千の天使がバスケットボールする

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須賀敦子さんがみたミラノのマダムたち

2012-06-23 16:23:28 | Book
須賀敦子さんを読む。
三島由紀夫や村上春樹だったら、ミシマ、春樹と簡略して言ってしまいそうだが、彼女の場合は須賀敦子さんと敬称がついてくる。レディであるということもあるかもしれないが、彼女の文章を読んでいくと、作品に登場している人々、そして彼ら彼女たちと時間を過ごした著者自身へのつつましやかな敬意というものがいつしかわいてくる。それは、作品の力や作家の文才とは別の、怜悧さとあわせもつ彼女自身の感性の美しさと人となりのおかげなのだろうか。決して、他の男性作家に敬称にふさわしい人徳がないわけではないが・・・。

さて、須賀敦子さんがイタリアで過ごしたのは、1954年のペルージャ留学時代を経て、58年に再度イタリアに渡り、61年のベッピーノ氏と結婚するものの67年に夫が急逝、71年にミラノの家を引き払って帰国するまでの、わずか10年あまり。「須賀敦子全集1」に収められている「ミラノ 霧の風景」や「コルシア書店の仲間たち」には、このミラノ時代に彼女が出会った人々が現れてはきえていくのだが、なかでも興味がひかれたのが、日本人にはあまりなじみのない所謂上流階級出身の女性や貴族たちだった。

今日では隔世の感があるが、半世紀前のミラノではそもそも日本人が珍しかったことや、夫となる寡黙なインテリだったベッピーノ氏のつながりで、須賀さんは上流社会の邸宅の食事に招かれたり、会話をする機会に恵まれた。スカラ座の指定席を保有している大叔母さんをもつジャーナリスト、コルシア書店のパトロンだった独身のテレーサおばさん、パルチザン活動家をそうとは知らずに自宅に泊めてサン・ヴィットーレ刑務所に連行され奇跡的に生き延びた変わり者のマリア、映画監督ヴィスコンティと幼友達の侯爵夫人や銀行家たち。

彼らは夏や真冬をのぞいて市街の中心地、ナヴィリオ運河を埋め立てた大聖堂を囲むエリアから旧城壁の間に住んでいるいろいろな意味で特権階級に属する人種たちである。門番に会釈をしてベルを鳴らすと、お仕着せのワンピースに糊のきいたエプロンをつけた”召使”がやってくる。或いは、馬車が出入りした18世紀からの面影を残して、入口から中庭に通じる天井がアーチ型になっている4階建てのアパートメントのすべてを所有していたり。多くの絵画が飾る壁、ペルシャ絨毯、飴色に磨かれた床。一見して仕立てのよいドレスを着た妻や娘たち。優秀な家庭教師を雇ってやすやすと大学に進学するこどもたち。文学や音楽などこれまで観てきた映画の中の貴族たちの世界が、この時代では当たり前のように存在していたのだった。

アメリカのパーティとは違って、彼らは常連を晩餐に招待して、食後は気楽な独身男性も招いたりして、全員が椅子に座って会話を楽しむ「サロン」。 そこでは、文学、音楽といった芸術もかわされるが、ファッションや流行、噂話、ちょっとした陰口もささやかれる。女性の立場からすると、日本のママさんの公園デビューや幼稚園デビューで神経を遣う”社交界”とそれほど変わりはないのではないか、とも思った。そんな晩餐会や食事会で、会話やミラノ生活を楽しみながら、いつも財布の軽い結婚生活を送っていた須賀さんは、女性たちのシックで野蛮なテーブルマナー、それを楽しげに眺める鷹揚な男達、侯爵家だから許されるふるまいのヨーロッパの厚みにのめりこみながら、自分は彼らを楽しませるためにいるのではないかと感じる時もあったそうだ。

さて、須賀さんが結婚指輪を買い求める時、由緒正しい家柄出身の友人に紹介されて行った店は、うらぶれた小さな通りに面した古い建物にあり、品のよい女主人はご心配なさらずにと予想外にはるかに安い指輪をすすめてくれた。ミラノの伝統的な支配層は、先祖代々の資産価値のある宝石をもっているから、日常使いの装飾品はひそかにこうした店と見事に使い分けているのだった。そして、店を教えてくれた友人、コルシア書店の中心人物だったルチア・ピーニは、名のある名家出身だった。彼女の友人たちと一緒の旅行先で、ルチアは同じ書店の仲間からのプロポーズを「あんなのと私が結婚するはずがない」と言い切った。その言葉の乾いた冷たさに、須賀さんは夜も眠れないくらい考えた。「あんなの」という意味は、資産もバックグランドもない仲間は全く相手にならないという意味だとたどりついた須賀さんは、血の凍る思いだったと感想を述べている。その後、一緒に働いていた「あんなの」のひとり、ベッピーノ氏と須賀さんは結婚することになる。

映画『ミラノ、愛に生きる』は、上流の特権階級に所属する一家の妻のめざめを描いていた。ロシアから嫁いだ主人公が、最後に、高級な服を脱ぎ捨ててはだしで大きな邸宅を去る姿が、なんとなく少しわかるような気がしてきた。

■アーカイヴ
「ベェネツィアの宿」須賀敦子著


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