明日死ぬかも

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。byガンジー

いや…、それちょっと違うと思うんですけど~受験編・パート2~

2009年07月23日 18時04分56秒 | 家族の肖像



いや…、それちょっと違うと思うんですけど~受験編~
から続いている話。


父親から
「お前の悩みなんて知ったことか」
という扱いを受けた私は

この人間にはもうなにも言うまい。
ただこいつの言うことに従ってればそれで満足するんだろう。


ということを学んだ。


それ以前にも父親になにかを相談したりした記憶は皆無だが
この日を境に
もうこの人間のやることに対して疑問を持つことすら馬鹿らしい
と思うようになった私は、ますます父親に心を閉ざすようになった。


思い返すに私は、
父親という存在に精神的拠り所を見出したり
心の支えになってもらったようなことは
一度たりともない。


父親不在で育ったわけでもないのに
いまだに「父親」というものがどういうものなのかわからないのは
“父親と仲のよい子供”
というものがこの世に存在するということの意味がわからないのは
このせいかと思われる。

私にとって父親とは、金を稼ぐ人という以外に形容する言葉が見当たらない。

(これだって「まだ金稼ぐだけいーじゃんよ」
という発想をする人も世には多いんだから、冷静になって考えてみれば
とんでもねー世の中だと思う。
とんでもなくひどい親がいるという事実を肯定するかのような発言ではないか。
親とは、一体なんなのであろうか?)


さて、この

「あなたお金稼ぐ人」「私お金もらう人」

の関係性で私が金と引き換えに親に差し出さねばならんかったのが

「自分」を封印することだった。

自らの意思を隠し、意見を飲み込む。
望んでいいことと言えば、親が望むことのみである。
疑問に思うことがあっても、それを決して口にするべからず。
(ま、それを徹底できてたとは言わないけどさ)

つまり私は
生きるために必要な衣食住を得る代わりに
不自由さや恐怖や不安を代価として支払っている
と考えたわけだ。
(結構理にかなってる…と思うところがまた悲劇ではあるが)


そんな発想が生まれ始めた頃、とうとう受験校決定の時期が訪れた。

またしても三者面談があり、またしても父親との三者面談になった。
私はええかっこしいことを結構ペラペラとしゃべりまくった。

「たぶん今から頑張れば、○○高校も射程圏内に入るくらいになれると思います。
私の努力次第だと思うんです。その覚悟はあります」


みたいなことを言ったんだと思う。

具体的な決定は家に帰って親御さんとよく相談してから決めてね
ということになり、家に帰った私。

家に帰ると、自営の仕事の始まるほんの数十分前くらいの時間であった。
両親は店の準備で忙しい。
志望校の話など、できるわけがない。

しかし、おかしなことに父親の頭の中ではもうすでに
私が受験する高校は決まっていた
ようだった。

どうやら私が面談のときたとえで出した「○○高校」の名前が
父親の頭の中では「候補校」ではなく「志望校」に擦りかえられてしまったらしい。

そこは結構偏差値の高い高校で世間体的にも問題なく
しかも実はそこが祖母の出身高校だったので
合格すれば祖母も喜ぶし体裁もいい
父親にとっては最高の選択に思えたのだろう。

私は本音を言えば
ワンランクしたの違う高校がいいなと考えていた。
『安易に○○高校なんて言わなきゃよかったな…』そう思った。

けれど高校受験なんて人生の一大事である。
その後の人生をもしかしたら左右することだ。
勇気を振り絞り、ためしに私は父親に言ってみた。
「△△高校とかも、考えてるんだけど…」

「はぁ? 今さらなに言ってんだ!
お前○○高校を受けるって言ってたじゃねーか!
もう○○高校で決まりだろうが!
わけのわからねーことを言ってんじゃねーよ!」


と、準備で大忙しなのにふざけたこと言って手間かけさせんじゃねえ
という調子の怒鳴り声が返ってきた。


いや、私
“受ける”なんて断言した覚えないんですけど…(泣)




が、あまりに恐ろしいので
「はい、そうでした。すみません、そうですね」
と答え、もう○○高校受験決定だな、と諦めたのである。


私はやる気を失った。

なんだかもう、果てしなく限りなく、すべてがどうでもよくなった。


説得はまず成功しない。
私の話などに耳を傾けてくれないのはそれまでの経験で嫌というほどわかっていた。

父親にとって母と私たち子供は
自分の所有物であり、自分の意見を聞くのが当たり前で
自分よりも劣った存在であるという前提で存在を許されるものだった。
劣った存在の言うことなど、誰が聞くだろうか。

のちに私がある大学に入ったときにも、家族以外の人に
「○○大学の○○学部って競争率高いんだよ、すごいね」
と言われて初めて
「あいつはそんなにすごい大学に入ったのか」
と認めたという話を聞いた。

他からの評価しか、受け入れられない人なのだ。
他人からどう思われようと
自らの判断で子供を評価し、褒め称えようなどとは考えない。
他人にどう思われるかがすべてだ。


十中八九落ちる○○高校を受験して、落ちるがごとく落ちるしかない。
私の前に開けた道は、それ一本のみ。
そう思った。


結局、成績はその後伸びることもなく
私はみなに期待されていた「○○高校入学」というチャレンジに
見事失敗した
(あれ、くす玉の絵文字ないの?
なんかもう、くす玉とか天晴れ扇子とか出してきて
バンザイしちゃいたいくらい見事な落ちっぷりだったのよ)

自分ではもうずいぶん前にわかっていたことだったので
「当然のことさ…」
と別段なんの感慨もなかったのだが
落ち込んだ振りをしないわけにもいかない。

努力だってとりあえずはしてみたのだ。
いくらなんでもその努力すらしなかったことにされてはかなわない。
涙のひとつも流すべきだろう。
口惜しさをとにかく表現してみせるべきだろう。

残った力を振り絞り

「私今腫れ物なんで、優しくしてくださいポーズ」

をしばらくとっていた私。

それがまた、新たな悲劇を生むことになるのだが
それはまた別の話なのである。