千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『マーラー』

2005-07-17 18:01:43 | Classic
「マーラーはお好き」?

身近にマーラーが大好きなものがいる。音の響きが好きだから。けれども演奏するのは、プロのオケでも難しい曲なのだとか。
私はマーラーは疲れるので、好んでは聴かない。はじめてマーラーを生で聴いたのは、クラシック音楽に傾倒しはじめたばかりの時期で、サントリーホールでのエリアフ・インバル指揮「フランクフルト放送交響楽団」のマーラー5番だった。聴いているうちに、自分が広大な宇宙空間を漂っているような不思議な現象を感じたのだが、まさにそれがマーラーの真髄であることを後年知った。

ニューヨークでトスカニーニに酷評され、傷心の作曲家グスタフ・マーラー(ロバート・パウエル)は、故郷のウィーンに向かう列車のなか。豪華な車両が51歳のマーラーの名声と地位を証明しているが、若い妻アルマ(ジョージナ・ヘイル)はそんな夫に神経を使いながらも、気持ちは醒めていた。かっては画家クリムトの恋人でもあったアルマに求愛している軍人マックス(リチャード・モーラント)も同じ列車に乗車している。病を患いながら、未完の交響曲10番を曲想しつつ、走る列車のなかでマーラーの脳裏には、家族、ユダヤ人であることからくる差別や偏見、作曲家としてのこころがまえを教えたニック、自殺した弟、素晴らしい曲をつくりながら不遇のまま発狂した友人を回想しつつ、自分のもとを去っていくのではないかという妻への嫉妬心に苦しむ。
アルマ自身も作曲の勉強を希望しながらも叶わず、マーラーの友人にも馬鹿にされる。元々結婚の約束も「私の音楽を君自身の音楽として考えることはできませんか」と作曲を断念させ、妻として支えることによって共有できる関係だったのだ。夫の才能を理解し、娘にも恵まれたアルマだったが、こころは乾いていた。
そんなふたり、そしてアルマを奪おうとするマックスも乗せて、列車はさらにウィーンに向かって進む。

この映画を鑑賞するには、やはりマーラーの音楽のある程度の知識と興味が必要である。
マーラーは、「やがて自分の時代がやってくる」と予言した。そこには先端を走るもののプライドと大衆に受け入れられない孤独がある。それには彼自身がユダヤ人であり、「私はどこへいっても歓迎されない。オーストリアにおけるボヘミア人であり、ドイツにおけるオーストリア人、そして世界におけるユダヤ人だから」と述べたこととも関係があると思われる。生活のために指揮をし、生きるために作曲をしているのだという言葉が映画のなかでもあるが、作曲だけで生活を維持していくのは当時でも困難だった。けれどもマーラーはユダヤ教からカトリックの改宗してまでして、39歳でウィーン宮廷歌劇場の終身の芸術監督に任命される。

演出がこっているようで、少々古めかしい感じもしなくもない。妻アルマに作曲を断念させ、高名な作曲家の専業主婦という地位を与えたのも芸術家のエゴにみえなくもない。
けれどもそんなマーラーの音楽を今の時代の人々は高く評価し、演奏会でも何度もとりあげられる。彼の予言が正しかったことは、映画がおわった後のアムステルダム・コンセントヘボウ管弦楽団の演奏への拍手が証明している。

監督:ケン・ラッセル この監督はチャイコフスキーの映画も製作している。内容はかなり暴露的・・で、「N響アワー」で司会をしていた当時、「チャイさま」と奉っていた女優の壇ふみさんはこの映画をご存知だろうか。
1974年イギリス製作