川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

「慰安婦問題」をこじらせるもの

2013-05-30 16:53:55 | 韓国・北朝鮮

 5月30日(木)曇

 病室が空かないのか、入院の通知がないため自宅待機の日々です。昨日、今日と「がんサロン」でであった新しいガン友を妻とともに訪ねて挨拶をしました。お2人ともご近所さんだったのです。お2人はともに元気に市民生活を送っておられます。

 戦場の性を巡る橋下発言は混乱に混乱を重ねて政争になってきたようです。何が問題とされなければならないのか?原点に帰って考えてみることが大切です。

 この間の言説の中では江川紹子さんの「アジア女性基金」の「失敗」を巡って大沼保昭元理事へのインタビュー記事が一番印象に残りました。

僕は日韓条約(日韓請求権協定)締結から30年たった時点での解決方法としては「アジア女性基金」は衆智の結集だと考えてきました。二国間の条約や協定で解決済みとされているのに被害者が新たに名乗り出たからといって「国家賠償」を求めることは土台無理だということは韓国政府にもよくわかっていたはずです。

それにもかかわらず、韓国政府は無理な主張に固執するNGOを説得しようとしなかったのです。「反日」をアイデンティティとする学者やマスコミに押し流されたのでしょう。

被害者・元「慰安婦」の味方面をして自己の正義を主張する人びとの傲慢さには昔から辟易してきました。日本でも韓国でもこれらの人びとに自省の力がなく、肝心の被害者の思いは踏みにじられたままです。要するにさまざまな勢力がこの問題を自己の正義のために利用してきたのです。

僕は大沼理事の言う「日本の『左派』や『リベラルな』知識人」の一人だったといえます。袋叩きにあうのを恐れて正面からの批判を避けていたからです。

金学順さんが名乗り出てから20年以上がたった今繰り広げられている政争はアメリカがらみにもなっていっそう解決が困難になりました。

誰もが勇気を出しておかしいことにはおかしいといわなければこの問題はますます混迷の度を深めるでしょう。

一番しっかりしなければならない日本政府が自分たちがやってきたことに自信が持てないのか、おたおたして、きちんとした説明を尽くさないのは無責任のきわみです。

以下、江川さんの文章の紹介です。文中のゴチックや赤地は僕が施したものです。


 

日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきことを~「慰安婦」問題の理解のために

江川 紹子 | ジャーナリスト

 

「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)という財団法人があった。村山内閣の1995年7月に発足。その最大の使命は、戦時中に日本兵相手の「慰安婦」となった海外の被害女性に対する償い事業だった。

その内容は、

1)総理大臣の謝罪の手紙 

2)国民の募金から1人当たり200万円の償い金 

3)政府資金による1人当たり120~300万円ほどの医療福祉支援ーーといった「償い」を被害者に届けること。

フィリピン、韓国、台湾、オランダ、インドネシアの5カ国で展開されたが、韓国では、日本政府が法的な責任を認めた賠償ではないとして、激しい反対運動が起きた。「償い」を受けようとする被害女性には、強い圧力が加えられた。このため、事業は難航。台湾でも同様の反発はあったが、現地の理解者の助けで、それなりの被害女性が「償い」を受け入れた、という。把握された約700人の被害女性のうち364人に「償い」を届け、基金は2007年3月末に解散。その活動ぶりは、今でもホームページを通じて確認できる(HPはこちら)。

総理からの手紙を示すフィリピンの被害者たち(アジア女性基金HPより)総理からの手紙を示すフィリピンの被害者たち(アジア女性基金HPより)

基金に関わった人たちの回想録を読むと、被害女性たちにとって、総理直筆の署名がなされた手紙の意味が大きかったことが分かる。その文面を知って多くが涙を流し、号泣する人も少なくなかったという。ある人は「総理大臣が、日本が悪かったと詫びてくれた。これで身の証になる。先祖のお墓に入れる」と安堵し、「日本は私たちを見捨てなかった」と喜んだ人もいた。

それだけのインパクトを与えた総理の手紙には、こう書かれている。

〈いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて(中略)心からおわびと反省の気持ちを申し上げます〉(全文はこちら

過去の歴史を直視し、正しく後世に伝える、とも記されている。そして最後は、今後の人生が安らかなものであるようにという祈りの言葉で結んでいる。

橋本龍太郎氏に始まり、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎各氏と歴代四人の総理大臣が署名した。この重みは、とても大きい。

昨今、「慰安婦」問題について、政治家が語る言葉を聞いていると、この重みが忘れられているような気がしてならない。

問題の所在はどこか

そんな思いで、同基金の呼びかけ人であり理事だった、大沼保昭氏(執筆時は東京大学大学院教授、現在は明治大学特任教授)の著書『「慰安婦」問題とは何だったのか』(中公新書)を読んだ。基金が行ったこと、行い得なかったことが非常に抑制的な筆致で書かれ、成果より反省点、問題点、今後の教訓とすべき課題が詳しく書かれていた。

『「慰安婦」問題とは何だったのか』『「慰安婦」問題とは何だったのか』

「償い」の募金には、多くの国民が協力した。大企業などの協力は得られなかったが、職場での募金や、基金の事業を知った様々な人たちからお金が送られてきた、という。その額は6億円に達した。当時、把握できた「慰安婦」の半数に「償い」を届けたにもかかわらず、基金にはしばしば「失敗した」という評価も下される。それは、韓国での事業展開が難しかったからだ。その原因として、基金自身の問題に加え、次のような諸事情があった、と大沼氏は書いている。

〈韓国世論を変える努力をまったくといっていいほど払わなかった日本政府の消極姿勢。(中略)

強硬なNGOの説得に動こうとしなかった韓国政府の無為。

元「慰安婦」を「売春婦」「公娼」呼ばわりして韓国側の強い反発を招いた日本の一部の政治家や「論客」と右派メディア。

みずからが信ずる「正義」の追及を優先させて、ときに元「慰安婦」個々人の願いと懸け離れた行動をとった韓国と日本のNGO

強固な反日ナショナリズムの下で一面的な「慰安婦」像と国家補償論を報じ続け、多くの元「慰安婦」の素朴な願いを社会的権力として抑圧した韓国メディア。

そうした過剰なナショナリズムをただそうとしなかった多くの韓国知識人。

韓国側の頑な償い拒否に、被害者を心理的に抑圧する独善的要素があることを批判しようとしなかった日本の「左派」や「リベラル」な知識人とメディア

これらさまざまな要因が相俟って、韓国における元「慰安婦」への償いに不十分な結果をもたらしたのである〉

問題は、どこか1つに集中して存在するのではない。

(赤地は啓介の加工です)。大沼さんのインタビューは以下に出てきます。じっくり読むに値すると思います。

出典●http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130525-00025178/

 

 


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1 コメント

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はじめまして (おジャ魔女)
2013-06-10 21:58:50
いわゆる“従軍慰安婦”とは要するに兵隊相手の売春婦だったんでしょ?

パク・チャンウンさんという韓国人の弁護士だった方の書かれた
「日本統治時代を肯定的に理解する」
という本を読むと 慰安婦強制連行を完全に否定してます。

「もし当時そんなことがあったら朝鮮全土で暴動が起きていただろう。が実際は日本統治時代の朝鮮は平和だった。もちろん日本人に支配されていることに対して不満を抱く人はいたが…」

日本でも昭和33年に法律で禁止されるまで貧しい家に生まれた女性が家族を養うために遊廓に身を売ることが少なからずあったし 世界を見れば今でもそういうことはあります。
実際 韓国人売春婦が世界中に散らばって あちこちで問題になっているではありませんか。今でさえ そうなのに まして何の産業もなかった当時の朝鮮で軍相手の取りっぱぐれのない慰安婦なら 自ら志願したり親の意志で行かされたりしても不思議はないでしょう。
売春がいい悪い とか売春婦なんて最低 とか言ってるのではなく そういう時代だったというだけで 誰を責めることも出来ないことだと思います。

でも そういう時代背景や状況を考えず ありもしない“強制連行”を言い立てる韓国人、はっきり論理的に反論しない日本の政治家にはイライラします。

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