■ 2010年夏 私の章南中との交換日記
自分のお砂場セット
いつも盗られて泣いている花菜ちゃんが
ある日、お砂場セット持って逃げたよ
お母さん 嬉しくて
お父さんに伝えたら
「泣いている 花菜ちゃんの方が好きだな。」 って
そんな優しいお父さんが
今
初めて
怒っている
■ 2012年9/28の主人の日記
いら立ちで気が狂いそう
先日の海難審判で、K元教諭の言動に怒りが増しています。
審判所でのK教諭の事実を歪めている行為はあまりにも酷い。
正しい事実を解明することしか、再発防止にたどり付けないのに、余りにも情けない教諭でした。
1つに、
学校が野外を行う場合、天候判断は自らが行い、実施可否の決定をするのは、誰もが認める常識と思っていました。
活動を委託された業者は、あくまでも学校が企画した授業を補佐する役割。
全部お任せにはできない。
子どもは学校にも守ってもらうのが、誰もが認める常識のはずです。
2つに、
転覆したボートは教諭しか乗っていない自主艇でした。
専門的には、復元力の高いカッターボートがなぜ転覆したか、その原因を究明するには、ボートの舵を取っていた教諭の証言が非常に重要になることは、素人の私でもわかります。
しかし教諭は、その重要な点において、質問者に合わせて証言を人為的に変えてる、としか思えない事を述べました。
花菜に対して、謝罪の気持ちがあるなら、もっと血の通った人間でいてほしい。
3つに、
救助について、転覆したボートに乗っていた教諭は、助ける余地は十分にあったと思えます。
生徒から行方不明者の名前を聞いているにも関わらず、何も確認していません。
それどころか、目の前にいる自分の生徒を助けることをすべて放棄して、自分は先に救助されています。
海難審判は、責任追及の場でない事はこの教諭も理解しているはずです。
証言しないということは、
二度と繰り返さないことにも、協力できないという事でしょうか。
結局、学校は野外教育を企画しながら、目の前の生徒の安全を何も考えていないし、何も判断していません。
それどころか、授業中に落ち度のない生徒がなくなったことに対して、反省会さえも曖昧のままです。
海難審議が終わって、事実がさらに明らかになって、今更ながらに強い悲しみと怒りで、尋常ではいられなくなりそうです。
「このK教諭じゃなかったら、娘は助かった」との思いがより強くなりました。
家内はなぜか、K教諭には寛大。 個人を責めたりはしないという事でしょうか。
私が市に対して提訴している民事訴訟について。
和解方向で進んでいるけど、中途半端な謝罪内容ではお話にならないと、改めて思いを強くしました。
自分のお砂場セット
いつも盗られて泣いている花菜ちゃんが
ある日、お砂場セット持って逃げたよ
お母さん 嬉しくて
お父さんに伝えたら
「泣いている 花菜ちゃんの方が好きだな。」 って
そんな優しいお父さんが
今
初めて
怒っている
■ 2012年9/28の主人の日記
いら立ちで気が狂いそう
先日の海難審判で、K元教諭の言動に怒りが増しています。
審判所でのK教諭の事実を歪めている行為はあまりにも酷い。
正しい事実を解明することしか、再発防止にたどり付けないのに、余りにも情けない教諭でした。
1つに、
学校が野外を行う場合、天候判断は自らが行い、実施可否の決定をするのは、誰もが認める常識と思っていました。
活動を委託された業者は、あくまでも学校が企画した授業を補佐する役割。
全部お任せにはできない。
子どもは学校にも守ってもらうのが、誰もが認める常識のはずです。
2つに、
転覆したボートは教諭しか乗っていない自主艇でした。
専門的には、復元力の高いカッターボートがなぜ転覆したか、その原因を究明するには、ボートの舵を取っていた教諭の証言が非常に重要になることは、素人の私でもわかります。
しかし教諭は、その重要な点において、質問者に合わせて証言を人為的に変えてる、としか思えない事を述べました。
花菜に対して、謝罪の気持ちがあるなら、もっと血の通った人間でいてほしい。
3つに、
救助について、転覆したボートに乗っていた教諭は、助ける余地は十分にあったと思えます。
生徒から行方不明者の名前を聞いているにも関わらず、何も確認していません。
それどころか、目の前にいる自分の生徒を助けることをすべて放棄して、自分は先に救助されています。
海難審判は、責任追及の場でない事はこの教諭も理解しているはずです。
証言しないということは、
二度と繰り返さないことにも、協力できないという事でしょうか。
結局、学校は野外教育を企画しながら、目の前の生徒の安全を何も考えていないし、何も判断していません。
それどころか、授業中に落ち度のない生徒がなくなったことに対して、反省会さえも曖昧のままです。
海難審議が終わって、事実がさらに明らかになって、今更ながらに強い悲しみと怒りで、尋常ではいられなくなりそうです。
「このK教諭じゃなかったら、娘は助かった」との思いがより強くなりました。
家内はなぜか、K教諭には寛大。 個人を責めたりはしないという事でしょうか。
私が市に対して提訴している民事訴訟について。
和解方向で進んでいるけど、中途半端な謝罪内容ではお話にならないと、改めて思いを強くしました。