カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

夏季休暇の余韻3 森崎和江*中島岳志 『日本断層論』

2012-08-31 18:20:40 | 本日の抜粋

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中島 森崎さんは、『からゆきさん』のころ、からゆきさんにも産んだ女と産まない女の断層があると意識されてきた。そこから目を背けず、問題に真っ直ぐ向き合って、話を聞こうとされてきた。ここまでのお話から、森崎さんはさまざまな場面で、すごくしなやかにいろんなものを乗り越えられてきたという印象を受けました。
森崎 それしかできなかったんですねよね。どうしてか分かりません。意識してそうしたわけでもないんですけども。それでその見えてきたものについて、「なぜなの?なぜこれがあるの?」って、その人たちに近づいてしまうんですよ。そしたらまたその人たちが受け止めてくれる。「泊まりなさい」とか言ってね。たいていどこに行っても泊まれって言われました(笑)。方言も最初は分からなかったんですけれども、二、三日もすると、わかるような気がしてね。文字よりも仕草、身体表現とそして日常的な食べ物だとか、そういう暮らしの中での交流みたいなのは、とても具体的というか、そしてある意味で、「日本の断層」を知らせてくれる、そういうことがありましたね。
中島 そこがすごいと思います。やっぱり、自分がある枠組みをつくった瞬間に見えなくなるものって、たくさんあると思うんです。その枠組みを作っては壊し、つくっては壊し。森崎さんは、壊すことをまったく厭わないですね。そこに他者がいることをまず尊重する。そして耳を傾ける。
森崎 「異質な他者を受け止める力が、どうして日本にはないの?」と思うわけよ。それは意識してきました。

 森崎和江*中島岳志 『日本断層論』より NHK出版新書

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83歳になる森崎和江。
孫の世代に当たる中島岳志が福岡県宗像市の国民宿舎に三日間泊まり込んで集中インタビューを試みてくれた。

インタビューの場所もらしくていいや。

おかげをもって、今まで断片的にしか受け止められなかった森崎和江の通史が整理されることになった。

それにしても、森崎和江の自然体、というのは凄い。
思い返せば、森崎和江の中に、政治的な振る舞いというのは一切なかった、、、。
人からアカと呼ばれても、そこにある実態は割烹着を着たおばさん。
ただそれは、我が子のためとか、我がだんなのためにと限定されたものでなく、不特定多数の未組織労働者、不可蝕選民にも対応した割烹着、だったということだ。

この20行の抜粋の中にも、その凄さが詰め込まれている。

無意識の意思。
会話不能でも意思を通じさせる。
警戒心をほどくどころか、寄り添って寝て行け、とまで言われる。

異質な他者をとことん受け入れる森崎の振る舞いを、天性のもの、資質によるものと、いわばあきらめにいた心境で眺めるのでなしに、自らの課題として行きたいものである。

徳さん、老い先短いが、、、、。


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夏期休暇の余韻2 千葉市泉自然公園

2012-08-29 20:21:47 | 本日の患者さん
桜の名所というのを真夏に訪ねた。
見出し画像を見ても、そんな風には感じられないだろう。
そこがいいのだと徳さんは主張したい訳だけど、、、。

千葉市郊外の泉自然公園。
高校時代のポン友との散策だ。
お互い、介護保険適用になった年頃なので、その広い空間を持て余しながらも、あくまでマイペースで、その一画をそれなりに楽しんだ。



この公園としては時期はずれなのか、訪れる人は少ない。
途中で、ベンチに腰掛けてるおじいちゃんに話しかけられる。
「ここは昔田んぼだったんだ。
それを埋め立ててこんな風にしたんだ。
ここは、いいよ。
おにぎりを一つ作ってもらって、そしたら一日中いられる。
なにしろ金がかからねえ。
あんたの子供はもう働いてるんかい?」

どうやら、このおじいちゃん、日中の家での居場所がなく、こうして毎日この公園のベンチに腰掛けて、道行く人に話し相手を求めているらしい。

丸っきりの千葉弁は聞き取りにくかったが、何とかお相手つかまつった。
釣り人じいさんに見事釣られたといったところか、、、。
話を切り上げるタイミングはかなり難しかった。



夏の終わりとして蝉たちが狂ったように鳴いている。
水流が今ひとつの池には亀が波紋を作っている
鯉がいる。
トンボがいる。
時折、ウシガエルか?姿は見せないが存在だけはアピールしてくれる。
看板のカワセミにはお目にかかれなかった。



日頃、ボーっとして生きてるのだなあと反省させられるほどに、この公園の空間の片隅の細部に、猛然と注意を寄せた徳さんでありました。


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夏季休暇の余韻 宮台真司*大塚英志 『愚民社会』

2012-08-28 17:13:20 | 本日の抜粋

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 大塚 それは要するに「子供たち」といいながら、自分の子供以外に、あるいは他者に普遍化出来ていないんです。西の方が安全ということで広島に疎開した人間がけっこういますけど、それってかつて被爆地であった広島の側から見るとちょっと無神経かもしれない、と感じないのか。それでも大江は「無理」をして、大江の実在としての「私と子」を普遍化しようとして、その「無理」を大江は自分に課している。しかし、今の反原発はヒロシマ・ナガサキにも、イラクの劣化ウラン弾で被爆した「子供」へも、震災以降も平然と入港し続ける原子力空母や原潜へも――これって「小型原発」つきの船ですよね――広がらない。そこまでいう「サヨク」は相変わらず少数です。普遍化する気がさらさらないほどに閉じている。自分の子供を契機とする限り、その思想はそれこそ世田谷レベルの地域共同体から出ることはできないのではないですか。(中略)
母と子の関係とか父と子の関係とか、その一体的関係は、これが先ほど宮台さんがいわれた反抗期がないという問題や、親の振る舞いとも関わってくると思う。
 親の側にも子の側にも、母と子の関係、子と母との関係を敷衍化しているような思考がたぶん出来上がっていないんです。
 だからぼくが今、一つだけ「子供」の問題として危惧するのは、母親の放射能パニックの中で自我を形成していくことになる「子供」のこれから10年後、のあり方です。これは本当に注意をうながしておきたい。彼らは10年後、様々な名で呼ばれ、論じられるはずです。

 大塚英志*宮台真司 『愚民社会』より 太田出版

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3.11、3.12の地震・津波・原発事故以後、急に元気を取り戻し、被災地に駆けつけ、一年半後の現在も現地でボランティア活動をしている人が徳さんの身近にもいる。

被災地の現状を伝えようとして、自分の持ち場でその人にふさわしい活動している人もいる。
被災地の障害者を招いて講演をしてもらったり、被災地の子供たちの活動を紹介したり、、、。

毎週金曜日の首相官邸前での反原発デモに参加している人も多くいる。

でも、この二人の対話は、ある意味でそんな彼らの行動に水を差す。

自らの内面の検証を不徹底なままに行動しても、この日本のいい加減な仕組みは変わらないよ!と。

復興が叫ばれている。
地域共同体の復権が叫ばれている。
技術面での復興はいずれ解消されるだろう。
核廃棄物の処理は棚上げにされたままにだが、、、。

しかし、問題なのは、個の確立、主体の形成だと、、、。
ほとんど、それが崩壊状態の中で、お二人は悪戦苦闘をしておられる。

学者二人の対話は、難解な言葉が行きかい、徳さん、いささかグロッキー、、、。
特に宮台さん、その志しと行動力、人を目覚めさせんとする思想上の作戦は拝聴しますが、もっと噛み砕いて呉れないと、、。

自ら進んで愚民になってしまいますよ。


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患者さんの事を忘れた訳ではない、ぎっくり腰チャーぼう

2012-08-27 19:50:12 | 本日の患者さん
このブログの本筋は患者さんとのやり取りである。

施療は正攻法から始めるが、その正攻法がほとんど通用しないのが生身の患者さんである。
ならば、この手はどうだ!と患者さんの体に問いかける。
当然、上手くいく時もあれば、そうでない時だってある。

この業界、施療士の本質的な悲劇というのは、上手くいった時の情報は入りやすいが、失敗例の報告はなかなか手に入りにくい事にある。
失敗例の患者さんはほとんど黙って去っていく。
(そんな事情もあってか、この業界、やたらと天狗が多い。
失敗例を知る事が封鎖されているのだ)

さきほど施療したチャーぼう、どちらの結果になるのだろうか?

自宅でグラフィックデザイナーとして生計を立ててるとおっしゃる。
一日中、座りっきりであることが多い。
締め切りにせかされ連続12時間を越える作業なんて日常茶飯事とおっしゃっる。

ガンバリズムは良い。(とも言い切れないか?)

問題は頑張っている時のチャーぼうの仕事姿勢だ。

一心不乱で仕事に精出してる姿勢は背骨への負荷はメチャクチャ増になっている。
加えて、チャーぼう、この10年間で10キロも体重が増えている。

今回は、チャーぼう自身がそのことを自覚して、運動療法を開始して、そのやり方にちと無理があったという結末であった。

ねばならぬ、という発想はほどほどに、、、、。



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夏季休暇第4弾 矢部史郎『3.12の思想』

2012-08-26 19:54:39 | 本日の抜粋

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 放射性物質が拡散してしまった状況の中で、問題は原発の安全性ではないのです。問題の中心は、拡散した放射性物質をどうやって回収するかです。


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 問題の中心は、関東平野が汚染されてしまったということです。首都圏の巨大な人口とそれを支える関東平野が機能不全に陥るかもしれない、その衝撃を回避するために、暫定基準値は最大のザル状態にしなければならなかった。政府が、そして私たちが、「3.12」を直視できない理由があるとすれば、それは、首都圏が被災地であるという事実を是認できないからなのです。
 今後、放射線による健康被害が表面化する時期が来るでしょうが、その時に最大の被曝者人口を抱えるのは、千葉・茨城・東京・埼玉・神奈川の首都圏です。

 **
 これは歴史上かつてない規模の人体実験です。人間は放射能と共存できるのか。どれぐらいの濃度なら共存できるのか。放射性セシウムが降り注ぐ環境では、どんな人が病に倒れて、どんな人が元気に生きられるのか。そういう実験です。


 **
 首都圏の巨大な人口が『3・12』を否認して問題を直視しないのならば、その否認が続くあいだ、爆心地の福島県民は地獄をさまようことになる。土壌検査、避難措置、医療体制、賠償問題、すべてが遅れていきます。関東が平静を装うために、東北と北関東が巻き添えにされていきます。そして『絆』だとか『国民』だとかいう号令をかけて、できもしない『再生』を約束して、被曝被害を拡大させてしまうわけです。

 **
 あの日以来、私たちの認識は大きく転換しました。人々は、「原子力発電がどのように管理されているか」ではなく、「原子力発電を持つ国家は、社会をどのように管理するか」ということに関心を向けるようになった。

 矢部史郎 『3・12の思想』より 以文社


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アナーキスト、矢部史郎は「3.11」を自然災害として、「3.12」を「東京電力放射能公害事件」として、はっきり区別して問題を明確化させようとしている。
今後、何十年か、もしくは百年単位に及ぶかもしれない公害事件として取り組む覚悟というものが、伝わってくる。

人々の「パニック」「ヒステリー」を堂々と肯定するところから、『原子力資本主義』を批判している。


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ニーニャ、無菌切腹

2012-08-25 20:36:09 | 本日のセロ&ニーニャ
ようやくニーニャが自力で部屋の中を歩くようになった。
まだ、弱々しいが、日ごとに回復してくれてるようだ。
まだまだ、カメラレンズに向ける表情は恨みがましく、弱々しいが、、、、。

2012年8月20日午後1時、国分寺市内の某動物病院にて卵巣・子宮全摘手術を受ける。
生後、11ヶ月の時点である。

「見ててもいいですよ」
との先生の誘いに乗って、徳さん、ネコの避妊手術の一部始終を目撃する事になった。

検温など一通りの健康状態のチェックの後、注射一本。
副交感神経の働きを抑える薬だとか。
15分後にもう一本。
今度はモルヒネ系の麻酔薬。
この時点で、ニーニャの記憶は無くなる。

手術台の上で大の字に手足を紐で結ばれ、まずはお腹の毛を電気バリカンで剃られる。

実は徳さん、今回の二ーニャの手術で、一番傷ましく感じられたのがこの剃毛。

なにしろ、ニーニャの毛並はペルシャ猫とタイマン張れるほどに素晴らしい。
細く、長く、柔らかく密生している。
一本一本の抜け毛は軽く、空中を浮遊する。

捨て猫由来の生い立ちに想いを馳せれば、これはもう、ざまあ見ろ!と言うほどに快挙なのだ。

それ程立派なニーニャの腹部の体毛が、心無い電動カミソリで無造作に刈られる。
ああ、無情!

徳さんが余りにうろたえると、家人が冷静に一言。
「騒ぐ視点が狂っとる。毛はまた生える!」

衝撃だったのは、刈り取られた後の、ニーニャの地肌だった。

これが、美しい。
白い腹部の肌をさらし、小さな乳首が点在する。
おへそもどうやら顔を出したようだ。

そこに、ヨード系の茶褐色の消毒液が塗られる。

事態は、現実に晒された、、、。

メスが入ってからの実況報告は、また機会があったら、、、。

そして、困難に出会った動物の、本能的な振る舞いについても、、、。



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夏季休暇第3弾 帚木蓬生『ヒトラーの防具』

2012-08-24 16:33:39 | 本日の抜粋

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 息づかいが日増しに荒くなっていた。体力の衰えとともに、癌細胞が肺を思う存分食いつぶし始めたのだ。クリング医師が往診に来たとき、必ず出口まで送って行ったが、
「長患いしている患者は、これまで幾人も診てきた。しかし不潔にならずに、病人特有の臭いもしない患者はヒャルマーさんが初めてです。あなたには感謝します」と言ってくれた。
 恐縮するのはこっちのほうだ。爆撃のあい間をぬって往診してくれる医師がいるとは、ドイツ医学も捨てたものではないと思う。

 帚木蓬生 『ヒトラーの防具』より 新潮文庫

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夏休み突入前の枕元に、10冊程の本が積まれた。
この休みを利用して読んでやるぞとの意気込みだ。
もちろん短期間にそんな読破など出来はしない。
それは分かっていたが、手を付ける順番が自分でも情けない。
読みやすそうなものから手を出す、、、。

かくして連続で帚木さんのお世話になりました。

帚木さんの人柄については、前々回のブログの本日のおまけでたっぷりと紹介した。

抜粋部。

ドイツにおける第二次大戦突入直前からベルリン空爆によるナチス崩壊までが、ドイツ大使館の武官によって語られる。

ヒャルマーさんというのは、その武官である香田が借りているアパートの住民の一人である。
そのヒャルマーさんの死の前に、空爆によって、ナチス親衛隊の手によって、精神科医の兄を亡くし、恋人である我が子を身ごもったユダヤ人の恋人を亡くし、大屋である音楽家を亡くした後の香田の振る舞いである。

そこには、67年後の日本の介護体制ではとても適わない、究極の介護があった。

介護って何だ?

焼け跡の地下室で、何も無い中で、病人臭をいっさい感じさせない介護が有りうるのだと帚木さんは主張する。


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夏季休暇第2弾 鈴木智彦『ヤクザと原発』

2012-08-19 17:54:30 | 本日の抜粋

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暗黙の了解……(中略)暴力団にとって、原発のようにダブルスタンダードと隠蔽体質の上に成り立つ産業は、最高のユートピアかもしれない。

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そもそも警察が本気で暴力団を壊滅しようと考えているか疑わしい。

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「ようやく家に戻っても、なにも言えないんです。余計な噂が立って、騒ぎになったら会社もこまるし、きっと(健康のことを)心配するでしょう。あのあと高線量の瓦礫があんなにあったんだ、線量がハンパないくらい高かったんだって知って、自分が一番びっくりしちゃったこともあります」
いったん現場を離れた後、彼は病院で検査を受けた。
もう彼は子どもを作れない。

**
作業員の多くは放射能に関する専門的な知識を持っておらず、毎日のニュースすら知ることがない情報弱者という事実、、。

**
実際、東電やプラントメーカーは作業員の生殺与奪権を実質的に握っている。マスコミとの接触を厳禁し、作業内容を少しでも漏らせば誓約違反で解雇になる。

**
私が就職したプラントメーカーより、瓦礫撤去や建物の復旧にあたっている作業員のほうが、きつい労働だったと思う。
が、プラントメーカーの作業員たちは、こうした単純労働者を蔑視していた。

**
東電お抱えの医師はろくな診察をしてくれなかった。しかし他の医療スタッフは非常に献身的で、その落差が異様だった。

**
原発が都市部から離れた田舎に建設されるのは、万が一の事故の際、被害を最小限にとどめるためだけではない。地縁、血縁でがっちりと結ばれた村社会なら、情報を隠蔽するのが容易である。建設場所は、村八分か効力を発揮する田舎でなければならないのだ。
暴力団が原発をシノギに出来るのは、原発村が暴力団を含む地域共同体を丸呑みにすることによって完成しているからだ。

**
「普通にサラリーマンしてる人たちなら、『放射能は嫌だ』っていうかもしれんが、金くれる人がいい人に決まってる。それに電気なかったら困るだろう。一般的に考えて。
『じゃあいいよ、電気は売ってやらない。電気停めますよ』そう居直られたらぐうの音もでない。俺たちから言わせせば、ヤクザのやり口と一緒だよ。暴力で脅すか、他の手段で威圧するか、それだけの違いだ」

**
「汚染しているのに見てみないふりをしている。普段、あれだけやかましく汚染のことを言ってたくせに、東電は意図的に染料だけを強調して、汚染に関してはまったく触れようともしないし、マスコミもそれを報道しない。(中略)つまみを回したりボタンを操作すれば、いろいろ単位を変えられるから、すっごく汚染してても少ししか針が振れないように出来るんです」

**
「本当の放管……ほとんどいませんよ。あいつら、放射能のプロですよ。あの汚染をみたら、とてもじゃないけど敷地内に入れない。たいてい、にわか知識のヤツを集めて、がんばってって送り出すんです」

 鈴木智彦 『ヤクザと原発』より 文藝春秋

      ***********************

この本の表題は「暴力団と原発」ではなく「ヤクザと原発」だ。

暴力団専門ライターと自称している著者が、何故、あえて「暴力団」でなく「ヤクザ」としたのか?
この本を読めば分かる、、、。

彼には、都市部暴力団はともかく、地域社会に神経線維のように組み込まれている「ヤクザ」の有様は、東電や大手プラントメーカーの上品面したダブルスタンダード、隠蔽体質より上位のものとして捉えられたようなのだ。



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国会原発事故調報告9

2012-08-18 18:16:59 | 本日の原発事故調報告
今、夏期休暇中の宿題の一つとして、鈴木智彦『ヤクザと原発』を読んでいる。
もうすぐ読み終わる。

『死んでもいい人間を用意してくれ』

と、第‥次請けの現場作業の会社経営者は電力から言われたという。
死んでもいい人間をかき集められるのは、今の日本ではヤクザしかいない。
もちろん、賃金の中抜きは大前提だ。

電力は直接、汚れ仕事にはタッチしない、、、。
電力は汚れ仕事の存在を薄々?知ってはいても、知らぬ存ぜぬの態度を貫き通す。
書類上のつじつまが整合すればそれでよいのだ。

大きな利権があって、それを分配する事になる。
当然のように、それは公平でない。
その事にも無関心である。

これって何?

そう、我々が親しんでるこの社会そのもの!

多くの人が東電、電力各社をバッシングしているが、もっと己に引き寄せて考えないと自らが東電そのものになってしまうぞ。


 ***
東電のリスクマネジメントは、原子力に関するリスクを検討する会議体はあるが、それを、自然災害と併せて社会信頼の失墜や稼働率の低下に至るリスクとして扱っておりシビアアクシデント(SA)に至るリスクとして扱うことはなかった。その理由としては、原子力の安全は原子力・立地本部ラインの中で担保するもので、経営として管理すべきリスクとしては扱われていないが、そのことが、東電のリスクマネジメントのゆがみを招いた。学会等で津波に関する新しい知見が出された場合、本来ならば、リスクの発生可能性が高まったものと理解されるはずであるが、東電の場合は、リスクの発生可能性ではなく、リスクの経営に対する影響度が大きくなったものと理解されてきた。このことは、シビアアクシデントによって周辺住民の健康等に影響を与えること自体をリスクとして捉えるのではなく、対策を講じたり、既設炉を停止したり、訴訟上不利になったりすることをリスクとして捉えていたことを意味する。
 ***


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夏季休暇第一弾 帚木蓬生『受命』

2012-08-17 19:23:09 | 本日の抜粋

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 ゴットンゴットン餅をつく。
 餅をついたら、村をぬけ、川を渡って山に行く。行くのは月にただ一度。一度の逢瀬で生きられる。

 二月、千葉の丸い餅、ゴットン。  
  千葉は敷くにも好都合。道令(トリヨン)様、丸い尻を目で賞でなさる、ゴットン。

 三月、よもぎの緑餅、ゴットン。
  よもぎはこすれて汁がでる。道令様、ついた緑をなめなさる、ゴットン。

 四月、けやきの堅い餅、ゴットン。
  高いけやきを眺めつつ、道令様、俺のも堅いと言いなさる、ゴットン。

 五月、たけのこ入りの餅、ゴットン。
  紅いあたしのチマチョゴリ。道令様、竹と同じに向きなさる、ゴットン。

 六月、麦入り餅のかんばしさ、ゴットン。
  ひばりの声聞く麦畑。道令様、あたしの声も聞きなさる、ゴットン。

 七月、七夕(チルソク)明けの菱形餅、ゴットン。
  彦星織姫様よりはいい。道令様、月に一度は会えるから、ゴットン。

 八月、蜜入り甘い餅、ゴットン。
  お前の口は蜜のよう。道令様、何度も何度も吸いなさる、ゴットン。

 九月、柘榴まじりの紅い餅、ゴットン。
  皮は固いがいずれは割れる。道令様、紅い実いじって食べなさる、ゴットン。

 十月、大根蒸して餅に添え、ゴットン。
  白いお前の二の腕は。道令様、添い寝するにも気をつかう、ゴットン。

 十一月、冬至のときのあずき餅、ゴットン。
  あたしの胸のこのほくろ。道令様、誰にも見せてはおりません、ゴットン。

 十二月、黒ごま入れた白い餅、ゴットン。
  干し柿添えて持っていく。道令様、土産は雉子と酒樽、絹衣、ゴットン。

 帚木蓬生 『受命』より 角川文庫


      **************************

これは韓国(朝鮮)のある地方に伝わる餅つき打鈴(ターリョン)。
民衆の労働現場に伝わっているのもだが、春歌だ。

以前、五木寛之の『青春の門』にあった、炭鉱労働者による春歌を思い出してしまった。

作家の皆さんの資料発掘に感謝。

この本は北朝鮮をテーマにして、様々な視点からの捉え方を披露してくれているが、帚木さん、よっぽど頭に来たのだろう、金正日を彼が死ぬ5年前に暗殺してしまった、、、、。


本日のおまけ

その①


webKADOKAWAより 帚木蓬生氏インタビュウー/北朝鮮の真実を抉る衝撃作


●日曜作家の平日
─このたび、新刊『受命』が刊行されました。昨年八月に『千日紅の恋人』を出されてから十カ月。平日は夕方まで精神科医としてのお仕事もありますし、また、一千枚強の枚数を考慮しますと、非常に速いペースではないかと思いますが、いかがでしょうか。
帚木 いえいえ。だいたい年に一作ですからね。枚数も一日四枚程度。例年一千枚ぐらいは書きますから、普通のペースではないでしょうか。

─一日の生活のリズムは、どんな感じでしょうか。
帚木 四時に起床して五時まで執筆して、その後、お風呂に入ったり、朝食をとったり、ジョギングしたりして、それから出勤するまでに、また一時間くらい執筆することが多いです。二時間ありますから、四枚は書けますね。

─クリニックを退勤した後、夕方から夜にかけてはいかがですか。
帚木 クリニックは五時に終わりますから、帰宅して夕食をとり、執筆はせいぜい一時間くらいです。疲れているときは、三十分くらいで、八時には寝るようにしています。本職はやっぱり精神科医ですから、まあ、日曜作家のように書いているというところでしょうか。

─この作品の構想から脱稿までは、どんな流れだったのでしょうか。
帚木 九二年に『三たびの海峡』で朝鮮半島のことを書いていましたし、いつかまた書かなければいけないという気持ちは、以前からありました。ただ、北朝鮮の傍若無人というか、言語道断で理不尽な国をきちんと取り上げる必要があるなという気持ちを持ったのは、もっと後のことでしたが。五年くらい前から資料集めを始めて、これなら行けるという感触があったのが三年くらい前でしょうか。また、『受命』は角川書店から刊行された『受精』のシリーズ作品ですから、シリーズとしての制約もあります。それと組み合わせてできるようになったのが二年前くらいです。執筆には、去年丸々一年間かけました。


●北朝鮮の取材旅行
─平壌の街の様子や田舎の自然描写など、読みながら眼前に映像が浮かんでくるようでしたが、北朝鮮に取材旅行はされたのでしょうか。
帚木 昨年、執筆している間は行けなかったのですが、北朝鮮には、この四年の間に三度行っています。もちろん作品に出てきたところ全部は歩けなかったですけど、平壌、元山、開城と見て回りましたので、行けなかったところも、だいたいこんな感じかなというイメージをつかむことはできました。

─北朝鮮には、どのようにして入られたのですか。
帚木 旅行会社のツアーに普通に申し込んで、北京から飛行機で入りました。その旅行会社に応募すれば、犯罪とか怪しい組織に加わってなければ行けるんじゃないんでしょうか(笑)。何も問題はなかったですから。しかし『受命』刊行後は、要注意人物となって入国できないでしょう。

─北朝鮮ツアーの印象はいかがでしたか。
帚木 一言で言うと、お仕着せの旅行ですね。観光バスに乗って、主体思想塔や革命博物館などお決まりの見せなければならないコースを回らせられるという感じです。街には看板が一切ないし、スケジュールが途中で変更されます。ツアーで実際に回るコースを最後まで観光客に知らせないというのも向こうの手ですね。そのため、こちらはずっとついていくしかない。写真を撮るのもダメです。ツアーガイドがどこへでも必ずついてきて、単独行動はできないですね。このあたりのことは『受命』に書いてある通りです。


●変化する日朝関係
─『受精』の刊行が一九九八年になります。それから八年の間、日朝関係が随分変わりましたが。
帚木 そうですよね。八年前は北朝鮮のことは、それほど頭にはなかったです。拉致が判明したのが四年前ですが、やっぱりあのあたりからですね。これはとんでもない国だということが分かってきた。そのうえ核査察も拒絶していた。さらに、だんだん脱北者が増えてきて、あの国が見え出してきたということもありますね。それでこれはもう放っておけない、これを題材にしなくては、作家としていけないんじゃないかという気がしました。それは前に『三たびの海峡』を書いているからではなくて、世界にとって北朝鮮の現状は最も憂慮すべき問題ですから。これが本当の意味での動機です。ただ、角川書店での発行ですし、前作『受精』との結びつきは、課題としてどこか頭の隅にはありました。ようやく結びつくと思ったのが二、三年前ですね。取材もそれで本格化してきました。

─拉致問題が明るみに出たのが二〇〇二年九月。このとき、小泉首相が訪朝し、北朝鮮の指導者が正式に認め、謝罪したわけですが。
帚木 そうですね。でも、拉致問題は昔から囁かれてはいましたよね。それを日本政府は否定してきた。被害者の家族たちの訴えはずっとあったのです。これは日本の暗部でもあるのです。この問題が出てはっきりしたことは、北朝鮮という国は、絶対に見過ごしてはいけない国だということです。ところが、韓国は北朝鮮のほうを見ないようにして生活していますし、中国は北朝鮮に存在してほしいという腹があります。それから、米国も強硬な態度を見せてはいますが、この地球上から北朝鮮がなくなっては困るというところもあるのではないでしょうか。そのへんの力学みたいなものも、小説の中でちゃんと整理したいという気持ちがありました。

─ここへきて、韓国政府もようやく動き出した様子です。横田めぐみさんの夫が韓国人拉致被害者かどうか、DNA鑑定を行い、きわめて可能性が高いと認めました。
帚木 韓国の拉致被害者は、五百人はいるといわれていますが、それがやっぱりうやむやにされてきました。いうなれば北朝鮮というライオンを前にして立ちすくんでいるネズミかなにかの状態が、韓国ではないでしょうか。強いことが言えないですしね。金大中前大統領の「太陽政策」もその表れで、聞こえはいいですが、要するにご機嫌取りだったということではないでしょうか。


●多角度からの視点
─さて、作品の内容にふれていただきますが、北京での国際医学会で津村が北朝鮮の平壌産院にスカウトされる冒頭のシーンに続いて、津村が延吉に赴きます。
帚木 北朝鮮と国境を接している中国のあのあたりは、延辺朝鮮族自治州といって六市二県から成っています。

─中国の東北部に日本の九州より大きな朝鮮族自治州があること自体、驚きでした。
帚木 中国には朝鮮族が二百万人いますが、そのうち半数近くがこの地域に集中しています。昔は国境もなかったに等しいわけで、脱北者が出始めて監視が厳しくなるまでは、自由に行き来していたのではないでしょうか。今はもう寸断されている形ですが。

─実際にご覧になられたのですか。
帚木 延吉には一度行きました。国を隔てる川の幅が狭いから、向こう側の建物も見えるぐらいです。

─作中でも津村が川の向こうにある北朝鮮を眺める場面がありました。
帚木 表向き、張りぼてを並べて、本当に劇場国家みたいです。ショーウィンドウだけを見てるという印象でした。

─津村は延吉に赴いて、脱北者を支援するNGO活動を行っている車世奉に案内されるのですが、この車世奉という人物は中国に対してものすごく批判的ですね。
帚木 作中にも書いてますが、中国と北朝鮮を隔てるあの壁さえなくせば、北朝鮮は間違いなく崩壊します。自由にあそこから出入りができるようになれば、かつての東欧がそうであったように、どんどんそこから人々が流出しますからね。ところが、中国はそうさせない。そして、難民を難民として認めていない。まったくとんでもない話ですが、そんな国が国連の安全保障理事会の常任理事国をやっているのです。それから、今年、北朝鮮の指導者が特別列車に乗って広東あたりまで行ったのを、中国は手厚くもてなしている。旧正月前の民衆が最も忙しい時期に、極悪非道の指導者をあんなふうに手厚くもてなすなんて、もう本当に狂気の沙汰だと思います。それぐらい、中国としては北朝鮮に、現体制のまま存続してほしいということではないでしょうか。

─脱北者を北朝鮮に引き渡す、その一点に中国の本質があると車世奉に言わせています。とても印象に残りました。
帚木 絶対にそうです。この一点をもって推して知るべしです。やっぱり真実というのは、そんなに複雑なことではない。一つのことが分かれば、あとは全体が見えてくるのではないでしょうか。韓国の立場もそうだし、中国の立場もそうだし、アメリカの立場もそうです。たとえば、北朝鮮がなくなれば、日本も韓国も脅威を感じなくなり、アメリカ軍は不要になってしまう。そうさせたくないのがアメリカの立場ではないでしょうか。そういう意味では、この小説を執筆しながら配慮したのは、いろんな視点から北朝鮮を見つめるということでした。一つは、今お話に出た車世奉。これは中国側からの視点。また東源と寛順は韓国側からの視点。朝鮮総連に尽くした平山会長は在日朝鮮人としての視点です。ブラジル国籍を持つ主人公の津村は、より第三者的な目で北朝鮮を観察しますし、平凡な日本人女性の舞子もそうです。


●地に落ちた理想主義
─北朝鮮の外部からもそうですが、内部からも観察者の目が光っていました。たとえば姜将軍は、生き証人のようにこの国の歴史を見続けてきました。
帚木 姜将軍は七十代で、やっぱり建国時の朝鮮のよさを知っている世代ですからね。新しい国が戦いの後に生まれるという期待を抱いて、エリートの軍人になっていったはずですけど、途中で変質してしまった。当初の理念はこんなふうではなかったという思いは強い。そして、だんだん世代を重ねるにつれて貧しくなってゆくのを感じ出した世代ですね。そのうえ知性もあるし、理性もあったから、このままではいけないということは、肌で感じていたはずです。

─建国時の朝鮮のよさという言葉が出てきましたが、作中では先代の指導者が政権の座に就いたときから、民衆を欺く虚偽があったと書かれておりましたが。
帚木 たしかにそうですが、そのこと自体はみんな最初は知らない。それに先代の指導者には、やはり初代なりの理想主義があったのではないでしょうかね。やっぱり初代ですから物笑いにはされたくない。そう思って必死にやってきた面はあるのではないでしょうか。ところが、二代目になると、それがもう上辺だけの、劇場だけの、少数生き残りの政策に、まさしく変質してしまったということですよね。

─食料の配給を止めたというのが象徴的です。
帚木 九〇年代に入った頃から、配給が止まり出したのではないでしょうか。二代目は現実的には八〇年代に実権を握っていましたから。もちろんそういう情報は父親には隠蔽していた。やはりこうなってしまったのは、失政が原因でしょうね。農業政策を後回しにして、工業一辺倒になりましたし、上辺の数字だけを合わせればいいような政策ですからね。配給をストップして自給しろと言われても工場の機械を売るしかない。売れば工場では何もできないですしね。

─北朝鮮に潜入した東源と寛順を誘導する康春花は、身分の低い一庶民の視点から北朝鮮の国情をつぶさに語っていますね。
帚木 生理用品もない、口紅もない、化粧品はイワシの臭いがするとかですね。女性が美しくありたいのに、スカーフもろくに手に入らない。靴だって。

─こんなのは国じゃないと、康春花に言わせています。
帚木 そのように多角的に、外側からも内側からも見て、やっぱり辻褄が合ってしまうということですね。その辻褄というのは、非道なことが行われている国だということです。それも一人の指導者によって。一般国民は自由を奪われ、何もできないようにされている国。これを書かずにはおられないですよ。やっぱり作家として。

─ともすると敬遠してしまいがちなテーマですが、まさに帚木さんならではのお仕事と感じました。
帚木 まあ、そんなことはないですが。ただ、家族とか恋愛とか、そういうものも大切ですが、私にとっては、このテーマを放置して、他のテーマというのはないですね。アメリカ人の作家には書けないし、ましてや韓国人の作家には書けない。また中国人の作家にもそこまでの資料調べはできないでしょうしね。そういう意味では日本人の作家が一番いい位置にありますしね。


●日本と韓国のヒロイン
─ところで、前作『受精』に登場したヒロイン、舞子と寛順が『受命』でも再登場します。彼女たちは恋人を失った後、ブラジルのサルバドールの病院に行って、非常に辛い思いをして帰国するという共通の過去を背負っています。舞子は、その後、在日朝鮮人の平山会長が経営するスーパーチェーン店の庶務課で働き、たまたま路上でうずくまっている会長を救護したことが縁で、万景峰号に乗船することになります。『受精』からの読者には待ちに待った舞子の登場という感がありますが。
帚木 私はいつも続編を書くときは、数年の間隔を経て書くわけですけど、前作の登場人物にまた会えたなという嬉しさはありますね。続編ですから、たしかに制約はありますけど。ただ、登場人物が、生きてたんだね、懐かしいねという感じで筆が進んでいく続編のよさというものを感じます。

─舞子は会長から一緒に北朝鮮に行かないかと誘われますが、一旦は迷います。彼女の背中を押したのは何だったのでしょうか。
帚木 やはり津村が平壌の病院にいるというのが大きかったですね。津村は『受精』でも助けてくれた恩人だし、恋人を失った傷はそう簡単には癒えないわけで、それがようやく四、五年経過して癒えてきて、二人が互いに接近してゆく素地が揃ってきたということでしょうね。

─寛順の場合は、いかがですか。
帚木 亡くなった恋人の弟が北朝鮮に潜入すると聞いて、寛順としては心が動かないわけはなかったでしょうね。恋人の面影を残してますし、自分の弟のように思って面倒を見てやりたいという気持ちがあった。東源と寛順は、いわば東振(東源の兄)という太い絆で結ばれています。

─今後、津村と舞子、寛順と東源の関係がどう進展していくか非常に興味深いです。
帚木 そうですね。ですが、今は全力投球を終えたところで、その先を思いやる元気はありません(笑)。また数年すると、力が湧いてくるかもしれません。


その②

朝日新聞社が発行する総合医療月刊誌「メディカル朝日」の巻頭インタビューを転載しています。

帚木蓬生さん(作家、精神科医)インタビュー [10/03/10]


ははきぎ・ほうせい
───────────
1947年、福岡県生まれ。69年、東京大学文学部卒業、東京放送(TBS)入社。退社後の72年、九州大学医学部に入学。79~80年、フランス政府給費留学生としてマルセイユ・聖マルグリット病院神経精神科、80~81年、パリ病院外国人レジデントとしてサンタンヌ病院精神科で研修。帰国後、精神科医として勤務するかたわら、小説を執筆。代表作として『賞の柩』『三たびの海峡』『閉鎖病棟』『逃亡』ほか。八幡厚生病院副院長を経て、2005年、通谷メンタルクリニック(福岡県中間市)開業。
写真 比田勝大直(福岡県のクリニックで。2009年11月25日)「いのち」と向き合って

※文中のリンク先はすべてPCサイトです。携帯電話でご覧の方はご注意ください。 


 精神科医としての臨床のかたわら、鋭い人間観察と丹念な調査に基づく小説を書き続けてきた。2008年には、突然の病魔に襲われ、急性骨髄性白血病で、半年間の入院生活を余儀なくされた。
 限りある「いのち」と正面から向き合い、医師として、作家として、得たものとは何だろうか。


――復帰されて1年になりますね。

帚木 2008年12月27日に退院するまで半年間、入退院を繰り返しました。その間、20年来の地元の勉強会の仲間や大学医局の大学院生18人が、入れ替わり立ち替わり代診に来てくれて、クリニックを1日も閉めずにすみ、ほとんどの患者さんにとどまってもらえました。無菌室で面会謝絶でしたが、その半年は専業作家と同じで原稿もはかどり、音楽も聞け、今思えばあんなにいい生活はありませんでした。

――病状はいかがでしたか。

帚木 その年7月に職員の血液検査をしたところ、翌日、検査会社からあわただしく電話がかかってきました。白血球数が異常で赤血球も減っている、すぐに血液内科に行ってくださいと。2日後には急性骨髄性白血病と診断がつき、そのまま入院です。診察も職員旅行も講演会もすべてドタキャンです。
 治療は、化学療法と自家末梢血幹細胞移植の組み合わせが奏効しました。確立した治療法はありましたが、年齢的なこともあり、生死は五分五分だと覚悟しました。悪いほうに転んでももう十分仕事はしてきたと思う反面、代診の医師やスタッフ、患者さんを思うと、やはり生還しなくてはならないと思いました。

患者さんに自分の病気を伝える

――闘病から得たものはありますか。

帚木 三つの医学的知見を得ました。まず、医師が入院する際に最も大事なのは、患者さんに対する病気の開示です。私はすぐに「急性白血病で数カ月の入院が必要で、その間は信頼する仲間の先生たちが診療するので、これまでどおり受診してください」と伝えました。職員にも、役者の渡辺謙さんと同じ病気だから心配しなくていいと言い含めたことで、ずいぶん助かりました。次が、病んだ治療者の役割はどうあるべきか、さらに、当院で飼っているセラピー犬の主がいない間の役割について。三つの論点で退院までに論文を仕上げ、すでに発表もしました。

――主治医を質問攻めにするようなことはありませんでしたか。

帚木 ないです。勤務医をしていた時に、躁うつ病やアルコール依存症の医師も診ましたが、医師には生半可な知識があるだけにとても苦労しました。あんな悪い例になってはいけないので、素人の気持ちで「はい、はい」と、素直な患者になろうと努めました。 病気について特に調べたりもしませんでした。患者さんから、「今は良い治療法があるので落ち込むことはありません」「身内もかかりましたが、今は元気です」「神様がくれた休暇ですから、ゆっくり休んでください」という手紙を多くいただきました。

無菌室で筆を進める

――最新作『水神』は、病室で書かれたそうですね。

帚木 執筆は1年1作と決めていて、大体1月から書き始めます。前半分は書き終えていたので、何としても続けなければと思いました。どの作品でも100~200冊の資料を読み、必要な所だけを10センチぐらいのファイルにしてあります。4畳半ほどの無菌室のベッドは完全に無菌ですが、原稿用紙や資料を消毒して病室に持ち込みました。脇の机に向かっていると、看護師さんに安静にするよう諭されるのですが、ベッドで情景が浮かぶと、それを忘れないうちに書き留めるという繰り返しでした。
 精神的に参ってしまう患者さんも多いようですが、私にとっては3食昼寝付きで執筆に専念できる極楽でした。

――それほど筆が進むのに、専業作家にならなかったのはなぜですか。

帚木 「朝から晩まで小説を書くほど不健康な生活はない、“日曜作家”で十分だと思っていますから。

1年1作。使命感からテーマに向かう

――医療物、歴史物、戦争の負の遺産を描いた物など、多彩なテーマはどのようにして決められるのですか。

帚木 1作が終わると、数年先の1作のテーマがちらっと思い浮かぶので、5~6年かけて資料を集め、集まったところで執筆の年が来るという手はずです。7年後まで決まっています。
 今これを書いておかなければならないというテーマがあります。例えば、『インターセックス』では、男性でも女性でもない中間の人たちが苦しんでいる様を描きました。性同一性障害がオープンに語られるようになっても、そうしたことは表に出てきません。

――次回作は異色ですね。

帚木 4月に出る『カブールの青い空』(仮題、あかね書房刊)は8年越しの企画で、私にとって初の児童書です。戦争物ですが、今の日本では緊迫感がないので、アフガニスタンの内戦や9.11テロを背景に、カブールに住む少女を主人公にしました。編集者の企画に乗って書いたのも初めてです。遺言になるかもしれないと、気合を入れて書きました。

放送局勤務から精神科医に転進

――東京放送(TBS)に入社されたのも、ジャーナリスティックな志向からですね。

帚木 TBSを志した頃は、世相を描写する「ラジオスケッチ」という番組の制作を希望していましたが、入社するともうなくなっていて、TBS成田事件(成田空港反対派の住民を取材車に同乗させていたことが発覚し、社内処分がなされた事件)もあって、報道局は縮小されていました。私が配属されたのは歌番組やお笑い番組で、40歳すぎると閑職に回る人などを見るにつけて、テレビ界に見切りを付けました。元々は理科系で、食べていける仕事をということで、25歳で医学部に入り直しました。精神科を選んだのは、フランス精神医学が魅力的だったのと、歳を取ってもやっていけそうだという理由です。
 最初に文学部に入った時には小説家を目指していて、作家を多く輩出しているからと仏文科に進みました。テレビ局勤務時代からやりたいものが見えていて、小説に形を変え、ずっと続けているとも言えます。
 最初の単行本、『白い夏の墓標』を出した時、担当編集者から「食い扶持があれば好きなものを書けるから、兼業のほうがいい」と勧められました。また、私は医学を捨てて作家になったのではなく、文学部から医学を選んだのですから、医師として死ぬまで臨床をやらなければその甲斐がありません。

医学部で小説作法を学ぶ

――それでも、書きたい衝動はやまなかったのですね。

帚木 入学して最初に書いた小説は、3年生になって、死体を解剖するという衝撃的な経験をしたことから生まれました。九大には過去に生体解剖事件(戦時中、米軍捕虜を生きたまま解剖し殺害した事件)もあり、医学界には魅力的な題材がいっぱい転がっていると思いました。
 実は、執筆には、医学教育も大きく活かされています。医学部の教育手法は、まず「観察する」、次に病気の「由来をたどる」、すなわち資料を調べることで、最後が「揺さぶってみる」で、自分なりの考察をせよということです。医学論文執筆は小説書きに似ており、文章力も養われました。文学部の論文に教官が赤字を入れることはあり得ませんが、医学部では助詞一つから始まって、真っ赤になるまで指導されます。それも役に立ちました。
 世の中に医師兼作家という二足のわらじの人は多いのですが、「小説を書いているから、ろくな臨床はしていない」と後ろ指をさされるような精神科医にはならないと決め、論文にも臨床にも一生懸命取り組みました。

――患者さんのお話が小説にも活かされていますね。

帚木 直接的に患者さんのことを描くことはないですが、例えば、日韓問題がテーマの『三たびの海峡』を書くに当たっては、患者さんには在日の人が多くいて、炭鉱や強制連行のことを聞くことができました。
 歴史小説の場合は、調べ上げに尽きます。従来の歴史小説と言えば著名人が中心で、上方や江戸を舞台に、登場するのも商人や武士ばかりですが、本当の庶民を描きたいと思ったのが、『水神』であり『国銅』です。

――生殖医療をテーマにした作品も多いですね。

帚木 そうですね。1993年に出た『臓器農場』は無脳症児がテーマで、あの頃から生殖医療には、闇の世界があると感じていました。日本では、医学だけを独立したものと捉えていますが、諸外国ではELSI(Ethical, Legal and Social Issues)という枠組みで考えます。倫理、法律、社会と、医療の問題は皆で幅広く考えなくてはいけません。
 こうした必要性は、生殖医療については特に強くなります。例えば、アメリカでは、妊娠中の女性が逆上して、自分の腹部をピストルで撃ったことで、殺人罪に問われました。日本では胎児には人権がありませんから、あり得ないことです。遺伝子チップを用いた診断で先天的な疾患が分かるようになった時も、アメリカではゴア上院議員(当時)がすぐさま、医療機関は遺伝子情報を保険会社に知らせてはならないという通達を出し、法律にもしました。日本にはそういう議員も、そうした社会的なことに目を向ける医学者もいません。
 終末期医療も同様です。亡くなる間際に点滴などの濃厚な治療をする必要があるのでしょうか。『アフリカの瞳』を書いた時は、アフリカには寝たきりの老人がいないというのを知りました。彼の地では、弱った老人のもとへ食事を持っていくことで自分が食べられなくなったら終わりです。私はそれも一つの医療の限界だと思います。

ギャンブル依存症に取り組む

――そうしたことをストレートに言う代わりに、文筆に向かうのですね。

帚木 そうです。予防医学に全く力を入れていないのも間違いです。製薬会社は金にならないところには手を着けたがりません。私が精神科医として最も力を入れているのがギャンブル依存症ですが、同様の問題があります。
 なぜ、精神科医も製薬会社も皆ギャンブル依存症に冷淡かというと、一つには薬がないからです。ギャンブル依存症(診断名・病的賭博)は、1980年にアメリカの診断基準であるDSM(精神障害分類判断基準)に入り、92年にはWHOの国際疾病分類ICD-10にも記載されました。日本には200万人の患者がいると推定されており、認知症患者よりも多いのに、あたかも存在しないように振る舞っている。これも診ている当事者が書かなくてはならないと思い、今年は症例を中心とした『ギャンブル地獄からの生還』(仮題)という医学書も刊行予定です。

――パチンコ産業と国民医療費が約30兆円で同規模というのは衝撃です。

帚木 出版業に至っては年商約2兆円で、パチンコの15分の1です。日本にはパチンコとスロットが約500万台ありますが、全世界のギャンブルのマシン数は250万台です。これをギャンブルでなく遊技と見なしているのが日本の大問題です。
 これまでに診たギャンブル依存症患者の3割は治っています。いや、治るというのは適切ではなく、ギャンブルをやめるだけです。治療は月1回の通院に加え、週1回以上の自助グループへの参加です。この2本柱がなければ、また逆戻りです。脳内には濃厚な回路ができているため、自助グループのワクチン効果は1週間しかもたず、中止すればまたギャンブルを始めます。誰でもなる可能性があり、薬が効かない病気です。進行性で、治療しなければ自然治癒がないのは、がんと同じです。
 病的ギャンブリングの2大特徴は、借金を重ねること、嘘つきになるということです。日常診療で見かけられたら、精神科に行くことを勧めるべきです。ただし理解のある精神科医を選ばねばなりません。「意志の問題です」と言うような医師もまだいるのです。

これが遺作と思い書き続ける

――大病を体験された後で、生きる姿勢で変わったことはありますか。

帚木 ギャンブルの自助グループでは、いつも最後に、「セレニティ・プレイヤー(平安の祈り)」と言われるものを唱和します。「神様、私にお与えください。自分に変えられないものを、受け入れる落ち着きを。変えられるものは、変えてゆく勇気を……」というものですが、がんになって現実的になりました。白血病はもう変えられないから受け入れ、明るく生きていこうと、気持ちのほうは変えられますから。

――医師として、小説家として、今後の抱負をお聞かせください。

帚木 命をもらえれば、医師としては、70歳ぐらいまでは患者さんの悩みに乗っていきたいと思います。身の上相談のようなものも多いのですが、それでも役に立っていると感じています。
 小説家としては、1冊でも多く作品を残したいと思います。7年先の予定まで行き着けず途中で途切れても、あんな小説を残したと思われれば本望です。
 今までは永遠にいけそうだと思い上がっていましたが、闘病後はこれが最後の作品かもしれないというのが、常に頭に浮かぶようになりました。がんになったから分かるというのも悲しいですが、それも人生の奥深いところです。
(聞き手 塚崎朝子 ジャーナリスト)


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