カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

大野更紗  『困ってるひと』

2011-09-30 16:30:24 | 本日の抜粋
      
       **********************
 窓口のおねえさんが、わたしのファイルを取り出す。そこで、偶然に。ファイルの隙間から見えてしまった。すでに書かれて、本来であればわたしが見ることなくQ区に送られるはずだった「主治医の意見書」を。
 ちらりと見て、一瞬で、体がぶるぶると怒りで震えた。
 移動に助けが必要か、入浴に介助がほしいか、食事の用意や家事に支援が必要かどうかなど、さまざまある支援項目の、ほとんどの欄に、「必要ない」のチェックマークが並んでいたからである。一日たった、一時間。その最低限のヘルパーさんの支援すら、この紙一枚で、受けられなくなるかもしれない。これまで、どれほど苦難を積み重ねて、ここまでやってきたと思っているのか。たった一枚の紙きれで、すべて、粉々にするのか。
 さすがに、ムーミン谷の優等生だった女子も、これには激昂した。
「ぜんぜん、何もわかってない!」と。(中略)
 わたしは顔を真っ赤にし、六階病棟へ戻った。そこで激務に励むブラックベアーを発見し、
「先生!どうして何も聞かないで勝手に決めるんですか!」
 とはじめて、喧嘩腰に啖呵を切った。
 すると我が名医は、
「いま忙しい!医学的に正しいことを書いた!本人に聞く必要はない!」(中略)
「N・M・I」開始以来、どうも先生たちは、患者のデイリーライフにおける「難」を、病院内の世界だけで判断している傾向があると感じはじめていた。オアシスに入院し完全に保護されながら何か行動するのにかかる負荷と、オアシスの門の外で行動するのにかかる負荷は、大雑把だが百倍くらい違う。(中略)

「ぐううううううう……………」
 我が名医によれば、わたしが異議申し立てする「権利」はないらしい。自分の主治医に向かって、円月殺法あるいは柳生の術を繰り出したくなった。この表現では団塊世代以上にしか意味が通じないな。つまり、ハリー・ポッターの呪いの呪文を一発唱えたくなった。夕食にでたシャケのホイル蒸しをスプーンでめった刺しにし、なんとか憤懣を抑える。

 大野更紗 『困ってるひと』より ポプラ社

       ********************

抜粋部からだけでも判るように、この本はとても柔らかい。
書かれてある内容は、とてつもなく固く、重いのに、、、。
何しろ主人公は現代医学が解決できないと宣告している難病者なのだから。

登場人物や取り組むべき課題に絶妙のネーミングが施され、凄絶な闘病記であるはずのものが、未知のジャングルを踏み進む冒険譚になっている。

それでいて、この本一冊で、現代日本の医療の現状、社会福祉の現状が、一患者の視点から批判しつくされている。


本日のおまけ

大野更紗:本当に困っている人を助けるために
2011年9月11日 ビデオニュース・ドットコム

大野 更紗氏
 東日本大震災後に発売された福島県出身の作家大野更紗氏の「困ってるひと」が話題になっている。いわゆる「闘病記」の分野では異例の9刷、11万部を記録。インターネットの連載中から、病気の患者だけでなく、若い学生から高齢者、看護師や介護士、フリーターや障がい者など、幅広い人々の共感を集めている。
  
 大野氏は学部在学中からNGOのビルマ難民の支援活動に携わり、在日ビルマ難民の支援や民主化運動、人権問題に取り組み、在日ビルマ難民のインタビューや現地の難民キャンプ支援、講演会開催、弁護士・国会議員・ジャーナリストやメディアへの働きかけなど多彩な活動を行ってきた。
  
 大学院に進学し、ビルマ難民支援活動を続けていた2008年、タイ・チュラロンコン大学での研究留学中に自己免疫疾患系の難病を発症し、緊急帰国。日本国内で診断がつかずに病院を転々とする、いわゆる「医療難民」となった。その後、「皮膚筋炎」と「筋膜炎脂肪織炎症候群」の病名がつき治療を開始、都内の大学病院での入院を経て、現在は通院しながら治療を続ける。痛み止めの薬が効かず、自宅では「昏睡の合間に執筆し、常に痛みを感じている」状態だという。
  
 難病と闘いながら執筆活動をする大野氏に、震災後の社会的、医療的、経済的弱者が急増する時代の展望や、絶対的な不条理に直面した「困ってるひと」からみた真の援助と自立の可能性、メディアが描く「被災者像」と現実について、評論家の武田徹氏と社会学者の宮台真司と語ってもらった。


自身が「弱者」になって気付いたこと

武田: 大野さんは発病をきっかけに、「自分は難民じゃないかと感じた」と書かれています。闘病生活で見えてきたものについて、あらためてお話いただけますか?
  
大野: 私は家族と離れて暮らしているので、東京の病院に提出するための分厚い書類を用意しないといけないなど、煩雑なことがたくさんありました。そこで、親しい友人や大学の先生、ビルマで一緒に活動をしてきた仲間など、ありとあらゆる“絆”に頼り、「助けてほしい」というメッセージを発し続けたんです。当然、最初は「かわいそう」「何でもしてあげるよ」とみんなが言ってくれて、私はそれに依存していきました。
  
 しかし、あるときから「何でもしてあげる」と言っていた彼らが「何もしてあげられない」ということに気づき、辛そうな目で私を見るようになり、だんだんと離れていくようになって。絆に頼ることによって、その絆を壊してしまった、という感覚です。そこで自分の社会関係がぷっつりと切れていく、絶対的な孤独感を覚えました。
  
 そのときになって初めて、それまでは自分が「難」の観察者であったのに、「難」の当事者になったことに気づきました。難民を研究していたはずが、今度は自分が日本社会の中で難民化していると気がつく瞬間がやってきた。社会に揺らぎが生じたり、何か不条理が起こったりしたときには、人間は答えや救いがほしくて、自然に家族とか愛とか、ウェットなものに頼りたくなります。けれど、相手は不条理だから、答えも救いもない。そこで、人間が生きていくためには社会の制度やシステムが大切なのだと痛感します。そうして実際に日本の社会保障制度と向き合ってみると、いかにずさんなものかがわかった。日本では戦後から現在にかけて、建前と実体がいかに乖離しているかということを、発見したんです。
  
武田: 身体が不自由な人に対して要求するには、申請の書類の量があまりにも酷だとか、福祉制度の実体を病気になって実感したと大野さんは書いています。社会調査法の一つに「参与観察」という言葉があります。対象を知るためには観察するだけではなく、参加しなければいけないという意味ですが、参加したとしてもほとんどの場合当事者にはなれない。それが社会調査の限界だと思います。
  
 大野さんは難民研究をする中で、自分は難民の方と同じ気持ちになれているのだと思っていた。しかし、自分が「難民」と形容されるような状態になってみて、それは間違いだったということに気づいたということですね。
  
大野: 4年間で築き上げてきた理屈や理性が、そこでいったん崩壊しました。援助するという行為は一体どういうことなのか。援助者と被援助者の関係は、善意とか施しで結ばれているように見えますが、それだけでは語れない部分があるということを気づかされました。
  
宮台: ガダルカナル島での日米の戦闘を描いた映画『シン・レッド・ライン』(テレンス・マリック監督/98年アメリカ)を思い出しました。
  
 作中、アメリカ兵が戦闘で犠牲になる島民たちに感情移入し、そこに残ろうとする。しかし結局、現地の人たちと、それに同情して彼らと生活しようとしている兵隊の間で、時間と空間は交わりません。片方には別に帰るところがあり、片方にはそこにいるしかない人がいる。同じ空間を共有して、同じご飯を食べて生活しているように見えても、同じ時間と空間を生きられていないことの悲劇──当たり前のことですが、僕らはそれを忘れています。自分が決定的な境遇に落とし込まれないと気づかない問題かもしれませんね。


二項対立では捉えられない、グレーゾーンにある“実態”

大野: 私は難病患者になって、身体障がい者手帳が取れないことに愕然としました。なぜか取れないかというと、身体障害者手帳を申請するときに、「関節稼働域が何度」などの規定に照らし合わせて障がいを判断するからです。この「測る」という方法がエビデンスなわけですが、人間のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)とは、本当にそれで判断できるのでしょうか。実際には、私たちの生は不可知なものに満ちていて、自分だけでも判断できないし、外部者だけでも判断できないものだと思います。
  
 今はエビデンスが持っていた権威性が終焉に向かう時代に入ったのかなと思っています。そしてそれは、エビデンスそのものの問題ではなく、エビデンスには不確実性があるという前提をみなが共有していないことが問題なのです。
  
 だからこそ私は経済や制度など、即物的な問題がとても大事だと思っています。例えば、被災者支援をするときにお金の話をすると何となく浅ましいようなイメージを持ちますが、お金の話ほど重要な話はありません。
  
 私は1984年生まれで高度経済成長期もバブル時代も知りませんが、あの時代は相当異常な状態だったと想像しています。おそらく、制度にいかに欠陥や不備があろうとも、何となく流れでやって来ることができた時代だと思う。しかし、今は違う。これからは20年の空白を丁寧に埋める作業をする時代です。一発逆転はできないし、あまり流行らない話なのですが。
  
宮台: 大野さんのおっしゃることには、社会的なニーズはあります。例えば、若い人たちとイベントをすると判で押したように「これからはお金の時代じゃない、真心の時代だ。だから私はこれからお金を目当てとしないようなNPO活動に邁進します」と言う。実は、僕はそれを聞くたびに彼らに激怒します。それは、大野さんがおっしゃったように「金がなければできないこと」が世の中にはたくさんありすぎるからです。だから、「お金がなければ助けられない問題は、お金を儲けて助けるのだ」と怒鳴るのです。「金儲け主義の後は真心の時代」──こんなクソみたいな二項対立に陥ってしまうのは、彼らが高度経済成長やバブルの異常さをうまく総括できていないからでしょう。
  
 ヨーロッパなどでは70年代末から「良い社会を作るとは、良いことをすると儲かる社会を作ること」という合意事項がある。だからこそ、フィードインタリフ(固定価格買い取り制度)でも、投資家の計算可能性を高めて、投資家が儲けようとすれば再生可能エネルギーに投資するように誘導する。ところが日本では、未だに特措法や特別会計を作り、特殊法人のような公益法人を作り、天下りの座席を作ることによって「金をやるから良いことをやれ」という図式になっている。なおかつ、ソフトバンクの孫正義社長のような人には「あれはビジネスパーソンであり、金儲けのために言っているのだ」と、批判した気になっているバカが多い。お金儲けと社会貢献を対立させる発想が、僕にはまったく理解できません。
  
大野: お二人はバブルのリアルな体験がありますよね。リアルなバブル体験を経ているか経ていないかで、信条的な部分は大分違う気がするのですが、いかがですか?
  
宮台: 僕はもうすぐ就活をテーマにした本を出すのですが、その取材で人事担当者に話を聞くと「1986年分水嶺説」が有力だとわかります。彼らは86年以降に生まれた人は「暗い」「ぼうっとしている」「箸にも棒にもかからない」など、いろいろな言い方をしていました。それは僕の仮説でもあるのだけれど、86年以降に生まれた人は、95年のブルセラとかオウム真理教の大ブームのとき、まだ事態が飲み込めない年齢だったし、97年のアジア通貨危機に端を発する日本不況の深刻化のときに、やっと10歳。彼らからすれば、物心がついてから単に社会が暗いんです。それ以前の人は、社会の重要なエポックを経験しているので、「人生いろいろ、社会もいろいろ」という感じで、ある意味ルーズに構えられるところがある。しかし、それよりも下の世代の方々は、社会をうまく相対化して、二項図式に絡め取られないような距離を取ることが難しいのかなと思います。そういう意味で、震災や原発災害の受け止め方も、武田さんや僕の受け止め方と、大野さんやもっと若い世代の受け止め方とは大分違うのではないかと。
  
大野: 私も、今の若い人が直面している問題はすごく深刻だと思います。彼らは既存のメインストリームのテキストや言葉に対して、違和感を覚えているのだと思う。ツイッターとかSNS、2ちゃんねるが彼らの鬱憤を吸収してしまっている一方、マスメディアは役割を失っていて、魅力的でもなければ、自分たちのことを語ってくれるものでもない。自分より下の年齢の子と話していると、その乖離がどんどん広がっているような感覚を持っていることがわかる。そして、この乖離がこれ以上広がると、前世代との共通感覚が失われてしまうのではないかと思うんです。それをどうしていくかについて、私自身個人的には答えは出ていませんが、しっくり来るような言葉を探していくしかないのかなと考えています。


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我流身体鍛錬のフー(2)ぼう

2011-09-28 17:52:23 | 本日の患者さん
大柄のフー(2)ぼう、ジムに通ってるとかで、上半身が逆三角形っぽい。

ところが、なんか印象がちぐはぐだ。

肩の高さが左右違うのだ。
体幹もねじれている。
当然、骨盤の高さも左右で異なっている。

聞けば、ことさらインストラクターの指導を受けることなく、我流でガンガントレーニングをしているらしい。
朝夕のストレッチもバッチリです、と誇らしげではあるのだが、、、。
まあ、徳さん好みの人間像と言えるのだが、、、。

フー(2)ぼう、自分の背骨の歪みに気付かぬまま体を鍛えている。
歪みの程度はそのまま、そして歪みを作る筋肉自体は鍛えられているので頑固な歪みが出来上がってしまってる。

フー(2)ぼう、我流なのはトレーニングだけに止まることなく、症状の自己申告にまで及ぶ。
坐骨神経痛と自己診断しているのだが、坐骨神経痛の特徴的な症状は見られない。
お尻の痛み、太ももの痛みを、有名な坐骨神経痛に解消してしまってるようだ。

フー(2)ぼうの痛みは、過去の交通事故で膝付近の大腿骨を骨折した後遺症で下肢が伸び切らぬことによる、筋肉の不自然な使い方の蓄積によるものと考えられる。

フー(2)ぼう、他人の目というのも必要ですぞ!


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すっかり甘えちゃって

2011-09-27 18:36:20 | 本日のしりきれとんぼ
また、やってしまった、盗撮である。
本人たちの許可なし。
でも、思わずシャッターを押すってのがあってもいいじゃないか?



カイロの施療を受けて、車椅子上でうつらうつらのHさん。
やがて、付き添ってきたKちゃんが、Hさんの車椅子によじ登り、抱きついているうちに、こちらは深い眠りに。

徳さん、もう一人の付き添い人を施療していた時なので、まともな写真が撮れなかったが、Hさんの車椅子の足元にはリュックが置かれ、Kちゃんの下半身はその荷物の上に乗っかっている。

Kちゃんのこんなに寛いだ姿を徳さんはこれまで見たことがなかった。

Kちゃんは軽い知的障害者で、家庭の事情も複雑で、普段は嘘を付いたり、施設を逃げ出したりと何かにつけ問題視されていたのだが、、、。 

心に満たされるものがあれば、Kちゃん、ノープロブレム。


本日のおまけ


※「連合通信・隔日版」(2011年9月27日付No.8511)からの転載。



~~~~《編集長から》~~~~
 事故後に福島第一原発周辺で働いた元作業員の体験談。危険な作業であるにもかかわらず、ピンはねや労働法外しが横行しています。報道を含め、こうした「闇」の部分にもっと光を当てる作業が必要です。


 ピンはねの体験語る 福島第一原発の元作業員
 「個人請負」の偽装が横行


 東京電力福島第一原子力発電所で事故発生から約3週間後に、現地で復旧作業に携わった元配管工の男性が「あまりにも賃金が削られている」と「ピンはね」の体験を語った。日本労働弁護団が9月21日に開いた会合での発言。

 4日間で16mSv

 男性は東日本大震災発生までの約10年間、東電の第3次下請の企業で「契約社員」として働いていた。埼玉県に避難していたところ、元の勤め先から就労の依頼があり、4月初旬の4日間、がれきと化した原子炉建屋周辺で作業にあたった。危険な作業のため、気が進まなかったが、かつて世話になった縁もあって断れず、賃金のピンはねがないよう念押ししたうえで、受け入れた。

 一日の実働は4~5時間。事故現場の放射線量は高く、4日間で浴びた被ばく線量は16mSv(ミリシーベルト)に上る。これまでに見たこともない線量だった。国が定める通常作業時の年間上限線量(50mSv)の約3分の1をわずか4日間で浴びた計算だ。

 その後、内部被ばくを調べるためホールボディカウンターによる検査を新潟・柏崎で受けたが、結果はまだ知らされていない。

 現場で提示された日当は1万9000円。事故前の日当が1万5000円だったことからすると、「危険な作業の割にはあまりに金額が少ないのではないか」。そう感じた男性は会社に異議を唱えたが、「上(発注元)から出ている金額はこれだけ」と言われるばかり。反証するだけの材料もなく、あきらめざるを得なかったと、悔しそうに語った。

 無権利が「口封じ」に

 男性は「契約社員」として働きながら、契約書上は「個人事業主」とされていた。そのため、雇用保険も未加入で、退職後、失業給付を受けられないでいた。しばらくして、弁護士に相談し、埼玉労働局に雇用保険加入を請求。同局はそ及加入を認めた。

 「個人請負」を偽装し、雇用保険や社会保険加入、解雇規制など、使用者としての責任をまぬがれようとする違法行為。同様の契約で働く人が周りにいたかを問われ、男性は「6~7割は『一人親方的な働かせ方』だったと思う」と述べた

 こうした契約で働かせる理由は、雇用調整が容易なこと。そして、作業員の多くが自分はいつでも首を切られる存在だと認識しているため、何か問題があっても、今後の仕事のことを考えて「口をつぐんでしまう」現状を招いているとも指摘した。



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無神経なお役所・外郭団体仕事の犠牲者、シャーちゃま

2011-09-26 17:59:04 | 本日の患者さん
以前から気になっていた風景がある。
交通安全週間になると、施療室近くの交差点の歩道にテントが張られる。
町会のオバサンたちが交代でそのテントの中に座っている。
何をしているのかと思うが、おしゃべりをしているだけだ。
交通安全の何に貢献するのか?皆目見当がつかない。

年に一度、敬老の日に、交通安全協会主催で、日頃の地元民の協力に対する御礼の意を込めてか、所轄の町会から五人ずつ集めて総勢2百人程度の老人を招き、賞品付きの輪投げ大会が催される。

シャーちゃまがそれに参加した。
そして腰痛になってカイロにやっていらした。

「それが、ひどいんですよ。
会場は警察の剣道や柔道の練習に使われる道場というか講堂だったんですけど、畳を全部剥がして、板の間に座らせられたんですよ。
そして一時間ほど、警察や安全協会のお偉方、来賓の挨拶を聞かされたんですよ。
いろんな座り方をして耐えていたんですけど、だんだん腰が痛くなってきて、、、。
壇上でしゃべってる人たちには椅子が用意されているので、あの人たちにはこちらの苦労なんて判る訳ない。
せめて畳のままであってくれたならまだましだったのに」

シャーちゃまは1年前に膝の手術を受け、正座が出来ない。
会場には80歳を超える人がニ三十人は居たそうである。
体調を壊したご老人が多数いたのではないかと、、、。

地域住民への感謝を表す催しも、上から目線でやるとこんなていたらくに成ってしまう。

「畳をあげるのもやらされたの?」

「いえ、それは警察の人がやってましたよ」

「それだって、税金の無駄使いだね」



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久坂部羊 『無痛』 幻冬舎文庫

2011-09-25 17:53:25 | 本日のしりきれとんぼ
先天性の痛覚欠損症というのは何かの本で読んで知ってはいた。

患者さんの痛みを相手に商売している関係上、人間にとって痛みの感覚は無くてはならない重要な感覚だと説明してきた。

痛みがなければ、危険の察知が極端に遅れる。
釘を踏んでも踏み抜いて気付かず、ばい菌が全身の血液を満たす敗血症になるまでは本人に自覚はない。
それは、もう、死と隣り合わせの事態だ。

痛みを知らなければ、例え概念として痛みを理解してもその実態は解らないのだから、他人の痛みに想像力が及ばない。
かくして、本人にその意識はなくとも、他人にとっては冷酷な振る舞いをしてしまうこともある。

そう、人の人格形成にとっても、痛みは重要な役割を果たしている。


この本に登場する重要人物は、この無痛症の男の他に、見ただけで患者の病名と予後を言い当てる医者が2名登場する。
そんな素晴らしいことが、、、と思ってよくよく読んでいくと、要は観察眼を磨いているという単純な作業にぶつかる。

これなら誰でも出来る。
でも、ほとんどの医者が、その努力を怠っているかのように見受けられる。



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快晴の空をにらみ返す

2011-09-24 18:54:55 | 本日のしりきれとんぼ
なんか久し振りのブログだ。
この5日間仕事を休んで国分寺市から隣の小平市へ引越しを果たした。
還暦をとうに過ぎた身にとっては過酷な数日だった。
物を捨てるにはエネルギーが要る。
前の家屋に合わせた家具類を、いかに新しい家屋の中で生かすか?というのも難題だ。
睡眠不足の続く中での肉体は、多少の肉体労働でも音をあげる。
おまけに、引越し当日は、あの猛威を振るいながら日本を縦断した台風15号が東京を直撃した日だった。

しかし、悪条件の重なる中でのこの引越しにも収穫があった。
引越し業者の労働を目の当たりにした事だ。
4トンロングトラック2台の引越しを、3人の若者が実働7時間で成し遂げた。
過去の引越し技術の積み重ねがあるにせよ、その合理的な手際の良さとエネルギッシュな集中力に、徳さんは唖然としたり、感服したり、その若者たちのスタミナをうらやんだり、、、。

なにしろ、余程大きな荷物でない限り走るようにして運ぶのだ。
階段もトントンと軽快に、物によっては2段飛びで駆け上がる。
それも雨にずぶ濡れになりながら、、、。

おまけに、一通り作業を終えた後、家具の配置にも親切に相談に乗ってくれる。
アイディアを提供してくれた後は、いったんセットされた家具を動かし直してくれることも根気良くやってくれた。

最近は、マニュアル化された、せちがらい、心のこもらぬ労働を見せられる事が多いのだが、徳さん、何かホッとした。

そして今日、久々のご出勤日。
見上げる空は雲一つない快晴。
恨めしげに睨み返してやりました。



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久しぶりのブイカ

2011-09-18 19:30:37 | 本日の楽曲
カイロの施療を終えて、次の患者さんがいない時など、患者さんに半ば強制的に徳さんのお気に入りの音楽を聞いてもらうことがある。

今日の犠牲者はk君。
多分、彼の好みとは程遠いと想いながら、YOUTUBUを検索。
徳さんが、いかにしてコンチャ・ブイカと出会ったかを説明しながら聞いてもらう。

そして、また新しいのを発見。
発見ホヤホヤなので、曲名も歌詞も今のところ不明。
でも、ブイカのブイカたるところは充分伝わってくる。

徳さん注目は、ギター伴奏しているハビエル・リモンのブイカを見つめる眼だ。
演奏上の恋の眼だ。

Javier Limon y Buika en Buenafuente 29/09/10



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バセドウ病の疑いKさん、バセドウ病だったOさんの知人

2011-09-17 18:27:10 | 本日の患者さん
「おや、その腕の注射跡、何の検査をして来たの?」

Kさんは頭痛、胃腸の弱さ、無気力、疲れ易さなどを訴えて、時々カイロに見えている。

「バセドウ病の検査なんです。甲状腺が普通の2倍あるんですって。姉もバセドウ病なので気になってはいたんですけど、、、」

「じゃ、血中の甲状腺ホルモン量を調べたんだ。結果が出たら教えてね。
それと、バセドウ病の場合、甲状腺ばかりに気を取られがちだけど、首の骨のあり方も気をつけてね。
甲状腺の上位になる脳下垂体、甲状腺刺激ホルモンを出しているんだけど、そこに血液を送っているのが、首の骨の中を通る椎骨動脈だからね」

今日は、バセドウ病日和だ。
次にやって来たOさんの知人の話。

「うちのお店にやって来る人なんだが、色々話すようになってね。
うつ病に苦しんでるって言うんだよ。
偶然、僕が以前かかっていたのと同じ精神科の先生で、薬の話など話が弾んでいたんだよ。
ところが、先日、Oさん、僕、うつ病じゃなかったんです。
バセドウ病だったんです、ってほがらかに言うんだよ。
その人は精神科の先生にその事を言いに行って、先生は謝ったそうだが、今まで飲んだ薬は何だったんだろう?」

「当然、薬の副作用はあるよね」

誤診の場合、その多くは誤診した先生が自分の診断が誤っていた事を知るチャンスが少ないように思う。
誤診されたと判った患者さんは二度と再びその医者を訪ねたりしないからだ。
Oさんの知人は立派だった。
言いにくい事を相手に伝えるのはかなり勇気の要ることだ。

誤診された患者が、心の負担なしに誤診した先生に伝える方法が問われている。


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生き物の目を見よ!そして本日のおまけは再度古賀茂明氏

2011-09-16 18:28:45 | 本日のしりきれとんぼ
高校卒業後、事情があって、しばらく、広島は芸北町という山あいの村に下宿してた。
隣の農家で牛を飼ってて、その牛たちの目の美しさにえらく感動した記憶がある。
この牛たちを俺は喰うのだという不条理に、食物連鎖の頂点に立つという人間本位の価値設定に、えらく動揺した覚えがある。

食物の話は残酷で、冷淡で、そして必然だ。
人に意識などなけれはよいと、その時つくづく思った。

福島原発事故以来の酪農家、農業、魚業生産者の苦悩に寄り添うとしたら、そんな観点も必要ではないのか。

最後は残酷な扱いをせざるを得ないのだが、残酷な過程に至るまでは対象をこよなく愛してる、、、。

出荷直前の、市場価値だけに目を向けたような育て方をしてしまう酪農家の、裏に隠された心情も今回の原発事故は無残に踏みにじってしまった、、、。

人間の映像は、この際自粛。
代わるものとして、繋がれたまま餓死した、餓死寸前の牛たちの映像などはメディアによって流され続けた、、、。


本日のおまけ

先日に引き続いて、古賀氏の登場。
徳さん、決して偏向してる訳ではない。
今現在の重要な発言を拾ってるつもりだ。

ニュースの深層9/13(火)古賀茂明氏出演1/3


ニュースの深層9/13(火)古賀茂明氏出演2/3


ニュースの深層9/13(火)古賀茂明氏出演3/3




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名誉の股関節痛、ミャーフキーズナークちゃま

2011-09-14 14:14:23 | 本日の患者さん
「もう年だから、あちこち本格的な痛みが出てくるのはニ三日後だと思うけど、右の股関節だけはもう痛いのよ。脚が上手く開かないのよ」

ミャーフキーズナークちゃまは、身体障害者の介護派遣事業会社の社員で、介護歴はもう30年を超えているベテランさんだ。
そう、要するに現場の仕事がそろそろきつくなって来ているお歳のオバン。

先日、派遣事業所の秋の旅行とやらで、青森旅行が企画され、介護要員として参加したのだ。

「ね、ね、東北新幹線って凄いのよ。車体もかっこいいんだけど、なにしろ揺れないのよ。カーブにさしかかった時だけ軽く遠心力を感じるだけなのよ。東海道新幹線ののぞみとはぜんぜん違うのよ」

施療室に入って来るなり、興奮してこうまくし立てるミャーフキーズナークちゃまは、気持ちだけはまだまだお若いのだが、、、。

身体障害者との旅行となれば、予測できない体の使い方をしなければならない場面も多い。
ミャーフキーズナークちゃま、何かの時に変な踏ん張り方をしてしまったのだ。

股関節脱臼の検査の一つ、パトリックテストをしてみると、陽性。
まさか、脱臼はしてないはずだが、ミャーフキーズナークちゃまには大分痛い目にあって貰った。

そろそろ、踏ん張りは若手に任せようではありませんか?ミャーフキーズナークちゃま。


本日のおまけ

古賀茂明氏が語る 日本中枢の崩壊


本当に古賀氏の意見を聞こうと思ったら、以下のURLにアクセスして下さい。
徳さんのパソコン能力では上手くコピー出来なかったので御座ります。

http://ustre.am/:16aWJ

それでも駄目なら、岩上安身/USTREAMで検索して下され。
中身の濃い、長時間録画ですぞ。


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そして、なんでもブログのランキングというものがあるそうで、以下をクリックするとブログの作者は喜ぶらしい。

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