瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第41話―

2007年08月22日 21時51分53秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
熱闘甲子園も遂に終焉を迎えてしまったね。
まさかの8回逆転劇には驚かせられたよ。

今年は九州勢が強かった。
育ちは東京でも、生れは九州な自分にとって、嬉しい限り。

高校球児達よ、お疲れ様。
また来年の夏に会おう。

…そうやって、行く夏を惜しみつつ、今夜も怪奇な宴を楽しもうじゃないか。

昨夜は邪悪な人魚の話をしたね。
今夜も引き続き、人魚の話をしよう。

但し、邪悪なのは、人魚ではない……



人魚は南の方の海にばかり住んでいるのではなく、北の海にも住んでいる。
或る時、北の冷たい海に住む一人の女の人魚が、岩に上って景色を眺めていた。

雲間から漏れた月の光が、寂しく波の上を照らしている。
どっちを見ても限りない、物凄い波がうねうねと動いていた。

何という、寂しい景色だろうと、人魚は思った。

自分は、人間とあまり姿が変らない。
魚や海底深くに棲む、気の荒い色々な獣等と較べたら、どれ程人間の方に、心も姿も似ているか知れない。
それだのに自分は魚や獣等と一緒に、冷たく暗い、気の滅入りそうな海中で暮さねばならないというのは、どうした事だろう。

長い年月の間、人魚は話をする相手も無く、何時も明るい海の表に憧れて暮して来た。
月が明るく照らす晩には、海の表に浮び岩の上で休んで、色々な空想に耽るのが常であった。

「人間の住んでいる町は、美しいと言う…
 人間は、魚よりも獣よりも、情けが深く優しいと聞いている。
 人魚は魚や獣の中に住んではいるが、むしろその姿にしろ心にしろ、人間の方に近い。
 ならば人間の中に入って暮せない事は無い筈…」

人魚は常々、そう考えていた。
所でその人魚の女は、身持であった。

「……私は、もう長い間、この寂しい、話をする者も無い、北の寒々とした海の中で暮して来た。
 けれど、これから産れる子供には、自分の様に哀しい、頼り無い思いはさせたくない…。
 子供から別れて、独り寂しく海の中で暮すというのは、想像するだに悲しい事だけれど、我が子が幸せに楽しく暮してくれたなら、母としてこの上ない喜び。
 人間は、この世界の中で、一番優しい生物だと聞いている。
 可哀想な者や頼り無い者は、決して虐めたり、苦しめたりする事は無いと聞いている。
 一旦手に懸けたなら、決して捨てないとも聞いている。
 幸い自分達種族は、胴から上は人間そのまま――魚や獣の世界で暮せる事を思えば、人間の世界で暮して行けない筈は無い…。」

或る晩、遂に人魚は陸で子供を産み落す決意を固め、冷たく暗い波間を泳いで行った。
遥か彼方、海岸の小高い山に在る神社の燈火が、ちらちらと揺れて見えていた。


海岸には小さな町が在った。
その中の一軒…お宮の在る山の下には、細々と蝋燭を商う店が在った。
店には年寄りの夫婦が住んでいて、爺さんが蝋燭を作り、それを婆さんが店で売っていた。
蝋燭は町の人や付近の漁師が、山の上のお宮へお参りする時用に、立寄って買って行く物だった。

山の上には松林が続いてい、お宮はその中に在った。
昼夜絶えず海の方から吹く風が、松の梢に当って轟々と鳴って聞えていた。
お宮には蝋燭の火影がちらちらと揺らめき、それは遠い海上からでも臨めた。

或る夜の事、婆さんは爺さんに向い、こう話した。

「私達が暮して行けるのも、皆神様のお蔭でしょう。
 この山にお宮が無かったら、蝋燭等売れやしなかったでしょうからね。
 私達は神様に感謝しなくてはいけません。
 それで私は、これから山を登り、お参りして来ようと考えているのです。」

「まったくお前の言う通りだ。
 私も毎日、心中では神様に礼を申しているが、つい用事にかまけて、お参りを怠りがち。
 良い所に気が付いてくれたよ。
 どうか私の分も、良くお礼を申して来ておくれ。」

爺さんも婆さんの話にいたく賛同し、こう頼んだ。
そんな訳で婆さんは、店を出て、とぼとぼと山道を登って行った。

月の綺麗な晩で、外は昼間の様に明るかった。

お宮へお参りした後、婆さんが山を下りて来る途中…石段の下で赤ん坊が泣いているのに気が付いた。

「可哀想に、誰がこんな所に捨てたのだろう。
 お参りの帰りに、こうして目に留まるのも、何かの縁。
 このまま見捨てて行っては、神様の罰が当る。
 きっとこれは神様が、私達夫婦に子供の無いのを知って、お授け下さったに違いない。
 帰ってお爺さんに相談して育てましょう。」

そう心中で考えた婆さんは、赤ん坊を取り上げ「おお、可哀想に、可哀想に」とあやしながら、家へ抱いて帰った。

家で婆さんの帰りを待っていた爺さんは、婆さんが抱いて連れて来た赤ん坊を見て、とても驚いた。
そして話を一部始終聞き終ると、爺さんも頷いてこう言った。

「それは、正しく神様がお授け下さった子だろう。
 大事に育てなければ、罰が当る。」

二人はその赤ん坊を育てる事に決め、体を包んでいた布を取って見ると…何とその子は胴から下の方が人間の姿でなく、魚の形をしていた。
二人は大層驚き…これは話に聞いた人魚に違いないと思った。

「これは、人間の子じゃない様だが……」

爺さんが頭を傾げて赤ん坊を見る。

「その様ですね。
 しかし人間の子でなくても、なんて優しい、可愛らしい顔の女の子でしょう。」

婆さんは気にもせず、目を細めた。

「何でも構わんさ。
 折角神様がお授け下さった子供だもの、大事に育てよう。
 きっと大きくなったら、利口な、良い子になるに違いない。」

爺さんもこう言って許した。

その日から、二人は女の子を大事に育てた。
大きくなるにつれ、黒目がちで、美しい髪の毛の、肌は薄紅色した、大人しく利口な娘に育って行った。


成長した娘は、自分の姿が他の人と違っている事を恥らい、外へ出ようとはしなかった。
けれど一目その娘を見た者は、皆あまりに美しい器量に魅せられ、どうにかしてその娘に会いたいと願い、蝋燭を買いに来る者まで現れた。
しかしその度に爺さんや婆さんは、こう断っていた。

「家の娘は内気で恥かしがりやの為、人様の前には出られないのです。」

奥の間では爺さんが、せっせと蝋燭を作っていた。
毎日忙しく立ち働く姿を見て…娘は自分が蝋燭に絵を描いたら、お客が喜んで買うのじゃないかと思い付き、それを爺さんに話した。

爺さんは娘の言葉を聞き、「なら、お前の好きな絵を試しに描いてみるがいい」と答え、蝋燭と赤い絵の具と筆を渡した。

娘は赤い絵の具で白い蝋燭に、魚や貝や水底でゆらゆら揺れる海草を、誰にも習ってないのに上手に描いてみせた。
それを見た爺さんは、大層驚いた。
蝋燭に描かれた絵には、一目見た途端欲しくなるような…そんな不思議な力と美しさが篭っていたからだ。

「上手い筈だ。
 人間ではない、人魚が描いたのだもの。」

爺さんは婆さんと、こう話し合った。

「絵を描いた蝋燭をおくれ」と言って、朝から晩まで、店にはひっきり無くお客がやって来た。

はたして、絵を描いた蝋燭は皆に受け、店は繁盛した。

更に不思議な事が起った。

この絵蝋燭を山の上のお宮に上げて、その燃えさしを身に着け海に出ると、どんな嵐の日でも、決して船が転覆したり、溺れ死ぬような災難が無いと、何時からともなく人々の間で噂が広がった。

「海の神様を祀ったお宮様だもの。
 綺麗な蝋燭を上げれば、神様だってお喜びなさるのだろう。」

町の人々はそう考えて得心した。

蝋燭屋では、蝋燭が売れるので、爺さんが朝から晩まで一生懸命蝋燭を作り、娘は側で手が痛くなるのも我慢して、赤い絵の具で絵を描き続けた。

「こんな人間並でない自分を、良く育てて可愛がって下さった御恩を忘れてはならない。」

娘はそう考え、黒い瞳を潤ませつつ、朝から晩まで一生懸命働いた。

不思議な蝋燭の噂は、遠くの村まで響いた。
遠方の船乗りや漁師も、神様に上った絵蝋燭の燃えさしを手に入れたくて、わざわざやって来たりした。
そして蝋燭を買って山に登り、お宮に参詣すると、蝋燭が燃えて短くなるまで待ち、またそれを戴いて帰るのが習いになった。
だから夜となく昼となく、山の上のお宮には、火の点いた蝋燭が絶えず燦然と並んでいた。
無数の燈火の光は殊に夜美しく、海上からも明るく光り輝いて見えた。

「本当に、有難い神様だ」という評判が世間に広がり、山のお宮は急に名高くなった。

神様の評判は高まったけど、しかし誰も、蝋燭に一心を篭めて絵を描いている娘の事を、思い遣る者は無かった。
娘は疲れた折、月の綺麗な夜には、窓から頭を出して、遠い北の海を恋しがり、涙ぐむ事も有った。


或る日、南方の国から、香具師がやって来た。

香具師は何処から聞き込んだのか…或いは正体を見抜いたのか…こっそり年寄り夫婦の所へやって来ると、「大金を出すから、あんたの家に居る珍しい人魚を売ってくれないか」と言って来たのである。

最初の内、年寄り夫婦は、「娘は神様から授けられた大事なもの、どうして売る事が出来よう。そんな事したら罰が当る」と承知しなかった。

しかし香具師は諦めず、二度、三度と、懲りずに何度もやって来た。
遂には年寄り夫婦に向い、実しやかにこう囁いた。

「昔から人魚は不吉な魔物として伝えられている。
 手元から離さないと、何時かきっと悪い事が起こるぞ。」

遂に年寄り夫婦は香具師の言葉を信じてしまった。
それに、積まれた大金に心を奪われ、娘を売る事を約束してしまったのだ。
香具師は大層喜び、何れその内娘を受取りに来ると言って帰った。

自分を売る約束をした事を、年寄り夫婦から告げられた娘は、心から驚き悲しんだ。
そして泣きながら年寄り夫婦に許しを乞うた。

「私はどんなにでも働きますから、どうぞ知らない南の国へ売ったりなど、しないで下さい…!」

しかし最早鬼の様な心持になってしまった年寄り夫婦は、娘が何を言おうとも聞き入れてくれなかった。

娘は部屋の内に閉じ篭り、一心に蝋燭の絵を描き続けた。
しかし金に目の眩んだ年寄り夫婦は、その姿を見ても、意地らしいとも哀れとも感じなくなっていた。

月の明るい晩の事だ。

娘は独り波の音を聞きながら、身の行末を思い悲しんでいた。

波の音を聞いている内、ふと遠くの方で自分を呼んでいる声を耳にして、窓から外を覗いてみた。

けれどそこには誰も居らず、ただ暗い海上を月の光が果てしなく照らしているばかり。

娘はまた座って、黙々と絵を描き続けた。

するとその時、表の方で騒がしい音が聞えた。
何時かの香具師が、いよいよ娘を連れに来たのだ。
大きな鉄格子の嵌められた四角い箱を、車に載せて来ている。
人魚を、虎や獅子と同じ獣の如く、取り扱おうという気なのだ。

絵を描いている娘の元へ、爺さんと婆さんがやって来た。

「さあ、お前は行くのだよ!」

そう言って連れ出しにかかる。
二人に急き立てられた娘は、絵を描く事が出来ず、残っていた蝋燭を赤く塗潰して置いて行った。


穏やかな晩の事だ。

爺さんと婆さんは戸を閉めて寝ていた。

そこへ、とん、とん、とん、と、誰か戸を叩く者が在った。

「何方?」

耳聡くその音を聞き付けた婆さんが、横になったまま尋ねるも答えが無く、続いて、とん、とん、と戸が叩かれる。

婆さんは起上がると、戸を細く開け、覗いてみた。

すると、一人の色の白い女が、戸口に立っている。

女は蝋燭を買いに来たのだと告げた。

客である事が解った婆さんは、愛想笑いを浮べて女を店内に通し、蝋燭の箱を取出して女に見せた。

女の形を改めて確認した婆さんは驚いた。

女の長く黒い髪の毛は、雨も降っていないのに、びっしょり水に濡れ、月の光を受けて輝いていたのだ。

女は箱の中から真っ赤な蝋燭を取上げた。

そしてじっとそれに見入っていたが、やがて金を払うと、その赤い蝋燭を持って帰って行った。

灯火の下、婆さんが金を調べて見ると、それは貝殻であった。

騙された事を知り怒った婆さんは、直ぐに家を飛び出して追っ駆けたが…不思議にも女の影は既に見えず、辺りはしんと静まり返っていた。


その夜遅く、急に空模様が変り、近頃に無い大嵐となった。

丁度香具師が娘を檻に入れ、船に乗せて、南方の国目指し、沖に在った頃の事だ。

「この大嵐では、とてもあの船は助かるまい。」

爺さんと婆さんは、こう話し合い、ぶるぶる震えていた。


夜が明けると、沖は真っ暗で、物凄い景色が広がっていた。


その夜、難破した船は、数え切れない程だったらしい。


不思議な事に、その後、赤い蝋燭が山のお宮に点った晩は、どんなに天気が好くても、忽ち大嵐となった。

その為、赤い蝋燭は不吉と評判になった。

蝋燭屋の年寄り夫婦は、「神様の罰が当ったのだ」と言って、それ切り蝋燭屋を止めてしまった。

しかし何処からとも無く、誰がお宮に上げるものか、その後も度々赤い蝋燭が点された。
昔は、このお宮に上った絵蝋燭の燃えさしさえ持っていれば、決して海上で災難に遭わなかったというのに、赤い蝋燭を見た者は必ず災難に遭い、海に溺れて死んだのだった。

忽ちこの噂が世間に広まると、最早誰もこの山のお宮に参詣する者は居なくなった。

こうして昔あらたかであった神様は、今では町の鬼門となり…こんなお宮なぞ無ければいいのにと、人々は恨む様になった。
船乗りは沖から、お宮の在る山を眺めては、恐ろしがった。

夜になれば海上は荒れ狂い、どっちを見回しても、果てしなく高い波がうねうねと唸っている。
そして岩にぶつかり砕けては、白い泡が立上る。
雲間から漏れた月が、波の表を照らした時なぞは、真に気味悪い風情に思えた。

星も見えない真っ暗な雨降る晩に…波の上から…漂う燈火が…山の上のお宮を指して、段々高く登って行く様を見た者が在るそうな。


幾年も経たずして、その麓の町は滅び、無くなってしまったとの事だ。



…日本の創作童話の先駆け、小川未明の『赤いろうそくと人魚』を知る人は、多いだろう。
この話の何処が恐いって、元は親切だった年寄り夫婦が、欲に目が眩み、段々と鬼の様な心持に変化して行く過程だろう。
始めから悪人だった訳ではない点が、非常に恐ろしく、真に迫って思えるのだ。
近代の童話で、これ以上恐い作品を、自分はあまり知らない。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。
心配しなくとも、見ての通りこの蝋燭は白い…大丈夫だよ。

……有難う。

それでは帰り道、気を付けて。
決して後ろは振り返らないように。
深夜、鏡を覗いてもいけないよ。

では、御機嫌よう。
また次の晩に会えるのを、楽しみにしているよ…。



『新日本少年少女文学全集⑯――小川未明集―― (ポプラ社、刊)』より。

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