かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

3つの生協組織の70周年誌

2022年01月14日 | 雑記ー自分のこと、世の中のこと

 昨年は私がお世話になった早大生協、日本生協連、東京都生協連がそろって創立70周年を迎えた。3組織ともコロナ禍のため先輩などを集めての記念集会やパティーなどは控えられたが、周年記念としての70周年史誌は発刊された。コロナ禍で存亡の危機といった状況に直面した早大生協からも年明けに70周年記念誌が送られてきたのでホッとし、うれしかった。

 早大生協は学生理事として法人化などにかかわり、10年後の70年代には大学紛争の続く中で常勤役員を務め、その役職員の協力で地域での生協運動の拡大に注力できた私の生協人生の母体である。2020年、コロナ禍で学生の登校などがなくなり、食堂や食品部の利用は9割、全体で6割の供給減少で4億円の赤字で存亡の危機と聞かされた。コロナに関する営業補償などもあり20年度の赤字は1.6億円となったが、21年度も前半期の状況は変わらず「早大生協の灯を消さないために」のアピールにこたえるために私たちOBOGも微力ながらカンパなどに取り組んだ。

そんな状況で記念誌の発刊なども無理と思っていたのに、10ページの最近の10年の動きを中心にしたものであるがA4カラーの冊子が送られてきた。その冒頭に大学と生協が昨年11月に締結した「相互協力協定」が載っており、コロナ禍の中で改めて大学が生協の役割を認識、期待していることが分かり、うれしかった。70年の活動の成果と確信した。最後のページには「10年間の事業の歩み」として供給高や累積剰余金のグラフが載っており、20年度の累積赤字は9,400万円となっている。これも「生協はつぶれないぞ」という意思表示に思われた。

日本生協連は30ページほどの70周年史誌を出し、別に私が監修者として協力した「日本の生協運動の歩み」を発刊した。東京都生協連は110ページの立派な70周年誌を発刊した。

私は1971年に早大生協の創立20年記念で「生協運動早稲田の歩み」の編纂・発刊にかかわり、81年の東京都生協連の創立30年では「東京の生協運動史」の執筆(編纂)にかかわり、2001年の日本生協連の創立50年では「現代日本生協運動史」の編纂(執筆)の関わった。偶然にも同じ1951年に設立された3つの生協組織でお世話になり、たまたま記念すべき周年にその組織の役員をやっていたためである。3冊の記念誌、特に早大生協の10ページの冊子を手にして昔を思い、感慨にふけった。

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スケッチ・国立駅の旧駅舎

2022年01月03日 | スケッチ、油絵、写真

今年もこのブログに新しい絵を載せ続けるつもりですので、よろしく。

年賀状の佐渡・真野湾の絵は秋のグループM展に出したものですが、描いたのは4年前です。

コロナ禍もあり長らく帰省できない想いを込めて賀状に使った。

JR国立駅舎の絵は昨年最後のスケッチ。現JR中央線となる路線が西武鉄道の創業者・堤康次郎の手で開発がすすめられたころ、国分寺駅と立川駅の中間に学園都市をつくこととなり「国立駅」が生まれたという。大正末に造られた旧駅舎は三角屋根にロマネスク風の半円窓を持つモダンな建物で多くの都民に親しまれたが、2006年中央線の高架化に伴い解体された。高度成長期に多くの建物がそうであったように、都市としての美観も住民の気持ちも無視された。その後、住民の声と募金が実り、駅前に旧駅舎の一部が再建されたのは2020年。

この駅舎の前の大学通りと一ツ橋大学の構内は前にもスケッチに来たが、今回はコロナで構内には入れなかった。

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