ものぐささんの短歌日記

日々の気づきを短歌にのせて・・・

上から目線?

2012-08-28 | ものぐさの独り言
こんばんは

お盆を過ぎたあたりから、急激に世間がどよめいているような・・・

これまで日本の先行きを危惧し声を上げて「日本を守ろう!!」と必死に頑張ってきた人たちからすれば
努力が報われるような思いでいらっしゃるのではないかと思います。

やっと声が聞こえるところまで私も辿りつきました。日本が何故に世界の雛形とか日本が世界を変えてゆくとか、先の大戦の
真実・・・私なりに調べてやっと全ての繋がりが見えかけているようなそんな気分でいます。

何も知らない状態で、調べ始めた時はまさに「はらわたが煮えくり返る」くらいの激しい憤りを感じていました。

真っ向から人間性も民族性も全否定したくなるような気持ちにもなりました。(元が短気なものぐさですからとくにも

今は上から目線と思われても仕方ないかも知れませんけど、「憐れみ」の気持ちをもってみています。

長い長い歴史の中でそうならざるを得なかった民族性というのがあったり、偏向報道、情報操作、間違った歴史教育によって
それを信じて疑わない人が沢山いるのであれば、それは日本とて同じ事。

宗教を信じて疑わない友人とものぐさの「合わせ鏡」の構図とまるっきり同じですから

被害者としての教育を受けてきたものと加害者としての教育を受けてきたものとの教育の違い・・・
三つ子の魂百までというのですから幼い頃よりの刷り込みは、根深く複雑なのだと思います。

歴史に「もしも」はありませんが、あえてもしも戦後の日本の教育が事実に基づいたものであったなら
日本人はどうしていたのでしょう?

もしかしたら、お隣の国にこんなに激しい反日をさせずに済んでいたのかも知れません。

そしたら、反日に基づかない国家作りももしかしたらできていたのかも知れません。

だからこそ、日本は狙われたのかもしれませんけど

騙され裏切られ奪われ続けてきたと信じて疑わない人に、人を信じることも「感謝」の概念すら身を守るのには
相手を付け入らせる「スキ」にしかならないと感じるのかもしれません。

プライドの高い人を見ると思います。この人はずっと傷つき、傷つけられたことを許せず
これ以上傷つきたくないから、バカにされたくないから壁を高くしそれが更に人との隔たりをつくり
自分を追い込み余計に傷つく原因を作る・・・の繰り返し。

最終的には本当の自分(理想の自分)と現実の自分の落差を無視し続けるしか自分を守れなくなってしまう。

現実の自分を見ることをやめてしまわないと、全てを誰かや何かに責任転嫁し続けないと自分が崩壊してしまう。
(でも、それを続けても物事はどんどん不本意な方へと流れ結局は、崩壊してしまうのですが

そのプライドの高い人は他ならぬ、かつての「ものぐさ」ですけどね

同じような精神状態の人がお隣の国にもいっぱいいるような気がしてみています。

自分の身を守ろうと必死すぎて、過剰防衛で刃物を振り回してる自分に気づくのは難しいのかもしれません。

被害者のつもりが加害者にもなっている自分に気付けたなら、「向き」は外から内へと変る・・・
そんな日が来ることを祈りつつ、現状を見つめて行きたいと思っています。


更におまけの独り言・・・お隣の国3カ国が私にはワンピースの「ホーディー」と被って見えて・・・憎しみの暴走・・・
ハッこんなこと言ってるから平和ボケっていわれるんですよね(失礼しました

今日も勝手な独り言にお付き合いくださいましてありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

嘘が生む 憎しみですら 暴走す

向きを変えねば 身もまた滅ぶ
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師走か?

2012-08-23 | ものぐさの独り言
こんにちは

師走か?と思うほど、何だか慌しさを一人感じているものぐさです・・・何故だかは分かりませんけど

きっと、ち~っとも宿題の進まぬ息子と、差し迫る夏休み終了の日とが私を焦らせているんでしょうかね

世間では、オリンピック終了間際から始まった領土問題がニュースをにぎわしています。

私もずっと隣の国に住んでいながら、お隣さんがどんな人達なのか知りませんでしたし、知ろうともしてきませんでした。

今は、憤りを通り越し切ない気持ちになっていますが、じーっと静かに注視しています。

それぞれの思惑の中で、表に出てくる人の誰一人、「国の為、国民の為」という御旗を掲げながら
その裏に「うっそー、ホンとは自分のために決まってるじゃん!!」と書いてあるんじゃないか?なんて
穿った見方をおもいっきりしながらですけど・・・

みんな自分が可愛い・・・それは言わずと知れたことで、自分だってそうです。だからそれが悪いなんていえた立場じゃないですしね

私の穿った見方は、今に始まったことではないしそれに全て私の中にあるものですからね。

自分の中にないものが外に出るはずもないですから・・・だから外に見えるものは自分のなかの投影に過ぎないと思っているのです。

「自分がそうだから人もそう」・・・良くも悪くも何かをジャッジしようとするときほど顕著になる心理。

相手にそんな気持ちがこれっぽっちもなかったとしても、受け取る自分にそれがあれば、受け取り方はまさに
「自分がそうだから人もそう」と思って受け取り、穿った視線に磨きをかけることもしばしばです

だからじーっと見つめているのです。お隣の国々の人々の主義主張を・・・日本の国の対応を・・・
そして、更にその奥に隠されていて見えないけど、何かがうごめいているような気配を

面白いと思うのは、注意をはらい凝視し始めると、それが小さくなったり消えていくような気がするところです。

気づくことで見つめることで問題が消えていくような気がしてます。今まで、気にも留めず見ることも知ることもせずに
我関せずで通してきた問題を初めて気に留め、調べ、知り、注目し始めたら、タイミングを同じく大騒ぎが始まって
いました。

きっと私のように、我関せずから「注目」という関わりを始めた人達が沢山出てきたんだろうな・・・と今は思っています。

世界という世間を全く知らなかった世間知らずのものぐさが、やっと「世間」を知り始めた今日この頃です

今日も独り言にお付き合いくださいましてありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

真実を 目にする為には 幾重もの

隠れる欺瞞を 見破るほかなく

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楽しい夏休み

2012-08-19 | 幸せ・・・
こんばんは

先週は帰省しておりまして、すっかりサボっておりましたすみません

久々に兄弟姉妹と会えて、色々と話ができてとても楽しい夏休みとなりました。

子供達もいとこ達と大はしゃぎで、とても楽しかったようで娘は、実家から帰ってくる間ずっとホームシック?で
「おばあちゃんちには今度いつ行くの?」と半べそをかいていました

楽しい時間は本当にあっという間に過ぎてしまいます。
宿題をたんまりと溜めたまま、遊びほうけた息子には厳しい現実が待っていますしね

実家に帰るたびに思います。あと何回こうして帰ってこられるかなぁ~と

両親が元気でいるうちだけが「実家」であって、世代が代われば実家だけれど実家じゃなくて兄弟の家に変わってしまいます。
安心して、わがままし放題、言いたい放題で「子供」に返れるのは、本当にあと何回あるだろうかって帰るたびに思っています。

幸い、我が家の父母は健康でいてくれてますから、そのままずっと元気でいてくれることを祈るばかりです。
父母にそれ以上望むことなど何もないからです。

我が子に対してもそんなふうにだけ思えたら、どんなに心穏やかでいられることか・・・

それができなくて、毎日「般若」の形相ですからね

まだまだ、修行が足りないので葛藤の「苦」は続きそうです

今日もたあいない独り言にお付き合いくださいましてありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

在ることが 当たり前ゆえ 忘れ行く

その大きさも 有り難ささえも

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カルマ(業)

2012-08-08 | ものぐさの独り言
こんばんは

今日のタイトルは、スピリチュアルに興味を持った方なら、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

私が初めて「カルマ」という言葉を目にしたのは20歳くらいのときでした。
友人の彼氏が「カルマ(業)」というタイトルだったかな・・・の本を持っていて、彼女(私の友人)に読ませようと
半ば強引に貸し付けたようなのですが、友人はそういう胡散臭い話には全く以って興味がない人で迷惑そうだったのを覚えています。

私はといえば、興味津々でしたが友人の手前、「怪しいよねぇ・・・どんな本なの?」なんて言いつつチラ見した覚えがあります。

チラ見したその本には、前世で人殺しをしたので今生で殺されることになるといった「目には目を」の法則みたいな
書かれ方をしていて、怖かったし、とても違和感を覚えて納得できなかった気がします。

そんなに単純なものではないような気がしたのと、神様が罰をを与える的な発想が好きではないという
理由での違和感だったのだと思います。

チラ見ですから、それが本の全容だったかは定かではありませんけどね

今もきちんと理解しているわけではありませんが、これまでの経験から
「カルマ」=「考え方の癖(姿勢)に対する自業自得システム」と考えるようになりました。

確かに「考え方に対する自業自得システム」とは思っていますけど、何も外から強制的に罰が加えられるのではなくて
自分が自分で頭の上にいずれ落ちてくる石を放り投げるイメージですかね・・・命中率100%回避不可能な石

自分のしていることは、例え自分では意識していなくても、自分が1番良く知っているはずです。

無意識であろうと、意識的であろうと、自分のしたことは自分に返ってくる。気づくまで、何度でも何度でも・・・
それが痛いければ痛いほど、目が覚めることだってあります。


例えば大人になって間違えて覚えていた漢字に気がついたことはないですか?
自分では全く気がつかず、間違っている漢字を使っていたのにある日ふとしたことで気づいたり、誰かに指摘されて気づいたり・・・
最初は間違ってることは認めたくないのですが、でも、調べてやっぱり自分が間違えて覚えていたことを認めて初めて
新たに正しい漢字を覚えなおすことができるのではないでしょうか。

その後も時々勢い(癖)で書けば間違って覚えた方を書いて失敗も繰り返して
しまうかも知れませんが、間違いに気づけば訂正できるし、間違わないように気をつけて書くことができます。

もし、間違いに気づけないままであれば、何度書いても○はもらえませんよね。

そんなこんなで授業時間(人生)が終わってしまえば、また次の授業に持ち越しなって、覚えることになってしまいます。

・・・・・そんな単純な話じゃないでしょうけど、ものぐさの理解レベルでの「カルマ(業)」はこんな感じです

自分のものの見方にも考え方にも「癖」があります。それが心にかかっているサングラスです。
人はなくて七癖なんていわれますから無意識でやってる「癖」を見抜くことがカルマの発見!!ってことなんだと思っています。

今日も、分かりづらい例え話満載の独り言にお付き合いくださいましてありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

何故ここに 自分がいるのか 知りたくて

道半ばなれど 気づいたシステム
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心がけ

2012-08-07 | ものぐさの独り言
こんばんは

蒸し暑い日が続いていますね・・・今年は「冷夏」を強く希望していましたが・・・そうはならなそうですね

今日は、以前から時々読ませて頂いていたブログを紹介します。

リンクフリーということで、お言葉に甘えて貼らせていただくことにしました。

ダイジェストのように沢山の本の紹介をされているブログです。ブログ名は「2012年の黙示録」です

色々と読ませて頂いて、どれも凄いな・・・そうだったの!?・・・等々様々な感想を持ちましたが
皆様に読んで頂きたいなと思ったのはこちらの記事です。

ブックマークにもリンクしますので、どうぞものぐさのブログはすっ飛ばしても
ブックマークの方々のブログにぜひ目を通していただけたら嬉しいです

この世の中には、知れば知るほど怖くなる話もいっぱいあります。

以前にアップしましたが、人間の深い深い闇を見せられるのは、本当に空恐ろしい気持ちになります。

受け入れがたいようなことが、音も立てずに忍び寄っているのかも知れない恐怖に、誰も彼も信用できない気持ちになったり
勝手に四面楚歌の嵐を自分に起こして、もがいているような気分でもあります。

どれが真実でどれが嘘かの見分けがつけられなくて困惑してしまいます。

これをいわゆる「情報中毒」と呼ぶのでしょうかね

耳に心地よいことはすんなりと受け入れられ、耳に痛いことは聞く耳持たぬ・・・
それでいながら正体が定かではない「悪い方向」への話には、恐怖心をかきたてられながら本当なの!?
と引き寄せられる。

そんな雑念に右往左往しているうちに、ぐるぐる迷路で迷子です

迷子になって、辿りつく答えはいつも一緒なのです。問題は外ではなく自分の内側にあると・・・

この先、世の中がどう変化して行こうとも、自分の力ではどうにもこうにもなりそうにないとしても、明日人生が終わって
しまうとしても、どうにもならない運命の中で変えていけるものが一つだけあります。

それは「心がけ」・・・怠惰な心がけが大半のものぐさに言われたって、何の説得力もないかも知れませんが
それでも「心がけ」ひとつで、自分を取り巻く「外」は良くも悪くも少しずつ、それでいて劇的に変化していくと思います。

決して「こうでなくてはならない」「こうしなくてはならない」という枠はありません。

自分の想いの赴くままに自分が良かれとおもう「心がけ」を試してみればいいのではないでしょうか。

そこには「継続は力なり」となり、結果として還り、そして因果応報の「因」が自分自身にハッキリと見えるようになるかも知れません。

ハッキリ見えたら、後は簡単です。その因が気に入らないものなら選択しなくて済むし
気に入ったものなら選べば良いのですから

自分がどういう「心がけ(姿勢)」でいるのか、自分をゆっくり見つめてみれば、きっと気づくことは沢山あると
思っています。

今日も独り言にお付き合いくださいましてありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

ものぐさは 嫌だと言いつつ 許可してる

姿勢が自分を 決定している
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空想日和

2012-08-01 | ものぐさの独り言
こんばんは

常々、どんなものにも事にも「周期」があると思っているものぐさです。

今年もまた誕生月が来てしまいましたしね・・・

人間と同じように、地球や太陽や銀河系はたまた宇宙そのものに周期があるとしたら・・・・
ちょっと考えても既に頭から煙が出そうです()うぅぅ・・・

そんな、壮大な空想にぼやぁ~っとする暇があったら、やることはたくさんあるだろ!!って怒られそうですけど

でも、空想ついでにマヤ暦とかフォトンベルト等わかりやすく解説してくれてるサイトを見つけましたので興味のある方はこちらからどうぞ。

2万6000年という周期・・・それを人間時間に例えたら・・・朝と夜みたいなものでしょうか・・・
(えぇ・・・お分かりのように、既に頭から煙が出てるので、無理に勝手に解釈します

そのちょうど新しい朝を迎える夜明け前(闇から光へ)が今なのか・・・なんて勝手に想像しています。

夜明け前が1番暗くなる・・・そんな言葉も目にします。今漂っている閉塞感も焦燥感もそんなことと関係しているのかもなぁ・・・
とこれまた勝手なこじ付けですが

もし、そうなのであれば、地球に住まわせてもらってる人間もその流れに逆らうことなど無理というもの

自然に逆らえないように、季節に逆らえないように、宇宙の周期に組み込まれている一部に過ぎない人間は
その中で限られた時間を生かされている、お邪魔させてもらってるということですからね。

宇宙の気の遠くなるような流れからしたら、人間の一生なんて一瞬の輝きほどの短い時間ですよね・・・。

そんな一瞬の輝きほどの短い時間の生を受けたのが、13000年の夜が明ける時期だなんて
なんてタイミング!!すごいなぁ~と思うようになりました。

せっかくですから、見たいです。新しい時代を。

夜が明け、今まで暗くてよく見えなかった美しい景色が光に照らされ輝く様を

光に照らされ、闇が闇でなくなる世界を

新しい時代・・・アセンションかぶれのものぐさは今日も健在です

今日はそんな空想気分だったということで・・・暑さにいよいよ頭がショートしたのかも

今日も絵空事にお付き合い下さいましてありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

うっすらと 日の出間近の 空白み

闇掃われて 全てが見える
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