宇宙のこっくり亭

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すべてのことを、輪廻転生を前提にして考える その2

2015年06月02日 | 精神世界を語る

 

「輪廻転生」は、地球人類にとって決して耳に新しい話ではない。古代インドでは、とっくに研究されている。現代人には想像を絶する情熱を持って、深く深く研究していた。現代ならノーベル賞級の科学者になるような人だって、この分野の研究に集中していた。


新興宗教の教祖は、よく「古い教えは、もはや死にました。現代において、この私が語る新しい教えこそ、究極の真理なのです」というような言い方をする。確かに、そうでも言わなきゃ教祖になれないだろうから、当たり前といえば当たり前なんだが。

でも、信者が「この教えを誰もが信じるようになれば、世界は変わります。地球人類は、一段階上のステージに上がるのです」とかなんとか言ってるのを聞くと、異和感をおさえきれないものがある。でもって、その「真理」の内容を聞くと、「霊界は実在します。人は生まれ変わっているのです」というのだから、「それのどこが、究極の真理なんだよ?」と思わずにいられない。

もしも本当に、「人は生まれ変わる」という信念が、世間の人々に広まることが人類の意識進化だというのなら、古代インド人は、とっくに集団でアセンションしているはずだ。むしろ、インドでは、それが常識であり、「人は生まれ変わらない」というほうが非常識だったのだ。こういうのを、「ところ変われば、しな変わる」というんだろう。

実際のところ、自分自身を振り返ってみても、幼少の頃から、「人は生まれ変わる」というのを当たり前のように考えていた。あらゆることを、それを前提にして考えていた。「一度きりの人生を、悔いのないように生きよう」と言ってる人を見ると、「この人にとって、人生とは『一度きり』なのか?」とカルチャーショックを受けたものだ。「それは自分自身の考えではなく、どこかの本にそう書いてあるのを読んで、信じ込んじゃったんだろうな」という感じ。このように、世の中にはいろんな人がいて、見る角度がまるきり逆だったりすることも多い。

それはともかく、「死後世界や輪廻転生に関心を持つ」というのは、精神世界をやる上で、スタートラインとなるところ。それをキッカケに関心を持ち、そこから意識探求が始まる。とても、「地球人類に開示された究極の真理」なんていうようなものではない。それは、あくまでもスタートにすぎず、ゴールにはなり得ないのである。テニスでいえば、「まず、ボールとラケットを手に持ってみた」といったところ。ラケットを振ってボールを打つのは、それからということになる。

あらゆることを輪廻転生を前提にして考えるようになると、この世界が、まるで違ったものに見えてくる。「ボクは、こういう人間なのだ」と考えることから、「ボクは、ここではたまたま、こういう人間をやってるのだ」と考えることへのシフト。この違いは、かなり大きい。

古代インド人のように、輪廻転生を当たり前だと思っている人々にとって、「それじゃあ、輪廻転生のメカニズムを徹底的に解き明かそうじゃないか」ということになるのは、必然の流れ。

現代なら、「人は生まれ変わるのか、それとも死ねばオシマイなのか、議論しようじゃないか」ということになり、そこで議論が大荒れに荒れることだろう。でも、古代インドでは、そこのところを省略していい。というより、それについては、とっくに結論が出ていた。「人は生まれ変わっている」に決まってるんで、最初から、それを前提にして話をスタートさせてよいのである。地球人類の中でも最優秀な人々が、「輪廻転生」にものすごい情熱を傾けて、壮大な研究を繰り広げた。当然のことながら、現代の新興宗教を遥かに超えるような、深遠な研究成果が続々と出ることになったのだ。

そういうと、「地球人類は、古代から進歩するどころか、むしろ後退したんじゃないか?」ということになるかもしれない。確かに、輪廻転生の研究に関しては、現代人は古代インドのレベルから後退している。神の研究に関しては、中世のアラビアよりも後退している。でも、その代わり、それ以外のあらゆる局面において圧倒的に進歩しているから、総合力では現代人のほうが遥かに上を行っているのは間違いない。ただし、部分的には後退したというのも事実。精神世界の探求者たちは、そこをなんとかしようとしている。

話を戻すと、あらゆることを輪廻転生を前提にして考えるようになると、この人生の位置づけが、まるっきり変わってくる。「悔いのないように完全燃焼すべき、かけがえのないもの」から、「ハテしなく続く、長い道のりの途中」へと劇的に変化する。そうすると、今までは自分の全存在を揺るがすほどの深刻な悩みだったことが、「たまたま、この人生において抱えている問題」にすぎなくなる。「この人生では、問題点はココなんだな。生きてる間に解決できるかな?」という風に、すべてが途中経過になってしまう。

そうやって、「この人生」から、「輪廻転生」へと、関心の軸足がだんだん移っていく。

現代人が「この人生を、より良い人生にするには、いかにすべきか」と頭を悩ませるのと同じように、「この輪廻転生を、より良い輪廻転生にするには、いかにすべきか」と、頭を悩ませるようになる。

さらに進むと、「こんな人生は、もう嫌だなあ。ボクは、もう死んでしまいたいよ」という考えから、「こんな輪廻転生は、もう嫌だなあ。ボクは、もう生まれ変わりたくないよ」という考えへとシフトすることになる。前者は、ウツ病になって自殺につながりかねない、危険な考えだ。それに比べて後者は、別に危険ではない。このように考えている人は、ウツ病になどならない。せいぜい、奇人変人になるくらいですむ(笑)。

現代では、輪廻転生について語ると、「夢のあるロマンティックな話」と受け取られることが多い。それは、現代人が本気で考えていないからだ。古代インド人のように、本当に真剣に「輪廻転生」を考えている人々にとって、これほど恐ろしいものは他にない。次はどこに生まれて、どんな目に合わされるか。予想もつかないだけに、これは怖い。

そもそも、人にもよるけど、まず、たいていの場合、地球での人生は苦しい。だいたい、苦しいものと相場が決まっている。たとえ今は楽しく暮らしていても、最終的には、人は老いて死ぬ。でもって、たいていの場合、死ぬのは苦しいことや痛いことが多い。それが果てしなく、無数に繰り返されるのだから、ゾッとするほどの恐ろしさだ。

とても、「夢があっていいね」などというような、生易しい話ではない。 本気なら、頭を抱えてしまう問題だ。ここから、「輪廻転生のメカニズム」の研究が始まる。

「より良い輪廻転生にするには、どうすべきなのか」ということや、「輪廻転生は、どうすれば終わらせられるのか」ということ。人類の英知を集めて、それを研究する。

自動車が走るのは、ガソリンのおかげ。電車が走るのは、電気のおかげだ。それと同じように、人が輪廻転生を走り続けるのも、何かが動力源になっているはず。それが何なのかを、古代インド人は研究した。


(つづく)


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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (とん)
2015-06-02 22:50:14
ウギャー!(^_^)
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Unknown (ほらん)
2015-06-04 11:07:41
んー、面白い。。

>人が輪廻転生を走り続けるのも、何かが動力源になっているはず。それが何なのかを、古代インド人は研究した。

これ。何が動力源だろうか。
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Unknown (2485)
2015-06-04 23:27:48
満たされなかった欲求が生み出す執着が転生の動力源だと言われています。
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Unknown (Unknown)
2015-06-05 00:02:58
モチベーション全否定っていう感じか、、

やっぱ輪廻転生説て暗いなあ。。
そら人は他のスピに行きたくなるわな。
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輪廻転生 (孤独な鳥の条件)
2015-06-09 00:40:53
輪廻転生を前提にして考えると世界はずいぶん違ったふうに見えてくるのですね。

ぼくは輪廻転生を信じることができていません。かといって否定論者でもなく、死後の世界を知りたいため興味はあります。

古代インドで長く研究されてきたことなんですよね。そういえば。
多くの人たちが多大な時間をかけて、沈思黙考したり、変性意識で見いだしたりと。

ただ、他人の体験はどうしても自分のものとして消化できません。こんな自分は、スタートラインにすら立てていませんね・・・。
真剣に知りたいです。
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Unknown (Unknown)
2015-06-09 05:13:20
本当のところどうなんでしょうね、輪廻転生

死んだら生まれ変わりはないとする説もあるし、この話題は永遠に続くかな
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Unknown (Unknown)
2015-09-05 12:13:30
こっくりさんどうしてるかな
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Unknown (Unknown)
2015-09-19 20:17:52
こっくりさん、うつは良くなりませんか?
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Unknown (Unknown)
2015-09-20 16:03:21
疲れたねー

これからお風呂
本当は温泉に入りたいが

まあいい

海を眺めながら汗をながそう

自分へのご褒美だ
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