きらせん

仙台のきらめき










東北大学公共政策大学院准教授
佐分利 応貴

 「72歳の小林さん」

2007-09-30 23:41:13 | Weblog
  末の松山に続いて、多賀城跡に足を伸ばす。
  http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/tagajyou98.html
  国指定特別史跡。

  この政庁には、坂上田村麻呂も赴任したらしい。
  要は、東方の異民族「蝦夷」に備えるための当時の最前線基地である。
  (平安朝廷と「蝦夷」とどっちがオリジナルの日本人かは議論があるらしいが。)

  

  そこでお会いしたのが、観光ボランティアガイドの小林さん(72)である。
  もと公務員で、調べ物は苦にならないそうだが、むちゃくちゃ歴史に詳しい。
  んでもって笑顔が最高。この写真は笑ってないが… 残念。
  この政庁の造営には、関東や愛知などから1000人が集められたそうだ。
  「防人の歌」の東国版だねぇ…。

 Q.この仕事を始めたきっかけは?
 
A.公務員を定年退職し、どうしようかと考えていたとき(観光ボランティアガイドの)制度ができて、あまり興味はなかったが先輩から声をかけられて参加することにした。現在ボランティアをやっているのは約40名。各自月に2回ぐらいこうして1日ガイドとして立っている(弁当を持参)。勉強会は月に1回。各自の研究発表もあり、勉強が必要。

 
Q.今日使われた資料は手作りだが、どうやって調べたのか。
 
A.もともと本を読むのが好き。今でも年間100冊ぐらい読んでいる。ガイドにはマニュアルがあるが、決して十分な内容ではない。説明をしているうちに「これで足りない」と気づき、自分で調べるようになった。地元の多賀城市の資料館にもいくが、仙台にもいく。本は図書館に頼むと日本中から取り寄せができる(貸出期間は2週間)ので、いろんな説を調べて自分が正しいと思うものを使っている。家にはガイドを始めてから集めた膨大な資料がある。

 
Q.こうした資料は出版する予定はないのか。
 
A.ガイドした人から「面白いから出版してほしい」という話もあったが、出版には元手がかかる。年金生活なので、出費を増やすことにはリスクがある。

 … ってことは、
小林さんから情報を集め、ブログやホームページで文学部の学生や院生が発表すればいいんじゃないか。高校生だってできるんじゃないの? 地元の無形文化財・資産でしょ。

 結論。
     住民参加にはきっかけづくりが重要。
     アクティブシニアは重要な戦力。学習意欲のあるグループを狙え。
     続けられるための制度整備が必要。月1回の学習会、月2回の活動参加は妥当なレベル。 

 老人を家に閉じこめてはいけない。
 
(社会と接する機会・出番を与えないのは、閉じこめているのも同じ。)
 こ
と地域の無形文化財の収集・保存については、誰よりも優秀な担い手のはず。
 方言にも昔話にも風習や伝統行事にも強いしね。


 「末の松山」

2007-09-30 22:43:34 | Weblog

  ビジネスメッセを見に行こうと、仙台夢メッセ(仙台国際港のとなり)に出かけたところ、今日ではなかった。 あにやってんだお… _「 |○

  悔しいので周辺を物色。
  まずはみやぎ産業交流センターの展示施設へ。
  

  みやぎの物産マップ。いろいろあるねぇ。
  
  

  アイスも展示中。三陸うにアイス、ずんだアイス等、(味は不明だが)各種アイス展示中。

   

  むかし仙台に三菱石油の精油所があった(今は新日本石油に)。その関係で原油の色と種類。
  左から「スマトラ・ライト」(インドネシア)、「イラニアン・ヘビー」(イラン)、「マーバン」(アラブ首長国連邦)の3種類。

  

  上の黒いのが原油で、下の写真が重油を精油所で分解したあとのもの。
  左からレギュラーガソリン、灯油、軽油、A重油(工場のボイラーで使う)。

  

  建物の外では月イチのバザーが開かれていました。
  このへんも市民力。ちょっと人出が少ないかな?

  

  楽しそう。
  
  せっかく仙台港まで来たので、カーナビで近くの名所旧跡を探したら「末の松山」と出る。あの百人一首の

  「契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは」(清原元輔)

  ※涙に袖を濡らしながら、あなたと約束しましたね。末の松山を決して波は超えない(男女の間が心変わりしないことのたとえ)ようにこの恋は変わらないと。それなのに…。

  にある「末の松山」である。

  ところが…

  
  
  きれいな写真はこちら↓ http://www.city.tagajo.miyagi.jp/monosiri/bunkazai/sisitei/mo-bu-si-suematu.html

  なんと隣に民家が。
  ありゃりゃ…

  風情も何もあったもんじゃない。
  今やすっかりこの周辺は住宅地。
  住宅地の中にぽつねんと松の巨木がそびえる。

  昭和47年にようやく市の指定文化財になったそうだが、これも周辺を公園にすれば立派な観光名所になったはず。残念…(別に隣に住んでいる人は何も悪くないが)。

  観光は集積である。

  いま地域活性化のために各自治体が観光振興に取り組んでいる。
  すでにあるものを利用しない手はない。
  この「末の松山」は多賀城跡と合わせて立派な観光集積になるはずだが …


  え? そもそも今の若い人は「末の松山」も知らないって?