たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

いざ立教、6月第二週

2010年03月30日 20時27分00秒 | 自然と社会

分科会「自然と社会の民族誌―動物と人間の連続性」
http://www.jasca.org/meeting/44th/index.html
キーワード:自然と社会、人間と間、連続性/非連続性、
存在論、民族誌

17世紀の近代科学の黎明期に、それまでは自然のなかにあるとされていた諸性質が自然から分断され、人間の精神の側に帰属させられるようになった。自然は、目的的理性をもたない、死せるマテーリアとなったのである。こうして、自然を人間の外なる存在とする自然と社会の二元論が生まれた。

この自然と社会の二元論は、西洋哲学に、より強く人間の精神思考の枠組のみを問うことへの根拠を与えるようになった。その結果として、今日の西洋哲学は、精神を有する存在は人間だけであり、人間と間の間の質的な断絶、すなわち、人間と間の間の非連続性を強調する傾向がある。

他方、20世紀後半の自然科学の進展は、このような西洋哲学の人間観に対して新たな問題を提起しようとしてきた。人間と他の霊長類との類似性を示した霊長類学、ロボットに自意識や理性や想像力や道徳的感情をもたせようとする人工知能研究、ゲノム解析によって人間と他の生物との遺伝子レベルでの共通性を解明した遺伝子研究などは、人間と間が本質的には、同じであると主張することで、人間と間の間の境界をぼやかし、それらに対する連続性を見出す眼差しを打ち立てようとしている。

間と人間の峻別といった、自然と社会の二元論思考の内包する問題が指摘されたのは19世紀末であり、決して新しくはない。しかしながら、そうした二元論への信念は、簡単に乗り越えることができないほど根深かかったのである。あくまでも動物などの間とは本質的に異なるとされていたからである。

現在、注目すべき取り組みが、生態心理学においてすでに始まっている。アフォーダンスという知の組み換えをつうじて、わたしたちを取り巻く環境の記述が試みられているのである。生態人類学は、自然と社会をめぐる非連続性に基づく従来の二元論思考において注意が向けられなかった、隙間や穴といった環境の存在論に注目し、自然と社会の連続性のもとに現われる日常の生態を描き出そうとしている。

近年、人類学でも、自然と社会の非連続性とは異なるコスモロジーをもつ人々の民族誌を描き出すことをとおし、西洋の二元論思考が抱える難題に挑戦する研究者たちがいる。デスコーラによれば、南米・アマゾニアのアシュアル社会は、人間と動植物が同じ規則に従う「自然の社会」であり、そこでは、西洋において自明的に想定されるような人間、動植物、精霊などの明確な弁別がなされないという。ヴィヴェイロス・デ・カストロは、アメリカ先住民の存在論では、人間と間は、一方で、諸存在が互いに異なる身体をもつという形而下の非連続性によって、他方では、諸存在が互いに意思疎通が可能であるという形而上の連続性によって結びついていると述べている。このような民族誌研究をつうじて、人間と間、自然と社会の構成要素が緩やかに連続し、和合している状況が明らかにされてきている。 

本分科会では、自然と社会の二元論の乗り越えの試みをさらに発展させるために、こうした理論検討と民族誌記述を手がかりとして、人類学の観点から、自然と社会の非連続性と連続性をめぐる問題提起を行う。  

取り上げる内容は、以下の通りである。
①民族誌的な存在論の可能性と意義に関する理論的考察、②日本の神経生理学教室の実験室でなされる研究活動に内在化された自然と文化の二分法をめぐる問題の検討、③ボルネオ島の狩猟民における人間と動物の魂の連続性をめぐる民族誌、④チベット仏教社会において動物個体に対して行われるツェタル儀礼に見られる自然と文化の連続性をめぐる考察、⑤ニューギニア農耕民の内水面漁撈の技術から見える魚への人間性の拡張。 

自然や環境、生態をめぐる人類学の調査研究の多くは、幾つかの例外を除き、自然と社会の二元論に基づく視点からなされていた。それに対して、本分科会が目指すのは、デスコーラが取り組むような、諸存在をめぐる諸関係のなかから立ち現われるような「諸関係の一般生態学」への展開への意識である。本分科会では、自然と社会を取り扱うために、文化人類学が主題とすべき問題を再定義し、自然や環境や生態を語るこれまでにない視点を提起したい
(c)田所聖志(東京大学)、奥野克巳(桜美林大学)(20091130、一部改訂)

(写真:キャンプで寝るときには枕にもなるマイザック)


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1 コメント

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Unknown (たんなるエスノグラファー)
2010-03-30 21:03:35
ワーグナーの管弦楽曲「神々の黄昏」を全曲通しで聞いたことがなく、ここ数日どうしても聞きたくなったので、今日病院の帰りに、新宿に寄って買おうと思って高島屋に行き、あのでかいCD屋の名前があやふやにしか思い出せなくて、案内の女性に、あのー、HIVは何階ですか?と尋ねたら、CD売っている店のことですね?と逆に聞き返されて、次の瞬間まちがいに気づいたのだけれど!、そのまま笑って誤魔化していたら、引っ越しましたと言われた。新宿を歩き回って探したのだけれど、お目当てのCDは、結局見つからなかった。
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