稚内市宗谷岬公園内に現存する、旧海軍望楼跡です
旧帝国海軍が1902年(明治35年)に建造したもので
1968年(昭和43年)12月に稚内市の有形文化財に指定されています
1874年(明治7年)には、樺太千島交換条約により樺太と千島が交換され
樺太全島がロシア領となり、宗谷周辺は国境となりました
当時、帝政ロシアは樺太に軍備を進めるなど国交が悪化しており
宗谷海峡における日露の緊張は高まるばかりでした
こうした情勢下で当時の日本海軍が宗谷海峡と樺太を一望できるこの位置に建造したというわけです
稚内市は数回にわたる大火で古い建造物を消失していますが
この大岬旧海軍望楼跡は、稚内市内で現存する唯一の明治時代の建築物となっています
話に聞くと当時世界最強と謳われたバルチック艦隊の動きを早期に察知する役割があったとか
日露戦争時にはロシア軍艦「ノーウィック号」と日本海軍巡洋艦「対馬」「千歳」との戦いを見守ったとか
1920年(大正9年)沿海州で勃発した尼港事件の際には無線通信基地として機能したとか
太平洋戦争においては対潜水艦監視基地として機能したなどと伝えられています
また、船のブリッジを模したその形は当時の望楼としては異色の存在だったそうです
現在は観光施設として望楼上に上がることができ、サハリン方面がよく見渡せます
この日もぼんやりとサハリンの島影を見ることが出来ました