月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

【乃木大将(3)】 空前の消耗戦

2012-01-29 00:39:57 | 乃木大将
写真:神田明神の神馬
乃木将軍の馬とは関係ないけど・・・日差しを浴びて眠そう・・・でも1頭で寂しそう

いや、当たりました。宝くじ当たりました

なんて、年末ジャンボを40枚 12,000円を買って、
3000円が2枚、300円が4枚、合計7,200円・・・マイナスじゃないか
でもせっかくだから、半分は寄付の資金にします
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第1次総攻撃  第2次総攻撃  第3次総攻撃 28サンチ榴弾砲  空前の消耗戦
旅順要塞降伏
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第二軍 南山の戦いから始まった消耗戦
空前の消耗戦
第3軍が戦場に上陸する少し前、奥 保鞏(おく やすかた)率いる第二軍は、兵力約38,000を以って遼東半島の大連を確保し、旅順要塞を防備するロシア軍と遼東半島より北方に展開するロシア軍主力を分断する露払いとして、旅順要塞から約50Kmの地点にある金州城・南山を攻撃した。

対するロシア軍は、未完成とはいえ塹壕と鉄条網を巡らした防御陣地を築き、兵力約17,000人、
110門余りの野戦砲と機関銃を配備し待ち受けた。

奥は事前に重砲の配備および連合艦隊への支援を要請したが、大本営から早急なる攻略を指示され重砲の必要性は認めてもらえなかった。
重砲による援護のないまま、明治37(1904)年5月25日 第4師団が金州城を攻撃するが落とせず、第1師団からの援軍を得た3回目の攻撃で、ようやく攻略することができた。

翌5月26日は、早朝より南山への砲撃を開始し、続いて歩兵による突撃を開始したが、防塁と機関銃に阻まれ凄まじいい損害が続出。
しかし、奥は攻撃を続行させる。
夕方になって、ようやく金州湾に到着した海軍の砲艦から援護射撃を得て、午後8時ころようやく南山を占領した。
驚くべきことに、このたった1日の南山の戦において、10年前の日清戦争で全日本軍が消費した砲弾数3万4000発と同等の砲弾数を、消費し尽くしてしまったのです。
また、死傷者約4,300人を超える損害を被り、日本軍、ロシア軍の双方とも恐るべき消耗戦を経験することになっていくのです。
ちなみに、この戦いで乃木の長男 乃木勝典少尉(その後中尉)は機関銃で腹を撃ち抜かれて戦死しました。

連戦連勝の落とし穴
第2軍は重砲支援がないにも関わらず、半ば要塞と化した防塁陣地からの機関銃掃射による凄まじい損害を被りながらも、一日で南山を攻略できてしまったことで、旅順に籠るロシア軍の兵力を15,000人程度と不当に低く見積もっていた大本営は、旅順要塞に籠るロシア軍の約3倍に相当する兵力、約55,000人を乃木に与えたと思い込んでいるので、旅順永久要塞といえども歩兵の突撃・肉弾戦で短期間に陥落できるものと誤った判断を持ってしまったのではないのだろうか。

防塁陣地に配置された機関銃は、攻撃側にとって驚異的な兵器であることを思い知らされながらも、攻城戦というものを本格的に研究したことのない日本陸軍は、誰一人として正攻法による攻城戦を想定していません。

また南山の戦い後、乃木の第3軍は6月26日より開始された旅順要塞に至る進攻作戦で、7月30日の旅順攻囲網の完成までに、死傷者約4,000人とい損害を被りながらも、半ば要塞化された10拠点もの防衛陣地を約1ヶ月余りという極めて短期間で攻略した実績を残しました。

驚異的な損害を被りながらも連戦連勝を重ねてきた日本軍の誰れもが、総攻撃で損害の多少を覚悟していたものの、旅順永久要塞も短期に攻略できるものと思いこんでいたのでしょう。

日本軍は、旅順港を早期に占領し旅順艦隊を壊滅させることで、制海権を揺るぎないものにしなければなりません。
また、乃木の第3軍は速やかに旅順要塞を攻略し、北方に展開する主力軍に合流するとともに、来るべきロシアとの大会戦に備えなければなりませんでした。

旅順要塞への総攻撃を前にして、連戦連勝で意気益々盛んな日本軍。
国内では、旅順陥落の戦勝報告をいち早く報道するために、大本営へ押しかけ待機する多くのマスコミ、新聞記者。
日本の期待を一身に背負った乃木第3軍が、いよいよ旅順要塞攻撃を開始する。

第3軍は、ロシア軍より数の上で少し多くのホッチキス機関銃を保有しているものの、携行している砲は小口径なので、ベトンで鎧われた旅順要塞の前には無力だ。
大本営は、まさか砲撃による破壊効果があまり期待できないものとは想像もしていない。
そして、兵の損失、消耗戦を覚悟しながらも、速やかなる要塞の攻略を訓令する大本営。
塹壕をめぐらし、鉄条網を巡らした陣地からマキシム機関銃に狙われると知りながらも、歩兵突撃を慣行する以外に乃木の選択肢はなかったのです。

 関連記事 乃木夫妻の悲しくも不思議な話 
 前の記事 旅順攻囲戦戦における第三軍の損害 
 第1次旅順要塞総攻撃につづく~ 
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赤穂事件  乃木と赤穂事件
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東京も一面の銀世界 =転倒者8百人!事故2千件!!=

2012-01-25 23:20:44 | 旅行・散歩・日記
          平成24年1月24日(月)の朝の東京郊外の光景

ここは、どこかの雪国?まるでトンネルを抜けた時の越後湯沢だすな

この日(24日)は、家を出ると、足もとがテロンテロン。
主要道路だってアイスバーン状態なのに、ノーマルタイヤで走行している車に、自転車通勤の人に、皮靴にハイヒールブーツの人たちの通勤の群れ、最寄駅に到着するまでに何人も転倒して、危ない危ない。

転倒などによる負傷者は800人。事故は2000件だそな。
まったく、本当に大雪に見舞われた地域の方々に申し訳ないようで、笑ってやってください。

意外にも電車は、多少の遅れもありましたが、概ね順調のようでした。
しかし、またしても危機管理のできていない都市を露呈した感じで、東京直下型地震などが発生したら、と思うとゾッとします。


雪の中のみかん色


つぼみが少しずつ膨らんできました


ピンクの梅二分咲き


蝋梅の良い香りに誘われて・・・

25日の朝は、東京でも氷点下を観測したそうですが、着実に春はやってくることでしょう。




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【休憩中】は~るよ、は~やく来い

2012-01-21 12:32:39 | 旅行・散歩・日記
おろ?ウサギが来た


ウサギといれちがいに、オレンジの犬?


緑の犬?・・・いや龍か


オレンジと緑の龍?
え?干支交代だって?
おいおい、もう年は明けてるよ!


って、なんで?ルパンもきたの?


この寒いのに梅が咲いた・・・頭も中も春に・・・
早く春よ来きてくれ。
でも必ず春はくるよ。必ず


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【乃木大将(2)】旅順攻囲戦の損害

2012-01-14 23:34:38 | 乃木大将

平成24年1月10日(火)から、職場復帰しました!
昨年(H23年)10月中旬から病休でしたので約3か月ぶりに出社すると、入退室のセキュリティやら、ネットワークへのアクセスやら、あらゆるもののセキュリティがロックされていて、自分自身は開店休業状態でした。

いままでブログは週に2回更新していましたが、しばらくは週一回程度で無理しないように続けていき、仕事に慣れてきたら、週2回に戻していきたいと思います。

(雪椿)
さて、正月は新潟の実家でシッポリと過ごし、珍しく氷点下2度まで気温が下がりましたが、雪中の椿の赤がとても眩しかった。
いつか必ず。きっと春は来る。


(明治神宮)
帰京して、1月8日(日)に明治神宮に初詣に出かけました。3連休ということもあってか大混雑。
今年は明治天皇の崩御から100年目。
ということは乃木が切腹した年からも、ちょうど100年目にあたるのですね。
(切腹当日の乃木稀典)
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第1次総攻撃  第2次総攻撃  第3次総攻撃 28サンチ榴弾砲  空前の消耗戦
旅順要塞降伏
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【旅順攻囲戦における第三軍の損害】
年末年始にかけて、司馬遼太郎氏の「殉死」と乃木神社で販売していた岡田幹彦氏の「乃木希典(副題:高貴なる明治)」を読みました。
司馬氏は皆さんがご承知の通り、乃木がよほど嫌いのようで「無能」と、こき下ろしています。
かたや岡田氏は、如何に乃木の精神性が優れているかを説いている。

司馬氏は203高地を陥落させたことで旅順要塞も陥落したように、さらりと流していますが、実際は旅順陥落までには、なお1ヶ月程度死闘が続いています。
また、乃木が四国香川の善通寺第11師団に赴任中のとき、大晦日にもかかわらず奥さんの静子が急用で、宿所の金倉寺で訪ねてきたが乃木は追い返し、翌日の夕方(正月元旦!)にようやく奥さんに面会を許したという。
金倉寺には、乃木将軍妻返しの松なる碑がある・・・司馬氏でなくとも、こんな乃木の行動にはクエッションマークが3つくらい立ちます。

年始で会った、大正15年生まれで今年(平成24年)は数え年で米寿を迎える母方の叔父と、昭和2年生まれの義父に乃木のことを聞いてみたところ、二人とも70年も前に小学校で歌わされたという「水師営の会見」なる小学校唱歌を諳んじることができる。

<水師営の会見>
1.旅順開城約(やく)成りて 敵の将軍ステッセル 乃木大将と会見の 所はいづこ水師営
2.庭に一本棗(ひともとなつめ)の木 弾丸あとも著しく 崩れ残れる民屋(みんおく)に 今ぞ相見る二将軍
~~~~~
9.「さらば」と握手ねんごろに 別れて行くや右左 筒音(つつおと)絶えし砲台に ひらめき立てり日の御旗(みはた)

と、まあ長いこと永いこと9番まで続くこの歌は、昭和20年の第二次世界大戦の敗戦時まで生徒は歌われていたという。
ちなみに、戦争を体験したご年配者は皆、第二次世界大戦を「大東亜戦争」という。

そんなことだから乃木に対して、さぞおもしろい話を聞けるかと思いきや、二人とも「兵隊を殺しすぎた」と言い、あまり良い印象を持っている風ではなかった。

旅順攻城戦は203高地イコール旅順要塞攻城戦と思っているようで、当時の日本陸軍に、機関銃(砲)が配備されていたことや、第3軍の要塞攻撃の間に海軍重砲隊が、旅順港に砲撃を加えていることは全く知識にないようだ。

大東亜戦争を切り抜けてきた世代は、強制的な精神の高揚、徴兵され戦地での絶望的な戦闘、むざむざ若い命を散らさなければならなかった特攻、日本国内の都市を執拗に狙ったB29の空襲による大量破壊・殺りくといった、300万人以上もの犠牲を強いられた現実と交錯して、「兵隊を殺しすぎた」乃木にもあまり良い印象を持っていないのだろう。
このあたりは、全く戦争と関わりなく育ってきた自分のような戦後生まれの世代などはとは、相容れない感覚があるのかもしれない。

結局、乃木が名将と思う人が50%、愚将と思う人が50%。それぞれいるのだと思う。

さて、乃木大将が兵隊を殺しすぎた、ということなので日露戦争における日本軍の旅順攻城戦とそれ以外の主な戦いとの損害はどうだったのか比較してみると。。。。

旅順攻囲戦
旅順攻囲戦(第三軍) 1904年 8月19日~1905年 1月 1日
  総戦力:約140,000  , 死傷者 約70,000

その他の主な戦闘     
1.鴨緑江会戦(第一軍) 1904年 4月30日~ 5月 1日
   戦力:約 42,000  , 死傷者 約 1,000

2.南山の戦(第二軍) 1904年 5月25日~ 5月26日
   戦力:約 38,500  , 死傷者 約 4,300

3.遼陽会戦(第一・二・四軍) 1904年 8月24日~ 9月 4日
   戦力:約125,000  , 死傷者 約24,000

4.沙河会戦(第一・二・四軍) 1904年10月 9日~10月20日
   戦力:約120,000  , 死傷者 約20,000

5.黒溝台会戦(満州軍) 1905年1月25日~ 1月29日
   戦力:約 54,000  , 死傷者 約 9,000

6.奉天会戦(一~四軍) 1905年2月21日~ 3月10日
   戦力:約240,000  , 死傷者 約65,000

◆その他の主な戦闘の死傷者合計 約123,300

あまりにも、旅順攻城戦の損害が大きいことがわかる。
しかし、この死傷者数を以って乃木が無能だったかというと、正攻法での永久要塞への攻撃で、実は「わずか5か月」という驚くべき短期間で陥落させたのも乃木大将率いる第3軍なのです。

次は、いよいよ旅順攻城戦の内容に迫るとしますが、脱線したらお許しを。

 前の記事 明治38年(1905)1月5日 旅順要塞降伏 
 南山の戦いから始まった空前の消耗戦につづく~ 
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赤穂事件  乃木と赤穂事件
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【乃木大将】明治38年(1905)1月5日 旅順要塞降伏

2012-01-04 17:28:48 | 乃木大将
(乃木大将)


招福
昨年は、東日本大震災に水害、容易ならざる原発事故など、誠に大変な年でした。
自分こと月乃和熊も、3度ほど石巻に行ってきましたが、未だ行方不明の方も多く正月も返上で肉親を探し続けている方も多数おられると新聞で読みました。
震災前のように、節電だ節水だと意識することなく、愛する家族の笑顔がそばにあり、普通に暮らしていられたことが、これほどありがたいものであったかと感じております。

どうか本年は、何事もない普通の年でありますように。
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第1次総攻撃  第2次総攻撃  第3次総攻撃 28サンチ榴弾砲  第3軍の損害
空前の消耗戦
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明治38年(1905)1月5日
この日は、乃木将軍とステッセル中将が水師営で会見した日です

3年間は守ってみせるとロシア軍コンドラチェンコ少将にいわせしめた、難攻不落の旅順永久要塞は、明治38年(1905)1月1日乃木大将率いる第3軍が望台を占領したことで、旅順要塞司令官 ステッセル中将はこれ以上の抗戦を断念。
明治37年(1904)8月19日の第1回総攻撃より実に5ヶ月間の死闘が終結し、1月5日水師営にて乃木大将とステッセルの会見が行われ、ここに近代屈指といわれたロシア軍の旅順永久要塞は完全降伏した。

前哨戦
明治37年6月6日 張家屯に上陸した第3軍は旅順要塞攻撃の前に、大連から旅順をを結ぶ遼東半島の山岳地帯にロシア軍が築城した約25kmにもおよぶ、旅順要塞の防衛陣地10拠点の進攻戦を6月26日より開始し、7月30日までに旅順港から約7kmに位置する大孤山、小孤山を攻略し、旅順要塞の攻囲線を完成させた。

第3軍が擁する兵力 約51,000、火砲380、機関銃 48
(第1師団、第9師団、第11師団)

旅順要塞で待ち受けるロシア軍の兵力 約44,000、火砲600門、機関銃43。
旅順港を取り囲む山々に堅固な多数の堡塁を築き、第3軍を待ち受ける。

機関銃は第3軍のほうが多い
秋山支隊は騎兵にして機関銃、野砲を装備していたことは有名でしたが、第3軍にも機関銃があったのか?
日本軍はガス圧を利用するホッチキス機関銃を採用していた。故障も少なく非常に優れた機関銃ではあったが、給弾に保弾板を用いたため連続射撃は24発しかなく、ロシア軍が装備していた、布ベルトで200発程度給弾できるマキシム機関銃からみると、極端に射撃時間が短い。
当時の機関銃は、三脚まで含めると約50kgもあり、また三脚に設置した銃の位置が高いため射手は、狙撃・砲弾の破片などにも晒されやすい。
攻撃側からみると機動力に欠け、守備側からは絶大な威力を発揮したようです。

攻撃側の兵力不足
東鶏冠山などの堡塁は、高地を稜線に沿って築かれ周囲約500mもある。
攻め手は地雷原を突破すると、電流が流れる幾重もの鉄条網をに阻まれ銃撃される。
さらに鉄条網を突破すると幅8m、深さ6mの外濠があり、濠に降りると隠し部屋からも銃撃される運命にある。

そもそも攻城戦では、攻め手は守り手の3倍以上の兵力が必要とされるので、第3軍は13万以上の兵力を用意していなければならなかった。
しかし大本営、満州軍総司令は、ロシア軍の兵力を15000、火砲200門程度と過小評価しているばかりか、深刻な弾薬の供給不足にも悩ませられる。

世界的に例のないほどの難攻不落の近代要塞に変貌した旅順要塞に挑む第3軍の動向を、ヨーロッパ諸国は興味津々で注目していた。
日本軍は奉天占領後の有利な条件での講和交渉に全精力を注ぎ込んでいたため、旅順の情報収集が疎かになっていたのだろうか???

観測所は203高地だけではない??
なんとなんと、旅順港を砲撃するための観測所は、203高地でけではありませんでした。
203高地占領に先立つ5か月も前、第1回総攻撃の20日ほど前、第3軍 第11師団が7月29日に大孤山を占領すると、海軍はただちに大孤山に観測所を設け旅順港へ砲撃を開始した。
海軍陸戦重砲隊は、旅順港から約7km地点の東北正面より15センチ砲、12センチ砲、12ポンド砲等(最大時43門)で、旅順港を砲撃し、8月9日戦艦レトヴィザンは直撃を受けて大破、戦艦ツェサレーヴィチは艦橋に損傷を受けた。
砲撃により港湾施設にも被害がおよび、ドックもないため修理もままならない旅順艦隊は、翌8月10日ウラジオストックヘ脱出を試みたが、手ぐすねを引いて待ち受けていた連合艦隊との黄海海戦でさんざんに叩かれ、戦艦、巡洋艦など6隻程度がドイツ領、フランス領、上海などに逃げ込み武装を解除。
艦隊司令官ウィトゲフト少将は戦死したものの沈没することなく、多数の艦船が旅順港に逃げ帰ったが修理不能であったため、これ以後の作戦遂行は不可能となった。

28サンチ砲での砲撃は何時から始まった?
203高地の占領、その後の28サンチ砲の投入で、旅順艦隊が壊滅したように思われているが、海軍重砲隊の砲撃は、8月10日以降も継続して続けられ、旅順港に向けた28サンチ砲の砲撃は、大孤山の観測所からの照準で10月1日から開始されている。
なんとなんと、なんとなんと、203高地占領の12月5日ごろには、ほとんどの艦船は擱座し艦載砲や水兵は要塞防衛の兵力として組み込まれ、艦隊はすでに無力化し放棄されていた。。。。

(乃木神社)

◇◆予告◆◇
調べると、今回ご報告したような、「ええ~そうだったの?」という不思議な発見が多数あります。
旅順艦隊はすでに壊滅しているにも関わらず、旅順攻囲線は実施しなければならなかったのか?
203高地は、どうしても攻撃しなければならなかったのか?
第3軍の攻撃方法は?乃木将軍は本当に愚将なのか?
など、用意でき次第ご報告しますです。

 旅順攻囲戦における第三軍の損害につづく~ 
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