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所沢の変遷

2018-03-07 14:42:01 | 日記
長い年月掛けて発展
 
 此のところ所沢駅東口の開発が急テンポで進んでいる、先日3月2日所沢東口に「グランエミオ」が開店した、当日は大勢の人が押しかけ大変な賑わい。

 小生昭和36年1月に所沢市へ転入した、当時市民は5万人前後、元町に有った木造2階建て市役所で転入手続きをした。
 当時の所沢市は農村部が多く、中心部の市域は、駅西口から日吉町商店街、そして所沢銀座商店街が有り、江戸期所沢織物等で財を成した店蔵が並び、歩道はアーケードが有り濡れずに買い物が出来、明治天皇がお泊りなった斎藤商店、その他、うなぎ屋 種苗店 穀物店 菓子屋 桶屋等老舗が軒を連ね庶民的な商店街で、映画館も有り大変賑わい活気が有り繁盛していた。
 小生が住民登録した後、木造庁舎の跡に5階建て瀟洒な市役所が誕生した、その頃の所沢駅東口は駅前に僅かな家並み、見渡す限り畑地が広がり、松井 安松方面まで見渡せた。

 その後所沢住民が急速に増え、新庁舎も手狭になり、旧所沢飛行場跡地が米軍から一部返還になり、そこに昭和62年1月立派な新庁舎が完成移転した、市役所が移転すると人の流れも大きく変わるのか、所沢銀座商店街が急速に寂れた。
 
 人の流れを回復させようとの方策の一端か、
元町から曽根の坂に掛けて超高層マンションが林立した、それに伴い店蔵が姿を消し、瀟洒な商店が並び、庶民的な親しみが失せた様な気がする、名前も銀座商店街からファルマン通りに変わった。

 それより少し前から所沢東口開発が進み、駅前ロータリーが整備され、西武本社 くすのきホールや病院 商店街住宅地も広がり、所沢駅東口が急速に発展してきた。

 平成24年11月27日所沢駅がリニューアルオープン、改札口を統一して、エキナカ商店街「エミオ」も開店して、所沢駅も近代化した。
 
 平成30年3月2日建設中だった東口ビル「グランエミオ」が開店した、当日駅通路から店内大変な人込みで賑わった。 
 
 昭和36年所沢へ移転した時は、旧市内を出外ずれると、茫漠と広がる畑と雑木林、国道はバス トラックが走ると濛々たる砂煙、雨の日は水溜りのでこぼこ道、電車は通勤時間帯を除けば、1時間に2本、途轍もない田舎へ引っ越して来たと思った、だが住めば都、開発も徐々に進み便利になった、57年間所沢の発展をつぶさに見て来た事の一端である。
 所沢は昔から駅西口が発展して、東口が遅れていたが、近年西も東もバランスが取れ良い街になった。  
 
昭和36年当時、木造2階建ての所沢市役所、
 
その後上記跡地の建てられた、瀟洒な5階建て市役所
 
写真中央所沢駅左側に商店住宅が密集して、賑やかだった、駅右側東口は、駅前から茫漠と畑地が広がり、松井 安松辺まで見渡せた。
 
所沢旧市街を抜けると、どの道も砂利道、新所沢北の踏切から川越へ通じる道も、砂利道でトラック バスが通ると濛々たる砂埃り、雨が降ると水溜りのできる悪路、道左側の水路は砂川掘、この先笹藪と木立に囲まれた深い淵が有り、おどろ恐ろしい所も有った。道の両側には家も無く一面に畑が広がっていた、この先右側に西武バス車庫と整備工場が有った
 
 
所沢市もその後急速に発展して、市民も34万人と大発展して、平成24年11月27日、所沢駅も大改造共用、駅中エミオも出来、大きく変貌した、それより以前から東口開発も進み、西武本社、くすのきホール、商店街 住宅街も広がり大きく発展した
 
平成30年3月2日グランエミオが開店、駅通路も大変な人人
 
店内は大変な混雑、所沢も西口の繁盛に負けぬ、東口も活気を呈し、ますます発展するだろう。
因みに「EMIO」の名前は、西武沿線各駅にエミオが有る、「沿線の皆様に笑みを」(えみお)=EMIOが語源である
 
 
 
 
 

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