のっけからあにめぞんとは関係無い話。
先週土曜からワンピースの新作映画上映中ですね。
今回は映画館に観に行く予定無かったんだけど、設定資料本は欲しいかもしれない…。
それに、ナミさん子供化?それは観たいかもしれない、なぞと現在悩み中。
脱線はここまでにして漸く本題、前回の続きで御座います。
★第52回「許して惣一郎さん!響子涙の再婚宣言!!」 脚本:伊藤和典 コンテ・演出:片山一良 作画監督:河南正昭
…別に響子さん再婚宣言なんてしてねーし。(笑)
タイトルは局が付けてたらしーが、ぶっちゃけセンス超悪だった。
この回を最後に安濃CD(監督)と、脚本家でシリーズ構成担当の伊藤氏が降板。
約1年の間にスタッフ交替が2度も起こったのは、自分が知ってる限りあにめぞん位だなぁ。
そもそも最初のスタッフ交替は、低視聴率&ファンからの批判を受け、製作会社が決断した事。
「めぞんは前番組のうる星とは違う地に足の着いた大人向けドラマ」、「原作は季節感を意識して作られてるのにアニメにはそれが無い」等の批判を改善する為に、製作会社が選んだのが安濃CDだった。
氏が完成させた「台詞や音楽を最小限に留め、登場人物の心境や状況を、効果音や風景の積み重ねで浮び上らせる実写的な手法(ウィキより)」が、めぞんの作風に合うと考えたのでしょう。
シリーズ構成役にはアニメ「うる星」で実績を残した伊藤氏を抜擢。
両氏とも実力有った為、批判されてた点は改善したものの、今度は自己主張が強過ぎて、ファンから批判を呼んでしまった。
前エピソードの三越さん編なんかを観ても解る通り、原作のめぞんとは全く違う話のオンパレード。
ファンから最も怒りを買ったのが、原作とキャラが違ってる事、主に響子さん。
しかも主役な筈の響子さん&五代は後ろに回って、脇役の四谷さんや朱美さんが出張ってばっか。
めぞんは2人の擦れ違いラブストーリーなのに、原作の粗筋変えんなやド阿呆ォ!!!――てな具合に批難ゴーゴー、「これなら初期スタッフのままだった方がマシ!!」なんて抗議も寄せられたのです。
一方で「原作通り描くだけじゃアニメ化する意味が無い。視聴者は原作のファン以外にも居る事を忘れてはならない」、「安濃めぞんは原作には無い魅力が有る。クオリティを単純に比較するなら初期より上」と擁護する意見も寄せられた。
あにめぞんの抗議VS擁護の激論が、毎月のアニメ雑誌の投稿頁を暫く埋めた程。
あの時代にツイッターやネット掲示板が有ったら、さぞや天下分け目の関ヶ原で熱かったろうと思う。
で、結局は原作ファンの意見を、製作会社が再び聴き入れる形で、2度目のスタッフ交替となった。
「船頭多くして船山に登る」と言うが、製作会社やTV局は視聴者の意見に流されず、決めたからには貫き通すべきじゃないかと。
でなきゃ番組自体がコケてしまう。
実際あにめぞんは視聴率低いわ、ファンが騒ぎ起すわで、局側は打ち切り考えてたらしい。
独特なテンポで観せてくれた中期は、個人的に嫌いじゃなかったよ。
中期に関してはオリジナル話の方が、最後までどう決着するのか解らず、興味がそそられたです。
朝~昼~夕~夜…と現実世界同様に時の経過を感じさせる手法は素晴しかった。
これは原作付作品の宿命的問いと言うか――原作通りに作られてれば「傑作」か?
原作と全然違う作品になっても、「傑作」と評されてるアニメは在る。
例えば「ルパン3世カリオストロの城」なんて、ほぼ宮崎監督のオリジナル映画だってのに、百年に1度の名作扱いされてる。
宮崎監督って乱暴に表現すれば原作クラッシャーなんだけど、出来上がった作品は面白いから許されてる感じ。
「セーラームーン」、「あかずきんチャチャ」、「パトレイバー」、「オレンジロード」、「うる星やつら」…思い付いた順に並べてみたが、これらの作品は原作とは異なるアニメにファンが付いた。
「未来少年コナン」、「宇宙船サジタリアス」等は、原作が在る事を知らないファンの方が、多いんじゃなかろうか?
名作アニメシリーズだって、「ハイジ」は原作通りとは言い難いし、「母をたずねて三千里」は、ほぼ日本のアニメオリジナルだ。
原作にコアなファンが多く付いてるか居ないかが、原作付アニメ成功の分かれ目だと思う。
同じく自分が好きなワンピースを例に挙げると、こちらのアニメ版もめぞん同様に、「キャラが(顔を含め)原作とは違う」、「原作通りに展開してない」等、かなりファンに叩かれている。
遂には原作者自ら映画監督を引受け、出来た映画はファンから「これぞワンピース!」と絶賛された。
原作者が監督を引受けたものの、あまりパッとしなかった例も有る。
「ルパン三世」の「デッド・オア・アライブ」と言う映画は、原作者が監督になってメガホンを振り、銭形警部は原作通りに渋く格好良く描かれた。
しかし自分が観た時の話だが、警部のシリアスな顔がアップになった途端、観客から一斉に笑いが起ったのだ。
現在もカリオストロ=ルパン映画最高傑作の評価が覆らない点を見るに、ルパンは原作よりも宮崎アニメ版の方がファン数多いんだろう。
原作者の気持ちを察するに気の毒な話である。
ワンピースの場合「オマツリ男爵と秘密の島」が、全映画中で最も完成してるんだけど、監督が自分の色を出し過ぎてて、嫌ってるファンも少なくはない。
自分も正直ワンピースの映画って風には観られないな。
…めぞんの話に戻ろう。(汗)
原作ファンが最も許せなかったのは、響子さんの性格の改変だそうな。
原作の響子さんは美人で家事が得意で理想の姉さん女房、反面嫉妬深く陰険で計算高い所も持っている。
現実に居る女性の様に悪い面も持ってるからこそ、2次元キャラでも3次元アイドルの様に、活き活きとした魅力を感じられた。
中期アニメの響子さんは殆ど嫉妬せず、いつもニコニコ優しく微笑んでる。
さながら聖母絵の様に現実感が乏しい。
キャラの魅力で較べたら、やはり原作の方が勝ってるかなと。
しかし中期アニメ版からは、原作者が描けなかった「めぞん一刻」を、観せてくれそうな期待が持てた…個人的には。
原作者曰く、めぞんは最初、アパート人情物として、描く積りだったそうな。
けどラブストーリーの方が描くの楽しくなり、途中で作品の方向を変えたのだそうな。
中期あにめぞんを一言で表すなら「if」――在ったかもしれない「めぞん」。
或るファンはこのスタッフ降板を、「製作会社は金の成る木を失くした」と評した。
うる星の様に原作・アニメ双方でファンを獲得する機会を失ったと言うわけだ。
中期最終話である今回は、筋は原作のまま、足りない部分を補完するという、原作付アニメの理想形だった。
「原作通り作るなんて、やろうと思えば造作も無い」、脚本家のそんな嫌味が聞えて来そうな程。(笑)
以下に挙げるのはアニメでの補完部分――
・原作では響子さんの後追い(←四谷さんの狂言)に、五代以外の一刻館住人達、三鷹さん、マスター、商店街の人達は巻き込まれない。
「ずっと…惣一郎さんの事を想い続けていたかった。
勿論今も想っているわ。
だけど…生きている人達が段々私の中に入って来てる。」
原作では↑の台詞で説明するだけだったのを、アニメでは具体的な状況で観せてくれてる。
「前はこんな事思い出したら、顔を上げてなんかいられなかった。
でも…今は悲しかった事よりも、楽しかった事を思い出すと…泣けちゃったりするのよ…!」
・原作では同シーンの台詞は↓でした。
「1番悲しかった事を思い出さないと泣けなくなってる…」(微妙に違ってるがニュアンス的には合ってる筈。)
個人的にはアニメの台詞の方にリアリティを感じる。
死んだ日の事は脳が拒否して、あまりはっきり思い出せない。
思い起して涙を浮かべるのは、故人との楽しい記憶の方だった。
・原作では惣一郎さんのお墓の後ろに隠れてる五代は最後まで気付かれないが、アニメでは響子さん気付いていて自分の今の気持ちを語って聞かせる。
原作とは微妙に立ち位置が異なる2人を表現してるシーン。
三鷹「本当ですよぉ!!四谷さんの名刺に書いてある電話番号にかけると、リカちゃんが出るんです!!」
響子「三鷹さん、かけたんですか?(笑)」
三鷹「はい……お話されてしまいました…!」
↑の会話シーン、地味に笑わせて貰った。(笑)
原作ファンの間で、中期は改変の為に、黒歴史扱いされている。
けれど中期に確立したテンポは、後期になっても継続された。
中期が無ければ、後期に繋がる流れも無かった…かもしれないぞと。
そもそもこのレビューを書き出した理由の1つは、中期が再評価される事を目指してだったり。(汗)
ファンの目線から離れて観た時、クオリティは決して低くなく思えたので。
ファン人口が高い作品を原作に、アニメを制作するのって難しい。
だからアニメ監督の中には、敢えてマイナー作品を原作に選ぶ人も居る。
「自分の色出したきゃ、最初からオリジナルを作れ」と言う人も居るでしょうが、原作付じゃないとスポンサーが付かないつって、製作サイドがゴーサインを出し渋る業界事情が有るのです。
…なんだか今回は感想外の話を長々と語って申し訳無い。(汗)
(個人的評価)脚本○ 演出○ 作画○ …3拍子揃った傑作だったがツッコミ1点、墓参りに行ったばかりなのに惣一郎さんのお墓に花が供えられてない…!!予告は今回から四谷・一の瀬・朱美が宴会ノリで喋り、タイトルコールを響子さんが担うという後期のパターンにチェンジ。次回は遂にアノ女子高生が登場です!
【続】
先週土曜からワンピースの新作映画上映中ですね。
今回は映画館に観に行く予定無かったんだけど、設定資料本は欲しいかもしれない…。
それに、ナミさん子供化?それは観たいかもしれない、なぞと現在悩み中。
脱線はここまでにして漸く本題、前回の続きで御座います。
★第52回「許して惣一郎さん!響子涙の再婚宣言!!」 脚本:伊藤和典 コンテ・演出:片山一良 作画監督:河南正昭
…別に響子さん再婚宣言なんてしてねーし。(笑)
タイトルは局が付けてたらしーが、ぶっちゃけセンス超悪だった。
この回を最後に安濃CD(監督)と、脚本家でシリーズ構成担当の伊藤氏が降板。
約1年の間にスタッフ交替が2度も起こったのは、自分が知ってる限りあにめぞん位だなぁ。
そもそも最初のスタッフ交替は、低視聴率&ファンからの批判を受け、製作会社が決断した事。
「めぞんは前番組のうる星とは違う地に足の着いた大人向けドラマ」、「原作は季節感を意識して作られてるのにアニメにはそれが無い」等の批判を改善する為に、製作会社が選んだのが安濃CDだった。
氏が完成させた「台詞や音楽を最小限に留め、登場人物の心境や状況を、効果音や風景の積み重ねで浮び上らせる実写的な手法(ウィキより)」が、めぞんの作風に合うと考えたのでしょう。
シリーズ構成役にはアニメ「うる星」で実績を残した伊藤氏を抜擢。
両氏とも実力有った為、批判されてた点は改善したものの、今度は自己主張が強過ぎて、ファンから批判を呼んでしまった。
前エピソードの三越さん編なんかを観ても解る通り、原作のめぞんとは全く違う話のオンパレード。
ファンから最も怒りを買ったのが、原作とキャラが違ってる事、主に響子さん。
しかも主役な筈の響子さん&五代は後ろに回って、脇役の四谷さんや朱美さんが出張ってばっか。
めぞんは2人の擦れ違いラブストーリーなのに、原作の粗筋変えんなやド阿呆ォ!!!――てな具合に批難ゴーゴー、「これなら初期スタッフのままだった方がマシ!!」なんて抗議も寄せられたのです。
一方で「原作通り描くだけじゃアニメ化する意味が無い。視聴者は原作のファン以外にも居る事を忘れてはならない」、「安濃めぞんは原作には無い魅力が有る。クオリティを単純に比較するなら初期より上」と擁護する意見も寄せられた。
あにめぞんの抗議VS擁護の激論が、毎月のアニメ雑誌の投稿頁を暫く埋めた程。
あの時代にツイッターやネット掲示板が有ったら、さぞや天下分け目の関ヶ原で熱かったろうと思う。
で、結局は原作ファンの意見を、製作会社が再び聴き入れる形で、2度目のスタッフ交替となった。
「船頭多くして船山に登る」と言うが、製作会社やTV局は視聴者の意見に流されず、決めたからには貫き通すべきじゃないかと。
でなきゃ番組自体がコケてしまう。
実際あにめぞんは視聴率低いわ、ファンが騒ぎ起すわで、局側は打ち切り考えてたらしい。
独特なテンポで観せてくれた中期は、個人的に嫌いじゃなかったよ。
中期に関してはオリジナル話の方が、最後までどう決着するのか解らず、興味がそそられたです。
朝~昼~夕~夜…と現実世界同様に時の経過を感じさせる手法は素晴しかった。
これは原作付作品の宿命的問いと言うか――原作通りに作られてれば「傑作」か?
原作と全然違う作品になっても、「傑作」と評されてるアニメは在る。
例えば「ルパン3世カリオストロの城」なんて、ほぼ宮崎監督のオリジナル映画だってのに、百年に1度の名作扱いされてる。
宮崎監督って乱暴に表現すれば原作クラッシャーなんだけど、出来上がった作品は面白いから許されてる感じ。
「セーラームーン」、「あかずきんチャチャ」、「パトレイバー」、「オレンジロード」、「うる星やつら」…思い付いた順に並べてみたが、これらの作品は原作とは異なるアニメにファンが付いた。
「未来少年コナン」、「宇宙船サジタリアス」等は、原作が在る事を知らないファンの方が、多いんじゃなかろうか?
名作アニメシリーズだって、「ハイジ」は原作通りとは言い難いし、「母をたずねて三千里」は、ほぼ日本のアニメオリジナルだ。
原作にコアなファンが多く付いてるか居ないかが、原作付アニメ成功の分かれ目だと思う。
同じく自分が好きなワンピースを例に挙げると、こちらのアニメ版もめぞん同様に、「キャラが(顔を含め)原作とは違う」、「原作通りに展開してない」等、かなりファンに叩かれている。
遂には原作者自ら映画監督を引受け、出来た映画はファンから「これぞワンピース!」と絶賛された。
原作者が監督を引受けたものの、あまりパッとしなかった例も有る。
「ルパン三世」の「デッド・オア・アライブ」と言う映画は、原作者が監督になってメガホンを振り、銭形警部は原作通りに渋く格好良く描かれた。
しかし自分が観た時の話だが、警部のシリアスな顔がアップになった途端、観客から一斉に笑いが起ったのだ。
現在もカリオストロ=ルパン映画最高傑作の評価が覆らない点を見るに、ルパンは原作よりも宮崎アニメ版の方がファン数多いんだろう。
原作者の気持ちを察するに気の毒な話である。
ワンピースの場合「オマツリ男爵と秘密の島」が、全映画中で最も完成してるんだけど、監督が自分の色を出し過ぎてて、嫌ってるファンも少なくはない。
自分も正直ワンピースの映画って風には観られないな。
…めぞんの話に戻ろう。(汗)
原作ファンが最も許せなかったのは、響子さんの性格の改変だそうな。
原作の響子さんは美人で家事が得意で理想の姉さん女房、反面嫉妬深く陰険で計算高い所も持っている。
現実に居る女性の様に悪い面も持ってるからこそ、2次元キャラでも3次元アイドルの様に、活き活きとした魅力を感じられた。
中期アニメの響子さんは殆ど嫉妬せず、いつもニコニコ優しく微笑んでる。
さながら聖母絵の様に現実感が乏しい。
キャラの魅力で較べたら、やはり原作の方が勝ってるかなと。
しかし中期アニメ版からは、原作者が描けなかった「めぞん一刻」を、観せてくれそうな期待が持てた…個人的には。
原作者曰く、めぞんは最初、アパート人情物として、描く積りだったそうな。
けどラブストーリーの方が描くの楽しくなり、途中で作品の方向を変えたのだそうな。
中期あにめぞんを一言で表すなら「if」――在ったかもしれない「めぞん」。
或るファンはこのスタッフ降板を、「製作会社は金の成る木を失くした」と評した。
うる星の様に原作・アニメ双方でファンを獲得する機会を失ったと言うわけだ。
中期最終話である今回は、筋は原作のまま、足りない部分を補完するという、原作付アニメの理想形だった。
「原作通り作るなんて、やろうと思えば造作も無い」、脚本家のそんな嫌味が聞えて来そうな程。(笑)
以下に挙げるのはアニメでの補完部分――
・原作では響子さんの後追い(←四谷さんの狂言)に、五代以外の一刻館住人達、三鷹さん、マスター、商店街の人達は巻き込まれない。
「ずっと…惣一郎さんの事を想い続けていたかった。
勿論今も想っているわ。
だけど…生きている人達が段々私の中に入って来てる。」
原作では↑の台詞で説明するだけだったのを、アニメでは具体的な状況で観せてくれてる。
「前はこんな事思い出したら、顔を上げてなんかいられなかった。
でも…今は悲しかった事よりも、楽しかった事を思い出すと…泣けちゃったりするのよ…!」
・原作では同シーンの台詞は↓でした。
「1番悲しかった事を思い出さないと泣けなくなってる…」(微妙に違ってるがニュアンス的には合ってる筈。)
個人的にはアニメの台詞の方にリアリティを感じる。
死んだ日の事は脳が拒否して、あまりはっきり思い出せない。
思い起して涙を浮かべるのは、故人との楽しい記憶の方だった。
・原作では惣一郎さんのお墓の後ろに隠れてる五代は最後まで気付かれないが、アニメでは響子さん気付いていて自分の今の気持ちを語って聞かせる。
原作とは微妙に立ち位置が異なる2人を表現してるシーン。
三鷹「本当ですよぉ!!四谷さんの名刺に書いてある電話番号にかけると、リカちゃんが出るんです!!」
響子「三鷹さん、かけたんですか?(笑)」
三鷹「はい……お話されてしまいました…!」
↑の会話シーン、地味に笑わせて貰った。(笑)
原作ファンの間で、中期は改変の為に、黒歴史扱いされている。
けれど中期に確立したテンポは、後期になっても継続された。
中期が無ければ、後期に繋がる流れも無かった…かもしれないぞと。
そもそもこのレビューを書き出した理由の1つは、中期が再評価される事を目指してだったり。(汗)
ファンの目線から離れて観た時、クオリティは決して低くなく思えたので。
ファン人口が高い作品を原作に、アニメを制作するのって難しい。
だからアニメ監督の中には、敢えてマイナー作品を原作に選ぶ人も居る。
「自分の色出したきゃ、最初からオリジナルを作れ」と言う人も居るでしょうが、原作付じゃないとスポンサーが付かないつって、製作サイドがゴーサインを出し渋る業界事情が有るのです。
…なんだか今回は感想外の話を長々と語って申し訳無い。(汗)
(個人的評価)脚本○ 演出○ 作画○ …3拍子揃った傑作だったがツッコミ1点、墓参りに行ったばかりなのに惣一郎さんのお墓に花が供えられてない…!!予告は今回から四谷・一の瀬・朱美が宴会ノリで喋り、タイトルコールを響子さんが担うという後期のパターンにチェンジ。次回は遂にアノ女子高生が登場です!
【続】