エックハルト・トールによれば、「自分」が、実は2人いる。ひとつは、「エゴ」の自分。もうひとつは、「大いなる存在」とつながっている、ほんとうの自分。
日頃、われわれは「エゴ」の方を自分だと思い込んでいる。「エゴ」が圧倒的に幅をきかせている影で、「大いなる存在とつながっている、ほんとうの自分」は、気づかれることもなく、ひっそりと埋もれている。
「ほんとうの自分」に言わせれば、「私という者がありながら、なんで、『エゴ』なんかに振り回されてるの?」というところだろう。
まずは、それに気づくのが第一歩。そして、まどろんでいる「ほんとうの自分」の意識を活性化すること。「目覚め」とは、そういうことを意味する。
いわく、「目覚めに不可欠なのは、目覚めていない自分を自覚すること。エゴイスティックに考え、話し、行動する自分と、そういう目覚めていない状態を持続させている、人類に刷り込まれた思考プロセスを認識することである」。
エゴと闘っても勝ち目はない。そもそも、闘えるような相手ではないのだ。それは、自分自身の影を相手にケンカするようなもの。エゴに対しては、それがエゴであるということに「気づく」しかない・・・。
エックハルト・トールによれば、エゴが生まれる根本原因のひとつに、「アイデンティティ」がある。
アイデンティティとは、「同一化」。平たく言えば、「私は○○である」といったような定義づけ、意味づけ、ラベル貼りを意味する。
もっとも、何にアイデンティティを感じるかは、人によって大きく異なる。最も分かりやすいのは、「所有するモノ」だという。
車、家、服、時計・アクセサリー・・・。「モノ」に自己イメージを投影している人は多い。「ニューアース」には、「祖母からもらった思い出の指輪を紛失してパニックに陥った、余命数ヶ月の末期ガン患者」の例が出ている。
「私には、あの指輪がないとダメなんです・・・」と悩む、末期ガンの女性。ついには、世話をしにきている人に盗られたのではないかと疑った。結局、指輪は生前には見つからず、死後にバスルームの棚で発見された・・・。もしも、亡くなる前にエックハルト・トールと面談してアドバイスを受けていなければ、安らぎを得られずに終わったことだろう。
モノ以外で、自分を同一化させる対象といえば、なんといっても自分の「身体」。
「男性であるか、女性であるか」という、性別がその最たるものだ。多くのひとびとの自尊心は、肉体的な力や器量、容姿、外見などと強く結びついている。身体に、コンプレックスを抱えて生きている人も多い。
身体は、本来は形のない意識体である自分に、輪郭をもった「形」を与える。これが、強固なセルフイメージになるのは仕方がない。ただし、身体には老衰と死がつきもの。「身体」を「自分」だと思い込んでいれば、遅かれ早かれ、きっと苦しむことになる・・・。
それに加えて、さらに重要なアイデンティティの源がある。それは、「思考や感情のパターン」だという。
われわれの頭や心の中で流れ続けている思考や感情は、身体と同じように、強固なセルフイメージになっている。あたかも、川を流れ続ける水が、川のアイデンティティになるようなものだ。
長い間、頭の中でなり続けている声、「古いレコード」。これが、「エゴ」の自分そのものになってしまっているようだ・・・。
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言葉と(本当の自分)って結構距離があります、
なんかだんだん口数が少なくなってきています。。。
「ありのまま」の現実を受け入れるのって、けっこう難しいですよね。エゴは、常に幻想を盛り上げ、不平不満をかき立ててくる・・・。
> なんかだんだん口数が少なくなってきています。。。
特に、「頭の中の声」が少なくなってきます。