千の天使がバスケットボールする

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『モディリアーニ ~真実の愛~』

2005-07-23 23:24:10 | Movie
1919年、第一次世界大戦後のパリの一角、カフェ「ラ・ロトンド」では今夜も芸術家たちが集い、酒を呑み、美しい女をはべらせている光りが、夜の石畳の路上を映す。そこへすでに酔っている画家アメデオ・モディリアーニ(アンディ・ガルシア)が、やってくる。ジャン・コクトー、ハイム・スーチン、モイース・キスリング、モーリス・ユトリロ・・・熱気と興奮で煙草の煙に輝く若い彼らの表情が浮かぶが、モディリアーニの瞳がとらえたのは、一番奥の上席に座るパブロ・ピカソと取り巻き連中である。

「立体とSEXしている」
モディリアーニは、ピカソの作品をそう揶揄して、取っ組み合いの喧嘩になりそうだが、このふたりの反目は年中行事のイベント。今時のプロレスを観戦するかの如く、喝采をして楽しむ彼ら。けれども、成功者のピカソと異端児であるモディリアーニ。この両者に多くのものの、才能に溢れた芸術家としての高慢なプライドと、それゆえにお互いへの嫉妬や羨望、複雑だが激しい感情が重なり、渦をまく。
そんな彼らの青春をきりとった面と、画学生であり、後に妻、モデルとなるジャンヌ(エルザ・ジルベルスタイン)との恋が進行していく映画である。

モディリアーニが、飲酒、麻薬、結核で街頭で倒れて亡くなった後、身重のジャンヌが飛び降り自殺をした事実はあまりにも有名だが、映画を観ているうちに、どこまで真実で、どこまでがフィクションなのか少々混乱した。ふたりの激しい愛は深かったのだろうが、夫を憎む父との確執、生まれたばかりの長女をとりあげられたこと、貧困のうちにジャンヌ自身が精神的に追い詰められた後の、狂気じみた絶望感による行為だと考える。
「本当の君が見えたら、その瞳を描こう 真実の愛」
そんなコピーが、ちょっと美術好きな女性層をとりこもうという意図が、みえなくもない。

しかし、すでにアトリエ「洗濯船」を抜け出した成功者としてのピカソへの、ライバル意識。この部分は、映画のもうひとつの大きなテーマーである。
ピカソは20世紀最高の画家である。好きな画家は他にいるけれど、やはり私はそう思う。同じ画家であるならば、モディリアーニこそ、それを最も理解していたことだ。ピカソの運転で、郊外にあるため息のでるような美しい屋敷を訪問する。この敷地はいくらですか、と尋ねるモディリアーニに老いたその人は、小さな絵の2枚分と答える。芸術家として、常にぎりぎりの精神的な状態でありつづけるモディリアーニ、芸術をお金にかえることになんのためらいのないピカソ、そんなふたりの対立する芸術観が表現されていたら、もっと楽しめたと思うのは、欲求が高いのだろうか。

このような実在の人物を演じるのは、キャスティングが重要だ。モディリアーニを演じたアンディ・ガルシアは、実に魅力的でいい男であることに、異論はないであろう。ジャンヌ役のエルザが撮影中、共演できて毎日天国だったというのもうなづける。ただ映画館のロビーでインタビューのビデオが流れていたが、この方はハリウッド人にしてはバランスのとれた人物である。本物のモディリアーニが、神経質な印象を与えるのに、やわらかく包容力のある紳士的なイメージのアンディには、放蕩な芸術家という雰囲気はない。ジャンヌとオルガ役を演じた女優は、まさにぴったりだったのだが。

監督・脚本:ミック・デイヴィス

フランスパンと塩で赤ワインを呑んだ気分。