月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

日本橋 魚河岸跡

2012-09-25 18:00:00 | 歴史こぼれ話
冒頭の写真は、太陽の光の加減でよく見えませんが、日本橋魚市場跡の碑なのであります

こんにちは、月乃和熊(ツキノワグマ)です!
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
  
  月乃和熊(ツキノワグマ)も賛同しております
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日本橋 魚河岸跡

日本橋は、江戸の魚市場発祥の地、江戸時代から大正12年(1923)9月1日の関東大震災で、築地(東京中央市場)に移転されるまでの300年余りの間、日本橋から江戸橋の広い範囲に魚河岸があった。

大正時代の日本橋魚市場



江戸時代は、河岸に設けられた桟橋に横づけされた平田舟の上で魚介類が取引され、河岸の店先に板舟を並べた売り場で売買され、1日に1000両もの取引があったとのことで、さぞかし威勢の良い声が飛び交ったであろう当時の活気が伺われる。
1両を現代の貨幣価値で10万円と換算すると、なんと1日で100億円もの取引があったことになる
しかし、当時は冷蔵庫や氷などもなく、生の魚介類はその日のうちに消費しなければならない。

取引の効率性もあるのだろうが、衛生事情が良いとは言えない時代では、川で荒い流すことが必然だったのだろうが、それにしても夏などはとっても生臭かったに違いない。

おもしろいことに、漁業は天候に左右されるし、江戸時代では大量消費に備えなえることは難しいと思えるが、ところがどっこい!

獲った魚を大きな網の中で養殖する技術が発達したのも江戸時代で、東京湾では江戸城などでのイベントに備え、鯛などの大量の魚を安定供給することができたのであります。

ところで先日紹介した、同じ日本橋のたもとににある日本国道路元標の左右に、里程標がある


一番近い横浜が29km、わが故郷の新潟が344km、一番遠い鹿児島は、東京日本橋から1469kmの距離だ。
江戸時代以来400年あまりに亘って、日本のすべての道は、日本橋から始まり、江戸・日本橋に通じていたのであります。


熈代勝覧(きだいしょうらん)リンク集 2012-12-23

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拾の巻 江戸患い 2012-12-08
九の巻 町木戸 2012-11-29
八の巻 今川橋橋詰 2012-11-23
七の巻 寺子屋入門 2012-11-20
六の巻 鷹匠と猿 2012-11-18
五の巻 車いす 2012-10-25
四の巻 三越付近 2012-10-23
三の巻 日本橋 2012-10-21
熈代勝覧(きだいしょうらん)弐 2012-10-16
熈代勝覧(きだいしょうらん)2012-10-15
日本橋 魚河岸跡 2012-09-25
日本橋の日本国道路元標 2012-09-11

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<乃木神社の行事>
10月17日 神嘗祭当日祭
10月30日 正松神社祭・祖霊舎祭
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