瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 -第58話-

2008年08月17日 21時17分50秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
台風が暑さを拭い去ってくれたお蔭か、こっちは久し振りに過し易い気温となったよ。
クーラー無く居られるなんて、何時以来の事だろうか。
刻一刻と近付く秋の足音が聞こえて来るように感じないかい?

太陽の光が弱まる冬は、妖の力が強まる。
だが逆に太陽の光が強まる夏も、妖の力は強くなるんだ。

妖達の動きが活発化すると、どんな現象が現れると思うかい?

例えば、人前に姿を見せたり、人を彼等の世界に連れ込んだり…

今日から数日は、そんな妖の世界を覗いた…或いは覗いたかもしれない人間の話を紹介しようじゃないか。



アイルランドのイニス・サークに残る伝説だ。

万聖節の前夜、1人の若者が大きな干し草の山に横たわり、眠っていた。

しかし目覚めた時--若者は自分が素晴しく立派な宮殿の中の、大きな広間の中に居る事を知った。

そこには沢山の小さな男達が忙しそうに働いていた。
或る者は糸を紡いだり靴を作ったり、また或る者は魚の骨や石で矢じりを作ったりしていた。
忙しなく作業しながらも、男達は笛吹きの奏でる陽気な音楽に合せ、愉快に笑ったり、歌ったりしていた。

暫くの間若者は、この奇妙な光景を、ぼんやりと見詰ていた。
すると1人の年を取った男が若者の側までやって来て、酷く不機嫌な顔で怒鳴った。

「こんな所で何を怠けてやがる!?
 もう直大切なお客様が此処にやって来るのだぞ!
 俺と一緒に来て台所を手伝え!」

そうして男は若者を大きな丸天井の部屋に連れて行った。
そこはどうやら台所の様で、猛烈に火が焚かれた竃には、見た事も無いほど巨大な鍋が置かれていた。
連れて来た男は、若者に向って命令した。

「早く夕食の準備をしろ!
 これから俺達はこの老婆を食うのだ!」

男が指差したそこには両手を吊された老婆が居て、別の男に皮を剥れてる最中だった。

「さあ、急いで湯を沸かせ!
 ぐずぐずしている暇は無いんだからな!
 この老婆は煮るのに時間がかかる!
 細かく切り刻んで鍋に入れろ!」

男から怒鳴り声で指図されるも、若者はあまりの恐ろしさに、そのまま気を失ってしまった。


再び目覚めた時、若者は自分が大広間に戻って居る事に気が付いた。
そこは既に宴会の準備が整えられていて、テーブルには美味しそうな料理が沢山並んでいた。

山盛りの果物、ソースがたっぷりかけられた鶏料理、七面鳥の丸焼き、バター、作り立てのケーキに、鮮やかな赤ワインの入った水晶のグラス……

…台所で目撃した老婆の影など、微塵も感じられなかった。

大広間の一段高い所には、王の為に玉座が設けられていた。
玉座に座った王は、腰に赤い飾り帯を巻き、頭には金の帯を締めていた。
王は若者に気が付くと、麗しく微笑んで言った。

「貴方も此処に居る楽しい連中と一緒に、席に着いて存分に召し上がって下さい。
 我々は歓迎しますよ!」

見回せば、若者の周りには沢山の美しい乙女達が座っていた。
赤い帽子と飾り帯を締めた上品な貴族達は、皆一様に若者に向かって微笑みかけ、一緒に食事をしようと勧めた。

「いや。」

若者は首を振って答えた。

「一緒に食事をする事は出来ません。
 食べ物を祝福して下さる牧師さんが、此処には居ませんから。
 どうか私を家に帰らせて下さい。」

若者から断られるも、王は親しげな笑みを崩さず、重ねて勧めた。

「せめてワインだけでも召上って下さいませんか?
 折角貴方の為に、上等な物を用意したのだから。」

王の言葉を受けて、1人の美しい貴婦人が立ち上り、水晶のグラスにワインを注いで若者に渡した。
グラスの中の血の様に鮮やかな赤い色を目にした途端、若者は急に喉が渇いて我慢出来なくなり、一気に飲干してしまった。
それは若者がこれまで飲んだ事の無い、素晴しい味だった。

だがグラスを置くや否や--突如雷鳴の様な凄まじい音が、建物全体を揺すった。

そして全ての明りが消され、若者は真っ暗闇に落とされた。


気付いて見ると、干草の山に横たわって居て、辺りは夜の闇に包まれていた。
若者は自分が仕事の後に疲れて干草の山に身を投げ出し、眠っていた事を思い出した。


その後――妖精の飲み物は若者の命取りとなり、衰弱して間も無く死んでしまった。



向うで言う所の妖精とは、堕ちた土地神であったり、死者の霊であったりする。
死者が食べて飲む物を口にすれば命を落とす。
そんな考えから生まれた話なのかもしれない。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

今回の話は「万聖節の前夜(10/31、つまりハロウィーン)」に遇った出来事と紹介したが、資料によっては「或る夏の日の金曜日の夜」と書いてる場合も有る。
夏の暑い夜には不思議な目に遇い易い。
くれぐれも迷い込んだりしないよう、気を付けて帰られるといい。

――それに、いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。




参考、『イギリスの妖精-フォークロアと文学-(キャサリン・ブリッグズ著、石井美樹子&山内玲子訳、筑摩書房刊)』。
他、こちらのサイト様の記事。(→http://www.globe.co.jp/information/myth-fairy/innis-sark.html)

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