月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

熈代勝覧(きだいしょうらん)=壱拾壱の巻 牛=

2012-12-17 18:00:00 | 歴史こぼれ話
こんにちは、月乃和熊(ツキノワグマ)です!

  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
  
  月乃和熊(ツキノワグマ)も賛同しております
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熈代勝覧(きだいしょうらん)=壱拾壱の巻 牛=

熈代勝覧のシリーズの第11弾
「熈(かがや)ける御代の勝(すぐ)れたる景観」

かつて竜閑堀(りゅうかんほり)に架かっていた今川橋。
日本橋を日本の道路の起点とすると、東海道以外の街道は今川橋に通じるのであります。
竜閑堀そのものも埋めたてられ、今は細い路地になっている。

引っ越しと輿入れ

輿入れなのだそうだが、女性が馬に跨っている姿に驚かされる。武家の嫁入りなのだろうか?
少し上方の男性天秤棒で荷物を持つ男性は引っ越しのお手伝いで、馬の後ろから天秤棒で荷物を担ぐ男性は、輿入れの荷物を運搬している。
引っ越しにしても輿入れにしても、男性一人が天秤棒で担いで運搬できる程度の荷物しか、持っていかなかったのですね。

昔々、大きく重い荷物は大八車で牛に引かせて運んだ。


なにせ米俵の一俵は60kgもあるので、水運を利用できないきない陸路では、牛が調法された。


ところで、この牛。
第二次世界大戦で、日本軍がが誇るゼロ戦を運搬した主力が、牛だったって信じます?

ゼロ戦や航空機の機体は、名古屋の港湾付近の工場で作成されたが、空港は内陸の各務原だったので、そこまで部品を運搬して組み立てなければならなかった。
その当時の道路事情と言えば、狭く現代のように舗装もされていなかったので、トラックなどで精密機械を運搬していては部品が破損してしまう恐れがあった。
そこで、牛を使ってゆっくりと運搬していたのだそうだ。

昭和に入ってまでも、牛は大切な運搬手段だったのであります。

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熈代勝覧(きだいしょうらん)


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