瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第53話―

2008年08月12日 21時36分02秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

明日は旧盆の入りだね。
あの世とこの世が繋がって、死んだ人が帰って来る時分だ。
百物語を催すには都合が良い。

所でリアルに百物語を行うとしたら、どんな風にすれば良いだろう?
今回紹介するお話の題はずばり『百物語』――昨日話したのと同じく岡本綺堂作で、昨日と同じく小石川の切支丹坂上に在る青蛙堂にて披露されたと言う怪談だ。



今から80年程の昔…いや、もっと大昔の話かもしれない――何でも弘化元年とか2年とかの9月、上州の或る大名の城内で起った出来事である。


秋の夜に若侍共が夜詰めをしていた。
昨日から雨が降り止まず、物凄い夜であった。
何時の世も同じ事で、こういう夜には怪談の始まるのが習いである。
その中で、一座の先輩と仰がれている中原武太夫という男が言い出した。

「昔から世に化け物が在ると云い、無いと云う。その議論まちまちで確かに判らない。今夜の様な晩は丁度誂え向きであるから、これから彼の百物語と云うのを催して、妖怪が出るか出ないか試してみようではないか。」
「それは面白い事で御座る。」

何れも血気の若侍ばかりであるから、一座の意見直ぐに一致して、いよいよ百物語を始める事になった。
まず青い紙で行燈の口を覆い、定めの通りに燈心百筋を入れて五間ほど離れている奥の書院に据えた。
その傍には一面の鏡を置いて、燈心を一筋づつ消しに行く度に、必ずその鏡の面を覗いてみる事という約束であった。
勿論、その間の五間には灯火を置かないで、途中は全て暗がりの中を探り足で行く事になっていた。

「一体、百物語と言う以上、百人が代わる代わるに話さなければならないのか?」

それについても種々の議論が出たが、百物語というのは一種の形式で、必ず百人に限った事ではあるまいという意見が多かった。
実際そこには百人の頭数が揃っていなかった。
しかし物語の数だけは百箇条を揃えなければならないと言うので、くじ引きの上で1人が3つ4つの話を受持つ事になった。
それでもなるべくは人数が多い方が良いと言うので、嫌がる茶坊主共までを狩り集めて来て、夜の五つ(午後8時)頃から第1番の浦辺四郎七という若侍が、まず怪談の口を切った。
何しろ百箇条の話をするのであるから、1つの話はなるべく短いのを選むという約束であったが、それでも案外に時が移って、かの中原武太夫が第83番の座に直ったのは、その夜ももう八つ(午前2時)に近い頃であった。
中原は今度で3番目であるから、持ち合せの怪談も種切れになってしまって、或る山寺の尼僧と小姓とが密通して、2人共に鬼になったとかいう紋切形の怪談を短く話して、奥の行燈の火を消しに行った。

前にも言う通り、行燈の有る書院まで行き着くには、暗い広い座敷を五間通り抜けなければならないのであるが、中原は最初から二度も通っているので、暗い中でも大抵の見当は付いていた。
彼は平気で座を起って、次の間の襖を開けた。
暗い座敷を次から次へと真っ直ぐに通って、行燈の据えてある書院に行き着いた時に、ふと見返ると、今通って来た後ろの座敷の右の壁に何やら白い物が掛かっている様にぼんやりと見えた。
引っ返してよく見ると、1人の白い女が首でも縊った様に天井から垂れ下がって居るのであった。

「成る程、昔から言い伝える事に嘘は無い。これこそ化け物と云うのであろう」と中原は思った。

しかし彼は気丈の男であるので、そのままにして次の間へ入って、例の如くに燈心を一筋消した。
それから鏡を取って透かしてみたが、鏡の面には別に怪しい影も映らなかった。
帰る時に再び見返ると、壁の際にはやはり白い物の影が見えた。
中原は無事に元の席へ戻ったが、自分の見た事を誰にも言わなかった。

第84番には筧甚五右衛門と言うのが起って行った。
続いて順々に席を起ったが、どの人も彼の怪しい物について一言も言わないので、中原は内心不思議に思った。
さては彼の妖怪は自分1人の眼に見えたのか、それとも他の人々も自分と同じ様に黙っているのかと思案している内に、百番の物語は滞り無く終った。

百筋の燈心は皆消されて、その座敷も真の闇となった。

中原は試みに一座の者に訊いた。

「これで百物語も済んだのであるが、各々の内に誰も不思議を見た者は御座らぬか?」

人々は息を呑んで黙っていると、その中で彼の筧甚五右衛門が一膝進み出て答えた。

「実は人々を驚かすも如何と存じて、先刻から差控えて居りましたが、拙者は84番目の時に怪しい物を見ました」

1人がこう言って口を切ると、実は自分も見たと言う者が続々現れた。
段々詮議すると、第75番の本郷弥次郎と言う男から始まって、その後の人は皆それを見たのであるが、迂濶に口外して臆病者と笑われるのは残念であると、誰も彼も素知らぬ顔をして居たのであった。

「では、これからその正体を見届けようではないか。」

中原が行燈を点して先に立つと、他の人々も一度に続いて行った。
今迄は薄暗いのでよく判らなかったが、行燈の灯に照らしてみると、それは年の頃18、19の美しい女で、白無垢の上に白縮緬の扱き帯を締め、長い髪を振り乱して首を縊って居るのであった。
こうして大勢に取り巻かれていても、そのまま姿を変じないのを見ると、これは妖怪ではあるまいという説も有ったが、多数の者はまだそれを疑っていた。
兎も角も夜の明ける迄はこうして置くが良いと言うので、後先の襖を厳重に閉め切って、人々はその前に張番をして居ると、白い女はやはりそのままに垂れ下がって居た。
その内に秋の夜も段々に白んで来たが、白い女の姿は消えもしなかった。

「これはいよいよ不思議だ」と、人々は顔を見合せた。
「いや、不思議ではない。これは本当の人間だ」と、中原が言い出した。

初めから妖怪ではあるまいと主張していた連中は、それ見た事かと笑い出した。
しかしそれがいよいよ人間であると決まれば、打捨てては置かれまいと、人々も今更の様に騒ぎ出して、取敢えず奥掛りの役人に報告すると、役人も驚いて駈け付けた。

「や、これは島川殿だ!」

島川と言うのは、奥勤めの中老で、折節は殿の御夜伽にも召されるとか言う噂の有る女であるから、人々は又驚いた。
役人も一旦は顔色を変えたが、よく考えてみると、奥勤めの女がこんな所へ出て来る筈が無い。
何かの子細が有って自殺したとしても、こんな場所を選む筈が無い。
第一、奥と表との隔ての厳しい城内で、中老ともあるべき者が何処をどう抜け出して来たのであろう?
どうしてもこれは本当の島川ではない。
他人の空似か、或いはやはり妖怪の仕業か、何れにしても粗忽に立ち騒ぐ事無用と、役人は人々を堅く戒めて置いて、更にその次第を奥家老に報告した。
奥家老下田治兵衛もそれを聴いて眉を皺めた。
兎も角も奥へ行って、島川殿にお目に掛かりたいと言い入れると、昨夜から不快で臥せっているからお逢いは出来ないという返事であった。
さては怪しいと思ったので、下田は押返して言った。

「御不快中、甚だお気の毒で御座るが、是非とも直ぐにお目に掛からねばならぬ急用が出来致したれば、ちょっとお逢い申したい。」

それでどうするかと思って待ち構えていると、本人の島川は自分の部屋から出て来た。
成る程不快の体で顔や形も酷くやつれていたが、何しろ別条無く生きているので、下田もまず安心した。
何の御用と不思議そうな顔をしている島川に対しては、いい加減の返事をして置いて、下田は早々に表に出て行くと、彼の白い女の姿は消えてしまったと言うのである。
中原を始め、他の人々も厳重に見張って居たのである、それが自ずと煙の様に消え失せてしまったと言うので、下田も又驚いた。

「島川殿は確かに無事。してみると、それはやはり妖怪であったに相違ない。斯様な事は決して口外しては相成りませぬぞ。」

初めは妖怪であると思った女が、中頃には人間になって、更にまた妖怪になったので、人々も夢の様な心持であった。
しかしその姿が消えるのを目前に見たのであるから、誰もそれを争う余地は無かった。
百物語のお蔭で、世には妖怪の在る事が確かめられたのであった。


その本人の島川は一旦は本復し、相変らず奥に勤めていたが、それから二月程の後に再び不快と言い立てて引籠っている内に、或る夜自分の部屋で首を縊って死んだ。
前々からの不快というのも、何か人を怨む筋が有った為であると伝えられた。

してみると、先の夜の白い女は単に一種の妖怪に過ぎないのか?
或いはその当時から島川は既に縊死の覚悟をしていたので、その生霊が一種の幻となって現われたのか?
それは何時までも解かれない謎であると、中原武太夫が老後に人に語った。



妖怪か、とも妖怪ではないのか…読者を惑乱させる術に長けた、綺堂ならではの傑作であろう。

今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

所で此処の百物語も、既に53番まで語り終えている。
どうだろう?…そろそろ怪しい物を見た人は居ないかい?

――怪語らば、怪来たる。

くれぐれも覚悟をして置くがいいだろう。


それじゃあ夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。




参考、『白髪鬼―岡本綺堂怪談集―(岡本綺堂、著 光文社、刊)』。

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