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ものぐささんの短歌日記

日々の気づきを短歌にのせて・・・

最初と最後の運動会

2011-05-31 | 子育て
こんばんは

今日、やっと「最初と最後の運動会」ができました。
先週の土曜日の予定でしたが台風の影響で延び延びになっていたもので

普通は「最初で最後」ですけど、我が家は新入生と6年生なので
小学校入学して初めての運動会と小学校生活最後の運動会なので
「最初と最後の運動会」と言うわけです・・・そんな説明を入れるほど
大そうなことではないんですけどね

息子が一年生の時の運動会では、上級生のお兄さんお姉さんがとても大きく見えて
巨人と小人ぐらいの差を感じました。あと5年もすればこんなに大きくなるのかと
想像しながら上級生の子達を見ていました。

あれから5年・・・やっぱり大きくなりましたね(当たり前ですが

走る姿も低学年は可愛いと眺めてますけど、高学年ともなるとその気迫と
迫力に圧倒されそうなほどになります。

たった5年でこんなにも子供って成長するんですね~

運動会で娘の同級生のお母さんや弟くんや妹ちゃんに会いました。
今年、幼稚園に入園したてのその子達を見ていると今度は逆に
こんなにも幼かったんだと思い返します。

そんな時、息子に対しては申し訳ない気持ちになるのです。
もっと、ちゃんと「子供扱い」してあげればよかったと・・・

早くできること、上手くできること、ちゃんとできること・・・そんなことばかり息子に求めて
育ててきてしまった後悔なのだと思います。

だまっていても子供はどんどん成長していきます。せかさなくても、慌てなくても成長していくのに
「早く、早く」とせきたてるように育ててきてしまったことが他のお子さんを通して今になってよく見えてくるのです。

まだまだ、成長の途中ですから今からだってゆっくり育てることはできるはずなのに、学年があがるほどに
難しく感じて、結局これまで通りの対応になってしまう自分に対する歯がゆさも同時に感じるのです。

子育ての最初の10年は、基礎工事・・・土台がしっかりしてない上にどんなに豪華絢爛な物を立てようと
ちょっとのゆれであっけなく崩れてしまう・・・その土台のコンクリートを固める余裕も与えず上に上にと
建物を建てるような子育てだったんだと痛感するのです・・・。

すみません愚痴になってしまいた

ゆっくり、ゆっくり、息子や娘のペースに自分を合わせる子育ての糸口を少しでも見つけて、実践していければ・・・
せっかく母としての体験をさせてもらっていますからね

今日も読んで下さってありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

成長の 魔法が見られる 運動会

小人が巨人に 無邪気が気迫に
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名言

2011-05-29 | ものぐさの独り言
こんばんは

5月23日に「参院行政監視委員会」が開かれたそうです。

リンクを貼ろうと思ったのですが・・・3月から編集画面の形式が変って、リンク貼れなくなってしまいました(T-T)
(もちろん私の技術力不足でですけどすみません

原発についての話を4人の方がそれぞれの立場で意見を述べています。
たまたまたどり着いたYouTubeでしたがとても興味深かったです。
もし興味のある方は・・・ない方もぜひ一度見ていただきたいなと思うものでした。

そんな訳で、リンクを貼りたかったのですが・・・前述したとおりうまくできず

大変申し訳ありませんが、自力検索で一つ宜しくお願い致します

その委員会の参考人として意見を述べた方のお一人である小出裕章氏が、話の最後に「ガンジー」の言葉を引用していました。

その言葉にとても感銘を受けたのでご紹介したいと思って今日の記事にしました。

ガンジーの残した名言「七つの社会的罪」

□理念なき政治。

□労働なき富。

□良心なき快楽。

□人格なき知識。

□道徳なき商業。

□人間性なき科学。

□献身なき崇拝。

とても深い言葉ばかりだと思いました。

小出氏は、自分も含めこのガンジーの言葉を噛み締めるべきと仰ってしました。

日本全体がこの言葉を噛み締めるべきなのだと思います。「権力」という力を手にしている方々は特にもです。

とは言うものの国とは結局、国民一人ひとりの集合体です。そうなると、やっぱりまずは自分自身のあり方を
見つめることが原点と言うことなのだと思います。それを一人ひとりがやっていって初めて集合体のあり方も
変っていくのではないだろうかと思うのです。

どんな「名言」も解釈は読む人に委ねられます。でも言葉を読んだり聞いたりして、「心の琴線」に触れた時の
感覚は解釈するより早く響きますよね。言葉にはならないけれど、確かに感じる「何か」・・・
それをたくさん感じられる自分で在りたいなぁ~と思うものぐさです

今日も読んで下さってありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

先人が 言葉に託した その想い

その深さゆえ 万人に響く
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ムキになる

2011-05-26 | ものぐさの独り言
こんばんは

最近、自分がムキになっていたりやこだわり過ぎて失敗する自分にハッ∑( ̄Д ̄ )とするときがあります。

子育てに関しては、こだわりとムキになることと我に返ることの繰り返しですが

自分のことを自分でコントロールできてるつもりで、実は暴走状態ってことが多々あります
特にムキになったりこだわりが強い時ほど最初の図面どおり(思い通り)にことを運ぼうと必死です。

そして、こだわればこだわるほどムキになればなるほど、面白いように逆の方向にことが進んでいくのも
これまた何とも不思議で

本当は心のどこかで分かっているのです。そんなにムキになる必要もこだわる必要もないって事も
最初の思い通りと違っていてもかまわないって事も・・・

でも、そんな自分の気持ちに素直に耳を傾けることも、心を開くこともできないから「こだわり」であり「ムキになる」であり
それをどんな種類であれ「執着」と呼ぶのでしょうね

今では「こだわりの一品」なんて言葉も聞きますけど、私の言ってるこだわりとは全然雰囲気が違います。

こだわりの一品と呼ばれる「こだわり」の方には、その向こう側にいる相手に喜んでもらいたいっていう試行錯誤の努力が
見えますけど、私が文頭で言ってきた「こだわり」は自分の思いをというか自分さえ満足できればそれでいいと言う意味の方の
「こだわり」です・・・って分かりきったことでしたね

同じ「こだわり」も向いている方向が違うと、全く受け取る意味の雰囲気が違う。
ムキになるは「向きになる」と書くそうです。こちらもきっと自分の方だけ向いていると陥りやすい現象なのかも知れませんね。

それでも心の中に超ワガママ娘を抱えている私は、やっぱりこだわったり向きになったりしては、またハッ∑( ̄Д ̄ )を
繰り返すことでしょう。そのワガママ娘を上手くなだめる事も諭すこともできないので、子育ても下手くそんんだなぁ~と
最近、わかってきたような気がするものぐさです。

今日も読んで下さってありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

向きになり 自分の為の こだわりを

通した後の 心地の悪さ
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JIN-仁-

2011-05-23 | ものぐさの独り言
こんばんは

ただ今、どっぷりと嵌っているドラマが今日のタイトルです。
TBS系の日曜夜9時からのドラマ・・・今日も食い入るように観させて頂きました

前に放送していた時は、「面白いよ!!」との噂は耳にしていたものの観ていませんでした。
それが、昨年末ダイジェスト版とのことで、これまでのものを一挙再放送をたまたま偶然
観てしまい・・・どっぷりと嵌ってしまったのです

なにせ、テレビっ子ですから

でも、今日は長州征伐の戦のシーンで、撃たれたり切られたりしながら多くの兵士が血を吐き流しながら倒れていくところが
とても痛ましくて、観終わっても若干のブルーな気分が残りました

人が亡くなるシーンは、作り物だと思っていてもどうしてこうも悲しくなるのか

ちなみに、昨日はパイレーツオブカリビアンの呪われた船長が呪いが解けたと同時に死ぬシーンでも
極悪非道を繰り返してしたはずの悪役ですが、最後にせめて一口だけでもりんごが食べれたらと・・・思ってしまう始末。

もちろん誰もかれもをかわいそうと思う訳ではないですよ
悪役でも全く共感できない劇中の人物には、怒りすらおぼえますから

とまぁ・・・感情移入てんこ盛りで、ドラマや映画を観るのは相変わらずです。

「仁」のドラマに惹かれるのは、汗臭い泥臭いほどに「生きる」ことを思い出せ!!と訴えているような・・・
「生きること」の目を覚ませ!!と往復ビンタをされるような衝撃と感動があるからかも知れません。

「生きていることは当たり前じゃない」と頭で理解はしていても、日常の慣れの中で動きが鈍くなっている心

心と身体が一体となった時にしか「生きてる!!」という実感は体感できないのかも知れません。

息をしている不思議に体が動く不思議に食べたものが自分の血肉となる不思議に気が付いたことがあるだろうか?
当たり前すぎて、考えもしなかった不思議で自分の体も地球も宇宙も動いている。

科学がどれくらい進んでゆけば、その不思議の働きの原点を発見できるのかな?

お~っと、不思議好きなおばちゃんの独り言の暴走が止まらなくなるところでした

皆様も、興味があればぜひ1度ご覧になってみて下さい・・・

今日も読んで下さってありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

死の瞬間 失われるのは 命かな?

それとも想いの 詰まった人生?

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夏?

2011-05-22 | 勝手な憶測
こんばんは

昨日も今日もとても暑くて、「もう夏?」と思うほどでした。
寒がりの私も、半袖で過ごしました

1番爽やかな季節と思っていた5月でしたが、今年は私の気持ちが気忙しい為か
5月恒例の「ほわわわぁ~(*´Д`*)」はあまり体感できなかった気がします。
・・・・勿体なかったなぁ~

暑いか!寒いか!のような両極端な気候が増えたのか・・・それとも、私の体感感覚が鈍って
極端でなければ感知できなくなったのか?

過ごしやすい季節と呼ばれる、春や秋が短く感じてなりません。

何の脈絡もありませんけど・・・前に、テレビで見たのですが・・・
今の子供たちは「かぼちゃ」と「サツマイモ」の味の区別が付かないらしいですよ 

マヨネーズ大好きとか、そういった味の濃い調味料をなんにでもかけて食べているうちに
繊細な味覚は失われ、刺激の強いものにしか反応できなくなってしまうらしいです

で、何の関係が?と思いますよね・・・

刺激が強すぎれば、それを超える刺激でなければ「刺激」として認識できない
逆に、ほんの少しの変化にはとても鈍くなってしまう。
暑くもなく、寒くもない快適な環境に慣れすぎて、今度はほんの少しの気温差が不快に感じてしまう。

どちらも「不快」を排除したい「もっと」と言う欲が共通点?
微妙な季節の変化を捉えられなくなっているのは、「かぼちゃ」と「サツマイモ」の区別の付かなくなった
味覚と同じような気がして、無理やり話をこじつけました

便利さは「不快」を取り除いてくれました。でも一方では「忍耐」(我慢)も激減しました。
快適さが勝り忍耐が減ったために生まれた勘違いが「思い通り」という欲の箍の緩みだとしたら・・・
誰もが思い通りを主張するがゆえの「モラルハザード」だったりするのかな・・・な~んて勝手な解釈をしてみたり

「思い通り」の思いが強ければ、そうならない時の「苦」も相乗効果で大きく感じる。
それが「被害者意識」を強める。

被害者意識の強さ=我の強さ?・・・なんて、大きな反感をお買い求めしてしまいそうな勝手な解釈に拍車をかけてみたり・・・
あくまで・・・あくまで「ものぐさの場合」と思って読んでやって下さい
(注:私の言う被害者意識と実際の何らかの被害に遭った被害者の方とは別としてお読みくださいね

さてさて、勝手な解釈を並べ立ててしまいましたが、いつもながらの「私はこう思う」というただの感想ですので
サラッと流して下さいね。私の主張の正しさは、私だけに有効であって、他の方には無効だと思っていますから

今日も、勝手な思い込みの解釈話を最後まで読んで下さってありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

欲しいのは そのコインの 表だけ

無理なら裏は 見ないでおこう 

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壊れたテープレコーダー

2011-05-17 | ものぐさの独り言
こんばんは

今日のタイトルは・・・「テープレコーダーって何?」とテープレコーダーを知らない人が読んでいない前提での話

私の母は、同じ町内の人とお見合い結婚し、一度も町内以外に住んだことがない人です。

母にとっては、生まれ育った町内が自分の世界の全てといっても過言じゃないかもしれません。

だから、狭いでの人間関係はとても重要なのです。どこに逃げる事もできませんから・・・・

かと言って、気の合う人ばかりでもありませんので、気に入らなかったこと、気になったこと世間的にどうであった等々
自分の中で解決されなかったり、納得できなかった問題は、録音されたもののように何度も何度も繰り返し聞かされるのです。

そのことを私は「壊れたテープレコーダー」の再生が始まったと内心、思ってしまうわけです

問題と言う迷路に入ると、人は繰り返し繰り返し問題を思い起こしてはそこに自分を縛り付けてしまいます。

客観的に見れば、それはもう解決済みでは?と思うことでも、置き去りにされた本人の気持ちはそこの場所を
離れられず堂々巡りの迷路をさまよってしまうのです。

そんな時、「メビウスの輪に乗っかっちゃったな」とも思うのです。

人は、いつもメビウスの輪の中をずっと走り続けているような思いに駆られることがあります。

人からどんなにアドバイスをもらおうと、注意喚起されようと、他者の力では容易にメビウスの輪の外に出せません。

自分で気付き、自分で方向転換しない限り、進むべき方角を誰も変えられないのです。

ずっと、母にわかって欲しい!!気付いて欲しい!!と思い続けてきました。
それで色んな聞き方もしてみましたよ。反論してみたり、なだめてみたり、別の見方を提示してみたり・・・
でも、その瞬間は「あなたの言うとおりかもしれない」といってくれる時もあるのですが、結局時間が経つと
また同じテープの再生が始まるのです。

でも、そこには私の欲もあるのです。私の勝手な「母像」です。
母としてこうであって欲しい、と言う押し付けであって
母には母の壊れたテープレコーダーを再生し続ける理由があるのです。

だから、今は耳を半分だけ開けて聞いています
母の求めているものは解決する「答え」ではなくて、「聞いて欲しい・分かって欲しい」だと私なりに思っているからです。

たぶん息子も私のことを「壊れたテープレコーダー」と思っていることでしょう・・・
あっ、でも、息子の場合はテープレコーダーを知らないと思うので、飛んでしまうCDってとこでしょうか。

「また、母ちゃん同じ事いってるよ・・・もう聞き飽きた」ってね

私はもちろん、母もメビウスの輪の上で同じ考えを再生し続けている自分に停止ボタン押せれば良いのですけどね


今日も読んで下さってありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

自我と言う メビウスの輪の その上で

同じ考え 再生し続け

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比較

2011-05-13 | 子育て
こんばんは

朝は曇り空だった東京もお昼前から雨模様になりました

今朝、傘を持たせてなかったので、お迎えに行ってきました。

娘も入学して早1ヵ月、帰り際の友達とのガールズトークにちゃんと参加できているだろうかと
気になりつつ、お友達との会話に聞き耳を立てていました。

でも、元々言葉が遅い上に滑舌も悪い娘は、思うようには参加できていないようで
不安な思いだけを募らせ帰って来ました。

「比較」から出される答えは、決まって「劣等感」か「優越感」だけで他に何もないのに・・・
こと、子供のことに関しては比較せずにはいられないのもまた本音

○○ちゃんはしっかり者、△△ちゃんは頭がいい・・・それに比べてうちの子は・・・

「隣の芝生は青く見える」と言うけれど・・・見えすぎだ!!
自分ちの芝生を完全否定してるって証拠ですよね・・・・自分がされたらたまったものじゃないのに

○○の奥さんは料理上手、△△の奥さんは超きれい好き、それに比べてお前は・・・なんていわれようものなら
絶対ひねくれる自分なのに

生まれる前は一心胴体だったわが子・・・生まれてからもしばらくはわが身同然で育てます。

けれど、やっぱり別の人間なのです。彼も彼女も私ではないのです。

そこに気付くまで、もどかしさは味わい続けなければならないのかも知れません。

私が子供達を受け入れてるのではなくて、私の親と言う名の「傍若無人」ぶりを受け入れてくれているのは息子や娘の方

「思い通り」も「もっとこうなって」も自分に投げかけられれば、絶対受け入れがたいことなのに
子供たちは子供達なりに必死にそれに応えようとするのです。

傍若無人の意味を調べたら以下のような意味でした。

人前をはばからず、勝手に振る舞うさま。他人を無視して、勝手で無遠慮な言動をする様子。
▽「傍らに人無きが若(ごと)し」と訓読する」

それをものぐさに当てはめると・・・

「子供達の思いも考え方も存在していないがごとし」という感じでしょうか

「比較」はそれに拍車をかけるような気がして、反省も兼ねつつブログに綴ってみました。

隣の芝生が青く見えるのは、日向の部分ばかり見るからです。自分ちの芝生が青く見えないのは日陰の部分ばかり見るからです。
それが「比較」の錯覚ってことなんだと思います。

今日も読んで下さってありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

比較から 生まれた手枷 足枷で

子供の自由を どこまで奪う?

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さらば連休 (*´Д`*)ノ))

2011-05-07 | ものぐさの独り言
こんばんは

今年のゴールデンウィークも明日でおしまいですね

長い方は10日間もお休みだったのかなぁ~。

私は、いたってカレンダー通りのお休みでしたけど、今週はいつにもまして「あっ」と言う間に過ぎた気がします。

娘の入学を機に机やらベッドやらを買うついでに、リビングも模様替えをしたのですが
購入した商品に何故か?何かと不備があり直してもらったり、交換してもらったりしていて
先日やっと模様替えの全てが完了したしました。

一瞬、きれいだったリビングも、ものぐさの手にかかればあっという間にプチゴミ屋敷・・・新しい家具に申し訳ないです

いつもながら思うことですけど、どんな豪邸に住もうが、どんな高価な家具を買おうが(実際、夢のまた夢ですけどね
結局、私がものぐさである以上、おうちはきれいにはならないってことの証明だけを繰り返してる感じですね

どこに行っても、私が付いて回るのですから、作り出す状況は一緒ってことですね

言い訳のむなしさを実感する瞬間でもあります。

もっと家が広ければ!!もっと間取りが良かったら!!子供たちが大きくなれば!!・・・よりどり、言い訳をしてみても
同じ状況になってしまうのは、他に原因があるのではなくて、自分に原因があるからですもんね

何かの言葉にありますよね。

「今いる場所に平穏を見つけられないで、一体どこに平穏があるの?」っていう感じの話。

それって、今のものぐさの状況ってことです。

家具を変えても、配置を変えても、現状を見渡せば変える前となんら変わりないですから・・・

さて、この不満の残る状況は打破できるとしたら、それもやっぱり自分ですよね。
自分以外に自分を動かせる人も、選択・決断する人もどこにもいませんからね。
例え、人から強要されたように思うことでも、そこまでに自分を持っていったのはやっぱり自分ですから

逆に言えば自分次第で、自分の状況は変えられるってことです。

180度を一気に転換!!でなければ変ったと思えない・・・なんて極端な話でなくても良いと思います。
少しずつ・・・1度変化したって、その先の起動は変っていきます

自分の「在り方」の角度を少し変えただけで、その分だけ回りの人も状況もきっと変っていくはずです。

せっかく模様替えをしたので、連休最終日の明日・・・掃除します!!
(っていうか、毎日、掃除せんかいっっ by旦那様の心の叫び)

今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

在り方の 変わらぬ自分 携えて

どこまで行っても 景色は変らず

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強風

2011-05-02 | ものぐさの独り言
こんばんは

最近、頭痛がひどくてここ何日か痛み止めが手放せません
数日前に「寝違え」で首が痛かったのですが、その後から肩こりと偏頭痛がひどいです。

元々、腰痛もちで「腰椎椎間板ヘルニア」の診断を受けてますが、お世話になっている整形外科の先生いわく
椎間板が弱い人は、脊椎のどの部分でもヘルニアを起こす可能性はあるよとのこと・・・

て言うことは、首もヘルニアになってるのかも・・・トホホ

以前にも記事にしましたが、低気圧を敏感に感じるお年頃になりつつあるらしく、特に風が強く吹く2~3日前から
頭痛が悪化するような気がしています。

そこで、ふと思いました。今年は風が強い日が多いような気がします。

だから何?と言われれば、いつものごとく「いえ、特にこれといって・・・」と言う感じなのですが
風は、気候に大きな影響を与えてると思うので、また今年も変な気候になっていくのかとちょっと不安になりました

あまりに、大きな出来事が立て続けに起こっているので、自分の中での「こじつけ」かも知れませんけど・・・
いつもと「同じ」はありえませんが、これほど急激に何かが変っていくような感じは、やっぱり「不安」を呼んでしまいます。

ただ、それもやっぱり私の「こじつけ」という可能性も否めません。

人は逆三角形の点が三つあるだけで、線を結び人の顔として認識してしまうらしいですから・・・

シッタカブッタの本の中にもありますけど、例えば3の付く日に何回か嫌な出来事があれば、その人にとっては
「3の付く日」が鬼門となってしまいます。

何もなかった3の付く日は無視され、何か嫌な出来事があった3の付く日だけをフォーカスしてしまうからです。
それも一つの「思い込み」ですよね。

そうやって、自分を思い込みにの枠に閉じ込めてしまうことも多々ありますからね

そうかもしれない・・・でもそうじゃないかもしれない
決め付けず、選択の余地を自分の中に残しておくのは、思い込みや決め付けに自分を追い込まない一つの方法かも知れませんね。

決め付ければ、思い込めば、他の見え方の可能性も消滅してしまいますからね。

私も、低気圧と体の不調についてはもう少し観察してみようと思います

さて、最初の話からどんどん飛びまくってしまいましたが、今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

いくつのも 思い込みと 決め付けを

抱えて今日も 枠の中へと
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講演会

2011-05-01 | ものぐさの独り言
こんばんは

お約束の・・・気付けばもう5月です(いつも寝てるから気付かないのかしらねこの人

時の流れの速さに、全くついていけてません。前に進む準備もまだなのに、背中をぐいぐい押されているような
感覚で新しい月を迎えてる感じです

さて、世の中はゴールデンウィーク真っ只中・・・私はと言えばカレンダー通りの飛び石連休中で明日は仕事です

昨日は、阿部さんの講演会に行ってきました。

内容は・・・・ほとんど記憶に残っていませんけど(すみませんすみません期待はずれなヤツで(T-T))

ボブ・フィックスさんにお会いしたくていったら、なんとなんと!!向禅師や黒斎さんにまでお会いできて
まるで芸能人にいっぱい会えたかのような得した気分だけが大きくて、本当に話を聞いていたのかは
自分でもちょっと自信ないです

講演会「第一部」の講師として、向禅師も途中参加でお話に加わり、脳がとてもリラックスした時にでる脳波の話や
それぞれの悟った瞬間の体験談や瞑想も10分程度チャレンジしてみたり・・・・

あまりにざっくりで分かりませんよね・・・私の記憶力なんてこんな程度で・・・やっぱりすみません

でも、これまでもこれからも伝えたいことはきっと「全ては一つ」ということなのだろうと思いました。

言葉は便利ですけど、その言葉がお互いの隔たりも作ったりしてるとも言ってました。

阿部さんがたとえ話で、砂糖を一度も味わったことがない人に、砂糖の甘さを言葉やジェスチャーで伝えようとしても
それはやっぱり難しいことだけど、けれどその味の素晴らしさを伝えずにはいられなくなる。
砂糖を知らない人が、砂糖を一度味わえば言葉もゼスチャーもいらないのだけれど・・・
それと同じ事なんだって仰ってましたね。

体験に勝るものはないってことなんですね。

それでも、砂糖の味の素晴らしさを知ってしまった方々は伝えることで、砂糖の存在を知らしめ
より多くの方が、味わえるようにと奮闘なさっているのでしょうね

私も「百聞は一見にしかず」を体験してみたいです・・・見てみたいな~「一瞬の永遠」

でも、今の苦しさから逃れる為に「悟り」を求めていた若かりし頃とはちょっと違いますけどね

全てがひとつと悟ったら、この世の中全ての人が自分が今1番大切な人と変わりない存在に思えてくるとしたら
世の中あっという間に幸せになりますよね。

利権も物欲も何もあったもんじゃないです。

だって、1番大事な人を騙したり、物を奪い取ったりしようなんて心ある人なら、なかなか思いませんよね

どちらかと言えば、その人が幸せでいてくれるための努力に励みますよね・・・それが与え合う世界と言うことなんでしょうね。

しかも、自分だけが努力なんてしません。見渡せば自分の為に周りが努力して自分に与えてくれてることも分かります。
深い感謝はそれだけで深い愛に根ざしていると思うので、愛の与え合いの流れは止まりませんよね。

そんな世の中が来るとしたら一度は見てみたいですね。今だってよ~く目を凝らせば、自分に与えられているものは
たくさんあることだけは時々見えたりしますけど・・・ホントにごくたまにですけど

講演会に行った!!面白かった!!と小1の娘の作文並の記事で申し訳ありません。
それでも、今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。

そんな今日の一首は・・・

「それ」を指す 言葉はよりどり あるけれど

指された「それ」は 唯一のもの
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