アメリカの企業や大学で取り入れられている瞑想は、「マインドフルネス瞑想」と呼ばれる。これは、「集中力と注意力を強化する瞑想」 。
「マインドフルネス」という英語には、ピッタリする日本語の訳がない。普通は「気づき」と訳される。でも、「自覚、集中、覚醒・・・」とか、そういう意味を含んでいる。これじゃ意味がわかりにくいかもしれない。
マインドフルネスの反対は、「注意力と集中力が欠如している、ぼんやりした状態」のこと。マインドフルネスとは、要するに、それとは反対の状態。
古代インドの昔から「サマタ瞑想」と呼ばれてきた瞑想と、とてもよく似ている。・・・ていうか、元ネタが「サマタ瞑想」のは明らか。キリスト教文明のアメリカでは、こういう仏教的なモノが、妙に歓迎されたり、逆に反発されたりする。その点、日本とは文化的な土壌が異なる。
とはいうものの、専門家によると、「瞑想は、マインドフルネスを実践するための手段のひとつにすぎない。瞑想のほかにも、いろんな手段がある」ということなので、マインドフルネスといっても、必ずしも瞑想とは限らないみたい。要するに、マインドフルネスとは、集中力と注意力を強化すること。
これは、うつ病の治療にも使われる。瞑想は、心の安らぎにつながる。うつ病に効果があるのは、確かだろう。でも、もっと直接に効果があるのは、注意欠陥・他動性障害(ADHD)の治療だろう。
ADHDは、病気ではない。単に、注意力と集中力が欠如しているだけだ。だけど、人間が日常生活を送る上では、大きなハンデになる。たとえば、山手線や大阪JR環状線の電車に乗るとき、しょっちゅう逆方向の電車に乗ってしまったり、しかも乗り過ごして引き返したり。あげくのハテは、電車の中で切符をなくして、ゴソゴソと探してみたり・・・。筆者も、かつては、これに悩まされたものだ。
何かひとつのことに向かって意識を集中することにより、極度の精神統一を図る。これは、古来から「サマタ瞑想」と呼ばれ、インドでは「ヴィパッサナー瞑想」と並ぶ、2大瞑想のひとつとされている。ADHDの人は、言ってみれば、スタートラインより50mくらい後にある地点から走り始めるようなもの。大リーグボール養成ギプスをつけて投球練習する星飛雄馬(・・・ちと古いか)みたいなもので、それだけに収穫も大きい。
・・・と、まあ、理屈をひととおり並べてみたわけだけど、なぜ、「集中力を強化することが必要なのか?」というのが、素朴な疑問というものだろう。
世の中、意識を変える「気づき」の話は、いくらでもある。たとえば、精神世界の指導者の話を聴きに行き、「過去も未来もありません。いま、ここが全てなのです」と言われて、「なるほど!」と、目からウロコが落ちる。それで、悟ったような気になるのはカンタンなんだけど、多くの場合、それは「意識の覚醒」ではなく、「気分の変化」でしかない。
精神世界の話を聞いて、悟ったような気分になったところで、時間がたてば、いずれ元に戻る。スポーツと同じで、精神世界も、他人の話を聞いたくらいじゃ足りない。それを自分のモノにするためには、「訓練」が欠かせないのだ。
太陽光線も、そのままでは、「ポカポカと暖かいなあ」という程度でしかない(・・・まあ、真夏とか熱帯なら、かなり熱いけど)。白い紙を、外に置いておくと、変色して茶色になる。その太陽光線を、虫メガネで一点に集中すると、その中心は白銀に、まばゆく光り輝く。やがて、紙はメラメラと、炎を上げて燃え始める。
それと同じように、人間の意識が持つパワーも、マインドフルネスによって、強烈に増幅される。世間の一般人の平均的な意識とは、そのへんの蛍光灯と、レーザー光線ほどにも違ってくる。
重要なのは、「いま、ここ」という一瞬に、全力を集中すること。過去の反省とか、未来への希望とか、そういう余計なモノを付け加えることなく、自分の全存在を賭けて、いまという一瞬に完全集中する。まるで、剣豪・宮本武蔵の真剣勝負みたい。
意識を覚醒するためには、こうやって、レーザー光線のように、意識パワーを増幅することが欠かせない。
言うのはカンタンだけど、すぐには出来ない。訓練だから、時間がかかる。
たとえば、他人の話に、一心不乱に耳を傾ける。たとえ、いつも同じ話をするグチっぽい人であろうとも、幼児やオウムの片言であろうとも、じっと集中して聴く。
いつもと同じ、駅と自宅との往復であろうとも、意識を集中して歩く。そうすると、予想外に多くの気づきがある。「人間というのは、日頃は、周囲の景色や音声といった、情報の1割くらいしか取り入れていない。残りの9割については、無意識にシャットアウトしているんだな」ということが、よく分かる。
古代インドの昔から、しばしば推奨されてきた手法は、「自分の呼吸に意識を集中する」ということ。
鼻から出たり入ったりする息に、意識を集中する。「1、2、3、4・・・」と、ゆっくり息を数えてみたり。なんの意味もないものだから、雑念が起きない。スマナサーラ長老たちがやっている「ヴィパッサナー瞑想」のセミナーでは、「息を吸ってます。いま、吐きました」という風に、実況中継したりする。
やり方はいろいろあるだろうけど、意識を集中することに変わりはない。
「いまという一瞬に集中する」というと、マジメな人ほど、「いま現在、取り組んでいる仕事や勉強に一生懸命、取り組むことだ」というような意味に取りやすい。でも、むしろ逆に、そういう社会的に有意義なことよりも、「鼻から出たり入ったりする息」というような、意味のないことに集中したほうが、より効果が高いのである。
「いまという一瞬に集中する」というのと、「いま、やっていることに集中する」というのとは、似てるけど、ちょっと違う。何かに取り組んでいる必要は、特にない。むしろ、一番いいのは、何もせず、ジッとしているときだろう。
(つづく)
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ってまったくわからないんですよ…(ノ_-;)
思考を止める(過去と未来への妄想から離れる)
とはまた違うのでしょうか??
どんなに今ここ状態をキープしても、
そこから日常の3D世界に戻ったら、時間経過してます。
太陽が西に傾いていってます。
時間は確実に流れている。
瞑想したとしても、そこが今ここだったのかまったくわからずじまい。
今ここにあったとしても、次の瞬間には、時間に追われ続ける日常が横たわっれいる。
今ここには、支払うべき請求書も、稼ぐべき金も、直面する難題、困難もない。
っていうけど、今ここ にそれはないけど、今ここ離れたらある。
ずっと今ここキープはここ地球では不可能。
時間があるから。
時間は幻想 時間はただの概念
っていう理解がある宇宙人さん方には 今ここ は簡単でしょうが…
この3Dに囚われて生きる、目覚めたいワンダラーに、
今ここをわかりやすく教えていただけないでしょうか。
>思考を止める(過去と未来への妄想から離れる)
とはまた違うのでしょうか??
ほぼ、同じです。
ただし、この地球環境で、時間をまったく意識せずに日常生活を送るのは、無理があります。気の持ちよう次第で、それが可能になるというのは、ウソだと思う。
それでも、瞑想によるトレーニングをすれば、日常生活での意識も、少しずつ変わってきます。
どちらがピンと来やすいかは、人それぞれだと思うので、どちらか一方を取ればいいでしょう。
「思考を止める」という話がわかりやすいのなら、「いまここってのは、思考を止めることなんだな」と理解する。逆もまた、然り(笑)。
あちこちで瞑想だとか、今を生きてみるだとか、…今月はいよいよ来たかな。(^_^)
>今ここには、支払うべき請求書も、稼ぐべき金も、直面する難題、困難もない。
っていうけど、今ここ にそれはないけど、今ここ離れたらある。
ずっと今ここキープはここ地球では不可能。
請求書などはない、というのは、別次元とか神たる宇宙とか、そういう意味合いでの「今ここ」でしょう。
ずっとキープは無理で、あちらやこちらをふらりふらりとするもののようです。
「今を生きる」意識なら出来るでしょう。
例えば、請求書がきたら、支払い伺いをして、支出をするということを体験してゆくこと。
ここには、どうにもならない過去のことをずっと悔やんだり、起こってもいない未来への不安で行き詰まり、堂々巡りで前進できないという状態にはないわけで。
仮に神との遭遇(その世界との遭遇)の体験をしても、その後は、やはりこの世界で生きるので、請求書も宝くじもあるし、花も青空もありますね。
そういう意味で今を生きてゆく、という意味合いならより現実が生きやすくなると思いますね。
瞑想で大いなる源とつながりやすくなれば、また良いんじゃないですかね。
…は。そうですね、難しい。。。
それでも、「今ここ」しか考えられない、ってことでもあるように思います。
…というか、「今ここ」しか、感じていられない、ということでもあるのでしょうか。。。
それは執着が無い状態。今、直面していることにしっかり対応する。もちろん、ちょっと未来の予定されたこと、すべきことにはある程度準備はする。それ以外はただ淡々と。。。
過去のことはあまり振り返らない。反省すべきは反省するけど、それを教訓として自分に落とし込んだら…おしまい。
恩義を受けたら忘れないけど、感謝はしても必要以上に(それで)自分を縛らない。
それでも、その都度他人に対しては誠実に、寛容に。そして思いやる。そうは言っても流されない。
とまぁ、以上のことが正しいのかは全くわかりません、ハイ。(汗)
ただ、ここ数年の私自身がそんな感じになっているので。
過去や未来のことをあれこれ考えてみても、そうすること自体が続かない。昔は…一時期ですが、けっこう執着や自己憐憫もありましたけどね。
過去の困難で辛かった出来事を無理やり思い出してみても、それは昇華されて、(自分ではなく)誰か他人の人生だったように思えるし、将来の不安(たとえば生活できなくなる)ってことで吐き気がするほどの状態になったりしてたのに、現在は…状況は変わっていないのに、対策を考えたりが持続できないです。不安も心配も続かない。。。 まぁ嬉しい気持ち?も続きませんけど。
自分の正体!?を知ってから、…よけいに、そうなりました.。(上に?)下駄を預けた、ってこともあるのかもしれません。
真剣に考えなきゃならないのに、どうしても…何故かできない、というか、考えてもその状態が長続きしない。どんなにそうしなきゃと思っても。。。 「こうしたい!」という欲求も続かない。(滝汗) ホンと、もう、神のみぞ知る!って感じです。
まぁ…異質な存在が仮面を被って「普通の人間」を演じ続けてきたのを終わりにして、本来の異質な自分に納得しただけなのかもしれませんけど。(苦笑)
それでも、どうしたら生活を立て直して…生活しながら誰かの(他人の)役に立てるのだろうか?と、折に触れて繰り返し自問してます。エンドレスです。(爆)
何にしても、どのみち私には「普通の(当然あるべき姿の)人生」は無いらしい。逆立ちしても叶わない。。。
もっとも、これまでもそうでしたけどね。(微笑)
ということで、失礼しました!
>04月12日
グランドクロス
パワフルで歴史上重要な一週間にようこそ。今週はあなたの人生を一変する可能性を秘めています。皆既月食が起こるのみならず、活動宮(牡羊座、蟹座、天秤座、山羊座)で惑星が「グランドクロス(大十字)」を形成するのです。
これらの星位はイニシアチブ(自発力)とリーダーシップ(統率力)を人に付与するとみなされています。
牡羊座に入っている天王星が、蟹座に入っている木星と直角を形成します。
一方、木星は天秤座に入っている火星と直角を形成します。
さらに火星は山羊座に入っている冥王星と直角を形成します。冥王星は小さいながらも強い力を秘めた星です。
今週は、すべての人にとって、建設的なことなら何が起こってもおかしくない週といえます。
メール、ありがとうございました!!
ブログの写真集、楽しんでます(^-^)/
2014-04-11 19:42:49さん
青い猿さん
「今ここ」の回答、具体的な助言ありがとうございます。m(_ _)m
:コンサルさん
>「いまここってのは、思考を止めることなんだな」と理解する。
これでいきます!d(´▽`*)/アザ~ス★“+。・;*;・゜
やはり誰かに断言してもらうと、迷いなくいけますね。
:2014-04-11 19:42:49さん
>瞑想で大いなる源とつながりやすくなれば、また良いんじゃないですかね。
>「今を生きる」意識なら出来るでしょう。
もう数年ほど瞑想していますが、なかなかソースとの繋がりが実感できずにいます。
紫色の炎のようなものはしょっぱなから見えてます。それがソース?
と思いきや、ソースと繋がった人からいわせると、脳内快楽物質が出たり、疑いようのないエネルギーにつつまれたりといったものだそうで…
確か、私の見ているソレは、バイオレットフレームだと。。。
全能の力を持ってるとのこと。使えるのかな?
ソース(源)を瞑想で探ってみます。
日常での「今を生きる」意識、実践してみます。
多分、瞑想でそれを求めているから理解できないのかもしれないです。
:青い猿さん
>とまぁ、以上のことが正しいのかは全くわかりません、ハイ。(汗)
その、以上のこと、述べてくださってありがとうございます。
激しく゜・:*【感謝】*:・゜
感じることについて、味わうことと匂い、触る は今ここでしかできませんからね。
食べてるときに、思考しないで味覚に集中してますが、もうちょっと他にも広げてみます。
自分もー 正体というか、役割を知ってから
>「普通の(当然あるべき姿の)人生」
がないことを悟りました。その 俗世的な「普通」 の破壊が役割のひとつであるようでして(^^;)
なかなかそれができないし、諸行無常がこの世の常ですので、やっぱり思ってみても続かない。
自分、ADHDなので集中力にかけるから、今ここがわからないのかと思っていました。
回答もらって、集中力とかあまり関係ないよなって思えました。
やっぱ、具体的に、しかも文にして回答もらうのと自分で自問自答で無理やり納得させてやるのでは格段の差ですね。
それらを続けることで、今ここをもっと理解できればと。
皆様、回答ありがとうございました。
感謝します。
どうもお久しぶりです。写真、楽しんでいただけて光栄です。
ありがとうございます。
さて。
のりさん の、
>感じることについて、味わうことと匂い、触る は今ここでしかできませんからね。
食べてるときに、思考しないで味覚に集中してますが、もうちょっと他にも広げてみます。
ということで「味」を例にとって考えてみました。(間違ってたら、すみません)
そうですね、食べている時間の流れの中で「味」に集中していることは、その瞬間、瞬間、が「今ここ」ですよね。
けれど、食べ終えて「おいしかった」という満足の余韻に浸ったら過去に生きているのと同じ。
「また今度(いつか)食べたい」と思ったら「今」ではなく「未来」を生きることになります。
こられがある程度長期になれば執着となります。
「今ここを生きる」という意味においては、雑念になると思います。
人間とは…かなしいかな、過去や未来に捕らえられて雑念を抱くように出来ているんですよね。
上記では「味わう」という罠にはまってしまう場合です。食べてるその場での「美味しかった」で終われば、今を生きただけなのですが。
食べ物を口にして、それが持つさまざまな性質がミックスしたものを感じて、それが自身の感情を呼び起こし、一体となってしまう。物質である肉体と同化しているがために。
特に「心地良さ」は麻薬のように?人間を捕らえて放さない。。。
だからそれを思い出して維持したい。再現したいと…思うのですね。無意識に。。。
それが人間。普通の人間のツクリ。
実は…私は殆ど同化していない人間です。つまりズレているんです。けれど、ちゃんと重なって同化する状態を経験したことがあるので、その辺りのことがよく?わかります。『皆、人間やめられないワケだ』って。(微笑)
そして、ズレている人間の私は、「味」についての反応も淡白です。
私は、食べた瞬間「美味しい」と感じても、どの程度…どのように美味しいのかわからない。
どんなに上手なシェフが作った素晴らしい料理でも、ファスト・フードの美味しさと大差ないのです。
申し訳なくも。。。
もちろん、素材の味や感触など、けっこう微妙な識別は、かなり出来るほうだとは思います。
けれど、こと「味わうこと」に関しては、感情に訴えてくることが殆ど無いために、コメントできないのです。自分にとってはそれが「美味しかった」部類に入るのか「不味かった」に入るのか、あるいは「どちらでもない(フツウ)」なのか、ただそれだけ。。。
その事実だけが残るのです。もちろん味の違いとか舌や歯との接触による感触も残りますが、そもそも感覚が皆と同じ土俵にいないので大雑把な表現だけになってしまいます。
私にとって「味」とは、あまり感情に結びつかない一過性の感覚現象にすぎないため、その瞬間というか短時間のものでしかないのです。
だから、「味」に関して過去にも未来にも生きることはない=執着が無い=雑念が湧かない、というわけです。(全く無いとは言い切れませんが)
食べてるときは、特段の感想・感情は無くて、淡々と口に運んで噛んで呑み込んでるだけ。味に集中もしていない。…けど、たしかに何も考えてない。(爆)
ま、お腹が空けば何かしら「食べたい」とはなります。食欲という本能はあるようで。。。(笑)
不思議の人=青い猿 の謎?の一部をカミングアウトしちゃいました。。。(汗) でも、ま、いいっか!
これ以上(以外)は…今はまだ…言えない。。。
では~
回答もらって、集中力とかあまり関係ないよなって思えました。
確かに、そこは気にするところじゃないですね。
スポーツや武道とは違って、「集中力で勝負が決まる」って世界じゃないんで。