もやいマンション日記

マンション役員の体験を綴った「マンション日記」に、プライベート所感を綴った「nonnon日記」が混ざっています。

NO.327 「一匹ぽっちで頑張ったハク」

2017-06-26 | 日記

          nonnon日記

ハク7.jpgハクが我が家に来て半年が経った。今ではすっかり

‘ウチの猫`である。夜は殆ど私の布団の上で寝る。それもベターと

私のお腹の上に‘張り付いて’寝る。可愛いけれども次第に太ってきて5キロ

あるので重たい。それにハクは、抱っこを嫌う。

これは多分、亡くなった父が体が不自由で自宅で過ごしていた期間、

「おいで」と言って布団の上で、手の届く範囲でハクをなでて可愛がっていた頃の

習慣が身についているせいかな、と想像している。・・・・

つまり、私はハクと暮らしながら、ハクを通して、亡くなった父の生活を、

今さらながら、「ゆっくり想像して偲ぶ」機会を得ている。

夫の介護でずーっと走ってきた感があるけれども、ちょっと立ち止まって

振り返る機会を与えてもらっている気がする。

まさに、ハクは父からのプレゼントだ。

話は飛ぶけれども・・・

厳寒期から4月位まで、我が家のベランダに2匹の猫がしょっちゅう来ていた。

「ハクちゃん、外のいい空気吸う?」と居間のサッシを開けて、ハクがヒクヒク

外を覗き見ると・・・ギョッとした暗い表情で、俯いて引っ込むのが常だった。

何なの?と見ると・・・マンションの樹木の幹に巻いてあった麻のテープを

外して保管してあった袋の上に、親子猫らしい2匹がぴったり寄り添って

うずくまって暖をとっているのだ。大雪の日も。

「エー、エー、もっと温かいとこ、見つけられないのー?」

ハクが怯えるので、いつも慌ててサッシをピタッと閉めていたが・・・。

北国の野良猫の過酷な現実を見せつけられた気がした。

可哀想であったが、「あなたたちもどうぞお入りなさい」というほど、

私の余力は無い・・・。

「ハクや、あんたも紙一重で、同じような境遇になったかも知れなかったよ。

あの猫たちに、せめて居場所だけでも提供してあげようね。」・・「アア」

「ハク、じいちゃんが老人ホームに入っていなくなって、夜も灯りがつかない

真っ暗な家になって、不安で心細かったよね。

そのあと、ずーっと一緒だった親猫のシロちゃんも死んで、

一人、じゃなくて一匹ぽっちになっちゃって、ずーっとずーっと、

淋しかったよねー.そして九州から北海道に命がけで飛んできたよねー。

一匹ぽっちで、良くがんばったよね。あんたは強いよね、ハクー」

「アア」  (解っているのか、いちいち、ちゃんと返事する猫なのである)

・・ナデナデ・・・ナデナデ・・・(なでなでタイム)

・・・春になり、温かくなったら、その親子猫はベランダに来なくなった。

目がクルンクルンして、毛がふさふさの大小の親子猫だった。

来なくなって内心ホッとした。(葛藤から解放された!)

今頃は2匹で元気に駆け回っているだろうか?(と想像すれば気が楽である。)

人生も終盤戦はきついことが多いけれど、ニャン生も大変だよね。

どうせ運命には振り回されるけれど、それでも生きられている内は、

たくましく生きていこうね。

この世で頑張れる期間は、人間でも猫でも、誰にも限りがあるのだから。

 

 

 

 

 

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NO.326「夫は石の治療後、元気になりました。」

2017-05-26 | 健康・病気

         nonnon日記

 夫が腎臓結石の治療(体外衝撃波破砕治療3回)を終えて、元の病院に戻って

2週間余が過ぎた。

1か月振りにお風呂とリハビリも再開し、順調な回復ぶりで、ホッとしている。

体温が36.7度前後で、安定し、嚥下力が前より強くなり、石騒動の前には、

プリンはカップ半分しか食べなかったけれど、今では、1カップきれいに平らげる

ようになった。欲を言えば、夫は夕刻6時頃、TVを見ながらいつもウトウトする

ようになり、「意識が低下したかな?」と残念に思うけれど・・・私もいつも

5時頃にベッドの傍の椅子でウトウトしているので、おアイコなのである。

お互いに歳をとってきた、ということで・・・・。

よい季節に山の中の病院に戻れて、部屋の窓からは樹木の新緑に混じって、

小鳥の姿を追うことができる・・・しばしの‘安定’と‘幸福’を感じている。

 

 

 

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NO.325 「2回目の結石治療」

2017-04-21 | 日記

                    nonnon日記

3月下旬と4月上旬の2回、夫はまた40度近い熱を出した。

原因は昨年末と同じ「尿路結石」で、アーモンド型の石が腎臓のすぐ下の尿管を

塞いで、周囲が腫れて炎症を起こしているとのこと。

また専門の泌尿器科病院に転院となった。

転院して今日で2週間。今日2回目の「衝撃波治療」を受けた。

メスを使わず、体外から衝撃波を当てることで、石を砕いて、砂にして尿管に流す

治療法である。時間は30分位。

帰ってきた時、いつも120位の夫の血圧が170だった。

それも3時間位後には、いつもの値に戻っていた。

つけられた尿袋に真っ赤な血尿が痛々しかったが、それもやがて普通の尿に。

朝と昼の胃ろうご飯は抜きになったが、晩御飯は普通に胃に納まった。

いつものようにTVで「水戸黄門」と「巨人の星」を見て、ニュースを聞いて

ウトウト・・・した夫にホットしながら、病室を出た・・・。

前回、去年は膀胱の中を洗う治療で、その後3か月はとても調子が良く、

週に3回車いすに乗せてもらって、PT.OT.STの3人のスタッフに熱心に

リハビリをしてもらい、バナナやイチゴも刻んだものを食べれる程に嚥下力も強く

なっていたので、また石で足を引っ張られたのがとても残念である。

・・・でも物は考えようである・・・・。

この際、ここで、ずーっと夫が持っていた腎臓結石を解決するチャンスが与えられた

のだ、と考えよう。この石がなくなれば、夫が熱を出す要因がなくなるのである。

(夫は肺炎は3年前位に1度やったきりである。)

私も新しい「環境」に適応して、昼には病院周囲を散歩して、ランチを食べ歩き、

周辺の店舗の探索でボケ防止に努めている。

思えば「病院付き添い生活」ももう6年・・・心配は多々あれど・・・

それでも夫は(たくましく)生きていてくれて、何か尋ねれば目パチで、

ちゃんと応えてくれるのである。

どこに行っても会えなくなってしまうよりはずーっとずーっと、いい。

願わくば、・・・せめて、手だけでも動くようになればもっといい。

再生医療の進歩で、どうか夫の神経細胞が復活できますように・・・・。

 

 

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NO.324 「父の遺猫ハクのこと」

2017-02-27 | 日記

               nonnon日記

ハク3.jpgハクが九州から北海道に来てはや、3か月近くなる。

夫が大変で、病院付き添いで長い時間、留守番ばかりさせた時も、いつも

帰ってくれば、「ガアアー」と鳴いて私を歓迎してくれた。

ご飯もしっかり食べて、トイレも綺麗に使い、困らせられることが殆どない。

当初、引き取ることが不安で、少なからず、この‘父がこの世に残して逝った’

17歳の老猫を、「負担」に思っていたけれど、今ではハクは、

父からの「プレゼント」だったと思う。

振り返れば、このハクの九州から北海道への「大移送」には、数人の人間が

関わっている。

まず、父の家の隣の家の小父さん。(ハクを可愛がってくれてハクがよく遊びに

お邪魔した。でも夜になると、「出してくれ」と騒いで、必ず父の家で寝たそう

だ。)この小父さんが、移送前の日からハクを拘留しておいてくれた。

(でも80代の一人暮らし。救急車で運ばれた過去があるそうで、健康に自信がない

ので、ハクを引き取ることはできない、と。)

翌日、姉が迎えに行って、ケージに入れて、車で空港まで1時間余りで移送。

空港で、貨物カウンターで、姉が「ハクー」と呼びかけたら、「ガーガー」

と鳴いたけれど、空港職員の顔を見た途端、ピターッと沈黙したそうだ。

警戒したのだろう、と姉。

ケージの周囲に紙を貼られ、ハクは何も見えなくなって、それっきり、

生まれてずーっと17年間、傍で見てきた姉との別れー。

飛行機の中では大きい音が聞こえたと思うけれど、予め精神安定剤を餌と一緒に

食べさせられたハクは、比較的、怯えが緩和されたのではないかと思う。

(これは、私の中学校時代からの友人で、獣医をしている友人からのとても

有難いアドバイスであった。)

北海道の空港では、私の息子が迎えに行った。

「衰弱していないか、ちゃんと生きているか」心配だったようだが、

とにかく無事にケージを受け取って、寒いところに出ると「ガーガー」鳴くので

「大丈夫だ」と安心したそうだ。最短時間で運べるので、JRで運んだ。

こちらの駅では、私が車で待った。バスの停留所前(そこが一番JRの出口に近い

場所だった。できるだけハクを寒い外気にさらさないように)で待っていたら、

いきなり後ろからバスが来て、「プオー」といきなり追い立てられたりしたけれ

ど・・・(私の怒りよりずーっと向こうの方が怒ってる!マァ、ドンマイ!)

「大丈夫かェ、すぐに獣医さんに連れて行かなくちゃならない状態になっていたら

どうしよう・・・」とドキドキした、あの時の緊迫感は今もその場所を通る度に

胸キューンで、血圧が上がりそうな記憶がよみがえる。

で、無事に我が家に帰り着いて、ハク君の長ーい旅は終わった。

ここまでで、5人の人間がハクに関わっているが、さらに背後で強力にサポートして

くれたのが、猫を4匹飼っている猫飼いのエキスパートの40年来の友人。

もしも私がハクにお手上げならば、5匹目の猫を飼ってもいいよ、と申し出てくれた

のである。これは、セーフネットとして、もの凄ーく心強かった。

(感謝、感謝である。)

振り返れば、夫が40度の熱を出したのが、昨年11月22日、

ハクの引き取りが11月26日。夫、2度目に41度の熱を出したのが、

12月7日である。夫の高熱は、体内の石によるもので、12月14日~27日の

泌尿器科での治療後は、すっかり安定してこ2か月間調子がいい。

けれどもハクを引き取るのが、あの時点では、かなりな冒険だったことは事実だ。

(その前、11月上旬にも、一度、ハクの空輸が実行されかかったけれど、

北海道の天候不良で、直行便が欠航になってしまった。乗り継ぎ便だと、

とんでもなく時間が延びるので、ハクには酷すぎるということで、延期になった。

12月はさらに天候不順になることが予測されたので、もう猶予ならなかった。)

かなり苦しい決断で、悪くしたら、夫も私もハクも、共倒れになるところであっ

た・・・・。

でもねェ、私には、一つ、「確信」がありましたよ・・・それは・・・

「きっと、亡くなった父が、天国から守ってくれる筈・・・」とね。

ずーっと、老人ホームで、私以上に、ハクのことを心配していた筈。

守護霊となって、ここで守らなかったら、どうする!

ハクを守ろうとする娘の私を守る筈・・・というわけで・・・。

とにかく、現在、有難いことに、夫も私もハクも、元気になってきました。

・・・それから・・・ハクのことを心配して度々メールをくださった心優しき友人。

ハクは、苦難の日々を送ってはきたけれど、幸せな猫だと思います。

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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NO.323 「昨年末の’石‘騒動」

2017-01-24 | 健康・病気

        nonnon日記

 昨年末は、夫の「結石治療」に終始した。

夫は11月中旬から、12月上旬までに、2回40度以上の熱を出した。

ひきつけのような呼吸をして酸素マスクをして・・・。

腎臓結石が原因らしいということで、泌尿器科病院に転院して治療を受けた。

幸い大きな手術にならなかったので、2週間で元の病院に帰ってくることができ

た。

この間、大雪も降り、慣れない病院での、朝9時に出かけて夜9時に帰ってくる

付き添い生活・・・駐車場周囲の除雪、でこぼこ雪道の運転・・・

はさすがに私の体には応えたらしく・・・いきなり猛烈な腰痛に襲われた。

朝、痛くて起きられず、夫が以前使っていた「ポータブル手摺り」につかまって

やっとこさ、起きた。

屈む動作が痛くて顔が洗いにくい。靴下が履けない。

椅子に座った状態から立つ時にもビリビリ・・・。

腰骨がずれたらしいけれど、整体や針治療に行くにも、その時間がない。

夫も喉頭摘出した喉が乾燥して、ピーピーガーガーと音がして呼吸が苦しそうだっ

た。仕方ないので、バス付の個室を借りて加湿器を持ち込み、湿度60%を維持し

て私も毎日昼にお風呂に入って体を温めた。

一時はどうなるかと不安に駆られたけれど、

何とかやっとこさ、年末に夫も私も無事に元の病院に戻って来られた。

夫はまた元の病院でリハビリをしてもらい、お風呂にも入れてもらって、

安定した病状で新年を迎えることができた。

昨年、何度か高熱が出て、「神経難病の進行?」と心配したけれど、

どうやら、腎臓、膀胱結石が災いしていた可能性が強い。

重度障害患者は、高熱が出ても、ちゃんと原因を突き止めてもらえず、

ただ抗生剤を処方して、その都度、熱だけ下げる、という病院も多いようだ。

夫はこの度、20年来体内に温存してきた「石」の存在を発見してもらって、

ちゃんと専門病院で治療させてもらえて、本当にラッキーだった。

(主治医と病院にひたすら感謝、である。)

今では、夫はパーキンソンの薬と、筋弛緩剤と鎮痛剤をすべて止めて、

胃薬とオシッコの薬だけで、穏やかで、落ち着いた日々を過ごしている。

(先日、前の前の病院でご一緒だった付き添い友達がお見舞いにいらして、

「ご主人は、2年前より、ずっと、楽そうになって、良くなってる。」と

驚いて・・・「必要ない薬は全部外した」と話すと、またビックリポンで

帰って行かれた。

最近は夫はリハビリをしてもらうと、下剤を入れなくても、お通じがあるほどに、

お腹も活発になってきた。

ビックリなのは、もう3~4年も前から完全に固縮していた右手の指が、

作業療法士さんが、「はい、開いて~」というと、わずかだけれど、動くのだ。

(左手は、握り返すことができる。)

「神経は、ちゃんと通じている・・・」それを目で見て確かめる度、

新鮮な驚きと希望をもらっている。

 

 

 

 

 

 

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