今日から二十四節気の「雨水」に入る。雨水とは、降る雪が雨へと変わり
氷りが溶け出すころのこと。19日の近畿地方は朝からしとしとと雨が降り、早春の
あたたかな雨の感じがする。
昨日は、天気も良く、大阪市内に出掛けた。目的は、読売大阪ビル地下一階の
「ギャラリー よみうり」で2月15日から開催されている「知覧特攻平和会館企画展」です。
ご存知のことと思いますが、「知覧」は、昭和16年に太刀洗飛行学校知覧分教所が知覧町に
開校しました。戦闘機のパイロットを目指す若者たちが操縦訓練を重ねていましたが、戦況が
緊迫する中、昭和20年に本土最南端の特攻基地になりました。
陸軍特別攻撃隊員として戦死した1036人の内、知覧から439人が出撃しました。
一人乗りの戦闘機に片道燃料のタンクと250㌔爆弾を両翼の下に装着し、敵艦に体当たりするために
沖縄に向け約2時間の死での旅に出たのです。
この、特別攻撃隊の「振武隊」の中に大阪出身の36名の若者があり、会場内に写真が飾られていた。
今回の企画展は、
「恋人への最後の手紙」 穴澤利夫 大尉 23歳 福島県出身
昭和20年4月12日 沖縄周辺洋上で戦死
穴澤大尉は、飛行服のスカーフの内側に恋人のマフラーををまいて出撃した。学生時代に恋をし
沢山の手紙のやり取りし結婚まで約束されていました。
「大阪の家族へ」 池田元威 大尉 21歳 大阪市出身
昭和20年5月6日 沖縄周辺洋上で戦死
池田大尉は、13歳の時父親を亡くし、14歳で陸軍幼年学校に入校し訓練に励んだ。戦況が悪化する中
第56振武隊の隊長として沖縄に出撃した。
恋人と家族に宛てた遺書の手紙の他、写真パネルが展示されていた。多くの方が、目頭を赤くされ食い入る
様に手紙の文面を詠んでおられた。
特攻隊員にとなった若者たちがどのように死を受け入れ、遺書や手紙に向き合ったか、戦争について
又、平和の尊さについてついて考える機会となった。2月20日まで開催中です。
会場で受領したパンフ
出撃に向かう飛行機を見送る女学生