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教科書謝礼問題

2016年01月08日 | 時事
【教科書謝礼問題】業界最大手の東京書籍も教員に謝礼 文科省、虚偽報告には指定取り消しも
昨年の三省堂の時はあえてスルーしていましたが、東京書籍は岐阜も採択しているので、他人事ではなくなってしまいました。

知らない方も多いと思いますが、教科書は基本的には学校単位でなく自治体単位で採択されるので、仮に数校の校長を抱きこんで「うちの学校はコレが使いたい」と言っても全くの微力であると言えるでしょう。もちろん私立や附属などは採択権があるのでその限りではありませんけどね。およそ10年に1度新しく採択検討することになるので、一旦採択されればそれこそ何百万部のベストセラーが約束され、教科書会社の安定収入になるわけです。まあ教科書はその性質上1冊300円程度と非常に安く設定されていますから、ページ数やカラーも増えており、儲け自体はそれほど多くはないでしょうけど、やはり企業側にとって採択されるかどうかは死活問題であると言えると思います。だからと言って不正をして良いと言う事にはなりませんが(笑)

で、肝心の採択基準ですが、多くの場合、余程のことがない限り同じ教科書会社のものを使うことになる印象です。やはり使い慣れた、教え慣れた教科書がなじみが深いということでしょう。愛知の先生と飲んだ時に気づいたのですが、何か会話がかみ合わないと思ったら算数で操作ブロックを使わないとか、国語の教科書に載っている作品がほとんど違うということがありました。例えば岐阜人にはド定番の「くじらぐも」「スイミー」「ごんぎつね」という作品も、違う教科書で学んだ他県の子ども達は全く知らずに育つわけですね。教員になって教科書を見ると非常に懐かしい気持ちになるわけですけど、他県から採用された方にとっては戸惑いを感じることでしょう。そういう実情があるので、岐阜のように地元出身の教員が多い所では、教科書を変えるとなると相当なエネルギーを必要とします。だから逆に言えば、ちょっとした謝礼で動くようなことは絶対にないと思います。それこそ過去に算数の教科書が変わった時のように、日本数学教育学会の研究大会が当たって当時の組織や大学教授を中心に県の算数数学教育を一新させようと言う動きが起き、初めて変わるようなものなのです。ちなみにその大会が今年また岐阜に回ってくるので、おそらくこの夏はどこにも行けないかな(笑)

さて、教科書が滅多に変わらないとしても、だからといって教育委員会が勝手に決めているわけでも、「まあ今回も同じでいいよね~」と気軽に選んでいるわけでもありません。検定を通った教科書は一応どれも基準を満たしているもののどれでも同じと言うことはなく、やはりその主張と言うか特色がかなり出ており、それぞれが細部にまでこだわりぬいて作られているわけです。以前手が3本ある教科書が出回っていましたが(笑)通常は矢印の色や問題文の文字数、挿絵の指の数に至るまで配慮検討がなされ、世に出回るものです。そう言えばあのいい加減な教科書会社が三省堂だったか・・・不正をしないと採択されないような出来だったのでしょうか。一方、今回の東京書籍はそれこそ最大手ですからそこまでする必要はない気がしますが、数研出版にも同様の問題が発覚したことから考えると、ひょっとすると真相はもっと根深い可能性もありますね。粗品レベルにまで広げればもうおそらく常態化しているのではないでしょうか。
ちなみにその採択前には、広く意見を募集するために各教科書会社の見本本が学校に回ってきて、それぞれに意見をつけていくことができます。そうして各校から集めた意見を集約してそれぞれの利点や注文を踏まえ、「A社を採択する理由、他は採択しない理由」を整えてしっかり吟味・議論を重ね採択されるというのが大まかな流れです。それこそ癒着や不正は決してあってはいけないことですが、逆に向こうからすれば喉から手が出るほどコンタクトを取りたいことでしょう。そこにつけこんで・・・というような闇の流れは容易に想像がつきますね。

まあ自分が想像したような採択時の賄賂がらみの接触は当然ながら大問題だとして、今回はそういう検定教科書の作成時でもアウトになるという話です。個人的には、もちろんそれぞれの教科書会社は一生懸命やっていると思いますが、社内のみでの密室検討会だけでは本当に良いものにはなるとは思えないので、実際にその教科書を使うことになる教員や校長から事前に意見を求めるというのは至極当たり前のことのように思っていました。教科書の最後のページには編集に携わった大学教授など偉そうな名前が(笑)ずらりと並んでいますけど、そういう高座の専門家がどれだけ現場を知っているかというと、どうしても疑問符がつきます。何でもそうですけど、これは不正がどうのというより、開発段階で顧客(子ども達)のニーズに応えるためにはやはりその当事者に意見を聞くのが一番の近道であり、必要なマーケティング調査だとさえ思うのですよね・・・教員側にとっても、数年後に採択される教科書の傾向を予め知ることは実践研究の方向づけもできてメリットだらけです。謝礼がどうのはこの際抜きにして、どう考えてもWIN-WINの関係にしか見えません。
しかし、文科省の規定によると「見せる」時点で既にれっきとしたルール違反であり、どの教科書会社もこういうことをしないと言う前提の上で作るようになっているそうです。個人的にそれで良いものが作れるのかと思っても、「癒着や不正の温床になってしまう」と言われれば確かにそうかもしれませんし、そういう意味での取り決めならば仕方がないですね。実際に勧誘などの気持ちは一切なく、純粋に意見が聞きたかっただけだとしても、教科書をつぶさに見比べて意見するというのは簡単なアンケートレベルの手間ではありませんから、せめて角が立たない謝礼を・・・・と図書カードを渡す等の行為を認めれば、それこそ歯止めが効かなくなってしまいます。教員は副業禁止なので、仮に完全無償で行ったとしても、人間ですから一度骨折ったものに愛着が出てしまうのは自然な流れですし、採択に全く影響しないとは言い切れません。だから謝礼どころか、単に「見せる」ことから禁止になっているわけです。取り決めがあるのなら守るのが筋ですし、そこから逸脱したのであれば正さねばいけません。

しかし、自分が一番危惧するのは、今回の騒動によって教科書が現場の感覚から全くかけ離れたものになってしまうことです。我々の時代は、教科書なんて練習問題をやるだけでほとんど使わないと言う先生も多くいましたが、最近はしっかり教科書に沿って教えていこうという流れが出来上がっています。こうした変遷が、実は教科書会社と現場の教員達の努力の成果だったとしたら、この流れは何とか生かしていきたいものです。

最終的に子ども達のためになる教科書にしたいというのは全員に共通する願いのはずですからね。
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