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校長発言といじめ現象

2016年03月18日 | 時事
【大阪】「子ども2人」発言校長 今度は旭日旗掲揚
・・・あー、叩いている層が何なのかよく分かりました(笑)

まあ旭日旗掲揚は流石に今の時代にそぐわないと自分も思いますが、今でも祝日に日章旗の掲揚は学校やデパートなどでも普通に行っていますよね。うちも昔は玄関先に掲げたものですが、こういう国旗とか国歌とかをことさらに嫌う勢力がいるのは確かで、どうもそういう勢力に目の敵にされ、揚げ足を取られているようですな。
「女性は子どもを2人以上生むべき」という発言について、自分は一個人の表現の自由として何ら逸脱しないと思っています。つーか女性に限らず、当然男性だってちゃんと家庭を持ち、夫婦で協力して・・・という前提条件があるわけです。まあ自分にとっても耳が痛い話ではありますが(笑)「将来は親になって子どもを2人以上育てましょう」という趣旨であることは明らかであり、むしろテレビなどで何故ここまで叩かれるかが分かりません。実際、一組の夫婦から子どもが2人生まれないと人口はどんどん減少してしまうのは明白であり、現在「出生率1.4」「人口減少社会」とかが問題となり政府も少子化対策担当大臣まで起用して何とかしようと動いているわけです。この校長の発言はそうした現状にちゃんと即している、至極全うな意見ではないでしょうか。何やら「産めない女性がいることに対する配慮が欠けている」という指摘もあるようですが、そんなことはありません。ちゃんとそういう女性に配慮して、産める環境にある夫婦は2人「以上」産むべきだと言っているわけです。もしこれが国語の問題だったら、明らかに読み取り不足ですよね(笑)盲目に批判している人のレベルがうかがい知れます。

今回のように、よってたかって「傷ついた、配慮がない」など正論を振りかざしながら個人を集団で執拗に弾圧する姿は、まるで学校のいじめ構図そのものを見るようで、非常に不快です。しかもその多くが、実際に校長の訓話を全て聞いたわけでなく、報道によって意図的に切り取られた内容や又聞きであり、あたかも「女性=産む機械」のような飛躍したキーワードに固執してしまっています。まあそう感じ取るのも個人の自由かもしれませんが、人づてに聞いた情報は正確さに欠け、本人の意図を誤解している場合もあるのに、「校長が問題発言をした」という先入観をもってしまっていますから、この件のみならずその後全ての行動が悪いように見えてきてしまいます。今回の旭日旗掲揚問題然り、違和感はあるものの法やルールを逸脱しているとまでは言えないような言動まで逐一悪くあげつらい、あたかも犯罪者のような扱いで盛んにイメージを落とそうとしているのが見て取れますね。
いじめ問題の解決が難しいところは、いじめる側が「正義は我にあり」と思い込んでしまっているところにあります。ターゲットのいじめるに足る正当性を全員で収集して共有し、自分たちは良いことをしているつもりでやっていますから、教師や誰かにやめろと言われても「でもアイツの方が悪いじゃん」と聞く耳を持たないばかりか、下手すると指摘した者まで新しく弱点を収集し、ターゲットにされてしまうわけです。「自分たちは正しいことをしている」という思い込みで、相手の気持ちを考えもせず仮想の敵にまつり立て、安全圏から攻撃してすっきりする。傷ついた側は一生立ち直れない傷を負うが、話題が尽き時が経てば何に腹を立てたのかすら忘れ、また新たなターゲットに向かっていく・・・これもう、最も醜いいじめそのものでしょう。TVのコメンテーターなどは、同じ口で「何故いじめはなくならないのか」とのたまうのですから、開いた口がふさがりませんな。

校長訓話とは、小学校でもありますが卒業学年に対し話をする大切な時間です。学校は教師という家族以外の大人に最も長く接する場所であり、言葉の上っ面だけでなく、日常に接する教師の行動や生き様、人生観など「背中」を見て子どもたちは学び取っていきます。中には尊敬できない、自分の価値観と合わない教師もいるかもしれませんが、社会に出ればそんな人はごまんといるわけで、それもまた多様な価値観を知り共生していく方法を考える機会の一つであるのです。校長は、それなりの人生経験を積み、社会的な地位としても決して低くはない役職であり、一応人生の成功者の一員と言えるでしょう。そういう立場で偏った意見を言うべきではないという指摘もあるようですが、むしろ会社の社長ほど型破りな方法で成功を収め、それを社訓にしていたりするものじゃないでしょうか。大切なのは多様な考えに触れて自ら考えることであり、逆に「女性は子どもを産まなくていいからもっと社会進出すべき」という校長訓話があっても良いと思います。こういう話が人生にとって損になることはありえませんし、こう生きろと強制したわけでもありません。将来「あの時の言葉は正しかった/間違っていた」と判断するのは、実際に話を聴いた子どもたち自身に委ねるべきでしょう。それを、情けない大人達が、集団でよってたかって「発言で傷ついた人がいる」など訳の分かからない理屈で非難をし、一方的な意見をゴリ押すような今の社会構造こそ、子どもたちに悪影響でしかないのではないでしょうか。そもそも、ごまんとある学校の中でこの一校長の話をここまで社会問題化させる必要があったのでしょうか?事の発端は保護者を名乗る人物の市教委への問い合わせだったそうですが・・・

これ、絶対その保護者がマスコミか何か関係者のマッチポンプですよね?
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