ばーばのケベック日記

ケベック在住、ばーばの気まぐれ日記、日常に関する雑文が主です。

ニューヨーク5 夏衣

2017年07月06日 | 旅行

 はたはたと 風にはためく 夏衣

草取りが4分の3ほど進む。昨日から同時に前庭の草取りにも取り掛かる。草を取ってると鳥の影や、洗濯物の影が揺れて映り、小さな虫やカエルに出会ったり、どうしてもっと早くに菜園に目覚めなかったのかと悔やまれるが悔やんでもせんないこと、今を楽しもう。周囲から「あんたには無理」と言われ、当初はほんの庭の一隅をと思ってたのが、少しづつ少しづつ広がってきた。ついでに夢も生まれる。

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エンパイヤステートビル(セキュリテがすごく、安全のためにお手洗いがなかった)を見学してから夫と別れ近代美術館MOMAに行ってきた。夫は美術館が好きじゃない。気持ちわかる。個人的に美術館は霊廟と思ってる。そこは何世紀も前からに渡る累々とした死者の遺品保管所。画家は亡くなり、注文主であり所有者でもあった王侯貴族なりブルジョアなりも亡くなり、かつて宮殿や館を飾った壁から取り払われ、流浪の旅を経て美術館に収まってる。だから、2重に3重に死者の匂いがする。おまけに、世界中の美術館に貸し出しということもあり、出稼ぎに駆り出され神経すり減らしてるようにも見える。でも、例えば、父は亡くなったが私にはいつも生きてるように、好きな画家となら交感しあうものがあり、その時、絵は生き生きとあたかも生者のごとく息を吹き返すと思う。音楽然り、文学然り。そして人生で好きなものがあるというのは幸せなことと思う。

MOMA これを見たいというのがなかったので、ざっと一周しただけなので印象のみを。

ジャクソンポロック。知人がかつて本物に出会ったとき「涙が止まらなかった」と話したのを覚えており、悲劇的な死を遂げたポロックと彼女の私生活がだぶった。プール付き家が3件ある人だったが不幸だった。ちなみに彼女のお宅に招待されたとき贅を尽くした生活なれど半日で飽きた。その時私は自分は庶民育ちだし、庶民の生活が好きなんだと悟った。で、ポロックの作品、正直ぴんとこなかった。何でも感動するには出会う時期、出会う心理があると思う。人は変わってゆく、好みも変わってゆく。でも、芸術家って美的センサーが発達した繊細な神経してるなと思うし、それが自分にない故、逆に魅かれるのかなと思う。人はないものに魅かれる。

これがモネかと思った睡蓮の絵。ダイナミックで粗削りで男性的なタッチを感じた。絵描きというとやわなイメージがあるが、モノを生み出すというのは、絵でも音楽でも文学でも芸術と呼ばれるものは、気力、体力、知力がいる大仕事と思う。

意外に良かったのはマルセル デユシャン。美術界を揺るがす先駆者の作品というのはそれなりのものがあると思った。

バスキアの絵が一番ニューヨークに似合ってると思った。

メトロポリタン美術館で見た絵の洪水に、絵は時代のコンテクストを知らなければ、今の時代感覚で観るから、夫のようにつまらなく思う人が多いのもわかる気がする。近代絵画と呼ばれる作品でさえ正直色褪せて見えた。が、今回の2つの美術館訪問で、現代美術への関心が湧いた。なんてったって今生きてる人が製作してるから。それに、よくわからない世界だから目を向けてみようかな。

最後にエンパイヤステートビルからの光景は、白と黒とのジグソーパズルを思い出させた。地震がないから、高層建築をバンバン建てても心配ないんだろうな。高層建築に私はとても住めない。地面を這ってるのが好き。