かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

小倉トーストに違和感なし

2012年03月31日 | 旧ブログ記事(その他)
名鉄に乗って名古屋に戻ったのは15時頃。

名古屋でどうしても食べたかったものを求めて地下街へ。

行った先は名古屋の喫茶店といえばここのコメダ珈琲店

いえ別に珈琲を飲みに来たわけではなく・・・。

ところで、名古屋を20年ぶりに訪ねて、「名古屋飯」なる言葉を初めて知りました。

味噌カツ、天むす、ひつまぶし、きしめん・・・・など中京圏で独自に進化した食べ物の事を言うようです。

名古屋コーチンのレバ刺し

味噌カツやきしめん、名古屋コーチンを食べましたが、最後にどうしても食べたかったのが・・・・・



小倉トーストです。

トーストした食パンにマーガリンもしくはバターを塗って小倉あんをサンドしたもの。



「見るだけで胸やけしそう」という声が聞こえてきそうですが、kaneurikichiji は平気でした。

そして、多くの盛岡市民も同じでしょう。

何せ、盛岡のソウルフード“福田パン”のあんバターで慣れているからです。

最後の最後に食べた名古屋飯は、普段食べ慣れた盛岡の味でした。

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オグリキャップのふるさと

2012年03月30日 | 旧ブログ記事(その他)
おとといの続き。

美濃赤坂線に乗ったkaneurikichiji は大垣で乗り替え、岐阜駅に。

舎衛寺というお寺に行くためです。

ここには10世紀後半、長者ヶ原廃寺跡の時代のちょっと前に作られた釈迦如来像があるのですが、ご住職が不在でお仏様は残念ながら見られず・・・・。

舎衛寺本堂。この中に釈迦如来像がおられます。

このお寺、JR岐阜駅からちょっと遠いところにあり、バスで行ったのですが、途中、名鉄岐阜駅も通りました。

来た道はあまり通らないというのが、kaneurikichiji の旅のスタイル。

というわけで、帰りのバスは名鉄岐阜駅前でおり、名鉄で名古屋まで。

関西ですと完全に私鉄優位ですが、東海ではまだJRも検討していて、岐阜~名古屋はJRを利用した方が早いのは知っています。

でも、遅くてもいいことがありました。

それは・・・・



笠松競馬場を見ることができたから。

競馬を知らない人でもオグリキャップの名前は聞いたことがあると思います。

現役時代はもう20年以上前ですが、いまだにこの馬ほど多くの人々から愛された馬はハイセイコー以外にいないでしょう。

オグリキャップのデビューの地が、その笠松競馬場。

まさかこんな近くを走っていると思っていなかったので、感動しました。

たぶん、舎衛寺で釈迦如来像をお目にかかれなかった埋め合わせなんだと感謝しました。


2005年の南部杯勝ち馬ユートピア。この時の鞍上、安藤勝巳騎手がオグリキャップの主戦でした。
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東海道本線の迂回路

2012年03月29日 | 旧ブログ記事(その他)
 話は前後しますが、JR東海道本線・垂井駅を降りて国分寺まで向かう途中、楽しみにしていた事がありました。

 それは、東海道本線の迂回路を走る貨物列車を見ることです。

 昨年、この辺りを訪れた時は知らなかったのですが、最近、『地図で読む戦争の時代』(今尾恵介著 白水社刊)を読んで、国分寺のすぐ北側を東海道本線の迂回路が走っているのを知りました。

 ここは大垣から関ヶ原に向かって傾斜がきつく、戦前、下り列車は大垣で後ろに補助機関車を連結して後押しをしていたようです。

 その機関車を回送するのに上り線が混雑するようになったため、これを解消するために迂回路が敷設されたようです。


東西に2本走る東海道本線(赤)。上が迂回路。青矢印が垂井駅。

 現在では下りの特急や貨物列車のみが走っているようで、できれば国分寺に向かう途中にその様子を見てみたいなと思っていましたところ・・・。


上の写真のちょうど赤線の部分と思われます。

 運良く見られたのですが、カメラを取り出すのが遅れ、先頭の機関車を取り損ないました。

 やはり、イビチャ・オシムがいうように、準備は大切と改めて思った次第です。


迂回線を近くから。これでも傾斜は最大で10パーミル(1km進んで10m上がる)。
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美濃赤坂線に乗りました

2012年03月28日 | 旧ブログ記事(その他)
 国分寺のすぐ目の前の大垣市歴史民俗資料館を見学した後は、岐阜市内の舎衛寺に。

 JR東海道本線の垂井駅まで来た道を戻るという手もありますが、美濃赤坂駅まで歩いていきました。

 知らない道を歩きたかったですし、なにせ盲腸線の美濃赤坂線に乗れるので。

 東海道本線の支線のひとつで正式にはそうした名はありません。

 が、地元の人や鉄道マニアの間ではそのように呼ばれているようです。

 「鉄ちゃん」ではありませんが、『時刻表2万キロ』を初めとする宮脇俊三の鉄道紀行をこよなく愛するものとしては、乗らないわけには行きません。

 時間に余裕を持って資料館を出たのですが、あまり詳しくない地図しか持っていなかったのでちょっと道に迷い(歩く人がほとんどいなくて道を聞けなかった)、駅に着いたのは発車2分前。

 切符を買おうと思ったのですが、無人駅。

 
駅舎。実は1919年建造のようで、もうすぐ百歳!

 でもまぁ、「鉄」ではありませんから・・・・。

 美濃赤坂駅周辺のことは調べずに行ったのですが、中山道の宿場だったようですね。


垂井駅から国分寺に向かう途中通った道。昨年から中山道づいてます。

 どうりで風情のある町並みがあったはず。


何も知らずにいい雰囲気だな・・・と思ってパチリ。上手く撮れてませんが・・・。

 もう少し予習をしてから再訪したいと思います。


金生山(かなぶやま)。すべて石灰岩でできた山。石灰や大理石の採掘がさかんで、美濃赤坂線もその積み出しのために敷設されたようです。
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準備が大事

2012年03月27日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
 名古屋市立博物館に行った次の日、岐阜県大垣市の国分寺へ。

 実はここ、昨年、(車中)泊9日の旅の途中に訪れています。

 正確には、目の前の美濃国分寺跡ですが。

 美濃国分寺跡には資料館が併設されていますが、その日はちょうど休館日。

 おまけに国分寺に平安仏があるとはうかつにも知らず、その後不破関跡に行く予定で雲行きが怪しくなってきたので先を急いでいたため、寄りそびれていたからです。

 JR東海道本線の垂井駅から歩いて、国分寺へ。

 目指す仏様は、長者ヶ原廃寺跡とほ同じ時代の11世紀初頭、ちょうど紫式部が『源氏物語』を完成させた頃に制作されたようです。

 薬師如来像で、とあるブログではそのお姿を写した写真が掲載されていたので、普段から拝観できるものと勝手に思いこんでおりましたが・・・・・。



 誕生会(たんじょうえ)に合わせて開扉されるようです。

 サッカー日本代表の元監督、イビチャ・オシムの名言のひとつに次のようなものがあります。

 『ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に肉離れをしますか?要は準備が足りないのです。』

 kaneurikichiji はこの言葉に出会ってから、何かをする時は起きるかもしれないあらゆる事を想定して、できる限りの準備をするようにしています。

 上手くできているかどうかは別にして。

 でも、まだまだ、準備が足りませんね。

 したつもりだったのですが。

 いつか、4月8日が誕生日の相棒とこの薬師如来像を拝んでみたいです。

資料館の展示パネルより

 
整備された美濃国分寺跡から国分寺を望む(左)。国分寺全景。
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