こんばんは
お盆を過ぎたあたりから、急激に世間がどよめいているような・・・
これまで日本の先行きを危惧し声を上げて「日本を守ろう!!」と必死に頑張ってきた人たちからすれば
努力が報われるような思いでいらっしゃるのではないかと思います。
やっと声が聞こえるところまで私も辿りつきました。日本が何故に世界の雛形とか日本が世界を変えてゆくとか、先の大戦の
真実・・・私なりに調べてやっと全ての繋がりが見えかけているようなそんな気分でいます。
何も知らない状態で、調べ始めた時はまさに「はらわたが煮えくり返る」くらいの激しい憤りを感じていました。
真っ向から人間性も民族性も全否定したくなるような気持ちにもなりました。(元が短気なものぐさですからとくにも)
今は上から目線と思われても仕方ないかも知れませんけど、「憐れみ」の気持ちをもってみています。
長い長い歴史の中でそうならざるを得なかった民族性というのがあったり、偏向報道、情報操作、間違った歴史教育によって
それを信じて疑わない人が沢山いるのであれば、それは日本とて同じ事。
宗教を信じて疑わない友人とものぐさの「合わせ鏡」の構図とまるっきり同じですから
被害者としての教育を受けてきたものと加害者としての教育を受けてきたものとの教育の違い・・・
三つ子の魂百までというのですから幼い頃よりの刷り込みは、根深く複雑なのだと思います。
歴史に「もしも」はありませんが、あえてもしも戦後の日本の教育が事実に基づいたものであったなら
日本人はどうしていたのでしょう?
もしかしたら、お隣の国にこんなに激しい反日をさせずに済んでいたのかも知れません。
そしたら、反日に基づかない国家作りももしかしたらできていたのかも知れません。
だからこそ、日本は狙われたのかもしれませんけど
騙され裏切られ奪われ続けてきたと信じて疑わない人に、人を信じることも「感謝」の概念すら身を守るのには
相手を付け入らせる「スキ」にしかならないと感じるのかもしれません。
プライドの高い人を見ると思います。この人はずっと傷つき、傷つけられたことを許せず
これ以上傷つきたくないから、バカにされたくないから壁を高くしそれが更に人との隔たりをつくり
自分を追い込み余計に傷つく原因を作る・・・の繰り返し。
最終的には本当の自分(理想の自分)と現実の自分の落差を無視し続けるしか自分を守れなくなってしまう。
現実の自分を見ることをやめてしまわないと、全てを誰かや何かに責任転嫁し続けないと自分が崩壊してしまう。
(でも、それを続けても物事はどんどん不本意な方へと流れ結局は、崩壊してしまうのですが)
そのプライドの高い人は他ならぬ、かつての「ものぐさ」ですけどね
同じような精神状態の人がお隣の国にもいっぱいいるような気がしてみています。
自分の身を守ろうと必死すぎて、過剰防衛で刃物を振り回してる自分に気づくのは難しいのかもしれません。
被害者のつもりが加害者にもなっている自分に気付けたなら、「向き」は外から内へと変る・・・
そんな日が来ることを祈りつつ、現状を見つめて行きたいと思っています。
更におまけの独り言・・・お隣の国3カ国が私にはワンピースの「ホーディー」と被って見えて・・・憎しみの暴走・・・
ハッこんなこと言ってるから平和ボケっていわれるんですよね(失礼しました)
今日も勝手な独り言にお付き合いくださいましてありがとうございました。
そんな今日の一首は・・・
嘘が生む 憎しみですら 暴走す
向きを変えねば 身もまた滅ぶ
お盆を過ぎたあたりから、急激に世間がどよめいているような・・・
これまで日本の先行きを危惧し声を上げて「日本を守ろう!!」と必死に頑張ってきた人たちからすれば
努力が報われるような思いでいらっしゃるのではないかと思います。
やっと声が聞こえるところまで私も辿りつきました。日本が何故に世界の雛形とか日本が世界を変えてゆくとか、先の大戦の
真実・・・私なりに調べてやっと全ての繋がりが見えかけているようなそんな気分でいます。
何も知らない状態で、調べ始めた時はまさに「はらわたが煮えくり返る」くらいの激しい憤りを感じていました。
真っ向から人間性も民族性も全否定したくなるような気持ちにもなりました。(元が短気なものぐさですからとくにも)
今は上から目線と思われても仕方ないかも知れませんけど、「憐れみ」の気持ちをもってみています。
長い長い歴史の中でそうならざるを得なかった民族性というのがあったり、偏向報道、情報操作、間違った歴史教育によって
それを信じて疑わない人が沢山いるのであれば、それは日本とて同じ事。
宗教を信じて疑わない友人とものぐさの「合わせ鏡」の構図とまるっきり同じですから
被害者としての教育を受けてきたものと加害者としての教育を受けてきたものとの教育の違い・・・
三つ子の魂百までというのですから幼い頃よりの刷り込みは、根深く複雑なのだと思います。
歴史に「もしも」はありませんが、あえてもしも戦後の日本の教育が事実に基づいたものであったなら
日本人はどうしていたのでしょう?
もしかしたら、お隣の国にこんなに激しい反日をさせずに済んでいたのかも知れません。
そしたら、反日に基づかない国家作りももしかしたらできていたのかも知れません。
だからこそ、日本は狙われたのかもしれませんけど
騙され裏切られ奪われ続けてきたと信じて疑わない人に、人を信じることも「感謝」の概念すら身を守るのには
相手を付け入らせる「スキ」にしかならないと感じるのかもしれません。
プライドの高い人を見ると思います。この人はずっと傷つき、傷つけられたことを許せず
これ以上傷つきたくないから、バカにされたくないから壁を高くしそれが更に人との隔たりをつくり
自分を追い込み余計に傷つく原因を作る・・・の繰り返し。
最終的には本当の自分(理想の自分)と現実の自分の落差を無視し続けるしか自分を守れなくなってしまう。
現実の自分を見ることをやめてしまわないと、全てを誰かや何かに責任転嫁し続けないと自分が崩壊してしまう。
(でも、それを続けても物事はどんどん不本意な方へと流れ結局は、崩壊してしまうのですが)
そのプライドの高い人は他ならぬ、かつての「ものぐさ」ですけどね
同じような精神状態の人がお隣の国にもいっぱいいるような気がしてみています。
自分の身を守ろうと必死すぎて、過剰防衛で刃物を振り回してる自分に気づくのは難しいのかもしれません。
被害者のつもりが加害者にもなっている自分に気付けたなら、「向き」は外から内へと変る・・・
そんな日が来ることを祈りつつ、現状を見つめて行きたいと思っています。
更におまけの独り言・・・お隣の国3カ国が私にはワンピースの「ホーディー」と被って見えて・・・憎しみの暴走・・・
ハッこんなこと言ってるから平和ボケっていわれるんですよね(失礼しました)
今日も勝手な独り言にお付き合いくださいましてありがとうございました。
そんな今日の一首は・・・
嘘が生む 憎しみですら 暴走す
向きを変えねば 身もまた滅ぶ