今も昔も廃人?
旧司法試験受験生だった。
元NPO非常勤職員。
かずさのすけのブログ



1975(昭和50)年1月28日、千葉県君津郡袖ヶ浦町にて出生。
住民票・戸籍は市原市として届出。


1978(昭和53)年4月、五井ナザレン教会幼稚部に入部(入園?)。
毎週日曜日に行われていた教会学校幼稚科に、年間20回弱通う日々。
新約聖書は、福音書は全部読んだ。(当時は新改訳すら無かったが)
病気がちで、年間30日以上休んでいたらしい。
その頃、2学年上の兄の教科書を読んで、小学校2年レベルまでの算数を習得。
また、「○年○月○日は何曜日か」即答できたらしい。今は無理。
漢字については「漢字書き方字典」というものを買い与えられ、教育漢字996字(当時)を習得。
この頃から「集中力がある」と評される。
趣味は折り紙。紙と本を与えておけば猿のようにハマっていたらしい。
その代わり、その頃からずっと運動は苦手。
いじめられっ子ではなかった。いじめ自体、クラス内にあった記憶が無い。


1981(昭和56)年4月、千葉県市原市立五井小学校に入学。
2km近く離れており、歩いて30分近く掛かった。
しかも「通学路」として指定されていた道は、嫌がらせのような遠回りだったので
反抗してよく別の道を使って登下校していた。
集団登校は、高学年になってからは、ほぼ常時不参加であった。

毎年、教科書は貰った日に全て読破するのが慣例であった。
「ガリ勉」「口まがり人間」などと、はやし立てられることが何度かあった。

しかし、漢字ドリル・計算ドリルの宿題はよくサボった。
朗読を家でしたことが一度も無い。
年度末に配布される「しあげ」とかいう教材も全部解いた試しが無かった。
そのためか、妹の目から見ると、全然家で勉強をしているようには見えなかったらしい。
妹はある同級生を評して、「あんなガリ勉型の人はいい所に進学なんて無理。
お兄ちゃんみたいに、殆ど勉強しないで優秀な成績が取れないと駄目」と言っていたらしい。

学級委員とは、ほぼ無縁。一度だけ書記を務めたような記憶がある。

2年生以降は、長期休暇のたびに、近所にあった「ピープルスポーツクラブ」
(現在は移転し、エグザスとなっている)に通い、「マット・跳び箱・鉄棒」の
トレーニングを受ける。そのため柔軟性には優れ、立位体前屈は10cmを超えた。

1984年2月頃、3年生のとき、「学力テスト」(詳細不明)の算数で満点を取る。
同じクラスで算数満点が3人も出てしまったため、急遽イレギュラーに、
4年に上がる際にクラス替えが行われた。通常は2年毎のクラス替え。
なお、その3人は全員、のちに県立千葉高校へ(順当に?)進学。

5年生の頃、母方の祖父母の家に行ったとき、叔母の使っていた本棚に
司馬遼太郎の「太閤記」を発見し、それ以来歴史小説を読みふけるようになる。


1987(昭和62)年4月、千葉県市原市立五井中学校に入学。
こちらは徒歩10分と掛からず、近かった。それゆえ、却って遅刻が多く笑えなかった。
1987(昭和62)年9月に千葉県市原市立千種中学校が開校のため、
イレギュラーに学年途中でクラス替え。

入学後は、仲良くなった友達とともに卓球部に入部。
しかし、その友達の殆どが千種中学校へ消えてしまったため幽霊部員化。
その後科学部に入るも、活動はダベりばかりで、文化祭のときにだけ
古典BASICでプログラムを作成したりしていた。

部長を務めたMあたりは石鹸を作る実験をしたりして遊んでいたらしい。

中学1年の頃、「信長の野望 全国版」を遊ぶために、友人Oの家に全4人で入り浸っていた。
運動は、器械体操以外は、からっきし駄目だった。
その頃1500m走で8分9秒という記録を叩き出す。

中学2年の夏休みには、とある宿題をサボり、
担任の野崎先生(理科担当・少なくとも昨年度は八幡中学で柔道部顧問)をして
「お願いですから大森君に宿題をやらせてください」と親に電話させてしまった。
今から思うと、本当に申し訳ない…別な意味で悪ガキでした。

中学3年の頃、修学旅行の小遣いを流用して買った「信長の野望 戦国群雄伝」を
するために、科学部員が家にたむろしていた。


…身体的な成熟は遅く、中学2年の末まで性的な機能は不完全であった(詳細は察せ)
身長は、その頃は150cm無かった。それが中学3年の1年間で10cm以上伸びた。
なお、高校入学時に159.8cmで、現在は167.5cmである。

そういえば、確か小学校低学年の頃は20kg前後で、入学当初は20kg無かったような記憶が…。
18歳~20歳くらいの頃は48kgをキープで、大学入学後は幸せ太り(?)で+10kg。
大学2年の秋のESS Chinese Section(自称)の中国旅行まではその体重をキープし、
旅行帰りに3kg位減って、それ以来56kg~59kg位をずっとキープしてた。

30歳近くなってから、少し太りだし、最大のピークは去年2月頃いきなり+10kgで約73kgか。
その後波を打ちつつ減らず推移し、既述の「炭水化物減量ダイエット」に取り組む。
ただ、今も腹とフトモモに明らかに脂肪が付いているので、
おそらく基礎代謝そのままでも、60kgを切ることは可能な気もする。

まあ、体重で無理をする気はないので、むしろ日常生活に支障が出ないようにしている。
適度に血糖値を上げるように適宜炭水化物を補充して、体重の数値よりQOLを重視し
活発に活動できるように心がけてる、かな。
1月の末頃は、ハードワーク+食生活の変化で、ふらつき気味だったらしいからね。


1989(平成元)年4月、千葉県立千葉高等学校に入学。
記憶が正しければ、入試では数学で1問ミスしたのみの495点。

小学の頃に始まり、中学の頃には特に、兄・父から家庭内暴力を頻繁に受けていたため、
対抗すべく柔道部に入部。
当時、同級生が最低でもベンチプレス30kgを普通にこなしていた中で、ひとり20kgしか上がらず。
夏休み、かろうじて柔道一級を取得。
しかし、ある2年生と折り合いが悪く、結局秋頃から幽霊部員化し、翌年春に退部する。

1年生の秋頃から急速に成績が悪化、同時に原因不明の腹痛に悩まされる。
3学期は半分程度しか出席できず、期末試験を1日休み、音楽は1人追試となった。
クラス45人中44位で進級、45位の者は不登校で退学したため、事実上の最下位であった。

2年生の頃は、何故か成績37位が指定席であった。
どちらかといえば理系的と見られていた。
数学好きで、担任の数学教師とも仲が良かったためと思われる。
しかし、3年のときには迷わず文系を選択。

代々木ゼミナール津田沼校東大コースに在籍していたが、しょっちゅうサボっていた。

3年生の頃。

春期講習から代々木ゼミナール代々木校に通う。
土屋の古文、中野の漢文、武井(弟)の地理を受けた記憶があるが、他教科は定かではない。

本科は津田沼校東大文系コースに在籍。この年は本人なりに真面目に取り組んだ
つもりだったが、今から思えば手を抜いていたし、非効率的だった。

理科のセンター試験対策では、地学を熱心に受ける。
今から思えば、講師の先生は、多分大学院生。
帆糸満の英語の授業を毎回受けていたが、予習復習ともに怠けていた。

学校の成績は、これまた何故か成績3位が指定席になる。ジャンプアップの原因は全く不明。
しかも4月29日の模試では英語でいきなり偏差値70を叩き出し、本人が一番驚いた。

結局東京大学教養学部文科一類(前期・後期)のみに出願。
前期は個別試験で、後期はセンター試験の(いわゆる)足切りで不合格。浪人を選択する。

一浪目。
代々木ゼミナール代々木校東大文系コース(LA)1組に在籍。
スカラシップ試験で、前期・後期ともに学費全額返還を受ける。
ちなみに、同じ成果を出したのは他に1人のみ。
その1人は昨年度まで某所簡裁判事。現在は横浜地裁へ異動。
某元「娘。」メンバーと同じ読み。ただし顔は…ぐぐれば出てくる(藁

国語は、堀木・田村、国広・土屋、中野(LA2組のをモグった)の黄金世代。
英語で、佐々木・富田に出会う。最初は富田にハマりかけたが、その後佐々木信者に。
2学期からは、英解1Aのために立川校へ遠征。

社会科で、友人に誘われて、夏期講習に八柏の日本近現代史・東大日本史を受ける。
その後池袋校で2学期以降2次私大日本史を聴講する。
数学は、山本のクドい説明に閉口する。
理科は特に対策はせず、年5回のマーク式模試で記憶を喚起。

英語では西谷に浮気する。キャンディロックまで受けた(藁

基本的に午後5時頃には帰宅する生活で、正直、真面目に勉強していたか疑問符が付く。
そのためか、結局この年も不合格。
東京大学教養学部文科一類(前期・後期)のみに出願。
ともに個別試験で不合格。
特に後期は、完全に出題形式に翻弄され、手も足も出ずに終わった。


二浪目。
代々木ゼミナール代々木校東大文系コース(TL)1組に在籍。
しかし、「田村の現代文」「土屋の古文」以外全てサボる。
残りは、英解1A(佐々木@立川校)、高三東大英語(佐々木)等で補う。
一橋クラスの知人にテキストのコピーを貰い、佐々木の一橋英語にモグる。
数学は、殆どの問題が昨年と同じだったので、模試のみで演習。
地理は、前年に知り合い、ともに浪人した友人ともども直訴し、
一橋クラスの武井(息子)を受講。受講者はヒトケタだった。

当然のようにスカラシップで学費は全額返還を受ける。
夏季・冬期講習の際には、本科生の優遇措置を色々と受けたような気がする。


鯉の鼻、じゃなく、恋の花を咲かせた一年でもある。
1ヶ月に40回電話を掛けてくるという伝説を作った。
女の子の肩に手を回したり、手を握ったり、手の甲にキスをしたり、合格祝いに抱き付かれたり…。
でもその子は離れた大学に行ってしまいました(たしか千葉県だったような)。
…今はメル友です。育児休暇中。


めんどくさくなったので、今夜はこの辺で。


新装開店。
以後はこちらへ。

なのはな家庭教師センター - 千葉県中部の家庭教師
先日創業した家庭教師センターです。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (Unknown)
2008-05-03 16:07:17
続きを早めにお願い。
 
 
 
…反応があるとは… (かずさのすけ)
2008-05-03 22:48:37
こんなの読んで楽しいのかなーと思いつつ
ドカスカ書いてただけなんだよなあ。

今日はだめだめさんでした。
明日はきちんとやることをやろう。
 
 
 
95年駒場に (松井秀喜)
2008-05-04 04:26:57
その他、
同い年、かつ、同郷と判明。
当方、I原市のW宮出身です。
もう30年近く行ってませんけど。
 
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