いつのまにか月日が流れた。最近、ほんとうに一日が短いと感じる。あっという間に夜になっていて、気がつけば朝になっている。
人間とは、習慣で生きるもの。「ブログを更新する」というのが習慣になっていれば、いくらも書けるのだが、逆に「更新しない」というのが習慣になると、まったく書けなくなるのである。
「慣性の法則」と言ってもいいだろう。いったん止まったモノを動かすのには、大きな力が要る。動き始めたモノを、そのまま動かすのはカンタンだ。というより、止めようとさえしなければ、そのまま動いていくものなのだ。それと同じで、ブログの更新も、いったん止まってしまうと、再開するのに大きなエネルギーを必要とする。
これは、カラオケにも似ている。というのも、カラオケでは、「最初の一曲」が難しいことがよくある。周囲がシーンと静まり返っている状況では、やりにくい。なんとなく、面倒に感じられる。譲り合ってみたり、意味もなくデンモクをいじってみたり。昔だったら、パラパラと曲の目録をめくって、やりすごすところだろう。
ところが、そんなときに、「我こそは」という人が1人いるだけで、状況は一変する。そういう人が先陣を切ることによって、静まり返っていた雰囲気が変わる。そうなると、「我も我も」とばかりに次々に出てきて、逆に順番が回ってこなくなる。
それと同じで、ブログの更新もいったん止まると、なかなか再開できない。しかし、再開すると、それを続けるのは、ぐっとラクになる。そうなると、だんだん更新するのが加速してくる。しまいには、1日に何回も記事を更新して、「無職のヒマ人だ」、「ブログ廃人だ」と言われるようになる。
今も、仕事をサボってブログを書いている。ハタから見れば、PCに向かって一生懸命に事務作業をしているようにしか見えないことだろう。だが、やってることはブログの更新だ。仕事とは、これといって関係ない。最初の数行を書くのには大きなエネルギーが要るけど、そこを乗り越えれば、あとは勝手に伸びていく。
こういうのは、ブログの更新に限らない。仕事だって同じだ。毎朝のように、「あ~あ、長期休暇を取りたいな・・・」と思いながら仕事をするのには、毎回、大変な努力をして気力をかき立てなければならない。
車だって、止まった車を動かすためには、エンジンをかけて、アクセルをぐっと踏み込まなければいけない。でも、走り始めた車は、そのままスイスイと動いていく。むしろ、急には止まれない。
それと同じで、いつも仕事に嫌気がさしている人は、仕事に向かうたびに、いちいちエンジンに点火しなければいけない。毎度のことだけど、そのたびに大変だ。
ところが、世の中は、そんな人ばかりではないのである。自分がそうだからといって、他人もそうだと思ってはいけない。仕事をするのが完全に習慣になっている人にとっては、むしろ、仕事をしないほうが非日常で、大きな苦痛なのだ。
以前、勤務していた会社にも、完全に仕事中毒の人がいた。平日も土日も関係なく、常に営業していた。文字どおり、365日やっていた。12月31日には、「今年も一年、ありがとうございました」と顧客にアイサツして回る。そして、次の日には、「今年も一年、よろしくお願いします」とアイサツ回りするのだ。年頭の抱負をきかれて、「今年の目標は、なにか趣味を持ち、仕事以外の生きがいを見つけることです」と語っていた。
そんな人にとっては、仕事をするのに、「さあ、仕事をするぞ~!」と気合を入れる必要など、まったくない。そのまま、いつもどおりに慣性の法則で、仕事を続ければいいだけだ。むしろ、止めるほうが難しい。
興味や関心にも、同じことが言える。というのも、数年前の筆者は、韓流マニアだった。しょっちゅう、在日の友人とともに新大久保に出かけては、焼肉とかプルコギとかを食べ、家では韓流ドラマを見てK-POPを聴いていた。そのうち、「こういう無意味なことはヤメて、もっと有益なことに時間を使いたいものだ」と思い始めた。でも、なかなかヤメられない。そこが、「慣性の法則」たるゆえん。
ところが、そんな筆者も、後には打って変わって、嫌韓マニアになった。いつも嫌韓ニュースを見ては、「慰安婦ガー、竹島ガー!」と怒るようになった。これまた、しばらく続けるうちに、「こういう無意味なことはヤメて、もっと有益なことに時間を使いたいものだ」と思い始めた。でも、気づけば、つい嫌韓ニュースを見ている自分に気づく(笑)。まさしく、慣性の法則だった。
こういうのは、自分ひとりの問題ではない。日本全体の意識の変化や、その流れにも乗っている。知らず知らずのうちに、大きな潮流の中にいて、一緒に動いている。
思考や感情や、興味関心。そういったことの多くは、ほとんど習慣だけで形成されている。おそらく、この人生に限らず、輪廻転生のプロセスにおいても、この「慣性の法則」が意識を大きく左右している。
「自分とは、こういう人間だ」という自己定義をする上で、その点を是非とも考えてみなくてはいけない。「こういう人間だ」という内容の大半は、単なる習慣にすぎないのではなかろうか。
単なる「ブログの更新」の問題から、こういう方向に話が広がっていく。これまた、筆者にアリガチな傾向だ。まさしく、慣性の法則なのだ・・・(笑)。
(つづく)
お久し記事。。
RSSリーダーに登録してあるのですぐ表示された(笑)
「慣性の法則」かー。
ほんとそうすねー。
ありがとうございます。
今さら更新なんかしなくて良いのに 廃墟で楽しもう ♪
こっくり奇跡の復活待ってたぜ!
また、いっぱい、コメントつけられるね。(^o^)
よろしくな♪♪♪
俺は ひとりだけ好きな韓国人がいる。
名はジェインといい何故か 日本では出逢えなかった
大好きなSF耽美小説の大ファンで文通をしてな。。。
つまり 韓国は別に好きでも嫌いでもなく、竹島は
もちろん 日本の領土だと想い、ジェインのお陰で
随分わたしは得をしている。。。。。はずだ。。。zzz