歩いてる時に後ろから覆い被さって来る妖怪で、漢字で書くと「覆い掛かり」となる。
昔、備後(広島県)の比婆郡などで現れたという。
路上に現れる妖怪は、「塗壁」や「のびあがり」のように、突然、目の前に立ちはだかるタイプが多いようだが、これは、その逆バージョンになるか・・?
水木しげるが『日本妖怪大全』で、ブラジルに行った時のエピソードを紹介しており、イグアスの滝に行く際、ジャングルを案内してくれた添乗員が、このあたりは夜になると、後ろから襲ってきて、鼻にゴムのようなもの入れて血を吸うお化けが出る(!)・・という話をしたそうだ。
吸血鬼か、後ろから覆い被さって来るトコロはおいがかりに似てるな・・と、いろいろ現地の人に話を聞いてみると、その正体は”大アリクイ”だった・・というオチが・・。
水木は、自らが主催する世界妖怪協会のメンバーら、”妖怪好き”の面々と共に、”冒険旅行”と称し、アフリカのドゴン族、マレーシアのセノイ族、オーストラリアのアボリジニ、アメリカの先住民・ホピ族の村など、世界各地にフィールドワークに行き、スピリチュアル文化に触れては、妖怪を感じているそうだ。
まだ電気も通ってないような未開の地域で、自然と共に生きる人たちは、闇や自然を畏れ、理解できない現象を神格化して敬ったり、妖怪の仕業として生活しているからだ。
ちなみに、大泉実成の『水木しげるの大冒険』によると、マレーシアのジャングルで、現地人に『水木しげるの妖怪画集』を見せたトコロ、「これは知っている」「これも知っている」・・といった、猛烈な反応があったという。
そうした結果から、水木は世界各地の妖怪は、ほぼ共通しているという認識を得、世界の妖怪は1000種類に集約される・・という、「妖怪千体説」を唱えているそうだ。
確かに、こいつとこいつは似てるなぁ・・という妖怪は多い。
同じような現象が、地域によって違う妖怪の名前がついてたりするコトもある。
広島にも名前は違うが、これって同じ妖怪じゃねーか?・・とゆーのがいる。
まあ、さすがに昔の広島に、大アリクイはいなかったろうが・・。
おいがかりの正体は、今となってはわからないが、”目に見えないもの”、”理解できないもの”の中に神や妖怪を見出し、神格化(人?格化)して共に生きる生活は、どれだけ”潤い”のある生活だろうか? 便利になり、”文化的な”生活をしている・・と思い込んでる我々は、そうした”豊かな”心で生活する人々より、どれだけ貧しく、殺伐とした精神”文化”しか持ち合わせていないか・・?
「あの世」とか「霊界」、「死後の世界」・・と呼ばれる、”目に見えない”未知の世界を信じて生きてる人は、それらを”非科学的”と断じて、まったく切り捨てて生きてる人より、単純に倍、豊かな世界に生きている・・とゆーコトになる。
これからは”心の時代”だとよく言われる。
昨今のスピリチュアル・ブームやパワー・スポット・ブームで、神社・仏閣を訪れる人が激増しているそうだが、そうした便利さと引き換えに失った、心の”豊かさ”を取り戻そうとする人たちの、1つの大きな動きなのかもしれない・・。
関係なく昔から京都に出向く身としては
何とも言い難いものが…。
神社・仏閣はいいものです。
「なんなんだ、この妙にミーハーな連中は・・」
・・て思うかもだよね・・。
しかし、もともと京都とか好きって、シブイよね・・。
前世は坊さんだったとか・・?