かつてない経済危機の中で、政府予算が衆議院を通過した。
予算委員として、審議に参加させてもらったが、この予算では質・量ともに経済危機に立ち向かうには迫力不足。
就任された時から感じていたけれども、麻生総理から「これがやりたいんだ!!」というものが伝わってこない。
100年に1度の危機は、これまでの拝金主義、市場原理主義によってもたらされた格差が拡大する一方の社会を、本当の意味で改革し、実物経済を大事にし、汗を流すことが大事にされる社会に変えていく、労働を「モノ」として扱うのではなく、労働こそが「価値」になる「共働社会」をつくる為のチャンスにしなければならない。
それが、日比谷「年越し派遣村」からのメッセージ。だからこそ、あらゆる局面での「チェンジ」が必要になっているのだ。
しかし、予算案は各省タテ割りの構造はピクリとも動かず、構造を変えるものに全くなっていない。その象徴が、折角一般財源化したにもかかわらず、道路予算は全然変わっていないこと。
各省、各局、各課の強烈な縄張り意識のもとで、予算の構造はガチガチに固定化されているのだ。「国民の為の予算」ではなく「霞ヶ関の為の予算」になっている。
だから、予算の担当大臣が「もうろう会見」で辞任しようがビクともしないのだ。
「霞ヶ関」も本当はわかっている。
「このままではいけない」。
だけど、やめられない。
「ハメルンの笛吹き」状態なのだ。
「政治」のリーダーシップが、今こそ求められている。「政治」とは、「国民の意志」であり「国民の声」。
日本にチェ・ゲバラは、今はいない。
闘いは、これからだ。
予算委員として、審議に参加させてもらったが、この予算では質・量ともに経済危機に立ち向かうには迫力不足。
就任された時から感じていたけれども、麻生総理から「これがやりたいんだ!!」というものが伝わってこない。
100年に1度の危機は、これまでの拝金主義、市場原理主義によってもたらされた格差が拡大する一方の社会を、本当の意味で改革し、実物経済を大事にし、汗を流すことが大事にされる社会に変えていく、労働を「モノ」として扱うのではなく、労働こそが「価値」になる「共働社会」をつくる為のチャンスにしなければならない。
それが、日比谷「年越し派遣村」からのメッセージ。だからこそ、あらゆる局面での「チェンジ」が必要になっているのだ。
しかし、予算案は各省タテ割りの構造はピクリとも動かず、構造を変えるものに全くなっていない。その象徴が、折角一般財源化したにもかかわらず、道路予算は全然変わっていないこと。
各省、各局、各課の強烈な縄張り意識のもとで、予算の構造はガチガチに固定化されているのだ。「国民の為の予算」ではなく「霞ヶ関の為の予算」になっている。
だから、予算の担当大臣が「もうろう会見」で辞任しようがビクともしないのだ。
「霞ヶ関」も本当はわかっている。
「このままではいけない」。
だけど、やめられない。
「ハメルンの笛吹き」状態なのだ。
「政治」のリーダーシップが、今こそ求められている。「政治」とは、「国民の意志」であり「国民の声」。
日本にチェ・ゲバラは、今はいない。
闘いは、これからだ。