならないと言っている。

 館山の新しい年が始まる。私たちは、まずはしっかり見守ることだ。


 ☆☆
やっとホントの春が来たかな、という昨日でした。

   我が家の椿、今年はずいぶんと遅咲きでした。
でも、明日は雪もちらつくとか。どうやら入学式に桜が間に合いそうですね。

 ☆☆
稀勢の里、いやあすごいですねえ。私はファンではありませんが、そんなの関係ねえって感じです。素直に感動しました。みんな「日本人びいき」なんて忘れて感動したんです。いいなあと思います。

   これはハナ桃。かわいらしくつぼみを膨らませてます。
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六年が経ち(下)  実戦教師塾通信五百四十号

2017-03-24 11:12:48 | 福島からの報告
 六年が経ち(下)
     ~いま言えること~


 1 帰還賛成/反対を越えて

 先だっての3,11『福島民報』のトップ見出しは、
「県内全原発廃炉 可決8割  市町村議会」
だった。記事には、安倍首相の「(廃炉は)東電が判断すべきだ」というインタビューへの失望感が書かれている。
 このトップ記事の横に、大きな写真がある。

浪江町・請土(うけど)漁港から、出発を待つ漁船である。
 請土を知っている読者は少ないかも知れない。それは第一原発近くから、北西方向に長く伸びた浪江町にある。町に沿って原子雲が流れた。原発のすぐ近くにあった請土地区だが、線量が低かった。この三月、請土地区も避難指示が解除される。帰還への賛否が分かれる中、県内有数の漁港だった請土漁港の人たちは、この時を涙で迎えるという。
 この涙、強硬に「帰還反対」を訴える人たちも流す。また、
「二度と戻らない」
と決めている人たちが、一時帰還して田んぼに収穫するお米を見る時もだ。そして、被災地ツァーで、
「福島に帰ってはいけない」
と訴える人たちが、相馬野馬追の祭を見る時も、涙するのである。何が起こっているのか。
 ここに戻れないという、無念な気持ちばかりがあるのではないからだ。愛した場所がまたやって来るという感慨がある、また、昔の元気を取り戻そうという場所がある、そして、この場所を愛する者たちの営みを見るからだ。そんな時、みんなの気持ちは「帰還賛成/反対」とは別なところにある。
 「戻ってはいけない vs 帰って来い」
という言葉で福島を語るには、余りにこぼれ落とすものが多すぎる。

     これは防潮堤完成間近、いわき豊間/沼の内海岸。

 2 「母屋に行くよ」

もうお馴染み、楢葉町渡部さんの庭からのショットだ。冬を飾ったひまわりを覚えていると思う。いつの間に向こう側にあった林が消え、洋風な家が姿を現した。新築ではない。林の中に建っていたという。手前の畑では、いよいよ芋の栽培が始まる。ここから歩いて数分の、母屋の解体も本格化する。
 この日は、お母さんと息子もいた。前期(だったかな)の入試だとかで、授業はない。生徒はおやすみだ。「高校は楽だよね~」と私が声をかける。天神岬の公園で、この日再開するアイス屋さんを目当てに、いわきの仮設から楢葉の自宅まで出向いたという。

「広報ならは」三月号の記事。町の復興戦略会議で、農業復興の道筋を語り合う渡部さん(右)。
 この芋の事業、町をあげての「収益性の高い『儲かる農業』」と銘打っているが、売り込んで来た会社から苗を買い、しかも年間の利益は100万円を大きく下回る。働きづくめなのに? という私に、
「米はもっと採算があわない」
「農業は、もともと労働と利益がつりあわない」
と、渡部さんは言う。じっと聞いていた母と息子は、口をそろえて、
「ワタシ働き口を探そう/オレ就職先考えよう」
と言うのだった。お母さん(奥さん)は、この三月で、スクールバス付き添いの契約が切れる。どうやら渡部さんの構想は、私の方が詳しいみたいだった。
 また、みんな母屋の建て直しを待ちかねている。いま暮らしているこの離れは新しいし広いし、持て余しぎみとさえ思える。でもみんな、
「母屋へ戻って暮らしたい」
と言うのだ。

 3 暮らし/幸せ
 六年間見ていて、ようやく分かって来たことがある。
 暮らしと住まいを追われた福島の、とりわけ双葉郡の人たちは、初めは逃げるだけで精一杯だった。でも避難所や親戚、そして仮設住宅と振り回されながら感じた。
○ちっとも落ち着けない
○こんなところさっさと出て行きたい
どこに行っても「よそ者」、様子の分からない人たちや周辺。毎日の葛藤が、以前の暮らしに思いを強くしたのは間違いない。岩手や新潟を転々とした渡部さん一家だが、息子は、
「会津だけは行きたくない」
と、今でも言う。そして今、みんなは「楢葉」の「母屋で暮らしたい」と言うのだ。

 もうひとつ。お金のことだ。お金持ちであることが、必ずしも幸せではないということだった。
 お金は必要だ。農業だったら、原材料や機械の減価償却など、合わせた額は我々サラリーマンとは比較にならない。しかしそれは、「生業(なりわい)」と呼ばれるものに「必要なお金」だ。
 今回が不幸なのは、一年~何年かかけてやって来るお金が、一気に「補償金」という形になってやって来たことだ。

「毎月~毎年少しずつ入ってきたものがヨ、一度に入って来ちまう」
「すると使っちまうんだよ、人間てのは」
「宝くじに当たったみてえなもんだよ」
渡部さんがしみじみと言うのだった。落とされたお金を、「生業」のため蓄えようとした時、双葉郡の人たちは、一体どれだけの忍耐を要したのだろう。決して見ることのなかった大金を前に、ある人は投資に走った。ある人は「安全」な場所に家を建てた。あるいは千万円単位をカジノに投じた。
「でもさ『金』って、それでなくなっちまうんだよ」
まだ続く。
「六年も農業離れてゴロゴロしてたらさ」
「もう昔のように働けねえ人間になってるのさ」

ひとつひとつが、ずしんと響くのだった。


 ☆☆
NHKの『絆~走れ奇跡の小馬』見てますか(今日は「後編」)。重たいのは分かってましたが、切ないですね。野馬追の人たちとは、たったの一度しか会っていませんが、よく覚えています。一頭の馬を維持/用意するために、年間三百万円必要だと言うのです。
「そのため、オレたちは毎年働いて(生きて)るんだ」
という、あの凄味(すごみ)はなんとも形容しがたい。

     我が家の木蓮、今年も立派で~す

 ☆☆
森友問題、なんか「劇場型」政治の頂点とも言うべき展開を見せてますね。
○「証拠を追求される心配がない」から、森友がずけずけ言えるのか
○「証拠がない」から、行政/政治家が安心してるのか
どっちなんでしょうね。
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