現代の町屋を提案する(有)インターハウス捷 伊藤捷治 住まいに係る話や・その時々の思いを綴っていきます

住まいに係る、色々な思いや、その時々に思った事を、取り留めもなく、綴ってみたい

旧暦の二月一日

2017年02月25日 14時23分39秒 | 暮らし 建築に関わる事

2月26日は旧暦二月一日

 

明日2月26日は旧暦二月一日です、和風月名では「如月(きさらぎ)(衣更着とも書く)」

二月に「如月」の字をあてるのは紀元前二世紀頃の中国最古の字書に由来しますが、「キサラギ」という呼び名は日本古来の呼び名で由来については、二月はまだ寒いので衣を更に重ね着する「きぬさらに月」から「衣更着」つぎに、草木の芽の張り出す月だから「草木張月(くさきはりずき)」から「きさらぎ」又、「(陽)気が更に来るから」と言う説、「萌揺月(きさゆらぎつき)の略」、草木の更生することを意味する「生更ぎ」等の説があります。

旧暦では、一月から三月が春です、二月はいよいよ春、春本番と言う頃です。

平安時代の歌人西行の歌に「願わくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃」と言う歌が有ります、満開の桜の下で死にたいとの願いです、「きさらぎ」は旧暦二月、「望月」は満月の十五日、旧暦二月十五日です、今年の新暦では3月23日なります、平安時代には新暦の3月中旬頃に桜が満開だったようですね、因みに、西行さんは願い通り文治六年二月十六日に没しています。

3月下旬に桜が満開になるのを、マスコミは異常気象で開花が早くなっていると、言いますが、平安時代はもっと早かった、と言う事は、今よりもっと温暖だった?

平安時代が温暖だったから、当時の人の身長が現代なみに高かったのか、和室の出入口の内法高さは、桃山時代までの住宅では、1.82m(6尺)を通例とした様です、それが、江戸期になって、寒冷化?と食習慣の変化?(仏教の普及による、肉食忌避の習わし、白米の常食化)により、内法高さ(出入口の敷居の上端から鴨居の下端のまでの高さ)が、1.76m(五八 5尺8寸)から1.73m(五七 5尺7寸)まで下がったのではないかと考えられるようです。

地球の温暖化の影響で海面が上昇していると、良く言われますが、江戸期には今よりもかなり(2~4m)高かったようです。

北九州市門司区の江戸時代に入江を仕切った、猿喰新田とその新田を作るための堤防、特に新田の悪水(塩分を含んだ水)を抜く為の「塩抜き穴」を見れば江戸時代の海面の高さが推測できます。


「雨水」

2017年02月19日 10時53分13秒 | 日記

2月18日は二十四節季の一つ「雨水(うすい)」

うっかりしていましたが、昨日2月18日は二十四節季の一つ「雨水」でした。

「雨水」は旧暦正月、寅の月の中気で、新暦の2月18日か19日頃です、「立春」から15日目に当たります。天文学的には、太陽が黄経330度の点を通過する時をいいます。

雨水とは、今まで降った雪や氷が解けて水になり、雪が雨に変わって降ると言う意味です。この頃になると、雨水も少しぬるみ、草木の発芽を促し、芽吹きの兆しが見えてくる頃だと言われます。

昔から、農耕の準備等は、「雨水」を目安に始めるとされていた様です。

 

まだまだ、寒い日が続きそうですが、春はもう、すぐそこまで来ているとおもいます、野鳥の動きも活発になり、ヒヨドリが他の小鳥を追い払って、またどこかに飛んでいってしまいます。

今年は、メジロが来ないので、梅の花も食べられずに残っています、このぶんだと、今年は梅の実が期待できるかも?

もうしばらく、寒くて湿度の低い日が続くとおもいますが、インフルエンザや風邪にかからない様に、お茶で喉を洗いながら、頑張りましょう。


今日は立春

2017年02月04日 18時01分32秒 | 日記

 2月4日は二十四節季の一つ「立春」

 

今日2月4日は二十四節季の一つ「立春」です(立春の前日が節分です)、旧暦正月、寅(いん・とら)月の正節(節気)で、新暦の2月4日頃です。

冬から春に移る時期に当たり、天文学的には太陽が黄経315度の点を通過する時を言い、この日の前夜(節分)を年越しと考える、風習がありました。

旧暦の上(節切り)では、この日が一年の始めとされ、この頃から日足が長くなり、気温も上昇に向かい始め、春の気配をどことなく感じる様になる頃です。

「立春」は「雑節」の基準日で、八十八夜・土用・二百十日などは、この日から数えます。

雑節とは 暦の注記欄に、二十四節季・五節句などの暦日(れきじつ)のほかに、一年間の季節の移り変わりを、より的確につかむために、また、それらの暦日の補助的な意味合いもあって、特別な暦日が設けられるようになった、これを雑節といいます。

雑節のいずれもが、日本人の長い生活体験から生まれたもので、主に農作業に照らし合わせて作られています、これは古くから日本人の生活の中に溶け込んで、年中行事、民族行事となっているものも少なくありません。

一般に雑節と呼ばれるものは次の九つで

節分・彼岸・社日(しゃにち)・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日・二百二十日

です。

これに、初午・中元(上元・下元)・盂蘭盆・大祓(おおはらえ)を入れる場合も有るようです。


人日(じんじつ)

2017年02月02日 21時55分02秒 | 日記

2月3日は、旧暦1月7日で「人日(じんじつ)(最初の節句)」です

 

明日2月3日は旧暦一月七日、「七草粥」の日です、この時期なら七草も全部そろうと思います。それと、旧暦一月七日は一年に5回ある「節句」の一つ「人日(じんじつ)」です。人日とは、文字どおり「人の日」の事で、その由来については、「占書」にある中国の古い習慣によると、正月の一日から六日までは獣や家畜を占い、七日には人を占うところから、「人日」と言うようです。

中国では古来、正月一日を鶏の日、二日を戌の日、三日を猪の日、四日を未の日、五日を丑の日、六日を馬の日、そして、七日を人の日とする習慣が有ったと言われます。

また、この日の天気で、その年の運勢を占い、晴れなら良い事が有り、曇りなら悪いことがあるとされていたようです。


節分

2017年02月02日 21時34分56秒 | 日記

2月3日は「節分」です

 

明日2月3日は「節分」です、大寒から15日目で、立春の前日で2月3日・4日頃です。

節分はもともと、立春・立夏・立秋・立冬の前日を言い、季節の変わり目を指していましたが、いつのころからか、立春の前日だけが暦に記載される様になったといわれます。これは、「立春正月」と言う考えからきていて、翌日が年の初めであること、気候が冬から春になると言うことから、この日が一年の最後と考えられ、邪気を祓(はら)い、幸せを願う色々な行事が行われていたようです。

この日、豆まきをして鬼を追い出す風習は、中国から伝わったもので、昔は、宮中行事の一つで「追儺(ついな)」「鬼遣(おにやらい)」と言って、毎年、大晦日の日に、疫鬼を追い払うために行われていたものが、次第に民間に伝わっていったと言われます。

年男が「福は内、鬼は外」と言って、煎った大豆をまく厄払いの行事は、中国明時代の風習で、これが室町時代に伝わったと言われます。また、豆まき後に、自分の年の数だけ豆を拾って食べるのは、これが年取り(としとり)の行事の名残だろうと言われています。

また、この日の夜、家の入り口に、鰯の頭を刺した柊の枝を差しておく風習のある地方もあり、こうしておくと、鬼が柊の葉が刺さって痛がり、鰯の悪臭にびっくりして、逃げて行くと考えられていたからです(鬼って以外と軟弱ですね)。また、大蒜(にんにく)や葱(ねぎ)、毛髪などを刺しておく地方も有り、いずれも、邪気が家内に入らないことを祈るための風習です。

近頃はコンビニほか寿司屋さんなどが、ビジネスチャンスと節分の日に「恵方」に向かって願い事を考えながら恵方巻を食べると言う事を広めています。

ところで、恵方とは? 恵方とは、その年の歳徳神の居る方角をいいます、歳徳神の居る方角は、干支の「十干」によって決まり、今年は「丁酉(ひのととり)」なので十干は「丁(ひのと)」それで、今年の歳徳神の居場所の方位は「丁(てい)」(亥と子の間)になります、これをみても、何の事か解からないと、思いますが、古い方位の名称は、360度を24分割して、そこに十干・十二支・易の文字を当てはめています。

正確に言うと、「子」が北になりますので、「丁」は北から「15度西側」になります、北北西から6.7度西側になります。ラフに言うと、北から少し西に寄った方角だと思えば良いとおもいます。

もっと正確に考えるのなら、方位の「北」を磁北(じほく)(方位磁石の指す北)で見るか、真北(しんぽく)(北極点を指す地球上の真北(まきた))で見るかによって違います、「真北の北」は「磁北の北」より7.5度、東に寄ります。風水で使う「羅盤」で言うと、「地盤(磁北)」で見るか、「天盤(真北)」で見るかですが、人の運勢は、天(星)の運行に関わる事なので、「天盤」でみるものだそうです。だから、私は人の営みに関わることは、真北で見るのが良いと思って居ます。

これらを考慮に入れて、今年の恵方を見ると、「磁北の南」から東へ「7.5度」寄った方角になります、まあほぼ、方位磁石の北からちょっと西側で良いようです。

[ しかし、巻きずしの太巻きを「丸かじり」する姿(特に若い女性)は、すこし、品が下がるように見えるのは、私だけですかね! ]

何事でも、何らかの「りくつ(理論)」を自分で考えてみるのが大切だと思います。