自らの生き様を貫き通す中年プロレスラー役がミッキー・ロークのはまり役となり、数々の映画賞に輝いたエネルギッシュで感動的な人間ドラマ。監督は『π』『ファウンテン 永遠つづく愛』のダーレン・アロノフスキー。主人公の一人娘には『アクロス・ザ・ユニバース』のエヴァン・レイチェル・ウッドがふんし、主人公が好意を寄せるストリッパーを『いとこのビニー』のマリサ・トメイが演じる。栄光の光と影、落ちてもなお失わない尊厳を体現するミッキー・ロークの名演に、大きく心を揺さぶられる。[もっと詳しく]
ミッキー・ロークの復活と、「テキサスの荒馬」の思い出に。
1980年代のミッキー・ロークはほんとうにセクシーでかっこいい男だった。
1952年生まれだから、僕とほとんど同世代である。
『白いドレスの女』(81年)、『ダイナー』(82年)、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85年)、『ナインハーフ』(85年)、『エンゼル・ハート』(87年)あたりの、ミッキー・ロークはちょっとシャイな眼差しで、とんがった精悍な顎の辺りに魅力があった。
少年時代にボクシングに熱心に取り組んでいたこともあるが、90年代はボクサー時代の後遺症による整形手術や肥満で容貌がみるみる変わり、再婚相手の薬物中毒による関係者への暴力事件などをおこし、いつのまにかハリウッドの問題児となってしまった。
怪しげな用心棒をやっていたこともあると聞く。
90年代、2000年代前半も出演作品はいくつもあったが、食い扶持のための脇役出演の類が多かった。
むしろ、92年に日本にもボクシングの試合で来日したことをよく覚えているが、マイクパフォーマンスは派手であったが「猫パンチ」で失笑を買い、僕は痛々しくて見ていられなかった。
「家、妻、金、キャリア、自尊心。すべてをなくして暗闇の中に立っていた」と、ミッキー・ロークは当時を振り返ってコメントしている。
そんなミッキー・ロークがもう昔のセクシー・シンボルの面影はどこにもないが、ひさしぶりにいいなと思う演技を見せてくれたのが『ドミノ』(05年)であり『シン・シティ』(05年)であった。
もう50歳を超えている。ハーレーダヴィッドソンと犬を友にしながら、孤独な独身生活を送るミッキー・ロークにはしかし、痛々しくもどこか惹かれる要素がある。
『レスラー』の監督であるアロノフスキーはニコラス・ケイジを起用せよというプロダクションと対立し、製作予算を大幅に下げられてもミッキー・ロークが主人公を演じることにこだわり続け、アメリカ本国での配給も決まっておらず低予算に喘いでいたが、ミッキー・ロークの手紙を読んで男意気に感じ、主題歌を提供したのが友人のブルース・スプリングスティーンであった。
アメリカではたった4館の上映でスタートしたが、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞はじめ世界の名だたる映画賞で54冠に輝き、アカデミー賞にノミネートもされたのである。
ミッキー・ロークは、ボクシングはやっていたがプロレスはまたまったく異なる格闘技である。
「3ヶ月のプロレス特訓で、16年間のボクシングより多くのケガをした」ミッキー・ロークは、肩、肘、腰を故障、脊椎第5腰椎がはずれる事態にまでなったが、出演したWWE所属のプロレスラーたちが賞賛するほどのレスラーになりきり、体をはったのである。
ランディ「ザ・ラム」ロビンソン(ミッキー・ローク)。
80年代の栄光の人気スター。そんな彼も、50代となり肉体の限界に達し、心臓発作で医者からはレスラー活動を禁じられる。
娘ステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)とも音信不通状態で、嫌われている。
ストリッパーのキャシディ(マリサ・トメイ)に心を許すが、乱暴で不器用な性格で誤解も与える。
生きていくために、人目を忍ぶようにスーパーで働いたりするが、やはり自分には馴染まず、キレテしまう。
自分が輝けるところ、自分のことをわかってくれる仲間たち、それはやはりリングの世界だ。
ランディは自分の矜持をかけて、再びリングに上ることを決意する。
シルベスタ・スタローンの「ロッキー」シリーズの終盤と重なるような、不器用な男の生き様である。
ただ、ロッキーはそれなりに自分の経営するレストランで仲間に囲まれてはいたし、商売もそこそこ要領がいい。
それに較べてランディときたら、トレーラー・ハウスに寝泊りしながら、自分の体を痛めつけながら、酒に溺れ、家族に見捨てられ、リング以外ではずぶ濡れの野良犬みたいな生活をしている。
栄光の日々を忘れられない老いたプロレスラーということで、この映画を観ながら思い出していたのが、「テキサスの荒馬」の異名を持つテリー・ファンクのことだった。
実兄であるドリー・ファンク・Jrとタッグを組み、「ザ・ファンクス」で日本のプロレス界で大人気を博した。
日本プロレスに初参戦したのが1970年、僕の高校2年生の時だ。
ジャイアント馬場・アントニオ猪木のタッグを破り、インターナショナル・タッグ王座を獲得した。
アメリカでも兄弟で王者となっているが、どちらかというとラフ・ファイトのヒール役でもあった。
けれど日本では圧倒的なベビー・フェイスであり、彼がリングに登場すると「テリー!テリー!」の金切り声が轟き、いつも血だらけでフラフラになりながらも、テキサス魂で逆転勝利の雄たけびをあげるのである。
1983年であったか、1年間にわたる全日引退興行もおこない、ぼろぼろの膝をひきずって、数々の名勝負を演じてくれた。
漫画家ゆでたまごが、テリー・ファンクにリスペクトして『キン肉マン』で「テリー・マン」というキャラを登場させたのは、誰もが知る話である。
その後も、ハードプロレスの王道を歩み、インディ団体にも所属し、多くの若手も育てたようだ。
そのテリー・ファンクは1944年生まれ、現在は65歳になるが実はまだリングに立っているのである。
少し前、どこかの放送局のドキュメント番組で、そんなテリーのリング生活の映像を偶然目にすることになった。
『レスラー』のランディと同じ。もう体はぼろぼろ、マネージャーもいないなかで、ドザ回りをしながら、リングで雄たけびをあげている。僕は、目頭が熱くなった。
ルー・テーズやカール・ゴッチのように60代になっても、リングで若手選手をいなしながら、往年の切れ味のいい「名物芸」の片鱗をみせて、尊敬を受ける大スターは何人かはいた。
けれど、テリー・ファンクは、地方都市の荒れ果てたがさつなリングで、デスマッチなどを血まみれになりながら、来る日も来る日も継続しているのである。
控え室に戻っても、傷の手当てと薬漬けの日々である。
普通に歩く時も、足をひきずっている。
もう僕も50代半ばだ。
100年ほど前なら、寿命が来てもおかしくない歳だ。
けれどどこかで、自分の居場所を不器用に探すことをやめられない。
それなりに褒められる時もある。それなりに呆れられる時もある。
20年も30年も前に思い定めたことの、まだ幻を捨てきれない愚かさもある。
周囲の人たちに、なにほどの誇ることもなく、ひとりで寒さに打ち震えることもある。
けれど、もう足腰も覚束ないくせに、リングポストにのぼり、大きく手を拡げ、空中を飛び、フライング・ドロップを決めるランデイやテリーが、やっぱり好きだ。
歓声は起きているのか、それとも彼らがみた幻なのか。
世界が少しだけ、彼らに微笑んでくれる瞬間かもしれない。
kimion20002000の関連レヴュー
『ドミノ』
『シン・シティ』
ミッキー・ロークの哀愁に男泣きの映画でしたね。
ところで当ブログでは「無類の映画好きブロガー」を中心とした37名の投票により、00年代(2000-2009)映画ベストテンを選出しました。
ちなみに1位は以下のようになっております
日本映画第1位 『誰も知らない』
外国映画第1位 『ダークナイト』
もちろん何の権威もないベストテンですが、映画好きの選んだ「ここ10年間のベストテン」をどうぞお楽しみください
詳細は当ブログにて
それでは
メディア主宰ではなく、ブロガー同士の自主的なこういう試みは、いいと思います。
「誰も知らない」が1位というのも、ユニークでいいですね。
いやーー、迫る映画でしたね。
劇場の中は、やけにおっさんが多く、背中丸めて、何か昔に想いを馳せてみているような人が多かったように思えました。
よかったです。
女ながら男泣きですか(笑)
僕は、残念ながらDVD観賞でしたが、はい、背中丸めてウルウルと過去を振り返りつつ、見ておりました。
実在のそういったアメリカのプロレスのスターなども知っていて、この映画を見ると、また感慨深いものもあったでしょうね。
私もこの映画はツボにハマってボロ泣きでした。
「格闘技」時代にはついていけませんけどね。
いつの時代も、肉体勇者の晩年は、ほろりとくるものがあります。
>20年も30年も前に思い定めたことの、まだ幻を捨てきれない愚かさもある。
ですね......。
年老いていくプロレスラーというのは、なんだかもの哀しさがありますね。ランディという役、ミッキーロークのこれまでの人生も重なって見え、目頭が熱くなりました。
ミッキーロークはいろいろ問題児でもあったけど、やっぱり仲間に愛されてもいたんでしょうね。
制作スタッフに感謝したいですね。
どちらも小予算で大ヒットなど見込まずに作られていますし、小市民的な感覚が心を打つところ辺りに共通するものがあります。
方や若手、方や心臓病を病む初老という違いのせいで結末に向っての流れはまるで逆ですが。
どちらも僕は好きです。^^
>テリー・ファンク
確かドリーのほうが少し先に紹介された記憶がありますね。
それまで僕が観ていたプロレスにはないスピードがあって印象的でした。
尤もこの後1年程すると、すっかり映画に夢中になってプロレスは見なくなってしまう僕であります。
ファンク兄弟のお父さんが有名なレスラーでした。ドリーが先で、スピニングトゥーホールド
でしたね。
懐かしいです。