「原爆の子の像」は平和記念公園内にある像で、全国3100校あまりの生徒と英国をはじめ、世界9ヶ国の支援によって作られた。
像のモデルになった少女、佐々木禎子さんは2歳のときに被爆するも、外傷もなく、その後元気に成長。
しかし、9年後の小学校6年生の秋に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断された。
回復を願って包み紙などで鶴を折り続けたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年10月25日に亡くなった。
被爆から実に10年後のコトだった。
実際に彼女が折った鶴が平和記念資料館に展示されている。(カテゴリー/広島のオススメ!:「広島平和記念資料館」参照
http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/03e70bcbe930fd47d2ba77a9ea9ce98b)
禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め、平和を築くための像をつくろうという呼びかけで運動が始まり、全国からの募金で完成。1958年5月5日、こどもの日に除幕された。
折り鶴をかかげる像の台座は鐘楼になっており、風が吹くと風鈴のように中の金の折り鶴がゆれて、鐘が鳴るようになっている。
鐘には「地に空に平和」、「千羽鶴」の文字が刻まれており、1949年に中間子理論でノーベル物理学賞を受賞した日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹が揮毫した。
ちなみに現在、像に吊るされているのは、2003年に複製されたもので、実物は平和記念資料館1階ロビーで見るコトが出来る。
像の真下にある石碑には、
「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」
・・と刻まれている。
その後、この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ、世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽にものぼるという。
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