パスカルの賭け。
死後の生命があるかどうか、理性ではどちらとも言えない。
もし、ある人が、
「死後の生命がある」ほうに賭けて生き、死んだとする。
その結果賭けに負けた。つまりそれがなかったとする。それでも、
「あなたは何も損をしないではないか」とバスカルは言うのです。
一方、「死後の生命はない」ほうに賭けて生き、死んだとする。
それでもし死後の生命が実在していたら、もうとり返しがつかない。
生きているあいだに善行を積んで、死後に備えていればよかったと思っ
ても、もう間に合わない。
だから死後を信じるほうに賭ければ、賭けに勝てば幸福だし、
負けても何も失わない。
反対のほうに賭けて、賭けに負ければとり返しがつかない。
こう冷静に考えれば、死後の生命を信じるほうに賭けることは、
つまり宗教を受け入れることはきわめて「合理的な選択」であり、
理性的である人ならば、これ以外の選択はないという論理です。
異論もあるかもしれないが、パスカルの理論には今でも説得力があると
私は思っている。
(法華経の智慧・池田大作著より引用)
ジツチャン、
「いま人間賛歌で「人間は何をしに来て、どこえ行くのか」を更新している
が、そのなかで、
学問的に初めて死後の生命の研究をした医学者、キュブラー・ロス博士
について語っている。
ロス博士はなん万人ともいわれる臨死体験者と直接面接したり、
死を迎えた末期患者との対話、それに自分の体験をとおして一つの結論
に達したのだ。結論というのは、
「人々が考えているような死は存在しない。
そのことについて心から知りたければ、知る方法を教えてあげるが、
知りたくなければ、それでいっこうに構いません。
なぜなら、みなさんもどちらにせよ死ねば分かることだからです」
つづく