千の天使がバスケットボールする

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「ブロデックの報告書」

2009-04-20 22:45:25 | Book
「僕はブロデック、この件にはまったく関わりがない。僕は何もしなかったし、何が起ったのかを知ったときでも、できればいっさい語らず、自分の記憶に縄をかけ、金網の罠にはまった貂のようにおとなしくさせるためにきっちり縛り上げておきたかったのだ。」

本書は、このようにはじまる。この件とは、いったい何のことであろうか。読む者の関心をひく巧みなすべりだしから、「ブロデックの報告書」のあまりの重さに、人間心理の不可思議な残酷さに沈みながら、私は暗い道のりをブロデックに連れられて歩くことになってしまった。
戦争が終わって間もない頃、ドイツ国境に近いフランス、ロレーヌ地方の小さな小さな辺鄙な寒村。ひとりの余所者が、村人たち全員が見守る中で殺されてしまった。いや、たったひとり、その場に居合わせていなかった、”呼ばれていなかった”ブロデックは、だからこそこの事件を記録するように命じられる。

集団殺人を扱った冒頭から、ガルシア=マルケスの「予告された殺人」を連想するような骨太な展開は見事に裏切られ、繊細で技巧的に凝った表現の文章が散りばめられている。あまりにも素晴らしい文章を、繰り返しながら堪能したために読むのにすっかり時間がかってしまったくらだ。物語は、ふたつの流れが村の歴史とともに交錯してすすんでいく。その地方の言葉で”他者”という意味をもつもの静かで紳士的な「アンデラー」がどこからかやってきて、たった一軒ある村の宿に常宿しているうちに、とうとう最後に殺されてしまった事件をブロデックは調査していく。村長や牧師に会ったりしながらアンデラーが村に現われてきた時の様子から記録する一方で、ブロデック自身も孤児でフェドリーヌに拾われて村にたどり着いた余所者だった出自や、村の寄付金で首都にある大学に進学しながらも民族浄化の嵐のために収容所に連行されて、奇跡的に生きのびた告白も綴られていく。

最初に「僕はブロデック」と伝え、何度もブロデックの名前が登場する。彼と同じ余所者、村では同じように異質であり、殺された「アンデラー」の方は本名は誰も最後までわからない。というのも、結果的に村人たちにとってはアンデラーの名前はさして重要ではなかった。何故ならば、彼は彼自身であることよりも彼らにとっては神からの最後の使者のような「鏡」としての存在の方に意味があったからだ。自らの醜い顔、自分の行いをそのままに映し出す鏡。誰もが顔をそむけたいものをそのまま映されたら、鏡は壊れるしかなかったのだ。そしてブロデックにとっては、収容所に送るために単なる異邦人の象徴ではなく固有名詞のある「ブロデック」という名前が必要だった。しかし、やがて、その名前も収容所では「余所者」という名前にとってかわり、みな同じ名前になり、個人として存在しなくなっていった。ブロデックは、首を鎖で繋がれ地面をはい、犬にされた。

時代設定も不明瞭、村も収容所もフラテルゲガイメの兵士たちもすべて実在しない架空のものと私は読みたい。著者の優れた才能を実感するのは、実際の固有名詞や民族名、収容所名を使用せずに、いくつもの精緻な寓話のようにブロデックの告白が続く形式をとることで、物語に奥行きと人類がはじまって以来の現代にも通じる問題に普遍性を与え、読者の想像性をひろげた点にある。しかも、文章が素晴らしく(おそろしく?!)巧みで重厚な映像感覚にたけていることである。収容所に連行される6日間、ブロデックは、裕福な家庭に育ったケルマールと親しくなる。過酷な状況の中で彼らは、哲学、政治、音楽、文学を語り合う。最後の日、あることからケルマールは自ら死ぬことを選び、逆にブロデックは生き延びることができた。ブロデックには、どうしても生きなければならない理由があった。しかし、なんとか生き延びて村に帰った彼を待っていたのは、あまりにも苦しく冷酷な現実だった。そして、いつまでも人間の尊厳を賭けた体験の傷から逃れることができないブロデック。その体験と理由が最後にあかされる。

ところで、本書は「高校生ゴンクール賞2007」を受賞している。この賞は2000人の高校生が選ぶのだが、有名な「ゴンクール賞」の第一次候補作の中から二ヶ月かけて3冊にしぼりこみ、地方審査委員会に出るクラス代表1人を送り込み、更にそこで3冊と全国大会出場する審査員を選び最終決定される。「高校生ゴンクール賞のほうが優れた作品を選ぶ」と評価するジャーナリストもいるそうだが、商業ベースとは無縁に表紙の装丁も含めて議論にたえる本物の良書をきちんと見わけるフランスの高校生に脱帽だ。

「ブロデック、それが僕の名前だ。
ブロデック。
どうか覚えておいてほしい。
ブロデック。」
最後は、こう結ばれている。名前のもつ意味と個人の尊厳をこれほど深く書いた本はない。さすがに、哲学の国、フランスの高校生の意識は高い。決して読みやすい文章ではなく、読者に考える力を要求させるこの小説は、だから読後の満足感は最高である。


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