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師の学系から考える三経義疏論 : 曾根正人「厩戸皇子の学んだ教学と『三経義疏』」

2010年08月07日 | 三経義疏

 2008年の田村先生の『法華義疏』論文を紹介しましたので、同年に刊行された曾根正人さんの論文も取り上げておきます。

 曾根さんの『聖徳太子と飛鳥仏教』(吉川弘文館、2007年)は、森田悌『推古朝と聖徳太子』(岩田書院、2005年)の方向を受け継いで大山誠一氏の聖徳太子非実在説を批判し、太子関連の諸資料について是々非々の検討を加えたものです。そのため、「憲法十七条」については、後代の粉飾や改変の可能性を認めつつも基本としては真作とする一方、三経義疏については中国撰述と見て太子撰述を否定しています。つまり、太子に関する伝承のほとんどを事実と認める立場でもなく、すべて後代の捏造とする立場でもないのです。同書には、『日本書紀』の記述は「蘇我氏顕彰譚」を利用して書かれた部分がある(105頁)、といった重要な指摘も見られます。

 同書の三経義疏に関する議論に少しだけ手を加えたのが、

 曾根正人「厩戸皇子の学んだ教学と『三経義疏』」
 (『アリーナ 2008』第5号(中部大学国際人間学研究所編、2008年3月)

です。
 
 曾根さんは、藤枝先生の説を支持し、『勝鬘経義疏』が中国撰述であることは確実としたうえで、「以前のように『三経義疏』をセットで厩戸皇子撰とするのは不可能である。そして『勝鬘経義疏』が中国成立だとしたら、法隆寺においてセットで伝来して来た三疏のなかで、他の二疏のみが倭国成立という可能性は低い」(192頁下)と述べています。しかし、藤枝説が誤りであることが判明した現在、状況はまったく変わってしまいました。

 法隆寺がセットとして伝承してきただけでなく、実際に三経義疏がきわめて似ており、セットとなっていることは、次の一覧表を見れば明らかでしょう。Sは『勝鬘経義疏』、Hは『法華義疏』、Yは『維摩経義疏』であって、 :  の後の数字は用例数です。

  中亦有二。第一正  (S:5 H:11 Y:6)     *他には『法華義記』1例のみ
  中亦有二。第一先  (S:1 H:8  Y:5)       *他には『法華義記』2例のみ
  中開為二。第一    (S:3  H:5   Y:10)     *三経義疏のみ
  中開為三。第     (S:2  H:2   Y:9)       *三経義疏のみ
  中開為五重。第一    (S:1  H:1   Y:1)     *三経義疏のみ
  中初開為二。第一従初訖  (S:2   H:4  Y:1) *三経義疏のみ

 いかがでしょう。これは、三経義疏中の共通部分をNGSMというプログラムで自動的に比較表示し、さらにその共通部分について大正大蔵経全体と続蔵の中国部の文献すべてを検索した結果を加えたものであって、12月刊行予定の拙論掲載リストの一部です。

 つまり、「中亦有二。第一正(~の中に亦た二有り。第一は正しく~)」という言い方は、中国・朝鮮・日本の何百という経典注釈の中で、三経義疏と、『法華義疏』の種本である光宅寺法雲の『法華義記』にしか見えないのです。『法華義記』は南朝である梁の主流であったため、その影響を受けた注釈は、中国でも朝鮮でもかなりあったはずですが、隋唐の新しい仏教が盛んになるとそれらは消え去ってしまい、シルクロードや唐の名宝が正倉院に残されているように、三経義疏という形で日本に残るだけになったのでしょう。

 さらに、「中初開為二。第一従初訖(~の中、初めに開きて二と為す。第一に初めより~訖[まで]は」という経典解釈の際の分け方は、三経義疏にしか出てこないことが知られます。こんな長ったらしい表現が一致するのは、偶然ではありえません。

 たとえば、皆さんが諸国の留学生を含んだ250人の学生を相手にレポートを課したとしましょう。法雲さんという年配の実力者である中国人学生と国籍不明の3人だけが、「の部分の中はまた二つに分かれます。第一は先ず~」と書いており、さらに、その国籍不明の3人だけが「~の部分のうち、初めの部分は二つに分けられます。第一に最初のところから~までは」と書いていて、他にも3人だけが似たような類似表現をいくつも使っていたらどうします?

 しかも、法雲さんや他の何十人もの中国人留学生たちの答案には全く出てこず、関西出身の日本人学生たちの答案だけに良く見える関西風な言い回しが、その国籍不明の3人の答案にたくさん見えていたらどう考えます? 

 おそらく、法雲さんのノートのコピーを関西仲間の日本人学生3人が入手し、一緒に話しながら勉強したのだろう、と考えるのが普通でしょう。学生は3人でなく、2人か1人であって、その学生(たち)が法雲さんのノートを見ながら、同じような形式で仲間の分を書いてやった可能性もあります。あるいは、慧慈さんとか慧聡さんなど、中国の状況を多少知っていて関西弁がまじる韓国人学生たちが、法雲さんのコピーを渡して説明してくれたうえ、レポート書きもかなり手伝ってくれたのかもしれません。

 正確なところは分かりませんが、ともかく、三経義疏は法雲『法華義記』の系統の注釈であり、非常に関係深いものであることは確かです。中国成立の全くばらばらな三部の注釈をよせ集めたものではありません。

 曾根さんは、作者問題を考えるに当たって、『上宮聖徳法王帝説』『三国仏法伝通縁起』その他の記述から聖徳太子の師の学系を推定する、という方法をとりました。そして、太子を教えたとされる高句麗の慧慈や百済の慧聡は吉蔵系の攻撃的三論宗ではなく、『成実論』を主として三論を従とする折衷的な成実・三論学派だったのではないかとする拙論「朝鮮仏教における三論教学」(平井俊榮監修『三論教学の研究』、春秋社、1990年)を引いたうえで、「三論・成実兼学で成実教学が柱になるとは考えにくい」(195頁)と述べています。

 拙論を参照してくださったのは有り難いのですが、「考えにくい」と言われても、中国江南では、実際に『成実論』中心の人や『成実論』を主として三論も少しだけ学ぶ折衷的な人々の方が主流だったのですから、仕方ありません。三論を大乗の精華として強調する一方で『成実論』などは小乗だと非難し、その『成実論』に基づいて大乗経典を解釈している法雲たちを激しく攻撃した三論師は、吉蔵や慧均その他、法朗門下の一握りの人たちに限られていました。

 吉蔵の著作は百済に持ち込まれているうえ、慧均は中国に留学した百済僧であることが最近判明しており、日本でも、後にはそうした吉蔵系の三論宗が有力になっていきますが、この問題については、曾根さんが、日本の三論宗は慧灌を始祖とするのみで「慧灌より先に来朝した慧慈がなぜ始祖とされなかったか」(196頁)という点に注意していることが重要です。

 曾根さんは、慧慈については太子を教えたことしか伝えられておらず、活動範囲が狭かったためと推測するのですが、慧慈が実際に吉蔵系でなかったから、と考える方が自然でしょう。

 また、曾根さんは、三車・四車説をめぐる『法華義疏』の解釈は、三論宗のものとは違って法雲の解釈と一致しているため、『法華義疏』は三論宗の慧慈に習った聖徳太子の作ではあり得ないとされます。これは重要な指摘であり、『法華義疏』の解釈が三論宗と異なっていることは確かですが、慧慈を太子の師と認めるのであれば、その慧慈は吉蔵系の三論宗ではなく法雲系であったから、と考える方が自然でしょう。つまり、曾根さんの指摘は、別な結論の根拠にもなりうるのです。

 慧慈や慧聡は三論宗の僧だと明言した鎌倉時代の学僧、凝然は、日本仏教は小乗に属する『成実論』に基づく学派で始まったのでなく、大乗の三論宗で始まったのだ、日本は最初から大乗仏教の国だったのだ、と主張するために、「慧慈・慧聡=三論宗説」を述べたというのが、私の考えです。

 凝然の主張が史実でないらしいことは、その凝然が、「慧慈や慧聡は三論宗だったが、『成実論』にも通じていたため、三経義疏は成実師である法雲風な解釈の仕方になったのだ」という苦しい説明をしていることからも明らかです(石井「仏教の朝鮮的変容」、鎌田茂雄編『講座 仏教の受容と変容5 韓国篇』、佼成出版社、1991年。同「聖徳太子像の再検討--中国仏教と朝鮮仏教の視点から--」、『仏教史学研究』50巻1号、2007年12月)。

 論文の末尾で、曾根さんは、『法華義疏』は「倭国には、慧慈が立脚する吉蔵系三論教学と対比させるテキストとしてもたらされたと考えられる。そして『勝鬘経義疏』などと共に厩戸皇子周辺に置かれ、『三経義疏』の神話を形成していったのである」(196頁下)と結論づけていますが、太子の師匠たちが吉蔵系の攻撃的な三論師であったなら、その厳しい批判の対象となっていた成実師系の『法華義疏』が、太子の作とされて尊重されるようになった、というのは不自然ではないでしょうか。

 以上のように、曾根さんの説は、『法華義疏』やその他の史料から曾根さん自身が読み取った内容と藤枝説との板挟みになっているため、苦しい解釈になっているように見えます。藤枝説を外してゼロから考え直すなら、曾根さんが読みとった内容は別の形で生かすことができるのではないでしょうか。藤枝先生の『勝鬘経義疏』中国撰述説は、実力者である藤枝先生の勇み足であったこと、藤枝先生は敦煌文書偽作説に関しても勇み足をしており、行きすぎが訂正されつつあることは、既にご紹介した通りです。

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