たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



ドゥルーズのご学友(?)と聞いたことがあるが、フランスの小説家、ミシェル・ビュトールは、45歳の男・レオン・デルモンの心の襞に深く入り込んで、彼の予定の変更(La Modification ←タイトル)を、味わい深く描き出している。扱われるのは、パリからローマへの主人公の列車の24時間の旅。主人公には、パリに、学生時代に知り合って4人の子をもうけた妻アンリエットがいるが、ローマには、スカッベリ商会の仕事でローマに出張に出かけている間に深い間柄になった愛人・セシルがいる。主人公は、セシルをパリに呼び寄せ、妻と別れて新しい暮らしを始めるという計画を着々と進めてきており、そうした彼の決心を伝えるために、心を躍らせながら、会社を休んで、ローマに向かう列車に乗り込む。いつもとはちがって、三等列車に乗り込んだ主人公は、その決心に酔いしれ、セシルの喜びを夢想する。「こんどきみはクリナール・ホテルに戻る必要はないし、食事のあとで駅に急ぐ必要もないだろう。食事のあとできみはモンテ・デ・ラ・ファリーナ街56番地のセシルの家に戻って、その日の宵を過ごすのだ。セシルはまもなくその部屋を出るのだから、きみはあと一度か二度しかそこを見られないことになる」(149ページ)というふうに、全編を通して、主人公を二人称で呼ぶという特徴的な表現によって、物語は綴られてゆく。ローマへと近づくにつれて、主人公の心に募るセシルへの思いとは裏腹に、彼の心は、パリにいるアンリエットからしだいに遠ざかってゆく。すでに3年に及ぶセシルとの関係は、もとは列車のなかでの二人の出会いと映画館での偶然の再会から始まった。その出来事の直前に、主人公は妻アンリエットとともにローマを旅している。「しかしまた、あのいろいろと運の悪かった旅行のあとでセシルと出会ったのでなかったら、きみは彼女をいまほど愛しただろうか?といってしかし、その旅行のときにすでに彼女を知っていたとしたら、いまきみの気持ちがこれほどアンリエットからはなれていただろうか、いまきみは列車に乗っていただろうか」(227ページ)。主人公は、パリ発ローマ行きの列車のなかで逡巡する。そして、やがてセシルにローマで会うことに関して、じょじょに考えを変えてゆく。「というのも、そのときのきみはセシルのためにローマに行くのではなかったからだ。今月のようにセシルがきみの旅行の唯一の理由というのではなかった。上役が命令して出張旅費を払う旅行だった。彼女に会うという幸福も、きみが上役たちに隠れて手に入れるものだった。それはきみの隷属状態に対する大きな復讐だった。たえず上役たちのために戦い、きみの利益ではなく、彼らの眼に見えぬ利益を守るようにたえず強いられていて、きみが堕落のさなかへと陥らされていることへの復讐だったのであり、言ってみればきみ自身に対するじつに穏やかな裏切りにほかならなかった」(326ページ)。語り手は、主人公の心理を突く。セシルとの関係は、会社への隷属状態に対する復讐だったのではないかと。「きみがほんとうにセシルを愛しているのはひとえに、彼女がきみにとってローマの顔、ローマの声、ローマの誘いである度合いに応じてのことにすぎない、ローマなしでは、ローマのそとでは、きみは彼女を愛さない、ただただローマのためにだけ、きみは彼女を愛しているのだ」(374ページ)。列車は、やがてローマに到着する。セシルのことを思い、一睡もせずに列車から降りる主人公。そのとき、列車に乗る前に秘めていた彼の決心は、かたちを変えていた。「長い間温めてきた夢の実現にあたって、きみはセシルに対するきみの愛が、ローマというあの巨大な星の徴の下に置かれているということ、きみが彼女をパリに来させたいとのぞんでいるのは彼女を媒介として、ローマを毎日きみの眼前に存在させたいという企図に発するということをさとらないわけにはいかなかったからなのだ。だが、きみの日常生活の営まれるパリという場に彼女が来ると、彼女はローマの媒介者としての力を失ってしまうことになる、彼女はもはや、あたりまえの女、新しいアンリエットとしてしか見えなくなり、いわば結婚生活を更新しようと思っていたのにこれまでと同じような障害があらわれてしまうことになるだろう」(438ページ)。こうして、主人公は、とうとう夢の実現不可能性へとたどり着く。最後に、その心の虚ろさを、彼は書物のなかに書き表すことを決心するのである。作者ビュトールは、列車が空間的にパリからローマへ向かって進行し、時間的にも流れてゆくというプロセスにしたがって、男の決心が、回想とともにしだいに揺らいでゆき、いつもの出張のさいに愛人にあうという一点のみを残して、別のものへと変化した決意のかたちを巧みに描き出そうとする。心変わりは何の状況変化も起こさないと納得することで、主人公は、自らを敗北者としない。「わたしは彼女を失ってしまったかと思ったが、また見いだした。わたしは絶壁の縁に沿って歩いていたのだ、もうけっしてあのことを話してはいけない、いま、わたしは彼女を手元に引きとめることができるだろう、わたしは彼女を所有している、と」(444ページ)。主人公は、彼なりの折り合いをつけようとする。心変わりは、むしろ、状況を固定させる。見事な描写だと思う。★★★★★

ミッシェル・ビュトール 『心変わり』 岩波書店



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クチンからビントゥルに飛んだ。抗マラリア薬メフロキンを予防服用。ビントゥルから車をチャーターしてウルンへ。ウルンでは、クーリー仕事でジャングルに入っていたプナンたちが、わたしが到着したとの情報を聞いて、夜の1時にカヌーで戻ってきた。「ブラユン、よく来たな、猟に行こうぜ」。翌夕、一個12リンギット(350円)する銃弾を四個、小学校の先生に頼んで分けてもらって(もちろん、わたしが買った)、油ヤシのプランテーションの猟に出かけた。その夜は、イノシシをしとめることはできなかった。しかし、イノシシは確かにいる、という。翌夕も出かけた。夕方一頭の子イノシシをしとめてなお、われわれは、イノシシを待ち伏せた(写真:二人のハンターの後には、しとめた子イノシシ、二人の間には、わたしが焚いた蚊取り線香、これが待ち伏せ猟だ)。今回のプナン滞在では、しとめたイノシシはこの一頭だけ。われわれは獲物を村に持ち帰って、みなで分けて食べた。猪肉を前に、華やぐ人びと。イノシシ、それは彼らにとって、魂をもつ存在物。はっきりと、そういう。猟に行き体が冷えたためか、はたまた、ビールとチャ・アペ(プナンがよく真昼間にクーリー仕事をして、得体の知れないしんどさのために、吐くために飲む50度の酒!)を飲みすぎたせいか、体調を崩し、ウルンを後にして、ビントゥルへ。口からは気持ちの悪いゲップがひっきりなしに出る。下痢だ。止まらない。おまけにうまく声が出せない。最悪の状態で、K大の調査隊に加わる。人類学者、地理学者、生態学者、鳥類学者、水質学者、言語学者、カメラマンなど男女混成の14人からなる研究者たちのグループ。ビントゥルから車でトゥバウへ。船便交通から道路交通への移行により寂れてしまった、1970年代に迷い込んだような川岸の小さな町。それは、下痢ではない、たんなる水だ。1,2,3,4・・・一晩に12回もトイレに立つ。翌朝わたしは憔悴しきって、ジェラロン川を遡る船に乗る。ひょっとして、マラリア??(アドゥー!、マレー風に)。プナンとイバンが共住するロングハウスに到着。そんなことは、おそらくこの河川流域だけのこと。わたしのプナン語は、ここでは心もとない。トー・ダープ(雨になるよ)は、ここでは、テ・ダーウだそうな。なんたることか、ここのプナンは、電気が毎晩点くモダンなロングハウスに住み、部屋にはトイレもあり、焼畑もやっている!羽振りがよさそうなプナンたち。私の調査地、隣の水系とは様子がかなりちがう。近代化したプナン。わたしたちは、ボートで、ジェラロン川をどんどん遡って、最上流にあるイバンのロングハウスへ。ここはもっと羽振りがいい。床一面に敷き詰められた同色のカーペット。わたしを悩ませたあの水便はしだいにおさまる。ふ~。ビントゥルへ戻り、メンバーが少し入れ替わり、タタウから車でサンガンへ、サンガンからボートでアナップ=ムプットのサステナブルな開発のモデル地域へ。道が金をかけてよく整備されている。ここでは、しとめられたイノシシを四駆の二台に乗せてはならないそうだ。会社の導きで、車とボートで、夜にイバンのロングハウスへ。周囲のトゥアイ・ルマー(村長)たちが集まって、出迎えてくれる。豚の供犠に始まる。ロングハウスの通廊は、その夜、祭宴の場と化す。ビール、トゥアク(米の酒)、チャ・アペの回し飲み、伝統舞踊、そして大音響のディスコ。朝6時の時計の音。そのとき、ようやく宴は終わる。木材会社の人たちに、森林伐採の実際を見せてもらう。お~、ロギングとは、こんな計画的な仕事だったのか。ブキット・カナのフィールドステーションへ、われわれは飲み疲れを癒しに行く。山の上から熱帯雨林の格調高い眺め。ふたたびビントゥルへ向かう車に乗る。わたし独り、タタウで降ろしてもらって、シブ行きのバスを待つ。大雨。暮れ方にシブのサラワク・ホテルに到着。寝る。夜中にガサガサという音。電気をつけるとネズミが這い出す。バッグに入れておいたお菓子を齧りやがったんだ!思い出すのは、わたしが今春レプトスピラ症に罹ったときに、最初に医者から聞かれた言葉。「旅行中にネズミを見ましたか?」。あ~、おそろしい。レプトスピラ系の感染症が流行っているらしい!2010年8月18日のサラワク・トリビューンの一面"After Leptospirosis and Melioidosis, what's next?"。メリオイドシスで、死者が出たという。早めにホテルを出よう。6時15分のエクスプレスボートで、ラジャン川を遡ってカピットへ。9時すぎ、カピット。町は賑わっている、活気がある。4年ぶりだ。二日前に到着していた、O大の二人の女子学生といっしょに、ロングボートで4時間、バレー川、その支流のムジョン川を遡ったところにあるイバンのロングハウスに到着。彼らの作業小屋に泊まる。この10年間に、O大から10人ほどの学生達が、このなじみの薄い人びとの地を訪れていたことに、ゲストブックを見て気づく。わたし自身は10年振り。小屋の周囲の自然を改編し、焼畑を営み、菜園をつくり、川で魚を獲り、農作物を食べにやってくる動物をしとめて食べるという暮らし。ゴム栽培や魚養殖などの現金収入だけでなく、自然からの恵みを手に入れて生活している。それは、狩猟に大きく依存するプナンとはちがって、農民イバンの自然利用のあり方。トゥアック、トゥアック、ンギルップ・トゥアック(酒を飲み)、眠る、漏れる高いいびき、寝言、うわ言、戯言。ある一日、ピクニックに出かける。ピクニックとは、ここでは、出先で手に入れた獲物を料理して食べることを含む。エコ、エコと唱えるなら、イバンの村でトイレで紙を使うのはやめようよ!文明ストレスの意識下の部分的解放か、裸の水浴びは!?ナンガ・ティアウを後にし、15馬力の船外機付きロングボートでカピットへ。シブへ。クチン。ポンダン(おかま)と、ビールで乾杯。都市で出会った生プナン、小さき人びと、パスポートの宿への置き忘れには注意!、人とは違う便で、一日遅れで日本に戻ってきた預けられた手荷物(人:クチン→KL→成田、荷物:クチン→KK→KL→成田)。2010年O大イバン隊の愉快な旅に乾杯!でも、帰国後の逆カルチャーショックには注意!ちょっとナボコフ風に(絵文字付き)。もちローの話のハンバート・ハンバート。



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Y.M.E.  


旅支度をしている。一眼レフカメラの調子がよくないので、デジカメ(Nikon Coolpix 8000)を買って、試しに写してみた。持ち物は、できるだけ軽くすませたい。道すがら読書をしようということもある。移動中は読書の楽園だ。ビュンビュン読める。そのため、どうしても必要な物以外は少なくしよう。できるだけ現地調達しようと思う。そんなことを考えながら、つくづく、フィールドに出かけられる期間が年々少なくなってきていることを嘆きたくなった。10年以上にわたって、毎夏フィールドに出かけている。2000年代の最初のほうは、2ヶ月くらい出かけていた。2007年頃から1ヶ月になり、ついに、今夏は1ヶ月を切る。人類学者は、どこの大学でも事情はほぼ同じである。しかし、嘆いていてもしかたない。くりかえしくりかえし、フィールドに出かけることによって、ようやく見えてきたものもまたある。それを、少しでも前進させたい。その一つは、多自然主義的な見方について。ヒトに近いのは動物、植物、霊、そのほかの無生物などの自然物のほうであり、ヒトは、そうした自然の多様なあり方に囲まれながら暮らしてきた。それを、多自然主義という。ヒトを含めた諸存在は、一つの文化である。それゆえに、ヴィヴェイロス・デ・カストロに言わせれば、"Culture is modern name of spirit"なのだ。そういう環境のもとでは、他者はいないか、いても自分たちとあまり違いはないと感じている。ヒトは、自分たちに似た存在として、山向こうの言葉の通じないヒトを見る、ふつう、ただそれだけだ。しかし、大航海時代を経験した人たちの子孫であるわたしたち現代人は、はるかなる遠くに出かけて行って他者を設定し、自己と他者との違いを強調することで、世界を組み立ててきた。その上に乗っかっているのが文化人類学なのだとすれば、この学問こそ、諸悪の根源なのかもしれない。文化概念は、その意味で、問題含みであるーークリフォードのいう「文化の窮状」ではないーー。ヒトだけの集合としての社会概念も、また然り。未開には社会などという、魔術的な概念はない。もとい。多自然主義の考え方のなかに、現代文明の行き詰まりを突破する可能性があるのではないかと思える部分がある。こうした考え方を、わたしの調査地の狩猟民プナンの人たちももっているように感じる。二つめには、ここで取り上げた言い方は、真実を隠しもっているにもかかわらず、衒学的かもしれないとも思う。だからこそ、表現の問題を、なんとかせねばならない。エスノグラフィーのもつ「味わいのなさ」をなんとかしなければならないのだ。時間を追って書くのではなく、時間を遡って書くという、カルペンティエールの『時との戦い』のような、ヒトの思い込みの激しさをトコトン追及することでシュールな作品となっている、ドーマルの『類推の山』ような、表現をめぐる課題を、エスノグラフィーのなかへと組み込めないだろうか。いや、組み込むだけでなく、じっさいに、忘我の境地でのめりこんでいくようなエスノグラフィーを書かなければならない。いや、書いてみたいと思う。こうしてみると、毎回フィールドワークの直前に書いている心情吐露のようなものには、回を重ねるごとに変化はあるが、大枠では、それほど変わっていないようにも思える。
◆半年前
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/acdd6262e2be63d7395a17a3144d469d
◆1年前
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/a6e6f70c1604a2755606fddbb63a1700



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ポール・オースター『シティ・オブ・グラス』山本、郷原訳、角川文庫。★★★★★

これは、縁そのものが切れて、孤独をどうにもできないまま、好奇心から探偵に深く関わるようになり、そのことに熱中し、その熱中
の後に、何もかもがふたたび無くなってしまい、ついには、自分自身をも失ってしまうという、哀れで切ない、現代人が直面するわれわれの全的喪失の物語である。

妻子を亡くした作家クィンは、ポール・オースター探偵事務所あての間違い電話を受ける。そのうち、間違い電話がかかるのを期待するようになるクィン。依頼主はピーター&ヴァージニア・スティルマン。精神病院から出てくる父親がピーターを殺害に来るので監視してほしいという。好奇心から、探偵ポール・オースターになりすましたクィンは、依頼主を訪ね、契約を結び、
その男を尾行するようになる。男は、ホテルから出て一日歩き回るだけで、特に目だった行動は取らない。クィンが、毎日男が辿った経路をつなぎ合わせてみると、TOWER OF BABEL という文字が浮かび上がる。このあたりから、クィンは、しだいに、混乱に飲み込まれてゆく。思いついて、探偵ポール・オースターに相談するために事務所兼自宅を訪ねるが、彼は探偵ではなく、作家であった。作家は、クィンが失った「息子」とまばゆい「妻」とともに、幸せな知的な暮らしをしていた。

クィンは、その後、ふたたび、男を見つけ出し、これまでよりいっそう尾行に熱を上げるようになる。クィンは、探偵行動のために、特殊な睡眠法を考案し、這うように路地に住むようになる。依頼主には、いっこうに電話はつながらない。みすぼらしい哀れな姿のまま、
数ヶ月ぶりに自宅に戻ると、別の住人が住んでいて、クィンの持ち物は、妻子とのわずかな思い出の品々を含めて、すべて処分され失われてしまっていた。依頼主の自宅へと向かうクィン。もうそこには、依頼主は住んでいない。

主人公クィンは、身の回りのあらゆるものを無くし、ついには、自分自身までをも破壊させてゆく。夢中になって動き回ることで、途切れてしまったものをつなぎ止めるための手がかりを手に入れるどころか、いっさい回復することができないままに、すべてが無に帰すということなのかもしれない。形さえも留めることがない。事件はほんとうにあったのだろうか、その予兆や、それに関わった人たちは確かにいた。いや、いたような気がするだけなのかもしれない。いくら熱を込めたとしても、その後、あらゆるものが、幻のなかに消えしまう。しかし、ヒトは、そうしないと生きてゆけない。ああ、なんという悲しみだろう。



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動物と人間の関係をめぐる今日的問題を考える上で、重要であろうと考えていた(がなかなか時間の余裕がなく見ることができなかった)映画『ザ・コーヴ』を、DVDで買って観てみた。それと並行して、『ザ・コーヴ』をめぐる最近の評論の幾つかを集めて読んでみた(写真)。

映画の冒頭で、和歌山県太地町へと車で乗り込むリチャード・オバリーの行動が映し出される。オバリーは、1960年代に、「わんぱくフリッパー」というアメリカの人気テレビシリーズの調教師であったが、イルカを死なせてしまった自らの行いを後悔・反省して、それ以降、
地球上でイルカに対する暴虐的行為を非難し、生簀からイルカを逃がすアクティビストになった、いわば、この作品中のヒーローとして登場する。他方で、太地町の人たちは、政府や警察と組んで、イルカを世界中の水族館へ売ったり、イルカ肉を販売したりして利益を貪り、入江に近づく者を恫喝したりする、愛らしく頭のいいイルカを搾取する悪者として描かれる。後半で、生簀のなかのイルカたちが、船の上に乗った漁師によって、槍で突き刺され、入江が真っ赤に染まるシーンがあるが、そのシーンを映像に収録するための「隠し撮り作戦」の様子も、派手な演出によって描かれる。それは、この映画の最大の見せ場であり、そのことによって、太地町の「巨大悪」が浮かび上がる。

この映画は、アカデミー賞のドキュメンタリー映画賞を受けただけでなく、
日本国内で上映反対の抗議運動も起こったため、話題となった。日本国内のメディアに掲載された幾つかの意見表明を読んでみた。クジラ・イルカ食反対・賛成の二元論をベースにして、そのなかに絡み取られているものや、論理的な主張のできる日本人の出現を待望する意見、さらには、アメリカ人向けのエンターテインメント映画にすぎないという意見、欧米に比べて日本人の反応の鈍さに着目して言論の自由を称揚するものなどなど、わたしは、本質に届いていない多量の意見の垂れ流しに、かなりがっかりさせられた。

唯一、わたしが興味深く感じたのは、大場正明による「構成さえ誤らなければ優れたドキュメンタリーに」と題する、『キネマ旬報』(2010年7月下旬号)の載った文章である。大場は言う。「この映画は構成を誤らなければ、地域の伝統とグローバルな問題との関係を問う優れたドキュメンタリーになっていたかもしれない」と。この作品は、イルカが含む水銀の問題や海洋汚染、水族館に頼るイルカ猟の利益の問題などに関して、答えを出すための手がかりを与えるのではなく、「狩猟と血の海の映像を踏み絵のように差し出そうとする」ことで終わっているという。

大場は、中村生雄を援用しながら、「殺し」と「血」のイメージにまみれた狩猟と供犠に目を向ける意図を、「その一つは、『文明世界』が捨てて省みることのない人間と自然との本源的な関係を、ヒトの基本的な生産活動であった狩猟のいとなみや、祭祀の場で人間と神と自然の三項を象徴的に関係づけることでそれぞれの意味と役割を設定する供儀儀礼をとおして再検討することであり、もう一つは、そこでの成果を踏まえたうえで、ともすると観念的で、さらには全体主義的な方向にさえ向かいかねない環境保護主義の思想に批判的に関わっていくことである」[中村ほか、『狩猟と供儀の文化誌』森話社、二〇〇七年]と述べる。わたしなりに言い換えるならば、動物の殺害とは、それなくしては、本来的には、人間が生きていくことができないものである。血の海の映像は、はたして、そうした覚悟の上でなされているのかどうかを、きちんと見極めるものとして扱われるべきである。さらには、そのことを踏まえて、わけも分からずに、それはエコ的ではないと短絡し、
エコを声高に叫び、エコを実践するような志も何もない人たちを、知的に鍛えていかなければならないというのである。うん、そのとおりだ。

さらに、イルカの供養に触れて、川島秀一の『追込漁』の一節に触れて、「非日常的な生物が海浜に到来すると、すぐにペット化する現代からは想像しにくいことだが、日常的に人間と生物との直接的なつながあった時代には、それゆえにこそ野太い信仰も文化も生まれたものと思われる」[川島秀一『追込漁』、法政大学出版局、二〇〇八年]という。ただし、大場によれば、それは何も日本に限ったことではない。コーマック・マッカーシーの小説やショーン・ペン監督の映画には、それらと共通する視点や問題意識があるという。大場の結びのことば「状況を単純化して自然との多様な関係性を切り捨ててしまえば、生の営みや社会の基盤は脆弱になる。その歪みがすでに様々なかたちで露呈していると思うのは筆者だけではないだろう」。

わたしの言いたいことは、残念ながら、この大場正明によって、ほとんど言われてしまっている。要は、人間と動物、人間と自然の関係のありようを考えるならば、この
『ザ・コーヴ』という作品は、一方的であり、単純すぎるのだ。結論に向けて、突っ走っているのみ。人間と自然の多様な関係性を、こんなにあっさりと切り捨ててしまうとは!全編をつうじて、太地町の人たちが描かれていないという印象があるが、ことは、そんな簡単ではない。自らの議論と実践を深く追求する一方で、太地町の人たちの、人間と自然をめぐる実践のかたちに届こうとさえしていないのである。おそまつ!エンターテインメント映画ならば、こういった人間の根源に触れるテーマを取り上げるべきではないとわたしは思う。 

覚書として。



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「サルは左利きだ」と、プナンは言った。
そもそも、そういった言い方をプナンがしたわけではない。
というのは、プナン語には、<サル>という動物分類のカテゴリーがないからである。
カニクイザル、リーフモンキー、赤毛リーフモンキー、テナガザル、ブタオザル。
この5種は、マメジカやヤマアラシ、ヤマネコなどと同じように、動物に分類される。
サルがヒトに似ているとは、少なくとも、プナンは思っていない。
サルがヒトの祖先であると、学校で教わったあるプナンの子どもは、びっくりして、それがほんとうかどうか親に尋ねたという話がある。
プナンの神話では、マレー人がイノシシになるというふうに、ヒトが動物になるのである。
以下、プナンのハンターから聞いた話。
リーフモンキーは、樹上高くで暮らしていて、地上に降りてくることはない。
カニクイザルは、ときどき地上に降りてくる。
ブタオザルは、地上を歩く。
赤毛リーフモンキーに、ジャングルのなかで出くわすことはほとんどない。
これらのうち、もっとも弱いのは、リーフモンキーとカニクイザルだ。
逆に強いのは順に、ブタオザル、テナガザルだという。
「サル」は、左手で、相手を威嚇するという。
そういった場面が、何度か目撃されている。
それゆえに、レフティーなのだという。
ほんとうなのだろうか。
残念ながら、わたしは、それらがしとめられる現場に立ち会ったことはあるが、それらが争っている姿を見たことはない。
どうやら、霊長類にも利き手はあるらしい。
ニホンザル、アカゲザル、ベニガオサル、カニクイザルには、左利きが多いという報告がある。
しかし、すべての霊長類が、左利きであるということではないようだ。
http://web2.chubu-gu.ac.jp/web_labo/mikami/brain/33/index-33.html
左利きは、感性やひらめきなどの右脳の発達に、右利きは、言語や論理などの左脳の発達にリンクしているのだろうか?
どうやら、そんなこともなさそうである。

http://sasapanda.net/archives/1962
ヒトの左利きはサル的(プリミティブ)、右利きはヒト的(文明的)というのは、正しくないだろう。

(写真:ブタオザル)



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