明日死ぬかも

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。byガンジー

人に人が寛容である世の中へ

2016年07月17日 09時03分06秒 | 世の中の浅はかな人々へ



世の中の多くのブロガーが

いったい何を目的としてブログを更新しているのか

わたしの知るところではないけれど

わたしがブログを更新する理由は

ビジネスでも

プライベートを他人に褒めてもらうことでも

アクセス数を上げることでもない。






このような考えの人間もいるということを

ほんの一握りの人でもいい

知って欲しいからだ。




大層な主義主張があるわけでもない。





けれど、これだけは言える。

もっと人は、人に対して寛容であるべきだ。

そして

多角的な視野を持ち

他者の立場に立つという経験をすべきだ。



そう思っている、わたしは、強く。

強く。

強く。

強く。





今年に入ってから

有名人の不倫問題で人々が大いに湧いていたが

あの盛り上がり方ははっきり言って

異常だ。


辞任に追い込まれた舛添都知事に対する

バッシングも

異様なものであったと考えている。



インターネットという非常に閉鎖的なメディアが

現実への影響力を反映し始めた

わたしはそう考えている。



それは

テレビという最も大衆的なメディアが

ネット化してきている

ということだとも思っている。
 


 


個々人の考えというものは

似ている者同士が存在しこそすれ

まったく同じということはまずあり得ない。



傾向という観点から言えば

似た傾向を持つ人々が多く存在することは確かだけれど

大多数の人の考え方が一つの方向に向くということは

ある種の催眠状態に人々がかかっている

ということでしか起こりえないことではないかと

個人的にはずっとそう考えている。



それがとても顕著に出たのが

芸能人の不倫問題であったと思う。

これは、問題が有名人の不倫というワイドショー的な要素であり

国家の存続に関わるような政治的なものでないという点で

気にする程のことか

と吐き捨てることもできる話題なのかもしれない。



けれど

このような人々、世論の傾向を

どこかで試している組織があるのではないだろうか。



犯罪捜査がテーマの海外ドラマのある1話に

家族があることの幸運を軽んじ

理想的な家庭環境を築くということを怠った家庭に

罰を与える

という目的を持ち、殺人を行う犯罪者の出てくる回がある。




この内容を見て、この犯人が異常だと思わない人は

そう多くはないだろう。

しかし、わたしから見ると

昨今世の中の人々の思考傾向は

まさにこの犯人と同じなのだ。



自らの家庭の問題でもなく

自らの男女問題でもない

そのような話題に対して

過剰な正義感や理想論を持ち

それに反する人をどうしても罰せずにいられない

罰することが正しいことである

そういった考えを持っていることは

異常な犯罪者と同じ思考回路であると

思わざるを得ない。



わたしの違和感は

これだったのではないかと考えている。



大衆のサイコパス化

とでも言うべきか

異常犯罪の温床となる考え方を持つ人々が

増えているのではないだろうか。



それは

きっと自分は加害者の立場には立たない

という思い込みと

自分の予想出来ない考えを持つ存在は悪であり

それを理解し、受け入れる必要はないという

傲慢さが現れている結果ではないだろうか。





 

自分の考えが被害者側である

という前提にしか立てない人々は

自分の考えが加害者側になりかねない危うさを秘めている

ということに気づいていないということだ。










凶悪な事件を起こした犯人を

非難することは誰にでもできる。

被害者の立場になることは簡単なことなのだ。



しかし、何故そのような犯罪が起こったのか

そしてもし自分が犯人であったなら

という想像をすることに対しての嫌悪感、拒否感

そこに意義を見出せない人々が

あまりにも多いのではないだろうか。


 




被害者側になることしか想像できない人々が多くなる

それが、どのような結果を及ぼすのか

そのことを危惧する人の少ないことが

世の中をどのような方向へ運ぶのか

わたしはとても、不安である。