かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

上野・不忍池

2008年05月31日 | スケッチ、油絵、写真
 
 上野の都美術館で開催の女流画家協会展に行った。昨年10月、独立展に佐渡高校の同級生が入選したので訪ねたと紹介したが、その鎌田令子さんの絵を中心に女流の皆さんの作品を観た。基本的に絵には男女差はないと考えるが、女性らしい感性といったものを感じる作品が少なくなかった。まったくの抽象画は私は苦手だが、写実的な具象と感性的な抽象で構成される半具象といった絵には、そのうち試みたいなという気を起こした。

 帰途、不忍池に立ち寄り、咲き始めた紫陽花を入れてのスケッチ。ここでは入れていないが左に大きなのっぽビルがあり、不忍池もビルに囲まれ、構図が取りにくくなっている。
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緑の公園で

2008年05月25日 | スケッチ、油絵、写真
 
緑の東村山中央公園

 国際バラとガーデニングショウが開催された西武ドームは狭山湖、多摩湖・村山貯水池の近くにある。国際バラ展には多摩湖サイクリング道路を自転車で向かったが、帰路、このサイクリング道路沿いにある東村山中央公園で描いたのがこのスケッチ。多摩湖・村山貯水池が絵になるかと期待していたが、工事中のため立入禁止であり、湖も渇水していたので、この絵となった。
 緑一色の風景は描きづらい。東山魁夷は青一色の森林の絵を沢山描いてそれが日本を代表する森林風景の一つと言われている。緑一色の風景の名画?は記憶にないーーだから下手でもしょうがない、などと弁解しながら描いた。
 多摩湖サイクリング道路は正式名は都営「狭山・堺緑道」で、大正時代に造られた堺浄水場(武蔵堺駅の近く)までの水道路が戦後、この緑道になった。小平には玉川上水とこの水道が並行して流れていたわけで、現在も二つの緑道は市民の憩いと健康に貢献している。
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我が家のバラ

2008年05月23日 | スケッチ、油絵、写真
我が家の庭は狭くて日当たりも良くないので、、バラは庭でなく垣根に植えられている。園芸店で気に入ったものを購入し、計画的ともいえない作業を続けたのが写真のような現状。[国際バラとガーデニングショウ]で勉強したことを反映させてやり直すには10年はかかりそうである。



白薔薇2種は玄関、赤と黄の薔薇は裏の出入り口にあり、ツル薔薇をふくめると狭いところに10種をこえる。思いつき的な作業を続けたため名前のわからないのが半分。
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国際バラ展と我が家の薔薇

2008年05月21日 | スケッチ、油絵、写真
 我が庭にもほしい薔薇ー国際バラとガーデニングショウで

 国際バラ展の薔薇は最終日だったため疲れが見える花が少なくなかった。やはり平凡な品種でも朝日を受ける薔薇の方が魅力的だ。ここではきれいな薔薇というより珍しいかった薔薇を紹介する。


一般の薔薇愛好家が応募したコンテストが薔薇の種類ごと分野ごとのやられ、その入賞品が楽しかった。
上は鉢物、下は切りバラと珍しい盆栽。真中に我が家の切りバラがあるが、もちろん入賞作品ではない。









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国際バラ展に行く

2008年05月20日 | スケッチ、油絵、写真
「バラとガーデニングショウ」の典型的な作品ー私の庭ではない
 
 趣味の一つが庭いじり・花作りだが、なかでもバラが好き。とは言っても熱心になったのは年金生活に入ってからででそんなに専門的な知識があるわけでない。
 たまたま、我が家から遠いとはいえない所沢の西武ドームで恒例の国際バラ展(第10回国際バラとガーデニングショウ)をやっていたので、最終日の19日に行ってきた。自転車でサイクリングロードなら1時間余ということで、スケッチ道具も持っての出発だった。
 我が家のバラも紹介したいので、今週はスケッチはやすんでバラの写真になりそう。





入場者は予想より多く、人気のブースはゆっくり鑑賞できない。球場の客席は飲食休憩の人でこれも結構埋まっている。失礼だが、薔薇園を持っていそうな人とはあまり会わず、グループで参加のにぎやかな女性群などがめだった。




上はNHKの番組でも紹介されたイギリスのバラ王の作品。下は我が家の玄関のバラ。上のようなアプローチを作るにはバラの植え換えまえに門扉の工事が必要。といった勉強をしても??だった。


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旅の思い出スケッチー北海道・函館湾(油彩)

2008年05月19日 | スケッチ、油絵、写真
 前掲のスケッチと写真をもとにこの油絵を描いたのはちょうど1年前。昨年6月に杉並の大学生協会館でわが絵の会のメンバーの絵画展をすることになり、この絵を出展した。その期間中に大学生協のOB会(ユニコープ)が開催され、OBの皆さんにも見てもらった。この絵は今、毎月私たちが使わせてもらっている中央労金西新宿支店の会議室の一つに飾られている。他の絵に比べご主人以外の人目に触れている幸せものである。
 
 北海道の旅は従兄妹たちのお世話で大変楽しく終わったが、その後もあれこれ交流が続いている。
 「遅ればせながら、ブログに絵をのせたよ」と連絡したら、たまたま今日、札幌の従兄から「古平に行ったら今年はマスが大漁だった。自分で塩したやつを送った」と宅急便がきた。小ぶりな「サクラマス」を捌いたので、今夜の我が家は季節はずれのマス鍋である。
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旅の思い出スケッチー北海道・函館湾

2008年05月18日 | スケッチ、油絵、写真
函館湾ー緑の島からのスケッチ

 函館は坂道と洋風建築が画材としては魅力的。しかし、自分もそうだがカメラ片手の観光客が多く、景色のいい所に座りこむのは無理。その坂道から眼下の函館湾に人工島を見つけ、スケッチの場所にきめた。
 この場所からは向いの赤れんが倉庫が魅力的だった。この日の天気はあまり良くなく、実際は夕焼け空を見るまえに従兄妹のA夫妻に迎えられて、湯の川のトラピスチヌ修道院へ向かった。ということで夕焼け雲は”偽装”だが、この赤れんが倉庫のある函館湾には夕景がふさわしかった。
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旅の思い出スケッチー北海道・函館

2008年05月17日 | スケッチ、油絵、写真
函館、教会のある坂道

 五稜郭は前日訪ねたので、この日は与謝野晶子の歌碑のある立待岬から始めて、ハリストス正教会などが並ぶ函館山の麓を中心に観光し、お昼は赤れんが倉庫のある函館湾に降りて食事にした。
 50年まえの学生の頃に初めて北海道を訪ねた時は青函連絡船の船上から外国に来たような気分で函館の町を見つめた。汽車の石炭の煙と匂いにむせながらの長旅で”はるばる来たよ函館へ”の感慨であったが、まだその歌もなかった(と思う)。
 汽車への乗継ではなく函館の町を初めて訪問したのは函館市民生協の設立のころ、その店舗視察に来た1970年代のはじめだった。今はコープさっぽろとなっているその店舗もその後変わっていたが、今回は表から見ただけで訪問はしなかった。
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旅の思い出スケッチー北海道・函館、大沼公園

2008年05月13日 | スケッチ、油絵、写真
 
大沼公園で、駒ケ岳

 古平、積丹半島からニセコを通って函館に向かう。残念ながらニセコは天気が悪く、風景を楽しみながらスケッチとはいかなかった。しかし、大沼公園に近づくと駒ケ岳も姿をみせ、観光と散策を楽しめた。
 この日はAさん夫妻には久しぶりに函館の自宅に帰っていただき、我々は函館山の麓のホテルへ。ロープウエイで函館山に登り、函館の街の夜景の写真もとったが、ここに紹介するできばえでない。昨年、ピレネー・南仏旅行を契機に一眼レフを買い、旅行中に勉強し、現在はカメラの腕もかなりのものと思っているがーーー。
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生協と中国餃子中毒事件ー私と周辺の論議

2008年05月12日 | スケッチ、油絵、写真
 あちこちで餃子事件と生協にかかわる論議をしているようなことを書いたため「それを教えろ」と何人かに言われたので、その一部を紹介します。
 まず、私の認識。80年代に飛躍的な発展をみせ、社会的に注目される存在になった日本の生協は90年代に相ついで「信頼の危機」と「経営の危機」に見舞われた。21世紀の生協は厳しい経済状況のなかでそれを克服して、念願の生協法改正も実現した。そんななかで今回の事態が発生した。前2回の危機に劣らない危機である。その特徴は組合員・消費者に直結する商品、生協のシンボルのコープ商品で起きた命にかかわる中毒事件であったこと、前2回の危機のような「いくつかの困った生協」の問題でなく、前回は対策本部をになった日生協で起きたこと、問題が日中間の政治問題になるような性格を持ったこと等である。一方で、ことの原因は直接的には生協にないことが明らかになっていったが、生協とコープ商品への信頼が高かったことの反動として「もう生協は信頼できない」との不信が広がった。21世紀初頭の困難な時期を乗り越え、新たな発展が見えたかと思われる時期の危機というのが歴史的に見た認識である。
 今回の事件では生協利用者で警察が取り上げた被害者は5人だったようだが、一歩間違えばもっとひどい、命を落とす被害者がいてもおかしくなかった、「もしかしたら私の家族が」という思いを組合員・消費者に与えた。問題は、その予兆とすべきことが生協では起きていた、しかし、それに気付くことはなかったーーということ。
 そこで、ここ3か月ほど、わたしの周辺の生協のOBと現役の役職員はあれこれ議論を繰り返し、私もそれに参加した。私の貴重だと思った意見。
*「これは悪いやつのおこした刑事事件、生協は被害者」といった認識についてーー海外取引をふくめ長い間大変な規模の商品事業をやっている生協が、今回の事件を「想定外の出来事」「生協も被害者」などと認識しているのが問題。
*コープ商品は消費者からみればその製造・販売者は生協(表示には中国の加工工場などの名前はなく、日本生協連のみ。)今回の事件で「コープ商品はすべて委託生産、その委託工場には管理監督する人も派遣されていない」ということが明らかになり、これまでの生協への「誤解」が解け「信頼」が崩れた。誤解させ続けた責任は重い。
*冷凍食品などのコープ商品は各事業連合の開発商品の日生協との連帯強化・統合でここ数年間で急速にふえた。日生協はそれに対応する人的能力がなかったし、管理システムも遅れた。組合員に誤解を与えたままのコープ商品政策と同様に、その安易な運営が問題だ。この際単協、連合、日生協の連帯機能のあり方も含め見直したらいい。
*商品の安全確保のためには人的態勢やシステムの強化も必要だが、消費者に直結する現場の感性、判断力が大切だ。日々の消費者の苦情処理にあたっている現場がもっとしっかりして「予兆」を捉えるべきだ。--現場は「予兆」を感じていたが、報告をうけた本部幹部の感性と判断力が問題だったのでは?

 この他、一杯飲んでの議論もあり、単協から日生協の責任問題や今後の連帯のありかたなどいろいろであるが、もうやめて「絵」のブログの準備をします。
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旅の思い出スケッチー北海道・古平、積丹

2008年05月11日 | スケッチ、油絵、写真
 積丹半島・古平港で

 札幌に一泊、小樽を経由して積丹半島、神威岬へ。古平で2泊。
 北海道は東の知床・根室、北の宗谷、南の襟裳の各岬は有名だが西の積丹半島・神威岬はそんなに知られていない。その積丹半島の古平町に私の母の姉が嫁ぎ、母は娘時代に佐渡からこの古平にニシン漁の手伝いにやってきたという。佐渡は新鮮な魚のおいしいところだが、子供の頃から干物のニシンを食べさせられた。佐渡の味噌など産物を売るためには肥料用をふくめニシンなどが輸入された。北前船の名残だった。ということで私も学生時代から古平にはときどき遊びに来ている。
 昔ニシン漁で賑わった古平の漁協とはかって日生協は鱈子の取引などで縁があった。赤くない無添加たらこの始まりのころである。東京の生活クラブ生協などは魚の産直(網買い)だけでなく半島での牧場経営などでも縁があった。当時、農協の幹部として生活クラブ生協と付き合った従兄は今もイチゴを生協に出荷している。
 そんな従兄妹たちとその家族に歓迎され、伯母の墓参りや温泉行きなど忙しく、のんびりスケッチとはいかなかった。

積丹岬と神威岬



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旅の思い出スケッチー和歌山・番外

2008年05月10日 | スケッチ、油絵、写真
和歌山の素敵な絵は中尾安希さんのホームページで

 私のブログは週末に見ていただく方が多いので、金・土には掲載するよう心がけているのですが、昨日も今日も生協のOBたちの夕食懇談会(昨日は連合会関係、今日は東京の単協関係)で、餃子問題に関連して商品政策や連帯のあり方など飲んでの議論で遅くなり、またブログは休載です。
 今頃になって餃子問題で何を議論しているのか?と思われる方が多いと思いますが、それぞれもう何回目かの議論のようでした。それだけOBたちも心配し、意見の多い出来事だということです。
 そんな私に救いの連絡を和歌山の中尾安希さんから頂きました。私のブログで紹介できないのが残念と書きましたが、中尾さんは素敵なホームページをもっています。インターネット検索「中尾安希」で中尾さんの素敵な絵を鑑賞してください。
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旅の思い出スケッチー北海道・旭岳ー富良野

2008年05月08日 | スケッチ、油絵、写真
大雪山・旭岳は小雨

 北海道には母方の伯母がいた関係で学生時代から遊びに行っていた。今は従兄妹たちの家族との付き合いであるが、05年の夏にその従兄妹たちのお世話で妻と一緒に旭川・旭岳、札幌、小樽、古平・積丹、ニセコ、函館と楽しい旅をした。
 この北海道の旅は大雪山の麓の旭岳温泉にある北海道教育大の山荘を拠点に旭岳に登るところからはじまった。大雪山には学生時代に層雲峡の方から登った思い出があり、大いに期待したが、残念ながら小雨と霧でスケッチどころではなかった。
 しかし、大雪山特有の山草の花ばなは盛りであった。その旭岳はスケッチの代わりに写真です。



富良野は花盛り
 この旅は旭川・旭岳から札幌、古平・積丹の4泊5日は札幌の従兄T親子と函館の従妹A夫妻と私たち二人の賑やかな道中だった。古平のあとのニセコ、函館の2泊3日は函館のA夫妻にお世話になった。
 富良野は旭岳とちがい晴天。乾燥した空気と紫の丘が良く合っていた。
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旅の思い出スケッチー和歌山・南紀4

2008年05月02日 | スケッチ、油絵、写真
南紀・白浜でのスケッチ

 この和歌山でのスケッチ旅行は白浜で終わり、串本などの海岸や那智や熊野の山は訪れる時間がなかった。佐渡など日本海の海岸風景との違いを味わいながらのスケッチだった。
 訂正追記ーー和歌の浦でご一緒していただい画家 Nさんは和歌山市の洋画家・中尾安希さんのことです。文中「淡彩のスケッチ」がすばらしいと紹介したのは思い違いで、氏は水彩とあわせ油彩での風景画も多く描いています。画集や絵葉書になっている和歌の浦の絵も、当時絵葉書にして出版した和歌山城シリーズも油彩が半分です。ここにご紹介できなくて残念ですが、油彩でも「淡彩のスケッチ」風であり、自分がそんな絵を描きたいと思っていたた印象で誤った紹介をしました。お詫びします。
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旅の思い出スケッチー和歌山・南紀3

2008年05月01日 | スケッチ、油絵、写真
 南紀白浜海岸の名所「3段壁」

 このころの絵は、最近のようにサインペンで線描し彩色するという方法はあまり使わなかった。ただ、この白浜の名所「3段壁」の岩いわの荒々しさを出すには鉛筆よりもサインペンの方が良かったと思う。
 和歌の浦から南紀白浜での数枚の絵は、それぞれ”こんな風に描いてみようかな”という習作だった。N画伯の淡彩のスケッチらしいスケッチにくらべると下手な水彩画だが、その下手さも自分にとっては”旅の思い出”である。
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