そもそも普通の家族ってどんな家族?

うちって、普通の家族だって思っていた。でも、なんか違うことにやっと気づきました。

破って捨てる

2016-10-21 22:27:07 | 日記
ノートに、今の考えていることを書き出したら、驚いたことに、私の中でおさまっていたはずの、あれこれが出てきた。

ほとんど自責。

怖くなった。

相手がそう言った、相手がそういう態度だった、そこから、私がどう悪いのか、どうダメなのか、そんなのがボロボロ出てきた。
すぐ破って捨てた。

フタして、見ないふりのあれこれ。

話し合いの終わりに、相手が私のせいだ、と、匂わせていた事がずっと引っかかっているのだ。まるで呪術だ。

どれだけ考えても、私には、まるで感情を持たない従うだけの人形になれと言われているみたいだった。

お前の気持ちなんか関係ない。
俺が心地よく生活できるようにしろ、と、それだけが伝わった。

まともに相手してしまうと壊れていくしかないから、かなりの精神的距離を取っている。

納得していないことだらけだから、もともとの話し合いの論点だった、「私が態度を改める」という事も、改善なんかされているのかよくわからない。

ただ、ヒステリーは起こさなくなったな。

相手のする事に対して、あまりその場で怒ることが少しは抑えられている気がする。

時間はかかったけど、穏やかになりつつある。

離婚してくれ、と言われた当時の、あのへんの頭おかしかった自分はかなり落ち着いたな。2ヶ月半か。

感情のコントロールがまるでできなくて、薬飲んだり過呼吸起こしたり、というのは落ち着いた。

相手が私になるべく話し合いをしないようにしてくれているから、とも思うけど、普段の、相手の態度とか声色から、ネガティブな感情を持っていると邪推することを、意識してやめたいと思う。

このため息は私に対して不満があるんだ、とどうしても思わずにいられないけど、そこをグッとこらえて、
あのため息はただの癖。
私は悪くない。と、心の中で唱える。

わざわざ私の前でため息をついている、けど、強引にそう思わないようする。

あ、違うか。
私に不満があるのは当たり前。
私に対してため息つきたいのは当たり前だからな。

そのまま、自然に受け流す。
その方がいいのかもしれないな。
そうじゃない、と逆にごまかすとか、それが無理を生じているのかもしれない。
だから、あの自責の言葉たちがノートに出てきたのかもしれない。
ごまかしているうちは、傷は癒えないのか。

私に不満がある事を、嫌がらないでもいいのか。
しかたないもんね。
私もあの人に不満があったりするし、お互い様でないか。

夫婦だから、不満があるの当たり前じゃん。

いろんな夫婦喧嘩の話を読んだりして、やっぱりみんな、男女の観点の違いとか、思いのすれ違いとか、言葉が足らないとことか、それで離婚だ!とか言ってて、共感できるけど、早まるな、とも思ったりする。
でも、嫁さんの気持ちが痛いほどわかるから、幸せになれるなら別れたほうがいいのかな、なんても思ってしまう。

大体が嫁がキレて出ていった、みたいのが多い。

男の人が女性の気持ちがわからないのなんか当たり前。どうして女はそれくらいのことで怒ってるんだ、と、わからないでいる。
(というか、わかる人もいるんだろうな、私の周りにいないけど。)

私も含めて、お嫁さんに共通して言えるのは、相手に期待をしすぎなんだろうな。

お父さんなんだから、これぐらいやってよ!
母親は大変なんだから!という叫び。
(確かに死んじゃうんじゃないかと思うくらい母親は大変。4回生んでるからどんだけ大変か知ってる。)
私も産後うつとか反抗期とかあれこれあって、のたうち回ってたくさん泣いて、夫に伝わらない悲しみとか苦しみを味わった。
それでもこれまで乗り切れたのは、子どもの成長と笑顔のおかげ。

夫に、期待してはならない、というのは学んだ。
ほとんど母子家庭みたいな気分でやってきた。
思えば心の距離はそのへんからもうかなり取ってしまっていたんだろう。

教育のことや不登校などの大きい問題が起きてから、口を出されることが増えて、ダメ出しとか指示とかが刺さっていった。
まるで過去が失敗であったかのように、上の子そっちのけで末っ子の教育に極端に力を入れだしたから、それは揉めるの当たり前だな。

私が怒るのは無理ない。
私だけが悪いわけでもない。
あの人がどう言おうが、どんな態度をとろうが、私だけが悪いとか、そういうのではない。

とにかく自責はこれ以上はしちゃいけない。
本当に悪いのであれば反省はして、そこでとどめる。
自分を責めすぎては心が死んでいく。

長男と話しても、鋭い指摘が刺さって、今までの事が積もり積もっているから、指摘自体が受けつけられないようになっているのがわかる。
相当の嫌な思いをしないとこうまでならんでしょ、というくらい自分は弱っているんだな、と実感する。

まず私が私を立て直すところからやらないと、こんなふうではいけない。

長年、いろいろ言われてきた事、その場その場で自責をして、私はきっと、それほど間違ってない事まで自分を否定してしまっていたんだろう。

強く言われ、そうなのかな、やっぱり私のせいか、と相手の言葉を認めたくなくても認めて、そうしているうちに自信のない私のできあがり。


本当のことが見えなくなってしまう話し合いは、ただの洗脳だ。

強者に屈する、そんなの繰り返してはいけなかったんだ。

自分をしっかり持つ、それがどうしてこんなに難しい?

相手が強すぎるから?

私が私を見失ってしまう状況を、うまく作り出したのはあの人。
少しキッカケをくれるだけで、私はコロッと落ちる。
相手の少しの仕草で、すぐ自責ができるようにオートメーション化している。

同じ状況にまたなったら、すぐに自責をするのは避けられないだろう。
パブロフの犬だ。

だから、今は避けるしかない。

話し合いはできない。

まずは自分を知って、修正していかないと。
私だけが悪かったわけではない。
悪いとか、いいとか、大事なことはそこにはない。私なりにがんばってきた。
子どもたちがそれなりにがんばれているのだから、私は自信を持っていいんだと思う。

それは、夫だけの力でここまできたわけではないから。
私も、役に立っている。ちゃんと、私にしかできないことをやれてきているはずなんだ。

子どもたちが、お母さんといると気持ちが楽と言ってくれる。

それだけでも、いいんだよな。

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