かねうりきちじの新書遍歴

多彩な職務経歴を持つ五十路男が、今読むべき新書を紹介します。

古代国家の見方が変わる?④~虎尾達哉著『古代日本の官僚』

2022年02月12日 | 新書
古代国家の見方が変わる?と題しまして、虎尾達哉さんの『古代日本の官僚』の紹介、連載4回目です。

前回は元日朝賀儀を無断欠勤する官人のことを紹介し、よく研究論文で「儀式は君臣関係確認の場」と言われるが、割り引いて考えてみる必要があるということを指摘しました。

今回は、各地域の神社の神職が、天皇からの幣帛(絹製品などの供物)を受け取りにやってこないということを取り上げてみたいと思います。

古代日本では、毎年行われる祈年祭(2月)、月次祭(6・12月)、新嘗祭(11月)の際に、全国各地の神社の神職が朝廷にやってきて、幣帛を受け取り、帰郷してそれぞれの神社の神々に奉納していました。

このことは大宝令にも見られ(神祇令9季冬条に「忌部は幣帛を班(わか)て」とあります)、天武10年(688)1月に「幣帛をもろもろの神祇に頒(わか)つ」(『日本書紀』)というのが起源と考えられています。

なぜこのようなことが行われたのかというと、政府が幣帛を各地の神に配分することを通じて、その神を信仰する人々を宗教的に支配しようとしたからと一般的には言われています。

しかし実際には、本書第三章「職務を放棄する官人」で指摘されているように、天武10年から約百年後の宝亀6年(775)には「弊を頒かつの日に祝部参らず」(『類聚三代格』)という状態になっていたようです。

天皇が各地の神々に供え物を配ろう(=天照大神の子孫である天皇が各地の神々を祭ろう)としても、肝心の各地の神々に仕える神職(=祝部)が受け取りに来ないのでは、目的が達せられません。

つまり幣帛を各地の神社に配分することで、その神社に祭られた神を信仰する人々を支配することはできなかったということになります。

「政府が幣帛を各地の神に配分することを通じて、その神を信仰する人々を宗教的に支配」するということは、概説書や論文では「神祇イデオロギーを通じた天皇による支配」といったように記されることが多く、かねうりきちじもこのような文言を目にするたびに、「そんなもんか」と思ってきました。

しかし、そもそも幣帛を配ろうにも受け取りに来ないのであれば、「神祇イデオロギー」で各地の人を支配なんてできません。

古代日本にいおいて、天皇が専制君主だという暗黙の了解があったからこそ、「神祇イデオロギーによる支配」もすんなりと受け入れられていたのでしょう。けれども、どうやら機能していなかったらしい。

ということは、古代の天皇が専制君主だったという暗黙の了解自体も疑ってみなければならないことになります。いかがでしょうか。

もう少し詳しく虎尾達哉さんの『古代日本の官僚』を詳しく読んでみてはいかがでしょうか。

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