たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

2018年12月、九州、マルチスピーシーズ人類学およびその関連の研究会とイベント、4件

2018年11月27日 12時12分32秒 | 人間と動物
◆雑誌『つち式』創刊記念鼎談 「生命の<からまりあい>に生きる」 来たるべきマルチスピーシーズ的未来のために
東千茅×奥野克巳×石倉敏明
2018年12月7日(金)19:00〜20:45(開場18:30)
於 熊本 長崎書店 リトルスターホール
 
 
◆第24回マルチスピーシーズ人類学研究会、熊本大学(文学部、大学院社会文化科学研究科)、九州人類学研究会後援
「食と肉の種的転回」
水元豊文、奥野克巳、佐藤岳詩、近藤祉秋、シンジルト、辻村伸雄、山口未花子、菅原和孝、北條勝貴、吉村萬壱、上妻世海、逆卷しとね、近藤宏、宮本万里、山田仁史、石倉敏明
日時:2018年12月8日(土)10:00-18:00
場所:熊本大学文法学部本館・共用会議室

 
◆『制作へ』刊行記念 上妻世海さんトークイベント 「制作的空間における変換と操作について - 飛び交うものたちと感応する身体」
日時:2018年12月9日(日)20:00~21:30(開場19:30)
出演:上妻世海さん(美術家/キュレーター)
場所:本のあるところajiro(〒810-0001 福岡県福岡市天神3-6-8 天神ミツヤマビル1B)
https://docs.google.com/forms/d/1o6TDLFuu7Y2bh16-fOF_uXPuTGjuBC21QhmOS7JWye8/viewform?edit_requested=true
 
◆第24回マルチスピーシーズ人類学研究会、宮崎大学農学部共同開催
「ジビエブームを科学する」
近藤祉秋、寺原亮治、シンジルト、⻄脇亜也、立澤史郎、河原聡、吉田彩子、井口純
日時:2018年12月14日(金)13:00~16:20
場所:宮崎大学農学部
 

第51回・日本文化人類学会研究大会・分科会(神戸大) 「他種と「ともに生きる」ことの民族誌―マルチスピーシーズ人類学の展望と課題」

2017年05月20日 19時57分51秒 | 人間と動物
11
2017年5月27日(土) 9:30-11:55 F会場(F202)

分科会 他種と「ともに生きる」ことの民族誌―マルチスピーシーズ人類学の展望と課題

代表者:奥野克巳

コメンテーター:大杉高司

大石高典 ニホンミツバチの養蜂におけるマルチスピーシーズな関係―海外事例との比較からみた国内研究の展望

島田将喜 妖怪キジムナーのモデルを追え!―境界的存在としてのヤンバルクイナと沖縄の妖怪

奥野克巳 ヤマアラシと人とものをめぐるコンタクト・ゾーン―サラワクにおける複数種のランドスケープ

合原織部 猟犬の領域の住還―宮崎県椎葉村の猟師と猟犬のコンタクト・ゾーンに着目して

近藤祉秋 「残り鳥」と過ごす冬―内陸アラスカにおける鳥と人の刹那的な絡まりあい





新刊紹介(2016年10月) 『鳥と人間をめぐる思考』と『動物殺しの民族誌』

2016年11月29日 18時13分09秒 | 人間と動物

①野田研一・奥野克巳編著
『鳥と人間をめぐる思考:環境文学と人類学の対話』
勉誠出版

2016年10月31日

はじめに・・・野田研一

序論―環境文学と人類学の対話に向けて・・・奥野克巳

第1部 文学と人類学の対話
 第1章 犬むさぼる呪術師―内陸アラスカのワタリガラス神話における犬肉食・・・近藤祉秋
 第2章 鳥を〈かたる〉言葉:梨木香歩の〈かたり〉の〈かたち〉・・・山田悠介
 第3章 リーフモンキー鳥のシャーマニック・パースペクティヴ的美学
      ―ボルネオ島プナンにおける鳥と人間をめぐる民族誌・・・奥野克巳
 第4章 剥製の欲望から諸自己の詩学へ―一九世紀アメリカ文学における鳥の表象・・・山本洋平
 第5章 コメント① ・・・山田仁史 / コメント② ・・・野田研一

第2部 鳥をめぐる文学
 第6章 日本近代文学における鳥の表象―夏目漱石「永日小品」と泉鏡花「化鳥」を中心に・・・北川扶生子
 第7章 人間中心主義の解体へ向けて―近代イギリス文学にみる鳥の表象の変遷・・・唐戸信嘉
 第8章 開かれた〈想像力〉、解放される〈時間〉:〈いま・ここ〉に遭遇する物語・・・李恩善
 第9章 鳥の名前の倫理学・・・河野哲也
 第10章 【座談会】鳥の表象を追いかける・・・中村邦生×野田研一

第3部 鳥をめぐる人類学
 第11章 羽衣伝承にみるミンゾク学と文学の接点・・・山田仁史
 第12章 アガチャーとキジムナー―ヤンバルクイナの生態学的特徴と沖縄の妖怪伝説・・・島田将喜・宮澤楓
 第13章 フィリピン・パラワン島南部の焼畑漁撈民パラワンの鳥の狩猟罠・・・辻貴志
 第14章 カザフ騎馬鷹狩文化の宿す鷹匠用語と語彙表現の民族鳥類学・・・相馬拓也
 第15章 環境と虚環境のはざまを飛び走る鳥たち―狩猟採集民グイの民族鳥類学を中心に・・・菅原和孝

あとがき・・・奥野克巳

②シンジルト・奥野克巳編著
『動物殺しの民族誌』
昭和堂

2016年10月31日

序 肉と命をつなぐために・・・シンジルト

第Ⅰ部 動物殺しの政治学
 第1章 儀礼的とクセノフォビア ― 残酷性と排除の文化政治学・・・花渕馨也
 第2章 子殺しと棄老 ― 「動物殺し」としての殺人の解釈と理解について・・・池田光穂
 第3章 殺しと男性性 ― 南部エチオピアのボラナ・オロモにおける「殺害者文化複合」・・・田川玄

第Ⅱ部 動物殺しの論理学
 第4章 狩猟と儀礼 ― 動物殺しに見るカナダ先住民カスカの動物観・・・山口未花子
 第5章 毒蛇と獲物 ― 先住民エンベラに見る動物殺しの布置・・・近藤宏
 第6章 森と楽園 ― ブラガの森のプナンによる動物殺しの民族誌・・・奥野克巳

第Ⅲ部 動物殺しの系譜学
 第7章 供犠と供犠論 ― 動物殺しの言説史・・・山田仁史
 第8章 狩猟・漁撈教育と過去回帰 ― 内陸アラスカにおける生業の再活性化運動・・・近藤祉秋
 第9章 優しさと美味しさ ― オイラト社会における屠畜の民族誌・・・シンジルト

鳥と人間の関係学をめぐって:文化人類学と環境文学の対話(2016.2.18.東北大学)

2016年01月27日 15時42分08秒 | 人間と動物

第156回東北人類学談話会

鳥と人間の関係学をめぐって:文化人類学と環境文学の対話



日時:2016年2月18日(木)13:00~
場所:東北大学 川内南キャンパス、文学研究科棟(地図のC13)
アクセスマップ

文化人類学は、人間と間の絡まりあいに着目するマルチ・スピーシーズ民族誌の台頭により、人間およびその文化のみを扱うこれまでのあり方から、「人間的なるものを超えた人類学」へといま大きく視野を拡大しつつある。他方、文学にあらわれた人間と自然環境の関係性を探究する学問領域として、環境文学研究あるいはエコクリティシズムが注目を浴びている。本研究セミナーでは、間すなわち自然的存在者として、人間にとっては謎多き「鳥」をめぐって、民族誌学と環境文学研究の対話を試みる。これまで領域が近すぎるあまり等閑視されてきた文・文の学際的対話の先に、ポストヒューマニティーズ研究の行方を探る。

発表1 近藤祉秋(アラスカ大院、文化人類学) 
    呪術師ワタリガラス、糞をひる:内陸アラスカの鳥をめぐる神話・狩猟・パーソンフッド
発表2 山田悠介(立教大院、環境文学)
     鳥を〈かたる〉言葉
発表3 奥野克巳(立教大学、文化人類学)
           リーフモンキー鳥のシャーマニック・パースペクティヴ的美学:
           ボルネオ島狩猟民プナンの鳥と人間の民族誌
発表4 山本洋平(明治大学、アメリカ文学)
         テクストの剥製、あるいは剥製の詩学:
           19世紀アメリカ文学における鳥の表象
コメンテータ 山田仁史(東北大学、宗教学、民族学)、野田研一(立教大学、環境文学)

問い合わせ先 東北大学 大学院文学研究科文化人類学研究室
〒980-8576 仙台市青葉区川内27-1 Tel:022-795-6042
E-mail:tohoku-anthropo@sal.tohoku.ac.jp
東北人類学談話会主催
科研費基盤研究(A)「動物殺しの比較民族誌研究」共催


綺麗な何もない所に座る鳥

2015年08月24日 21時38分26秒 | 人間と動物

トリのエッセイを書いていて、探していたら、セイランの写真があった(以下)。
つまり、プナンとともに、おいしくいただいたことがあったのだ。
キジの一種。
写真は、オスのセイラン。
すでにお亡くなりになっている。
長い尾羽。
風切羽には、眼状の紋が見られる。
学名、Argusianus argus、準絶滅危惧種。
プナンの方名は、クアイ。
クアイ、クアイと鳴くから。
忌み名は、「ジュイト・モク(juit mekeu)」あるいは、「ジュイト・アニ(juit anyi)」。
動物の忌み名とは、狩られて持ち帰られた獲物を呼ぶ時の名前。
綺麗な何もない所(anyi)に座る(mekeu)からである。
セイランは、森の平らな場所を足で踏みならし、落ち葉などを取り除いて綺麗にしてから座ると、プナンは説明する。
ウィキペディアの「生態」欄にも、それとそっくりのことが書かれている。


 


第49回日本文化人類学会研究大会 分科会「文化空間において我々が犬と出会うとき」

2015年05月01日 12時53分01秒 | 人間と動物

第49回日本文化人類学会研究大会 分科会「文化空間において我々が犬と出会うとき-狗類学(こうるいがく)への招待」
代表者:池田光穂(大阪大学)

2015年5月31日(日)9:25~11:50
大阪国際交流センター

「趣旨説明」 池田光穂(大阪大学)

「プナンのイヌ―人の道具でもあり、人に近い間」 
奥野克巳(立教大学)

「犬肉食をめぐるタブーとアイデンティティ」 
山田仁史(東北大学)

「独自なるものとしてのショロイツクイントゥリ―謎めいた呪術的存在からユニークなペット犬へ」 
池田光穂(大阪大学)

「カメルーンの狩猟採集民バカと犬―狩猟をつうじた生態学的なニッチ構築とその重層的な文化化」 
大石高典(総合地球環境学研究所)

「社会の内なる野生―宇宙論の「境界」を更新するイヌとオオカミ」 
石倉敏明(秋田公立美術大学)

コメンテータ:栗田博之(東京外国語大学)


研究会案内 「動物をめぐる言説」(2014.2.19.)

2014年01月27日 19時00分24秒 | 人間と動物

研究会「動物をめぐる言説」

神話のなかで、動物が人であった時代のことが語られるが、私たちは、そうした神話時代が過ぎ去った後の、人は人、動物は動物である現在を生きている。そうした社会に対して、近隣の他者を、動物が変身した人であると語り、そう捉えられた他者は、動物のなかにも人が紛れ込んでいると語るような地域もある。それらは、過去から現在にいたる時間軸のなかで、動物は人であり、人は動物でもある、ひとつながりの存在である(った)ような社会(地域)だと言えよう。この研究会では、中米およびアフリカにおいてフィールド調査をされたお二人の研究者をお招きして、動物をめぐる言説を中心にお話をうかがって、人と動物、人と自然というテーマに関して考えてみたい。(科研費基盤研究(A)(海外学術調査)「動物殺しをめぐる比較民族誌研究」(代表者:奥野克巳)による研究会)

日時:2014年2月19日(水)13:00~
場所:桜美林大学崇貞館B335
アクセス

趣旨説明 奥野克巳 13:00~13:10

発表1 13:10~15:10 (質疑応答含む)

近藤 宏 (立命館大学生存学研究所)

形態的イメージをめぐって―パナマ東部先住民エンベラにおける動物に関する諸言説―(仮)

休憩        15:10~15:30

発表2 15:30~17:30 (質疑応答含む)

大石 高典 (京都大学アフリカ地域研究資料センター)

人と人、人と動物の境界維持と象徴実践―カメルーン東南部熱帯林における近現代をめぐる語りと「動物」の位置―(仮)

休憩        17:30~17:45

ディスカッション    17:45~18:45


殺生科研2013-3

2013年11月05日 17時21分33秒 | 人間と動物

本年度の殺生科研の第3回研究会

・10月26日=「来たるべき人類学構想会議・第4回の集い
・10月27日=桜美林大学・明々館

1.「北方樹林の倫理学者:内陸アラスカにおける動物を殺す/生かすこと」 
  近藤祉秋(アラスカ大学フェアバンクス校人類学科博士課程)

5カ月弱のフィールドワークに基づいて、アメリカ合衆国アラスカ州の北方アサバスカン文化における「動物を殺す/生かすこと」に関わる調査研究の途中経過が口頭で報告され、質疑などを含めて、活発な議論が行われた。野生の鳥に餌が与えられ、動物を殺すのとは反対に、動物を生かそうとする行為が行われるなど、民族誌データが非常に興味深く、今後の調査の進展が大いに期待される。

2.Rane Willerslev "Not Animal, Not Not-Animal: Hunting, Imitation,and Empathetic Kowledge among the Siberian Yukagirs" Journal of Royal Anthropological Institute(N.S.) 10: 629-652 の仮翻訳に基づく読解

これは、Viveiros de Castro の「観点主義」のベースとなった論文"Cosmological Deixis and Amerindian Perspectivism"を下敷きとしながら、シベリアのユカギールの狩猟における人と動物の関係を解釈した論文である。ウィラースレフは、この論文のなかで、ユカギール人は、動物のように振る舞うが、それは不完全なものであって、決して、完全に動物そのものになってしまうのではないという、「動物ではない、動物でないのでもない」情況を描きだしている。しかしながら、参加者間の議論では、そうした論点を支えるような民族誌データが、全体的に、乏しいという意見が出された。

3.谷泰著『牧夫の誕生』の読書会

これは、西アジアにおける羊・山羊の家畜化の開始とその後の牧畜の展開を、考古学資料や民族誌資料に基づいて、丁寧に跡づけた、牧畜研究書である。あくまでもロジカルに、論証を積み上げてゆく著者のスタイルは明快であり、農耕・狩猟段階から牧畜が開始されたプロセスを辿ることができる一方で、繰り返しが多く、より薄い本にもなり得たのではなかったかという意見が出された。雄誘導羊の去勢と人の去勢を比較するパートは、はたして必要だったのかどうかという疑問の声もあった。我々の主題である「動物殺し」に関しては、「殺して集める」弓矢猟から「集めてから殺す」追い込み猟へ、その後の母子生かしおきを介して、逃げない獲物(=家畜)の発生や、その延長線上で、西アジアの牧夫は、人民統治における西洋の生の管理という牧畜的思考の源泉であった点など、興味深い指摘がたくさんあった。

4.今後の調査や研究の進め方の打ち合わせ

各メンバーの調査研究の進捗の報告の後、今後の科研研究の進め方、なかでも、次回の第4回の研究集会について、さらには、来年度の文化人類学会研究大会の分科会発表などに関して、議論と打ち合わせが行われた。

本年度の過去の研究会については:
殺生科研2013-2
殺生科研2013-1


殺生科研2013-1

2013年04月15日 19時58分13秒 | 人間と動物

◆本年度の殺生科研の第1回研究会(4月13,14日、桜美林大学明々館)で、チンパンジーの「狩り」をめぐる3論文を読んだ*1。

*1
・ジェーン・グドール 「II.狩猟」『野生チンパンジーの世界』杉山幸丸・松沢哲郎訳、ミネルヴァ書房、1990
・保坂和彦 「第9章 狩猟・肉食行動」西田利貞・上原重男・川中健二編著『マハレのチンパンジー:<パンスロポロジー>の三七年』京都大学出版会、2002
・「肉と獣:ボノボ、チンパンジー、そしてヒトの狩猟対象のイメージ」五百部 裕『アフリカ研究』42、1993

グドールの論文は、チンパンジーの「狩り」に関してのパイオニア的な研究であり、チンパンジーの動物(アカコロブス、ヤブイノシなど)の殺し方を含めて詳細な記述がなされており、その意味で、我々にとっては重要な論文であろう。保坂の論文は、チンパンジーがなぜ「狩り」をするのかについて、社会的要因の重要性に目を向けている。五百部の論文は、チンパンジー、ボノボ、ヒトの比較の観点を取り入れながら、プレイ・イメージ(獲物のイメージ)という認知の枠組みのなかで、「狩り」に迫ろうとしている。

◆生態人類学的な動物をめぐる調査研究について知るために、「トゥングウェ動物誌」を読んだ*2。

*2
伊谷純一郎「9.トゥングウェ動物誌」『人類の自然誌』原子令三・伊谷純一郎編、雄山閣、1977

伊谷純一郎が、トゥングウェの人びとの動物をめぐる世界へと接近しようと努めた果てにたどり着いた記述は、ナチュラリスト的な動物分類から、物語、歌のなかに現れる動物、動物の猟と漁、動物の象徴的側面にまで、多岐厖大にわたる。

「あまりに詳細なエスノグラフを書くことは意味がないという意見もあるようだが、ひとつの構造をもった全体を把握し、それへのトゥングウェの人たちの関与を徹底的に掘り起こすという作業を試みた。これらの資料の収集には十数年の歳月を要している。個々の体験を積み重ねていって、ほぼこれが彼らの動物的世界の全体だという納得ができたときに、私は、彼らの心性を投影しうる1枚のスクリーンを得たことになる。・・・こうして要素に分解し、それを配列した平面には、すでにある特定の要素と要素の間のさまざまな関係が生じている。・・・このような脈略や、複雑に染め分けられ彩られた平面全体が、トゥングウェの心性を投影しているのである。」

ある地域・ある社会の調査研究における動物に対して(民族誌的に)ズーム・インするだけではなく、ズームアウトして、自然科学の体系のなかで捉えること、この二面の先に考えていくことが大切ではないだろうか。

◆人の「動物殺し」のひとつとして、文化人類学の伝統的なトピックである「供犠」に焦点をあてて、『アフリカの供犠』を読んだ*3。

*3
リュック・ド・ウーシュ『アフリカの供犠』浜本満・浜本まり子訳、みすず書房

ド・ウーシュは、ユダヤ・キリスト教経由で導入された「聖と俗」の観念に基礎を置くフランス社会学の供犠論を退け、さらには、暴力の全面化を抑止する機構であると捉えたジラールの供犠理解を批判した上で、アフリカの具体的な民族誌記述を中心とした諸文献のなかに供犠の本質を探ろうとしている。読みにくいぐだぐだとした論述の先に、供犠には、一方で、供犠という殺しの場面の後に出現する調理するという側面、他方で、王や神などを介して、宇宙論的な秩序と深く結びついた領域があることを示唆しているように見える。研究会では、供犠論における「負債」概念(超越的な存在に対する負い目)やそれを返済するための贈与の議論を深めることによって、今後、供犠を行う社会の供犠だけではなくて、供犠を行わない社会の「動物殺し」への負い目や罪悪感の性質についても問い直してみることができるのではないだろうかという点などが話し合われた。

個人的な覚え書きとして。 


日本文化人類学会第47回研究大会・分科会「動物殺しの論理と倫理 ―種間/種内の検討」

2013年04月10日 17時55分46秒 | 人間と動物

日本文化人類学会第47回研究大会(於:慶應義塾大学三田キャンパス)

 6 月 8 日(土)15:00-17:25
I会場(524 教室)

分科会 動物殺しの論理と倫理 ―種間/種内の検討 

奥野克巳 (桜美林大学) 「趣旨説明
島田将喜 ( 帝京科学大学 ) 「動物が動物を「無駄に」殺すことはあるか?」

シンジルト ( 熊本大学 ) 「屠畜の新規範 ―中国西部における「人と動物」と「人と人」」
山口未花子 ( 東北大学 ) 「北米狩猟民カスカと動物との殺し殺される関係」
大石高典 ( 京都大学アフリカ地域研究資料センター ) 「「殺す/殺さぬ」の位相 ―カメルーン東南部熱帯林における動物殺しを事例に
コメンテータ:池谷和信 ( 国立民族学博物館 )

大会日程・プログラム


「動物殺し」の一年目

2012年12月30日 17時55分48秒 | 人間と動物

2012年の年末の数日、「動物殺し」というテーマを掲げて、われわれは、京都市と南丹市に集結した。

霙まじりの南丹市の観光農園では、シカの解体作業を見学(一部実習)させていただいた(上の写真)。シカを吊り下げて解体するやり方はプナンと同じだと思ったのだが、写真を見たら、吊るし方が正反対であるということに気づいた。南丹市では、足を上にして吊り下げて作業していたが、プナンは、頭を上にして吊るす(下の写真)。まず、皮を剥いで肉切れにするというのは、南丹市とプナンで同じであった。



その作業見学の場には、地球上の狩猟民や牧畜民の社会で、シカ類の解体を見たことがある人たちが集っていたので、解体法について訊ねてみたが、地面に横たえて解体作業をしているという所が多かった。アラスカでは、地面にカリブーを置いて、二人係りで、あばら骨を割っていくそうである。エチオピアの牧畜民もまた、地面に置く方式だそうであるが、都市では、吊り下げ式の解体作業が主流になっているというようなことであった。

日本の南丹市では、しとめた獲物は、縄をつけて、山から引き摺ってくるとのことだったのだけれども、プナンは、ふつう、獲物を背中に担いで降りてくる。シカの場合、首から上、足から下を折り曲げて、「三つ折り」状態にして運搬する(下の写真)。

こういった、広い意味での「動物殺し」の比較民族誌的な研究が、われわれの研究グループの眼目である。

研究の初年度だということもあり、今後、どんな調査が可能であるのかに関して、われわれは時間をかけて検討した。「動物殺し」に関して、【生物】【生態・経済】【表象】という3つの面を設定し、それぞれの面から、どのように「動物殺し」の調査研究を進めればいいのかという点に関して、各分野の専門家からの意見を踏まえて、意見や情報の交換を行った。研究集会をつうじて、たしかな議論の見通しを得られたのは、【表象】面だったのではないかと思う。パースペクティヴィズムやアニミズムを扱うような「存在論」への接近が一方にあり、他方で、対象と人類学者との距離を計りながら、他者の表象を記述考察することを強調する接近が、【表象】における一つの論争点であることが確認された気がする。【生物】面からの接近では、獲物の取れ方の定量的なデータを取ることによって、例えば、効率のためだけに活動しているのではないということなどが分かってくるというふうに、数値化の重要性について再認識できたように思う。

われわれはまた、チンパンジーのアカコロブス狩りに関して、メンバーの霊長類学者から話を聞く機会を持った。意図や動機が必ずしも明確ではない動物による動物殺しを詳細に観察するならば、「殺す」とはいかなることなのかに関して、考えるための手がかりを得ることができるだろうという、一つの研究の見通しを得ることができたように思える。研究集会では、本科研に先行する研究グループが公表した成果に関しての「合評会」も開かれた。一部において、文献が十分に読み込まれず、念入りに組み立てられていなかったために、的外れな、愚雑な指摘が多かった、残念:文献を読んでから、きっちりとまとめて、適正に問題点を指摘すべき。さらに、われわれは、大学卒業後、「猟師」になった「近隣」にお住まいの方から話をうかがった。動物が好きだから、動物を殺して食べることも、自分の手でやりたいと考えているとおっしゃた。猟をビジネスにしない、そうではなく、猟をする、自然と暮らしてゆくために、そのことが可能になる職を続けられているという「信念」に、大きくうなづくとともに、大いに考えさせられた。



【新刊】『人と動物、駆け引きの民族誌』

2011年10月01日 07時38分25秒 | 人間と動物

出た! 『人と動物、駆け引きの民族誌』 奥野克巳編著 はる書房、2300円。

表紙は、見本段階ではブルーだったけど、淡い生姜色になって、ちょっとカワユイかも。

人と動物の関わりについて、地球上のいろんな場所からの民族誌をつうじて、分かることがたくさんあるのではないだろうか。

この本のなかには、人と動物の駆け引きを、臨場感をもって、力強く描いている民族誌もある(気がする)。

しかしながら、もっと民族誌を突き詰めて、緻密の上に緻密を重ねてゆかなければならないのではないかとも思う。

本書を、個人的には、マリノフスキー以降のエスノグラファーたちの霊に捧げたい。

第1部 人と野生動物

 第1章 密林の交渉譜:ボルネオ島プナンの人、動物、カミの駆け引き

 第2章 狩猟と「男らしさ」と「森の小人」:パプアニューギニア、アンガティーヤでの人間ー動物関係の一断面

第2部 人と儀礼動物

 第3章 いたぶる供犠:ラオスの農耕民カントゥとスイギュウの駆け引き

 第4章 幸運を呼び寄せる:セテルにみる人畜関係の論理

第3部 人と飼育動物

 第5章 牛を喰い、牛と遊び、妖怪牛にとり憑かれる:コモロにおける牛と人間の「駆け引き」について

 第6章 ウシの名を呼ぶ:南部エチオピアの牧畜民社会ボラナにおける人と家畜の駆け引き

第4部 人と実験動物

 第7章 エピクロスの末裔たち:実験動物と研究者の「駆け引き」について